20 理想の王子様(4)




         ×




 重い、面倒臭い、ウザい――辛辣な言葉の数々を覚えている。


 心に刻まれた傷はいつまで経っても消えてはくれない。

 ずきずきと、時折胸を刺すこの痛みに癒しをくれたのが――彼だった。


(……嫌だ)


 離れたくない。嫌われたくない。

 想う――それが彼を苦しめていたとしても。


(私は邪魔……? 私は要らない……?)


 ある日の部活帰りの彼を見た。到辺とうべめぐると話す彼を。あの時感じたのだ。そのトゲが今も抜けない。

 舞台でヒロインを演じる彼女は、きっと彼に相応しい――


(……だって、将悟しょうごくんは……)


 私の憧れる、王子様だから――


涙条るいじょうさん!」


 呼び声が乙希いつきの頭を殴る。


「そうやって、理想を押し付けるばかりじゃ彼を苦しめるだけだ。そんなんじゃ……いずれ彼は君の傍からいなくなる。離れていってしまう」


 その言葉が重く心に圧し掛かる。耳を覆う手の、指の隙間から入り込み、じっとりと重く、重く。


 潰れてしまいそうなほど。


(じゃあどうすればいいの……!)


 彼が自分に相応しくないことは分かっている。重々承知している。だけど彼は自分を、自分だけを見ていてくれるから。


 それが嘘だって言うなら――じゃあ私はどうすればいいの?


 無理やり自分だけの王子様でいてくれるように強いて、それが彼にはつらくて、だからもう離れたくて――だけど離れたくなくて。


 どうにもならない感情が渦を巻く。胸の内を焦がしていく。


 そうやって――彼を苦しめて、周りに迷惑をかけるくらいなら、いっそ。


(もう嫌だ……)


 こんな自分も、何もかも。


 ――いっそ全部、消えてしまえば――


「涙条さん……っ!」


 これまでより切羽詰った声に、乙希はぼう然と顔を上げた。

 黒くて何か大きなものが、自分に向かって落ちてくる――




         ×




 小影こかげの切羽詰ったような声が、どこか遠くから真射まいの意識を刺激した。


 知らず閉じていた目を開けば、『騎士』がランスを振りかぶり――乙希目がけて振り下ろそうとしているところだった。


(どう、し――)


 ものを考えようとするとずきずき頭が痛む。もしかするとさっきまで気を失っていたのかもしれない。今もまだつらいが、少しだけそれも和らいだような気がする。


(死にたくなる……)


 そういう想いに襲われた。


 自分が嫌で嫌で仕方なくなって、嫌なところだけしか見えなくなって、他には何も分からない深い闇の中をずぶずぶ沈んでいくような感覚。救いようのない絶望感に侵されるのだ。


 だけど、そこに希望の光が差した。

 今の彼には、私が必要だという――光。


「……っ」


 目を開き、涙を拭う。


 気付いたら地面に倒れていた真射は上半身を起こし――地面に突き刺さった黒いランスに驚いた。


「るいじょうさ……、」


 その姿を探す。


 ……いた。


「しょう、ご、くん……? どうして――」


 地面に転がる将悟の腕の中、乙希がぼう然とした顔で呟く。


「っぁ……!」


 しかし将悟は答えられない。ランスが掠めたのか、将悟もまた『存在否定』の『呪い』に見舞われているのだ。


 それでも彼は歯を食いしばり、必死に耐えている――受け止めようと、している。


 真射は手探りで近くに落ちていた銃を拾った。


「理想に……」


 胸の奥で圧し掛かりわだかまるような黒い塊を押し殺し、真射は立ち上がる。


「応えたいって、思うのは――好きだから」


「え……?」


 乙希が振り返る。


「あなたのことが、好きだから……応えたいって思う」


 たとえそれが理想を体現するための、偽りの自分を演じることでも。

 将悟の中には少なからずそういう想いがあったのだ。


 小影が言っていた。


 ――呪われる側にも原因があるはずなんだから。


「だってそうじゃなきゃ、


 ちゃんと見て、と。


「嫌いとか、面倒だからじゃない。好きだから、好きになったから、あなたに嘘をつきたくなくて……それがあなたの望んだ嘘でも、嫌だったから、だよ」


 乙希のためにその理想に応えたいという想いと、本当の自分のまま彼女と向き合いたいという本心。


 将悟にとっても、『乙希の王子様』であることは一つの理想だったのだろう。だって実際の彼は裏方で、演技も下手で、本人が言うには好きな人に何も言えないらしいのだから。


 嘘を隠すのは、嘘を吐き続けてきた気まずさだけが理由じゃない。

 嘘の下に隠した本当の自分を晒すのが恐いからだ。


 耳を塞ぎ心を閉ざした乙希の拒絶は、将悟もまた本当の自分を否定されたようで苦しかったに違いない。今彼を責め苛む『騎士』の『呪い』は、その傷を抉る拷問だ。


 それでも、好きな人の前では誠実でありたいという本心が勝ったのだ。


「…………」


 こんな自分が言うのも、なんだか嘘くさく聞こえるけれど。

 真射は大きく息を吸い込んでから、はっきりと声に出した。


「初めて会った時、あなたを助けた彼は……ちゃんと、本当の彼だったはず」


 それを強いるような力が、彼女にあったとしても――


「それに応えられる何かが……あなたの理想に適う部分が、彼の中には確かにあるはずだから」


 ありのままの彼を、乙希は受け入れられるはずだ。

 仮初の関係なんかじゃない。二人を覆っていた嘘のヴェールは透明で、その下にあるのはちゃんと、今と変わらない二人だと思うから。


「だけど……」


 乙希の声に宿っている感情は、きっと不安。


 彼女は将悟を受け入れられるだろう。彼女の理想と、本当の彼は実際のところ大差なんてない。ただ一歩を踏み出せる勇気があるかどうかの違いでしかないのだから。乙希に受け入れられたなら、将悟はこれから自らの意思でその一歩を踏み込めるようになるはずだ。


 だけど――自分は?

 こんな私を、彼は受け入れてくれるのか――そんな、今更な不安。


「ノロけるなら、よそでやって」


 真射はそう言って、『騎士』に目を向けた。『騎士』は地面に突き刺したランスを抜こうと苦戦しているかのように、ゆっくりとした動作で腕を上げている。その立体感のある影のような表面が透けていた。向こう側に小影が見える。彼の隣にはあの赤い少女の姿もあった。


「小影」


 呼びかけると、彼は頷いた。その拳に赤い布切れが巻き付く。

 真射は無造作に『騎士』に向かって引き金を引いた。赤い光弾が炸裂し、『騎士』を撃ち抜いた。その注意がこちらに向く。真射は撃ち続けた。


 振り下ろされるランスをかわし――


「これで……!」


 小影が『騎士』に肉薄し、布切れに包まれた拳を振るった。


 ――光が弾け、一面を赤く染め上げた。



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