18 理想の王子様(2)




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 ――耳をつんざくようなその悲鳴に、小影こかげは自分のタイミングの悪さを呪った。


「最悪にこじれたタイミングで来ちゃったのか……」


 体育館裏には、耳を押さえて蹲る乙希いつきと、少し離れたところで苦しそうに顔を歪める将悟しょうご、そして二人の間で珍しくおろおろしている真射まいの姿があった。


 どうやら状況は想像した中でもだいぶ悪い方へ向かって進んでいるようだ。

 想定内と言えば聞こえはいいが、その状況をうまく攻略できるとは言っていない。


 これでもなるべく急いだつもりなのだが、雛多ひなたがあんなことを言い出すものだからそこで少し手間取っていた。それが彼女の『お願い』だから断る訳にもいかず、なら都合がいいしそれを理由にしばらく結灯ゆうひに近付かないよう言い含めてきたのだが……正直こちらの様子が気になって早急な判断をしてしまった自覚はある。


(とりあえず、今はこっちだ)


 乙希に近付くも、彼女は蹲ったまま顔を上げない。その向こうの将悟は小影に気付いて視線を落とし、真射が少しだけほっとしたように吐息を漏らす。


 乙希はまるで怯える子供のように耳を塞いでいて、もはや無駄とは思いつつも、小影は彼女に呼びかける。


涙条るいじょうさん、本正ほんまさくんの言う『疲れた』っていうのは、君と付き合うことそれ自体に対するものじゃないんだ」


 彼はただ口下手なだけだ。乙希が語弊を生むようなことを言ってしまうように、将悟もまた誤解を招くようなことを口にしたに過ぎない。


 しかしそれが単なる不器用や口下手でないから、話はここまでこじれてしまったのだ。


「本正くんは、君を騙すことが……本来の自分じゃない、君が望む『理想の王子様』を演じ続けることが嫌になったんだ。……と言うべきかな」


 指に絡んだ髪を引き千切りそうな勢いで両耳を押さえて、乙希がよりいっそう縮こまる。


「君は彼を想っていた。それが『呪い』だ。迷子の子供や困っているお年寄りを助けたりするような、自分の願いをなんでも叶えてくれるような、理想の王子様。たまたま君を助けたことがきっかけで、本正くんは君に呪われた」


 乙希は再会した時、将悟の方から話しかけてくれたと言っていたが、将悟はそういうことが出来る少年ではない。気にして、気遣いはしても、自分から声をかける勇気はなかったはずだ。


 しかしその時、乙希は想った。願ったのではないか。話しかけられない自分に代わり、将悟の方から声をかけてほしい――と。


 それに彼が応えたことが『呪い』の始まりだ。

 もしかすると、もっと以前、二人のその馴れ初めさえ、乙希の願いに将悟が応じてしまったがためのものかもしれない。


「彼にはおっちょこちょいで、ある意味トラブルメーカーな幼馴染みがいてね、周囲に迷惑をかけまいと強がるその子のために、その子のことを考えて、その子が隠している本心をある程度読み取れるようになったんだ。彼が気の回る、気遣いの出来る人なのは、そういう生い立ちがあるからだと僕は思う」


 だから、乙希の『想念』にも敏感に反応してしまったのだ。

 乙希の思い描く『理想の王子様』――将悟は気付かぬうちにそれに応え、普段の彼なら思っても行動に移せないことを実践するようになった。


「だけど、彼は自覚したんだ。普段から裏方っていう、目立たない、表舞台の役者を支える仕事をしていたのもあるんだろうね。それが――君といる時の自分が、『本来の自分』じゃないんだって、自覚した」


 昨日、体育館で将悟が話してくれた。自分は心のどこかで、乙希の理想である『物語の主人公のような存在』に応えようとしているのかもしれない、と。


「彼が自覚できたのは、彼が『呪い』に対してある程度の耐性を持っているからだと僕は考える。まあ、そういう方面の話をしてもあれだから今は省くけど――要するに、彼は君の『演技』に反発できるってこと」


 将悟と真射の視線を感じる。しかし乙希は小影の声を拒絶するように耳を塞いだまま首を横に振って、きっとまた涙をこぼしているのだろう。

 それでも、請け負ったからには、ちゃんと事情を説明して、このこじれた糸を解せるように努めるべきだ。


「そして、本正くんは君に嘘を吐き続けることに抵抗を覚えた。本来の自分のまま君に向き合いたかったんだ。だけど重ねた嘘は、日に日に君の想いを強くしてしまったんだろうね。一度嘘を吐いちゃうと、それを取り繕おうとさらに嘘を重ねちゃうくらい、それが嘘だったって打ち明けることは難しいものだから……」


 彼はなかなか本心を打ち明けられずにいた。

 そんな彼を動かしたきっかけはなんだろう。

 やっぱり、めぐるの存在だろうか。


(嫌がらせを受けても、それで苦しんでることを表に出さない彼女に、自分を重ねたのかもしれない)


 自分が変われば、あるいは彼女も、と。

 廻のためにもちゃんと想いを言葉にして、乙希に、そして廻に嫌がらせをする連中にはっきり物を言えるようになりたかったのかもしれない。廻にも、嫌なことは嫌だと言えるようになってほしかったのかもしれない。


「本正くんは君に伝えようとしたんじゃないかな。僕とぶつかったあの昼休み、君がいつものように彼をお昼に誘いに来た時に。その時に……彼は君に酷いことを言ったんだ」


 将悟が唇を噛む。しかしそれは、彼の『本当の本心』ではなかった。


「彼の中の『呪い』に対する耐性が……完全じゃない、半端な耐性が、君の理想に応えるっていう『呪い』を――『君のために嘘を吐く』という想いを、こじらせた」


 伝えようとした本心は歪み、将悟に心にもないことを言わせる『呪い』になったのだ。

 自分のことが嫌いかという乙希の質問に、将悟はきっと『嫌いじゃない』と答え、『だけど』と何かを続けたかったのだろう。しかしその想いは歪められ、『嫌いだ』というあの発言に繋がった。


 今だって、将悟は乙希に本心を告げるために相当苦労したのだろう、額には脂汗が浮かび、表情は歪んでいる。乙希の『こうあってほしい』という理想に耐えながら、彼は懸命に、必死に、想いを遂げたのだ。『そうじゃない』自分を貫いたのだ。


 乙希が将悟に向ける想いと、将悟の本心とがぶつかって絡み合い、歪な結果を生み出しているこの現状を、終わらせなければならない。


 そのために、将悟を苦しめる想いを緩めるためにも、乙希に現実を突きつけたのだが――


「涙条さん」


「……うるさい……」


 彼女は耳を塞ぎ、心を閉ざしてしまっている。


 この件はなし崩し的に、流れで引き受けてしまったもので、依頼主がいるとすればそれは乙希で、彼女が拒否するなら無理に『呪い』を解く必要はないのだろう。


 だけど――


「本正くんは、このままでいることを望んでないんだ」


 相手に嘘を強いて成り立つ仮初の関係を続けても、その幸せの先に待つのは一つの破滅だ。

 だから、これが最善だと信じて――


「ノロイちゃん」


 小影は赤い布切れを取り出した。


 中空にふわりと舞ったそれが人の姿を象り――乙希の中の凝り固まった感情が解き放たれる。


 そうして現れたのは――泥のような闇で形作られた、『白馬の王子様』。



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