09 何か想像を絶するような酷い目に遭うのかも




         ×




「お前、眠ってないのか?」


「いやまあ、その……眠れるわけがないというか、なんというか」


 一目見て分かるほどげっそりしている小影こかげに話しかけられた仄見ほのみ郷司さとしは顔をしかめる。


「それは、昨日今日と鳴坂なきさかさんが登校していないことと何か関係があるのか?」


「あるといえばあるんだけど……え? 何? なんで怖い顔してるの?」


「別に」


 なぜだか知らないがあからさまに不機嫌そうな態度をとられてしまった。


「なに考えてるのか知らないけど……。委員長、到辺とうべさんについて聞かせてもらいたいんだけどさ。いいかな?」


「俺でなく直接本人に訊ねればいいだろう。ほら、ちょうど登校してきた――」


「ひゃわっ!?」


「――本人が無理なら……そうだな。同じ女子に聞いてみればいい。草枷くさかの方が俺より詳しいかもしれないぞ。ほら、そこにいるだろう」


「委員長の見解というか、委員長が彼女のことをどう思っているかが聞きたいんだ」


 そう訊ねると、郷司は訝るように眼鏡の奥の瞳を細めた。


「深い意味はないよ。周りからはどう思われているかが知りたいんだ。委員長の到辺さんに対する第一印象とか、なんでもいいからさ」


「小さいは正義。以上だ」


「……ごめん、察してはいたけどもう少し詳しく説明してくれないかな。あと、録音させてほしいんだけど――」




         ×




 小影が何やら事情聴取を行っているが、天王寺てんのうじ真射まいはそれに参加せず、小影の席に本人の許可なく座り、机に突っ伏して無気力感を全開にしていた。

 頬を机の表面に押し当てると、ひんやりしていて気持ちがいい。


(小影は女に興味がないのかもしれない……)


 郷司と話している小影をぼんやり見つめながら、真射は考える。


(何やっても反応しない……。そんなに鳴坂登和とわが大事……? それとも――)


 ……小影が仄見郷司と話している。


 ついこの間まではただのクラスメイトでしかなく、小影も自分から話しかけに行くことはなかったはずだ。それがどうして唐突にあれほど親しくなったのだろうか。そういえば演劇部に行った時も妙に馴れ馴れしかった。


(――小影は……男に興味があるの……?)


 そんなことを考えてしまうのは朝の気怠さのせいか、まだ寝惚けているからか。どちらでもいいが、小影に対してそんな疑惑が生じるという状況が問題なのだ。


 ただの思い過ごしであればいいのだが。


(でもそれはそれで――)


 、問題はない。




         ×




 その日のお昼は早めに切り上げて、小影は一年生の教室がある階へ向かった。


「何しにいくの?」


「昨日のお昼に来てた二人の件の調査」


「大変だね」


「君のせいでね」


 正確には真射の責任ではない。めぐるの件を引き受ける決断を下したのは自分だ。しかし精神的に参っているという意味での『大変』なら、全責任は真射にあるといえる。


 小影は廊下から一年生の教室を覗き込む。ここが綴原とじはら結灯ゆうひのクラスのはずだが、友人の開野ひらの朋佳ともかと一緒にお昼でも食べているのか彼女の姿はなかった。


(綴原さんと開野さんのクラスは違うんだったっけ。ちょっと面倒だな……)


 結灯について聞いて回ろうかと思ったが、さすがに知らない上級生に声をかけられたら警戒するだろうか。小影自身そうだし、そもそも小影は初対面の相手に声をかける度胸というか勇気がない。


「こういう時こそ天王寺さんを使おうか」


「?」


「……無遠慮に堂々と恐喝しかねない勢いで情報を聞き出してくれそうだけど、それは僕の良心に反するから却下だね。話しかけられる側が可哀想」


「とても失礼なことを言われてるけど私は心が広いから許す」


 ではどうしようかと小影は教室を再び覗き込み――


「あの子……」


 演劇部見学で一緒だった篠実しのみ雛多ひなたの姿を見つけた。


(のほほんと昼食中、と。平和そうなクラスだなぁ……)


 談笑しながらお弁当をつついている後輩たちを確認し、小影は苦笑する


(……机はきれい。いじめっぽいものは見られない、と。一つだけ埃が積もってたけど……あの机が『例の子』のものかな)


 まあ危惧していたものが見つからなかったので一安心だ。それはそれで分かりやすい証拠として結灯の『呪い』解明に役立つのだが、やはり同じ学校内にいじめがあるというのは快いものでない。なくてよかったと思いつつ、小影は真射を引き連れて自分の教室へ戻ることにした。




         ×




 用は済んだのか、どこか満足げな表情の小影の後を追いながら、真射は訊ねる。


「小影、収穫はあったの?」


「一応ね。うーん……でも難しいな。どうして『喋れない』なんて『呪い』が生まれたのか。そこを突き詰めて考えるよ。原因が見当たらないなら、その結果が何を意味するのか、綴原さんに何を強いているのかを逆算する他ない。……『呪い』っていうのは、受け手の方にも『呪われる理由』があるものだから」


 小影が言うからにはそうなのだろう。真射にはよくわからないが、なんだかんだで様々な問題を解決しているらしい彼にとっては重要なことなのかもしれない。自分もその言葉の意味を理解できるようになりたいと思う。


「登和がいればなぁ……」


「――」


 溜息混じりに呟かれた言葉に、真射の眉が微かに動く。背を向けている小影はその音のない変化に気付かない。そのまま教室のある廊下へ続く角を折れ――


「っ……?」


「ぁっ……」


 同じく角を折れて現れた誰かとぶつかり、小影がよろめいて数歩後退する。真射はその背中を抱き留めた。


「……どさくさに紛れて抱き付かないでくれるかな……」


 小影は真射の腕を引きはがし、自分にぶつかってきた少女の前に屈み込んだ。


「だ、大丈夫……? どこか怪我とか……?」


 少女は蹲って、ぐずぐずと鼻を啜っている。ちょっとぶつかっただけにもかかわらず、なぜか泣きじゃくっているのだ。


「だ、だいひょうぶれす……ううぁ、」


「いや、そうは見えないけど……」


 戸惑う小影は制服のポケットに手を入れ、赤いハンカチを取り出した。それを泣きじゃくる少女に差し出そうとして――


「?」


 なぜか、そこで躊躇する。ハンカチと少女を見比べて、渡すかどうか悩んでいるようだ。それほど貴重なハンカチなのか。どちらかというとぼろきれのような印象だが。迷っている間も蹲る少女は涙をこぼしていて、彼女の足元に小さな水溜まりが出来上がりつつあった。すごい降水量である。


「えっと、ほら、涙拭って」


 小影は見かねたのか結局ハンカチを少女に差し出した。押し付けるようにして渡すと、彼女はそれを受け取って涙を拭う。ずすーと鼻を啜る。


「あり、ありがとう……ごめんなさい。こ、これ、洗って返しますから……」


 消え入りそうな声で彼女は言うと、恐る恐るといった風に顔を上げた。


「君は……」


 誰かと思えば昨日、演劇部を見学した帰りに本正将悟という男子部員を待っていた少女である。漆塗りのようにきれいな長髪をしているも一房だけ長すぎる前髪が整った顔立ちに陰を落とし、見た目は美人なのだがその表情は気弱なもので、小影の後ろに控える真射を見る目には若干の怯えが含まれていた。


「えっと、涙条るいじょうさんだっけ? 同じクラスの」


「あ、はい……。涙条乙希いつき、十六歳です……」


 彼女はぎこちなく頷くと、手の甲で赤くなった目元を拭いながら立ち上がる。


「あの、ちゃんときれいにしますから……ご容赦ください……っ」


「いや大丈夫、洗わなくていいから」


 小影は涙やそれ以外が染み込んだハンカチをひきつった表情で受け取る。一見するとなんでもないやり取りなのだが、ハンカチに対する小影の態度はいちいち真射の気にとまるようなおかしなものだった。


「す、すみませんでした……」


 涙条乙希は深々と頭を下げると、顔でも洗いに行くのかトイレへ歩いて行った。


「…………」


 使用済みのハンカチを微妙な表情で見下ろし、小影はそれを畳んでポケットに仕舞う。


「……小影、それどうするの……?」


 真射はある懸念を覚え、恐る恐る訊ねてみた。彼の反応を窺う。


「どうもしないけど? まあ、帰ったら自分で洗うよ」


「…………」


 なんだろうか、この妙な空気は。彼の態度や口調がどこかぎこちなく見える。


(まさか、そういう趣味が……? 女の子の体液を収集するような――)


 少しの間、がく然となる真射。そんな彼女には気付かず小影は教室へ向かう。我に返った真射は慌ててその後を追い――


「み、宮下みやしたくん、あのっ……!」


 と、今度はまた別の女子が小影に接触している光景に出くわした。到辺廻だ。携帯を片手に困ったような顔をしている。


「どうしたの? 何か……演劇部関係で何かあった?」


「そ、そうなんだよ! すごいね、もしかして宮下くんって心が読めるの?」


「……いやそんなことは出来ないけどさ。期待を込めて質問してみただけで。それで何があったの?」


「そ、それが……体育館裏に来るように草枷さんからメールがあって――」


 言葉が喉に詰まったように口をぱくぱくしてから、


「わたし昨日ものすごくミスったのにヒロインに選ばれたから恨まれてるだろうし、もしかするとヒロイン役やめろって脅されるのかもしれない……! 何か想像を絶するような酷い目に……!」


 廻の顔は真っ蒼だった。


「いやさすがにそこまで……とは、言い切れないなぁ」


「そこは自信をもって断言してよ! ちょっとどころじゃないくらい怖いよわたしどうすれば……!?」


 錯乱気味な廻を、小影は苦笑交じりに落ち着かせる。


「まあ、都合がいいよね。自分から名乗り出てくれたんだしさ。こっちも『連れてきた』甲斐があったよ。今日で決着をつけよう」


 と、小影の表情が明るくなるそばで、


(もし小影に特殊な性癖があるんなら……私も攻め方を変えるべきかもしれない)


 二人のやりとりをまったく聞いていなかった真射は一人、深く頷いていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る