第16話 signal

その「信号」を、私は知らぬ間に発信していたんだと、


「キミ」が現れて、初めて理解した。





遡ってみれば。



始まりの信号を受けたのは私で。


けど結局、自分ではどうにも出来なくて。



…だからキミは、『私』と『私が持っていた分』の、二つの信号をいっぺんに受けてしまったんじゃないかと。







…じゃ、キミのは?



キミは賢いから、そんな心配要らないかもね。









だけど、








だけどもし、そんなシグナルがキミから出されたとしたら…










『mayday!』












…受け止めるのは、誰?















時刻は17時を少し過ぎたところだった。


7月半ばの太陽はこの日最後と言わんばかりの底力を見せ、その強さは夕刻といえど茹だるような熱を帯びていた。



額の汗を拭きながら、おそらく帰路につくのであろうサラリーマン、キャリアウーマンが目の前をいそいそと行き交って行く。


自分達と同じ、制服姿の高校生も多い。


我が青陵高校の制服もチラホラ見かける。


薄いサックスのシャツに、ロイヤルブルーのリボンが鮮やかに映えて、グレーのプリーツスカートが、控えめにそれを引き立てていた。


冬服と比べるとややマニッシュだが、爽やかなデザインで、生徒達からの評判も良い。



その制服を着た数人の女生徒達が、高校生らしい賑やかな笑い声をあげて通り過ぎて行く。



…羨ましいと思ってしまった。自分だって同じものを着た、その学校の生徒なのに。




取り残されているような、置いて行かれているような、或いは切り離されてしまったような…そんな気がした。





そんなことを考えていたら、時間が飛ぶように過ぎていた。


何かを待つという時は、大抵じれったく感じるのに。







数件のデパートと映画館、大企業の支店、繁華街…あらゆるビルや商業施設が立ち並ぶ、この近辺では一番大きな駅。


その改札口に立つこと約20分。



「おっそいなぁー、もう」


華奢な腕に巻いた腕時計を見ながら上唇を噛みしめて、綾は若干の苛立ちを見せていた。


(さっきから、誰を待ってるんだろ?)



学校を出てからこの数時間、ずっと彼女と二人で過ごしていた。ファミレスでランチを食べ、デパートでウインドーショッピング、その後某コーヒーショップでアイスコーヒーを飲み、夏休みの計画を語り合う…。


何の変哲もない、ごく普通の遊びコースだ。



…今のところ、は。





『ナ・イ・ショ!』



学校を出る時に言った、綾のあの一言がずっと気になってはいたが。それについて幾度か尋ねてみたが、適当にはぐらかされ、結局教えてはもらえなかった。


けど、そのシークレット事項とは多分この事なのだろうと流石に感づく。


「ね、ねぇ綾、一体誰が来るの?」


相変わらず時計とにらめっこをしている。にわかに殺気立った親友の背中に、恐る恐る問いかけてみた。


その苛立ちは早くも最高潮なのか、どうやら自分に連れがいた事すら一瞬忘れていたようだ。みちるに呼ばれてハッと我に返ったように、綾が振り返った。


「ごっめん、みちる。もうちょっと、もう来るから!ほんっとにこんなかわいい後輩ふたり、どんだけ待たすのよ、この暑い中!ぶっ倒れそうだわ!」


梅雨もまだ開けきらないこの時期。大量の湿気を含んだ異常な暑さに理性を欠いた綾は、昂った感情を隠しきれずにいた。大勢の人々が行き交う改札前で、子犬のようにキャンキャン喚く。


が、しかし、そんな彼女のカナキリ声もそう長くは響かなかった。



「いや、その威勢の良さならあと3時間はいけんじゃねーの、内川」


聞こえていたのか、いきなり現れた「そのひと」は、日に焼けた大きな手を綾の黒い艶髪の上にボンッと覆い被せ、ニヤリと笑った。


「…!やっと来た!もう遅いよ、直人先輩!」


「わりぃ、部活長引いちまってさ〜。ま、コレでもエースなもんで」


こざっぱりとした短髪を掻いて、ちらりと白い歯を見せる。スラリと背が高く、いかにもスポーツマンらしい彼は青陵学園の制服を着て、肩にはテニスラケットのような物を掛けていた。


「どーせまたエアKとかって遊んでたんでしょ?」


「あながち間違ってないっしょ?苗字鴻上なんだからって…ん?」


「何か」に気付いた鴻上直人は、目を丸くして綾の後ろを覗き込んだ。


「…は、ハジメマシテ」


(本当は初めてじゃないけど!)

心の中で叫びながら、ギクシャクと音が出そうな声で一言だけ挨拶をすると、自分の顔を覗き込もうとする直人の視線を交わすようにみちるはサッと俯いた。


2ヶ月前の記憶が蘇る。ほんの一瞬しか会わなかったが…間違いない。


(この人、前に屋上で会った人だ!綾の知り合いだったなんて世間狭すぎる…って、え、ちょっと待って…)


ある種の予感のようなものを感じて、みちるはハッとした。


ツーッと、背中の中央を、冷たい一筋の雫が走る。


(もしかして…もしかして…)


ドクン、ドクンと、鼓動が震え出す。

その原因が期待なのか不安なのか、それさえも分からない。


ただ騒つく胸を抑えようと、俯いたまま制服の胸をギュッと掴んだ。


「あ、この子は宇野みちる。普通科で仲良くなったの。で、あれっ?」


みちるの様子が変わった事に綾は気づかない。何かを探して、人通りの多い駅舎をキョロキョロと見回している。


「あいつは?」


「あいつって。おまえ、学年トップの先輩をあいつ呼ばわりかよ?相変わらずだな。おい…」


そんな綾を呆れたように一瞥すると、鴻上直人は大きな身体を後ろに逸らして男子らしい威勢の良い声で「その名」を呼んだ。


「悠介!」


ドクンッと、みちるの身体中にひときわ大きな音がこだました。衝撃で、伏せていた顔が跳ね上がる。





夕日に照らされた長いシルエットが、すぐ足元で揺らめく。


(あ…)


「うっせーな、ジュースくらい買わせろよ…」


片手に小さなペットボトルを持ち、気怠そうなため息を一つ。形の良い唇から漏れた声は、確かに聴き覚えがある。



さっきのように俯きたかったが、なぜか目を離す事が出来ない。

そんなみちるを、悠介の涼しげな瞳がまっすぐに捉えた。


「あ…」


「あ…」



互いが言葉を発したのは、ほぼ同時だった。









(やっぱり!)


顔から血の気が引いて行く。

みちるは一歩後ずさった。


「あれっ?もしかして…二人とも知ってるの?」


みちると悠介の間に流れる空気を察したのか、綾が不思議そうに二人の顔を覗き込んだ。


「ちょっと来て!」


「えっ?みちる何、ちょっと…」


怪訝そうに眉をひそめる綾の細い腕を引っぱって、直人と悠介を置き去りにしたまま、人波をかき分け、4、5メートルほど遠ざかった所でみちるは問いつめた。


「な、何でいきなりこんなことするのよ!」


「何でって。だってみちる、最近ずっと落ち込んでるみたいだったし、男子でも紹介したらちょっとはテンション上がるかなぁって」


私なりのサプライズ、的な?


慌てふためくみちるをよそに、策士はあくびれもせずウフフと笑う。まぁ、当然そうなるだろう。彼女にしてみたら親切心でした事であり、その企だてに相手がこんなに反応したら…大成功と思うに違いない。そして彼女は続けた。


「だから、私の知ってる男子の中で一番最強な人達を呼んだの!悠介の事は前にちょっと話したでしょ?模試で市内5位獲った先輩、時田悠介。で、もう一人が鴻上直人。でも…」


そこまで言って綾は振り返り、雑踏の向こうに垣間見える二人の男子をちらと見る。


「ちょっと刺激が強すぎたかな?」


どこの高校か、数人の女子高生が悠介達に見とれながら通り過ぎて行く。


「ね!」

夏の太陽にも負けないくらいの満面の笑みで、内川綾ははしゃいだ。


(ね!じゃないよ、綾!違う、違う意味で刺激が強すぎるんだってば!どうしよう…どうしよう私…)


絶対絶命、これぞまさにがけっぷち。


この先彼らと行動を共にして、あの屋上での出来事を悠介が二人に話しでもしたら…確実に自分はジ・エンドだ。


とてもじゃないけど行かれない。


「…帰る」


「えっ?帰るってウソでしょ?大丈夫だよ、みちる十分かわいいし、悠介達だって大歓迎だよ、ホラ」


顔を上げると、さっきの場所で、直人が笑顔で手招きをしている。


「おーい、綾!みちるちゃんも。どっか行こうぜ、腹減って死にそー」


「ごめんなさーい、今行きます!」


「ちょっと、綾ってば…」


「いいから!ちょっと食事するだけよ、ね!」

そう強引に押し切ると、綾はお返しとばかりにみちるの腕を引っ張った。



「ちょっと緊張しちゃったみたい。この子は同じクラスの宇野みちるちゃん。で、この人が特進科の時田悠介で、この人が鴻上直人。ふたりとも1コ上の先輩だよ、一応ね!」


元の場所に戻って、改めましての自己紹介は、良く言えば単純明解、


悪く言えば…


「一応ってなんだお前、その雑な紹介の仕方…」


それに気づいた直人が、速攻で突っ込む。


「だって、今日だってエアKとかって遊んでたんでしょ?私達を散々待たせて、今日は先輩の奢りでお願いしますね!私だって喉カッラカラ〜」


行きますよ!と、自分の倍はありそうな直人の腕を掴んで、綾は繁華街の方へと向かって行った。


さすが、と言うべきか。全てが綾のペースで進んで行く。


「あ、もう本当に…ちょっと待っててば!」


慌てて呼んでみたが、雑踏の中をどんどん遠ざかっていく二人の耳には届かないい。


嵌められた…。今、二人を追い掛けて行って、『帰る』と宣言するのは、かなりタイミングが悪い。

どうする事も出来ず、みちるは呆然と立ち竦んだ。




その「声」がするまで。




「…行かないの?」


すぐ隣に他人の気配を感じる。かなり近い距離。


風でも吹けば、制服の袖同士がくっつきそうなくらいだ。


「い、いえ、あのっ…」


今度は緊張で顔を上げる事が出来ない。


その緊張が、恐れから来るものなのか、或いは全く別物なのかー…自分の抱えている感情が一体何なのか、混乱し始めた頭はすでに思考力もなく、その答えが出せるわけも無かった。

ただ、恐らく林檎のように赤くなった自分の顔を見られまいと、必死に俯いていた。


そんなみちるに悠介が



「この前はいきなり怒鳴って、今度はだんまりか」


ハッとしてその顔を見上げる。やはり彼は憶えていたんだ、あの時のことを。


「やっと顔上げたな」


「……」


「宇野みちるっていうの?名前」


悠介の問いに、無言でコクリと頷いた。


「じゃ、宇野さん。そんな緊張しないでもいいんじゃねーの?初対面って訳でもないし。ま、行くも帰るも宇野さんの自由だけど」


そう言い放つと、悠介は綾たちが向かった繁華街の方へスタスタと歩き出した。


躊躇のない、しっかりとした足取り。振り返りもしない。


を、彼はすでに予測してるのだ。それに勘付いた時、みちるの中で何かが弾けた。



「い、行ってやろうじゃないの」


小さく呟いて、走り出す。彼の背中を見失わないように。

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