17 理想の王子様(1)




         ×




 体育館裏で、乙希いつき将悟しょうごが微妙な距離を保って向き合っている。

 二人の間には冷たい風が吹いていた。


小影こかげ……遅い……)


 修羅場は好きだが、何も起こらずただ時間だけが流れるこういう沈黙は苦手だった。


 劇が終わったら二人を体育館裏(とりあえず人のいないところ)に連れて行って、と小影からメールがあったので真射まいはそれを実行したのだが、当の小影がなかなかやってこない。

 実行した、と言うのは簡単だが、小影でさえ苦手意識を抱く二人を相手にするのは真射でも気まずいものがあった。


 つい――噴き出してしまったのである。着ぐるみ姿で背景セットに紛れている将悟を見て、思わず。


 すぐ我に返って乙希の様子を確認すれば、彼女はがく然としていた。何度か目を瞬いて目をこすり、最後には目を見開いてただただ固まっていた。

 目を疑うとはまさにこのことという反応で、真射も思わず同情してしまったのだが――本当に同情すべきは、そんな恥ずかしい姿を、自分を王子様のように慕う少女に目撃された将悟の方だろう。


 そしてそんな二人の気まずい沈黙に付き合わされる自分にも同情してほしいと真射は思った。切実に。


「……将悟、くん」


 まるで雪の降りしきる極寒の地にいるかのような、切々と、消え入りそうな声だった。


「さっきの……あれ、何……?」


 この前もそうだったが、乙希は思いのほか直截的な質問をする。

 そしてそれは、その視線を向けられた相手の心を突き刺すものだ。


「あれ、は……」


 将悟は苦しそうに表情を歪ませる。こぼれる声は苦悶の響きを伴っていた。


(どうしよう……)


 真射は悩む。口を挟むと巻き込まれそうで抵抗もあるが、このまま二人を放っておいていいものか。乙希とは少なからず口もきいたし、意気投合できたような気もするからだ。乙希の理想を壊し、その破片が彼女を傷つけるさまをただ黙って見ていることは躊躇われる。


 しかし。


(……小影の計画に支障をきたす、かも)


 迷う真射の前で、将悟は心底からつらそうな顔をしていた。まるで首を絞められながらも必死に叫びをあげようとしているかのように、何かが彼の発言を拒み、苛んでいるように見えた。


「えっと……」


 このままじゃいけない。そんな想いが真射の口を衝く。乙希と将悟が揃って真射を振り返る。将悟は息継ぎ出来たように少しだけ表情を緩めるが、対して乙希の視線には険しさが宿る。

 口をつぐみたくなる気持ちになんとか抗って、真射は言ってみた。


「王子様、だったら……到辺とうべさんとキスしてた、かも」


 将悟が王子様役をしていたら、劇の内容によってはそういうシーンもありえただろう。そうなるよりはマシだったのでは、という意味で口にしたのだが、


「……と……べ……」


 聞き取れないほどの声量だったが、吐き出す息に毒が混じっているのではないかと思われるほどにその呟きには静かな恨みがこもっていた。


(しまった……)


 別にあの劇にキスシーンはないものの、これくらい言っておいた方が木の役に徹していた将悟のフォローに繋がるのではないかという真射の考えは――見事に打ち砕かれた。むしろ逆効果だった。


(へるぷ……)


 なんだかとてもいたたまれない。失言したこともあるが、それ以前からこの場の空気はおかしかった。誰もが思わず目を背け、足早にその場を立ち去りたくなるような――張りつめた、痛みを伴う静寂。


「あれは」


 その静けさを切り裂き進もうとするように、将悟がはっきりと告げる。


「――あれが、本当の俺だ。俺は……」


 言って、小さく息を吸い込んでから、


「王子様でもなければ、正義の味方でもない。主役なんて張れないような……ただの、裏方だ」


「それって……?」


 ぼう然と乙希が聞き返す。


「演技、してたんだ。ほん、との……俺は。泣いてる子供を慰めたり、一緒に親を探したり、困ってるおばあさんの荷物を持ってあげたりするような……ましてや――不良に絡まれてる女の子を助けるような、そういうことの出来る人間じゃ、ない」


 全部、お前の望む姿を演じていたんだ――と。

 これは、そういう『呪い』だったのだ、と。


「本当の俺は、好きな女の子に何も言えないような――ただの、意気地なしだ」




         ×




 彼の言葉を、すぐには理解できなかった。

 涙条るいじょう乙希はぼう然と、目を伏せて顔を歪める彼を見つめるばかりだ。


(どういう、こと……?)


 演じていた、ということは、彼は自分を騙していたのだろうか?

 そもそも、『お前の望む姿』って?


(……『呪い』……?)


 そして、それをどうして今、打ち明けたのだろう。


宮下みやした……くん?)


 彼がこの状況を仕組んだのか。だけれど彼は、将悟の突然の変化の謎を調べてくれていたはずだ。あの拒絶の真相を。それがどうしてこうなった?


(もしかし、て……)


 今こうして本心を打ち明けたことや、昨日までのあの拒絶は、全て――


(私、が……)


 面倒になって、邪魔になって――


「俺は、お前の理想に応えようとして、た」


 途切れそうになる声を必死に継ぐように、将悟は不安定な口調で、苦しそうに続ける。


「だけど、それに――疲れたんだ」


「――っ!」


 ……要らなくなったら。



 捨てられちゃう――


「いや、いや……」


 聞きたくない。


「いやぁあああ……!」


 聞きたくない――!



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