第18話 摩訶不思議。
不思議 不思議 摩訶不思議。
何が どれが 摩訶不思議?
揺蕩う香りが摩訶不思議。
不思議な香りはどんな物?
それは、ふかぁい森のなか、
ひっそり咲いた、白花の
えもいわれない、濃密な
「秘密の香り」で、ゴザイマス。
…なんちゃって♪
『飲みモン買ってくる』
カタンと、小さな音を立てて悠介が立ち上がったとき、フワリと「何か」が匂い立って、みちるの鼻先をくすぐった。それがジャスミンの香りだと気づいたのは、今朝、家を出るときに、庭先にふと咲いていた小さな白い花の匂いをかいだからだ。
その様子を見ていた母が、『それはジャスミンよ』と、そっと教えてくれた…
(さっきまで、全然気づかなかった…)
そういうものには、結構敏感な方だったが。
それだけ緊張していたのかと思うと、『どんだけ⁈ 』と、自分に突っ込みたくなる。
(うっ、不覚…)
階下へと消えていく悠介の背中に、みちるは小さく「イーッ」とやった。悔しくて。
「あっぶねぇー」
悠介の姿が見えなくなったのを確認して、直人はその大きな身体を糸が切れたように脱力させると、そのまま椅子の背もたれにダラリと寄りかかった。
日に焼けた両手で顔を覆い、指の隙間から長いため息を一つ。
「危うく地雷踏むとこだった」
「何?地雷って」
直人の一言に、綾が眉をひそめる。
目の前の二人の女子を、指の間からチラと覗く。直人は崩していた姿勢を正すと、重々しく口を開いた。
「…やっぱ、お前も知らねーのか。オレもよくは知らんけど、あいつに兄貴の話振るなよ?絶対不機嫌になるから」
そう語る直人の顔はいつになく真剣で、さっきまでのおちゃらけた様はまるでない。
漂う神妙な空気に、みちると綾は顔を見合わせた。綾の顔には困惑の色が滲みでていたが、小さな鼻を鳴らすと、直人の方を向いて言った。
「分かったよ。でも、ただあんまり仲良くないってだけじゃないのかなぁ?兄弟で仲良くない人って意外といるよ?さっきだって、お兄さん学生って…」
「それも本当かどうか、よく分かんねーんだよなぁ。アイツの家行っても、昔みたいに兄貴の気配感じないし。まぁ、悠介の兄貴はあいつより頭良かったから、多分学生なんだろうけど」
「えぇっ⁉︎し、市内5位よりも頭いいって事ですか?」
突っ込むところは多分そこでは無かっただろうに、しかし、驚愕の事実に、みちるは声を張り上げた。
一瞬、店内の空気が凍りつく。隣に座った二人組の女子高生の冷たい目つきが、針のように刺さって痛い。
「ま、まぁ、悠介があそこまで成績上げたのはアレが初めてだからね。今後持続するかは分からないから。…それにしてもみちるちゃん、よく通る声だね」
大きな声を出して子供のように驚くみちるに、直人はハハハと苦笑する。
「あ…、すみませんっ!私ったらつい…」
またやってしまった。驚くいたり興奮したりすると、構わず大きな声を出してしまう癖。しかも初対面の人の前で、思い切り…
あ、穴があったら入りたい…全く、自分のドジ加減にはほとほと呆れる。身体を窄め、真っ赤になった顔を隠すようにみちるは俯いた。
「ねー、ねー、私、昨日買っちゃったんだ、jetstreamのCD!」
「えっ、やだ何で今さら?どして?」
そんなみちるの耳に、ふと二人の女子の話し声が飛び込んできたのは、その刹那。
ギクリとして、恐る恐る声のする方を見る。話をしていたのは、先程一瞥をくれた隣の女子高生達。
「だって、前から欲しかったんだけど、タツヤが死んじゃったから一時どこも売り切れになって、買えなかったんだよ。やっと買えたんだから」
そう言って、通路ごしに隣に居合わせた小柄な女子がウェーブがかった髪をかきあげ、小脇に抱えたカバンを開き「何か」を取り出そうとしている。
細い指の間にちらとそれが垣間見えた。彼女が話していたjetstreamのCDだ。そのジャケットには、数ヶ月前に自分の夢に現れた、懐かしい人物の顔…
(タツヤだ!)
写真はタツヤの横顔を写したものだったが、やはりあの夢で見た顔は、紛れもなく彼だ。
(今頃…、今頃タツヤの魂はどうしているんだろう。私たち、どうしてこんな事に…)
「え、何?みちるちゃんもjetstreamのファンなの?」
隣のテーブルを食い入るように凝視しているみちるを見て、直人が強張った声で話しかけてきた。
「あっ、いえっ、兄が好きで。あと、地元出身だったから…」
「そっか。みちるちゃん、玉川市に住んでるんだ?玉川の駅前も、jetstream効果でけっこう活気づいてたね、駅ビルでキャンペーンやったりして。…寂しくなっちゃったね」
「ねぇねぇみちる、生のタツヤ、見たことあったりするの?やっぱりカッコ良かったのかなぁ?タツヤ」
声を弾ませながら、綾が恍惚とした表情でみちるの顔を覗き込んだ。いつもの彼女らしくないミーハー発言。タツヤの顔ファンだったのだろうか。どちらにしろ、その質問自体は特に変でも無く、むしろよくあるパターンではある。
…普通なら。
綾の問いに、みちるは人知れず身体を震わせた。
「う、ううん、ない、ないよ、ない。ある訳ないし、絶対にないっ!」
額に滲んだ冷や汗が、タラリと短い筋を作って溢れ落ちそうになる。みちるは慌てて手を振った。
「やだ、みちるってば何もそこまで全力で否定しなくても…」
異常に両手を振って否定するみちるに若干引きながら、綾はポテトフライを手に取ると、残り少しとなったそれをみちるに勧めた。
もう出来立ての熱さはない。4、5本のポテトを一気に口に押し込めた、その時。
「あ、オレのポテト…」
ジュースの入ったカップを片手に、戻ってきた悠介が目の前に立っていた。
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