演説

蒼田礼央

演説

よく晴れた日曜日の午後、宇宙服に全身を包んだ青年が車を走らせていた。街のほぼ中心に位置する公園の駐車場に車を停めると、酸素ボンベの残量が充分であることを確認してから、ゆっくりと外へ出た。トランクから拡声器を取り出し、広場に向かって歩いて行く。やはり人が多い。悪くないロケーションである。人の多さを最優先するなら、平日のスクランブル交差点がベストだが、通勤、通学中の人々に足を止めてもらうのは難しいと判断した上での選択だった。青年は広場の中央にある噴水の前を陣取ると、拡声器のスイッチを入れた。


「えー、お散歩及び御歓談中の皆様、こんにちは。恐れ入りますが、今から少しの間だけ私の話をお聞き頂けないでしょうか」


人々は青年にまばらな視線を寄越すだけで、特に気に留める様子はなかったが、青年は構わず続けた。


「これから私が話すのは、この世界の知られざる真実についてです。それに際しまして、まずは私が何者であるか申し上げなければなりません。私は予言者ミシェル・ノストラダムスの最後の子孫です。彼の遺志を継ぐ者として、彼の残したメッセージについて皆様に改めて考察して頂くために参りました。ミシェルが残した予言詩の中で最も有名な一節ー1999年7の月、空から恐怖の大王がやって来るーを覚えてらっしゃいますでしょうか?この一節は端的に言えば世界の滅亡を予言したものであり、1970年代以後、全世界的なセンセーションを巻き起こしました。ある人々は恐怖の大王と隠喩されたものの正体について議論を交わし、またある人々は来るべき終末の時に備えてシェルターの必要性を訴えたりしました。しかし、実際は現在も皆様はこうして生きてらっしゃる。つまり、1999年7月31日を過ぎても、世界が滅亡することはなかったのです。ここからはしばし私情を挟んでお話させて頂くことを御容赦願います。予言が外れてからというもの、ミシェル並びに我が一族は世間からの猛烈なバッシングにさらされました。やれ、世紀のペテン師だの、詐欺師だのと言われ、我が一族が陽の目の当たる所で暮らすことは叶わなくなったのです。皆様は私の論調にいささか被害者意識じみたものを感じたかもしれません。しかし、我が一族が陽の目の当たる所で暮らせなかったというのは、決して誇張ではないのです。何故なら我が一族は実に600年以上もの長きに渡って地下で生活していたのですから」


青年は聴衆がざわめき始めているのを見て取ると、再び話し出した。


「結論から先に申し上げますと、この世界は1999年7月ー厳密には7月17日ーにミシェルの予言通り滅亡したのです。しかし、皆様はこうして生きています。この矛盾について説明しなくてはなりません。話が前後しますが、我が一族は表向きの生業の傍らで、科学的な研究に没頭していました。恥ずかしながら、その内容はここで皆様にお話することなどとても出来ない、常軌を逸した、人間の倫理にも生理にも背いたものばかりです。しかし、ミシェルの予言を契機に一族は従来の研究を放棄し、その対策を練ることに尽力し始めたのです。まずは、研究と来るべき時に備えて、極秘裡に地下に巨大なシェルターを建造しました。その時から一族の600年以上に及ぶ地下生活が始まったのです。世界滅亡の原因として、真っ先に想定されたのは核戦争でした。しかし、一族は予言詩の一節の中でも特に「空から」という件に注目し、地球上での人災の可能性を否定しました。つまり、地球外ー宇宙ーから何かが飛来すると仮定したのです。原因の解明にはおよそ100年、3代を費やしました。複数の人工衛星を用いて太陽系を仔細に観測し続けた結果、ある隕石を発見しました。その隕石は宇宙空間内にごまんと漂っている他の隕石とは、明らかに異なる特徴を有していました。大きさは、仮に地球に直撃しても、些末な被害しかもたらさない程度のものでしたが、未知の病原菌が棲息していたのです。それは、人間のみならず、あらゆる生物にとって有害な猛毒で、その繁殖力もまた凄まじく、地球に着弾したならば、1週間も経たないうちに地球上の全生物が死に絶える程の脅威だったのです。一族はすぐに対策を考えました。隕石を撃墜するか、地球の軌道を変えて回避するのがオーソドックスな方法に思われましたが、どちらも不可能でした。何故なら、これらの方法を実現するには、事実を全世界に公表し、且つ協力を得なければならなかったからです。一族の立場は国内でも矮小なものでした。事実を公表したところで、信じてもらえないどころか、下手をすれば、政治犯として捕らえられていたかもしれません。そこで一族が選んだ方策は、隕石の着弾を受け入れた上で事後処理をする、というものでした。来るべき世界滅亡の時ー1999年7月ーまでには400年近い猶予がありました。それまでに我々が為すべきこと、それは人類の歴史と文化を可能な限り過不足なくデータベース化することでした。その作業と並行して、我々は膨大なデータを一元的に管理出来るスーパーコンピューターの開発に着手し、完成には300年近い年月を要しました。コンピューターの完成後は、更新される歴史と文化をひたすらインプットし続けました。しかし、試作品にデータをアウトプットする段階で、新たな問題に直面しました。我々は人類の歴史と文化を後世に継承するという目的に腐心するあまり、人工知能に搭載するべき人間性についての議論を怠っていたのです。たとえ、人類の歴史と文化を熟知していても、人間性と呼べるものが備わっていなくては、それはロボットではなく、単なるデータベースのコピーに過ぎません。我々は度重なる議論と実験の末に、人工知能に搭載する思考、行動モデルを国家や民族、宗教の違いとは関係のない、最大公約数的なものに統一しました。個性よりも普遍性を優先したのです。準備は整いました。一族は子孫を残しながら、来るべき時を待ちました。そして、1999年7月12日。隕石は予定通り地球に着弾しました。汚染はまたたく間に地球全土に広がり、7月17日に世界は滅亡しました。それと前後して一族は、この島に人類の歴史と文化を継承したロボットの一群を配しました。つまり、それが皆様の、この世界の正体です。当然ながら隕石の落下、着弾の記憶はインプットしませんでした。皆様の記憶は言わば、世界滅亡前のものと世界滅亡後の記憶を継ぎ接ぎしたものなのです」


青年はそこまで話したところで、拡声器のスイッチを切った。話すべきことは全て話したという実感があった。聴衆は今や、完全に恐慌状態に陥っていた。あちこちから怒号や悲鳴が聞こえ、公園の外に走り出す者達の姿も見えた。こうなることは半ば分かっていたようなものだが、それでも青年には真実を伝えねばならない切実な動機があった。貯蔵してある人工食糧が間もなく底を尽きる。この演説は言わば、600年以上もの地下生活を強いられた一族の、青年の最期のエゴの発露であった。公園に一台のパトカーがサイレンをけたたましく鳴らしながら入って来た。誰かが通報したのだろう。パトカーから降りて来た二人の警官が青年の身柄を拘束した。警官達は青年と同じような宇宙服を着込んでいるように見えたが、決定的な違いが一つあった。それは、彼らが生まれたままの姿であるということだ。





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