02 ぜんぶ君のせい(2)




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「えっと……涙条るいじょうさん? 大丈夫?」


 小影こかげ真射まいを引き剥がそうとぐいぐいやって数秒で諦めてから、彼女を引きつれたまま乙希いつきのもとに近付いた。


「うっ、うぐ……は、ずず……ぁい……」


「あー……」


 嗚咽を堪えて返事をしようとして鼻水をすすり、やっと出てきた声はとても情けなく力ないものだった。


 ハンカチでも貸してあげたいところだが、生憎とポケットの中には赤い布切れしかなく、それは昼に彼女の涙や何やらに汚されたばかりだ。普段ならちゃんと常備しているのだが、これまた生憎と今朝は支度をする気力もなかったからこのザマだ。


 なんというかもう全部ひっくるめて真射のせいにしてしまいたい。


天王寺てんのうじさん、ハンカチとか持ってない……?」


「ヤだよ。この子に貸すのは捨てるのと同じ」


「……委員長は?」


「ハンカチ程度で拭える降水量か?」


 呆れたようにそう言ってから、


「おい夏美なつみ、お前の持ってるそれを寄越せ」


 バスケ部の練習を終えて出てきた夏美を見かけて、郷司さとしは彼女が首に巻いて額の汗を拭っているスポーツタオルを催促する。


「え? え?」


 しかし彼女は何を勘違いしたのか、手に持っている飲みかけのスポーツドリンクと義理の兄を交互に見て戸惑っていた。顔が赤いのは運動したばかりだからだろうか。


「タオルを寄越せと言っている」


「あ、あぁ、そう――てぇっ!」


 ほっとしたのか残念だったのか、夏美は一つ息をついてから、首に巻いていたタオルをこちらに投げ渡してくれた。そしてその末路を知ってがく然とした。鼻水をすする盛大な音が響く。


「ずみ、ません……これ、洗って、かえします……」


「い、いや、いいよ……あげるよ……」


「いい匂いがしました……」


「どうも……」


「青春の匂いです……」


「それは暗に汗臭いと言ってるのかな……? どうリアクションすればいいんだアタシ」


 ともあれ、夏美の活躍で乙希は落ち着きを取り戻すことが出来たようだ。もらったタオルでごしごしと顔を拭っている。


「小影。この子はハンカチをダメにする呪いがかけられてると思うけど……どう?」


「単純に涙もろくて精神年齢が幼いだけじゃないかな」


 一応、なんらかの『呪い』で泣き上戸になっている可能性もある。

 小影は少し考えてから、乙希に声をかけた。


「えーっと……本正ほんまさくんと何かあったのかな?」


「うぅ……」


 訊ねると、顔を上げた乙希の瞳がうるうると潤みだした。それでも彼女は堪えるように唇を噛んでから、絞り出すような掠れた声で、


「……ひど、いっ、こと……言われました……」


「うーん……」


 具体的には? と聞きたいところだが、この調子だとまた大泣きしかねない。ただえさえいじらしく涙を堪えているのだ。追い打ちをかけるのは忍びなかった。


 小影は助けを求めるように郷司に視線を向ける。


「俺の知る本正という男は……女子に暴言を吐くようなやつじゃないがな」


 それは暗に、乙希の方に何か問題があったのだろうと言っているようだ。


(どうしようかな……。話を聞かなきゃ進まないけど……)


 二人を見て『痴話げんか』だの『修羅場』だの出てくるということは、恐らくそういう関係なのだろうが、果たして自分が首を突っ込んでもいい話なのだろうか。


 ――と、逡巡する小影の後ろから、


……」


 帰りがけにこちらのやりとりが耳に入ったらしい、到辺とうべめぐるが首を突っ込んでくる。


「良い人だよ……? あんまり喋んないけど、わたしにもいろいろ気を遣ってくれるもん」


「まあ……君だからね」


「え? それどういう意味?」


 きょとんとしているのは廻だけだ。郷司も、真射でさえ頷いている。

 一方、唇を噛んで俯いていた乙希は顔を上げた。


将悟しょうごくんは……っ」


 廻に何か触発されたのか、彼女にしては語気を強めに、


「……悪い人じゃない、です。良い人です……。いつも、一緒に帰ってくれて……」


 だからこそ、突然の拒絶に傷ついたのだろうか。


「昨日見かけた時は仲良さそうにしてたんだけど……急に彼が態度を変えるようなことに身に覚えがあったりしない……?」


 昨日の今日とはいえ、所詮見かけただけだ。実際のところ二人がどうだったかなんて小影に分かるわけもない。

 それでも、乙希を拒絶するに至るなんらかのきっかけはあったはずだ。


「『呪い』、とか」


 どうしてもそうしたいのか、真射が呟くと、


「そうであるならお前の仕事だな。本正は大事な部員だ。何かあるなら解決してもらいたい」


「そうそう! わたしの時みたいにぱぱっと解決しちゃってよっ、宮下みやしたくん!」


 演劇部員たちが調子のいいことを言ってくれる。


「……ぱぱっと解決したように見えたの、君」


「あ、あははは……」


 もしかすると昼休みの一件が丸ごと頭からすっぽ抜けているのではないかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。廻の顔には苦い笑みが浮かんでいた。


(……まあ)


 とやかく言うまい。


 ノロイちゃんの影響で『呪い』を周囲にバラ撒いたとはいえ、たまきの『想念』は廻に向けたもので、環の言葉の一つ一つが廻を普段以上に苛んでいたはずだ。あの場は廻にとって酷く辛い空間になっていた。

 忘れているならそれはそれで構わなかったが、あの直後にも笑みを浮かべ、今もこうして普通に話せているのだから、彼女はもう心配ないだろう。その『強さ』には驚くばかりだ。


 それはそうと、問題は乙希と将悟である。

 小影には気になることがあった。


(はあ……一難去ってまた一難というか……)


 ――仕方ない。


「分かったよ。これが『呪い』なら、僕が君たちの問題を引き受ける」


 ……と、望まれているようなので言ってみた小影だが、


「む」


「……どうしてむくれてるのかな、君は」


 隣で真射があからさまに不機嫌そうにしていた。


「……小影はなんだかその子に優しすぎる」


「比較対象が自分だからそう見えるだけじゃないかな? 僕は誰にでも平等だよ。君以外にはね」


「……私、特別扱いされてる?」


「君は思いの外ポジティブだよね……」


 ともあれ、真射が今更意見を覆そうと、やると決めたからには引き受けよう。

 もしかすると、自分に原因があるかもしれないのだから。



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