16 目に見えて、見えない(2)




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 小影こかげが保健室を訪れると、ちょうど養護教諭と入れ違いになった。


 聞けば雛多ひなたは目覚め、今は休んでいるらしい。体調不良、ちょっとした貧血だろうという話だった。少しだけ安心するが、小影の中の罪悪感は話を聞いていっそう膨らんだ。


(……僕のせいだ)


 具体的に何があったのかは分からないが、昼休みにあんなお願いをした直後である。無関係と考える方が難しい。


(ノートを見ようとして誰かに何かされたわけじゃなさそうだけど――)


 そうじゃないなら、それはそれで不安をあおられる。

 いったい何があったのか。


篠実しのみさん?」


 呼びかけると、カーテンで仕切られたベッドから返事があった。カーテンが開かれる。


「大丈夫かな……?」


宮下みやした先輩……」


 雛多はベッドの端に腰掛けていた。困ったような笑みを浮かべている。見たところ変わった様子はない。頭の二つのお団子も無事だ。


「何があったの? 倒れたって聞いたんだけど……」


「いやあ……自分でもよく分からないんですけど……。お昼に頼まれたじゃないですか、綴原とじはらさんのノート……。わたし、あれ見ようとしてたんですよ」


「……うん、それで?」


 やっぱりそれかと小影は苦々しい想いに囚われる。


「ちょうど午後に体育があったんで、みんなが着替えにいってる間に。机のなか探してたら例の古い方があって、中を覗いたんです。……そしたら、」


 ぽつぽつと語る雛多の表情が曇る。


「なんだか気持ち悪くなっちゃって……倒れたみたいです。気付いたらここにいて」


「…………」


「すみません、ノート回収できなかったです」


「いや、いいよ。それでも収穫はあったから」


 あのノートには、見る者を――皆が皆ではないかもしれないが、少なくとも雛多に気を失わせるほどの『想念』が込められていたのだろう。


 喋れないから代わりにノートを使って会話をする。言葉に出来ない想いをノートに綴る。結灯ゆうひにとってあのノートは他人とコミュニケーションをとるための媒介だ。本来なら直接他人に向けられるべき感情が、いったんノートを経由する。


(だからあのノートには彼女の『想念』が込められている……。そこから何か調べられたらと思ってたんだけど)


 まさかこんなことになるとは――いや、ここまでとは。


 想像は出来たはずだった。


 ノートに綴られた言葉は、結灯が直接書いたものだ。文字を書くという行為自体が想いを刻むようなもので、そこに悪意が込められていればそれは人を呪う『呪詛』にもなるだろう。

 雛多がそういうものに敏感でなくても、文字の筆跡や筆圧を見ればそこに筆者の感情を感じ取れることもあるはずだ。印刷されたものではない、生の文章にはそうした人の心が宿る。真射まいが量産した一文一句違わない手紙を見て小影が恐怖を覚えたように。


「少しはノートの中も読んだ気がするんですけど……正直内容あんまり覚えてないです……」


「……うん」


 こうなってくると、もはや中身は関係ない。

 あのノートは結灯の想いの受け皿であり、会話する相手に対して、文章からだけでは読み取れない想いを抱えている。それが分かっただけでも収穫だ。

 実際に悪意のこもった文章が綴られていたとは限らない。単純に結灯が肌身離さず常に持ち歩いていたこともあるだろう。なんにしろ、会話以外であのノートを覗くのは得策ではない。


「ありがとう。それと、君はこれ以上綴原さんのノートには近付かない方がいいかもしれない。今度は気を失うだけじゃ済まないかもしれないからね」


 とはいえ、今回の件で結灯も警戒するだろう。ノートを見ている最中に気を失ったということは、雛多はノートを片付けていないはずだ。覗きはバレていると考えるべきだ。


 それに――


(なるべくなら綴原さんにも近付かないでほしいけど……)


 結灯に対して悪い印象を持たれるのも困りものである。

 この件は必ずしも彼女が悪いとは限らないからだ。


(綴原さんにはもしかすると、『呪術師』の素養があるのかもしれない……)


 人を呪う才能があるとすれば、雛多がノートを見て気を失ったことも納得できる。


(無自覚だとは思うけど……)


 申し訳なさそうにうなだれている雛多を見やる。


(心配だな。もし綴原さんに目をつけられて、呪われることにでもなったら……)


 あの、と雛多が顔を上げた。


「わたし……役に立てましたか?」


 上目遣いに見上げられ、小影は苦笑する。


「充分だよ。ありがとう。今度何かお礼しないとね」


「お礼、ですか……?」


 結灯の件に関しては一応報酬をもらって動いている依頼だ。それに協力させておいて、おまけにこういう形で巻き込んでおいてお礼も何もないというのは人としてどうなのか。そう考えて何気なく口にしたのだが、意外にも雛多は食いついてきた。


「なんでもいいんですかっ?」


「え? あ、うん、僕に出来ることなら……」


 これは少し覚悟がいるかもしれないぞ、と小影が身構えると――


「じゃあ――弟子にしてください!」


「はい……?」


 瞳を輝かせる雛多に、小影はただただ戸惑った。



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