08 残念なヒロイン




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 何人かの女子が舞台に立ち、ついに到辺とうべめぐるの番となった。


 ヒロイン役に適しているかどうか判断するため、あくまで練習だが、演じる少女たちは本番でも着る予定の衣装をまとって舞台に臨んでいる。廻も舞台裏で着替えて、舞台袖から表へ出ていこうとしていた。


 衣装はヒロインの着衣にしては質素なものだ。スカートは裾を引くほどに長いものではあるが、貴族の家で行われる舞踏会に出席する際に着用するものとしては相応しくない。


 だが雛多ひなた曰く、他の出席者に比べて見劣りする方がいいという。劇の脚本では、ヒロインは舞踏会用のドレスを用意したにもかかわらず色々不幸な目に遭ってドレスを損傷し、家中の布を集め、こつこつ努力してなんとか作った衣装で出席するらしい。その残念な感じが貴族の目に留まり、二人が結ばれるという脚本だそうだ。


 誰がそんなの書いたんだろうと思いながら、舞台袖で深呼吸をしている廻の姿を天王寺てんのうじ真射まいはぼんやりと見つめていた。その視線の先で、廻が歩き出し――


「ぐふぁっ!?」


 そして転んだ。


「…………」


 舞台を正面から見ている郷司さとしたち演劇部員は、長すぎる裾を踏んでしまって転んだのだろうと彼女のドジを微笑ましく見守っていたが。


小影こかげ、今の見た?」


「困ったなぁ――容疑者がいっぱいだ」


「割と、いつものことなんです、あれ」


 不愉快そうに雛多が呟く。


「わたしは後輩ですから……先輩たちのすることに文句とか言えないんですけど」


 舞台を斜めから見ている真射たちには、袖で起こった出来事が丸見えだった。

 表へと向かう廻の衣装の裾を、後ろにいた他の女子部員が踏みつけたのだ。そのせいで廻は転んでしまったのだが、当の本人は気づいていないようだった。


 恥ずかしそうにしながらなんとか立ち上がり、廻は舞台上で一人、暗記してきたのだろう台詞を口にする。ドレスを失ったヒロインが不格好な衣装をまとって貴族の屋敷へ向かうシーンである。


「なんとしてでもお屋敷へ向かわないと。こんな不格好なドレスじゃあ勝ち目はないけれど、それでも行くだけ行ってみなくちゃ」


 最初の台詞は完璧だったが、


「もしも見初められたなら、玉の輿――え、あれ、違う」


 ヒロインが自身の目的を確認するシーンにおいて、その台詞は『もしも見初められたなら、貧しい家の出の私でも金銀財宝を手にすることが出来る。これで家族に楽をさせてあげられるわ』なのだが、イメージで憶えていたのか、現実味がありすぎる台詞になっていた。


 シンデレラストーリーを目論む若干腹黒い残念なヒロインの物語は、妙な台詞違いを挟みながら貴族の屋敷到着まで進み、そこで今回の試験範囲は終わりだ。


「失敗が凄まじいんだけど。到辺さん、本当に練習してたの?」


 真射は呆れ顔で、絶句している雛多に問いかける。


「し、してましたよ……。今のシーンだって……今日のオーディションじゃどの範囲までを演じるかは伝えられてなくて、だからみんな脚本を憶えてきてるはずですし。脚本も没収されるって事前に言われてたから、猛練習してきたはず……」


 信じられない、というように雛多は首を振る。


「ここまで……完全に脚本を憶えた上でわざと台詞を面白おかしく脚色してるかのようなミスなんてするわけないです」


 というかむしろ、こんな失敗をするわけないというレベルのミスが多発していた。

 練習していたのなら、些細な間違いはあれど、ここまで酷いミスはしない。


「緊張してた、とか」


「緊張してたからって……」


「そもそも練習してなかったりして」


「そんなわけ……!」


 雛多は先輩の名誉を守りたいのかなんとか否定しようとするが、言葉が思い浮かばずに口ごもってしまう。真射はそんな彼女から、さっきから真剣な表情で黙り込んでいて会話に参加してこない小影に目を向ける。


「……どうしたの?」


「あそこまで酷いミスをするのはおかしい。普段の彼女ならありえない。……ということを篠実しのみさんは言いたいのかな?」


「は、はい……。だって、ちゃんと練習してて……」


 項垂れる雛多をちらりと見て、小影は静かに口を開く。


「その話が本当なら、到辺さんにかけられた呪いは『転ぶ程度の呪い』じゃない」


「……『答え』が変わったら『問題』も変わるよね」


「変わるけど、まあ大した変化じゃないよ。誤差の範囲だ。……探すものは変わらない」


 舞台を降りて俯いている廻を見つめながら、宮下小影は言う。


「『足を引っ張る呪い』。到辺さんが何をやっても失敗するよう、失敗してしまえばいいと誰かが想って生まれた呪いだよ……たぶん」




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「見学していたんなら意見を聞かせてもらいたいんだが。宮下みやした、天王寺、お前たちはこの劇のヒロイン役、先ほど演じていた中では誰が一番だと思う?」


 練習が終わって、廻に対する嫌がらせが目立った片付けの後、ミーティングのために集まった部員たちを待たせてまで仄見ほのみ郷司が意見を求めてきた。


「客観的な意見を聞かせてくれ。横から見ていて、誰が一番適任だと思った?」


「……


 ぼそりと真射が呟くと、郷司は顔をしかめた。自分のかけている眼鏡に手をやる。


「俺を指しているのか、眼鏡をかけた部員を指しているのか分からないが天王寺? ちなみに眼鏡の部員で舞台に上がったのは二人いる」


「たぶん天王寺さんが言ってるのは三人目かな。眼鏡の」


「だから二人しかいないと、」


「舞台に上がる時に眼鏡とった子。えっと……草枷くさかたまきさんだったかな」


 草枷環はクラスメイトの一人だ。だからというわけではないが、小影も環が一番演技が上手いと思えた。


「天王寺は草枷に一票か。宮下もそれでいいのか?」


「投票制なの?」


「いや。最終的な判断は俺と、脚本を務める部長、それから裏方の本正ほんまさの三人で行う。お前たちの意見はあくまで客観的な感想として採用させてもらう。演劇は客に見せるものだからな。演者の努力などを知らない第三者の意見も重要だ。中に携わっていると、どうしても情が入る。本正など考えるまでもなく一択だろうし」


 郷司は相変わらずの仏頂面だが、いつもより饒舌なように小影は思った。好きなこと、あるいはそれに比肩するほど真剣に打ち込んでいることに関しては、あの鉄面皮委員長でも力が入るらしい。ならこちらも真剣に答えなければと、小影は考える。


「そうだね……草枷さんは良かったよ。こっちに一票入れたいかな。でも……残念賞をあげるなら到辺さん一択だね」


 そこに『呪い』が関わっているとしても、情は挟まない。


(呪われる方が悪いとは言わないけど、『呪い』に負けてるのは事実だ)


 だから一票は入れないが、少なくとも雛多があれほど真剣に抗議しようとするくらいの何かはあるのだろう。


「そうか。残念賞か」


「……?」


 郷司は何故か面白そうに口元を緩め、礼を言うと背を向けて部員たちの所に戻っていった。そして、部長らしき三年生の少女と、ジャージ姿の無愛想な少年と何やら話し合ってから――


「今回のヒロインは到辺に決定した。明日以降、他の配役も決めていく――」




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 ミーティングが終わると、演劇部の本日の活動は終了。バスケ部はすでに終わっているので、演劇部が体育館の戸締りをする。その役を部長に押し付けられた郷司と本正という少年は照明などを落として回り、他の部員が校門に向かって歩き出した頃になって外に出てきた。


「遅いんだけど」


「……なんだお前ら。待たなくても良かったのに」


 体育館の外では先に終わった夏美なつみが待っており、小影と真射も一緒に残っていた。

 待ち人は他にもおり、


将悟しょうごくん」


「……あぁ、悪い。待たせた」


 と、ジャージ姿の本正という少年も人を待たせていたようで、夏美とともに会話もなく体育館の外に立っていた少女が笑顔になる。


「行こ」


 少女と去っていく本正を横目に、郷司が訊ねてくる。


「ところで宮下。なんとなく事情は察しているつもりだが……一応、確認する。お前が出張っているということは『呪い』とやらが関わっていると考えていいんだな?」


「まあ、うん。詳しく説明するべきかな?」


「いや。ただ、その『呪い』が本番までに解決するのかを聞いておきたい」


「それは問題ないと思うよ。あんなあからさまだと長期戦になる方が難しい」


「そうか。それならいい。到辺のことは任せた。何か必要ならなんでも言ってくれ」


 そう言って郷司が歩き出すと、夏美がその後を追う。


 ……そんな、さっきから男女の組み合わせがそれなりに仲良さげに歩いていく光景を見て。何を思ったのか、


「小影、今夜は寝かせないから」


「はい? え? ちょっ、」


 それとなく郷司らと一緒に帰りそのままうまく仄見家へ逃げ込もうと考えていた矢先、小影は真射に腕を掴まれ引きずられるような格好で自宅へ向かうことになった。



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