03 一週間目の真実(2)




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「……困ったな……」


 ソファに倒れた衝撃で目が覚めたのだろう、最初のうちはむにゃむにゃと可愛らしく寝ぼけていたのだが、目の前に知らない男がいると気付いた途端、天王寺てんのうじ意弦いづるはあからさまな警戒を見せた。


「……!」


 驚いた猫のように飛び跳ねて、ソファの後ろに回って小影と距離をとる。


「えーっと……落ち着こう? 大丈夫、何もしないから」


「…………」


 まったく信じていない目をしている。すぐにも逃げ出しそうに体は震えているにもかかわらず、その視線は真っ直ぐ小影こかげを見据えている。小影の動向を警戒しているのだ。


「僕は宮下みやした小影。えーっと……なんだろうね、君のお姉さん、なのかな? その天王寺真射まいさんの……クラスメイト、だね」


「……っ」


 いっそう警戒が強まった気がした。敵意すら感じる目つきだ。真射は相当信用がないのか、あるいは本当に赤の他人なのか。


「僕は君の『《《呪い》」』を解くよう言われて……、」


「っ」


 床の軋む音がした。不信感に火をつけてしまったようだ。


「あ、そうだ、君のお父さんから手紙を預かってるんだ」


 小影は白い封筒を見せ、手紙を広げてテーブルの上に置く。そして彼女から数歩距離をとった。自宅でいったい何をしているのだろうとは思うものの、これくらいしなければ彼女の警戒は解けないだろう。


(凝り固まっちゃってるなぁ……)


 意弦は疑わし気な眼差しを手紙に向け……一瞬、その表情が歪んだ。


「分かってくれたかな……? えっと、僕は天王寺さんの……お姉さんの学校で、たまたまそういう『呪い』を解く仕事をしてるっていうか、相談を受けて悩み事を解決してるみたいな感じなんだけど」


 自分の素性を説明することがこんなにも難しいことだったとは。

 一つ言葉を間違えば、怪しい宗教の勧誘みたいに彼女の不安と不信感をあおることになる。おまけに、目覚めたら知らない場所で知らない相手と二人きりなんていう誰しも混乱するようなシチュエーションだ。


 そのプレッシャー自体は『絶対理性』が対処してくれるが、


(生憎と、僕には語彙力がなかった……!)


 硬く強張った彼女の心を柔く解きほぐせるような雰囲気も作れなければ、その不信感を紐解けるような良い感じの言葉もとっさには浮かばない。


「まあ、その、僕は君の『呪い』を……君が困ってるなら、その問題をどうにかしてあげられるかもしれない。だからとりあえず、落ち着いて、そこ座ってくれないかな……? あ、お茶入れるから」


 小影が少しでも動けば、意弦はビクッと弾かれたように玄関の方に体を傾ける。すぐ逃げ出さないのはドアに鍵でもかかっていて、それに手間取っているうちに追いつかれる、逃げ出そうとしたことで咎められる……そういう恐怖があるのかもしれない。


(それにしても、いくらなんでも警戒しすぎじゃない……? 僕、他人にここまで怯えられたの初めてなんだけど……)


 警戒されたり怯えられること自体は残念ながら珍しくないのだが、しかしその時は大抵隣にノロイちゃんがいる。自分のせいではないと思っていたのに、その自尊心が軽く打ち砕かれた気分だった。


「わたし、は……」


 掠れた、絞り出したような声で。


「呪われてなんか、ない……っ」


 嫌悪を瞳に宿して、小影を睨む。


「帰りたい。うちに帰して……」


「そうしてあげたいのは山々なんだけどね、実害が出てるし……君だって、ここしばらくお家に缶詰だったんでしょ? それに今帰ったとしても歓迎されないと思うよ」


 この部屋に彼女を預けることは、単純に妊婦であるその母親を安心させる意図もあるのだろう。同じ屋根の下に置いておくと、またいつ我を失うか分からない。出産を控えているらしい母親をそんな不安定な精神状態にしておいて、いいことがあるとも思えない。


 それでも。


「帰りたい」


「……そんなに言うなら、僕も天王寺さんと掛け合って――、」


 言いかけて、心の内にすんなりと入り込んできたが理性に駆逐されるのを自覚した。


「君は……」


 意弦の視線は真っ直ぐ小影に注がれている。

 その瞳には、微かな自信が見え隠れてしていた。




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 ――ちょっと待っててくれるかな。


 意弦にそう言い含めてから、小影はアパートの廊下に出た。


(参ったなぁ……まあ、お陰で楽といえば楽だけど)


 一つため息をついてから、真射がいるであろう、隣にある登和とわの部屋に移動した。


 家主が一週間も不在のため閑散として、どこかひんやりとしたその部屋で真射はソファに座って携帯を触っている。父親に連絡でもしているのだろうか。


「ちっ……」


 かと思ったが、真射は違う何かに苦戦しているようで、携帯をぽちぽち触っては、苛立たしげに舌打ちしていた。小影が入ってきたことにも気付かないくらい熱中している。暇潰しにゲームをしているような雰囲気じゃないから、もしかすると彼女は機械音痴なのかもしれない。


「天王寺さん、今いいかな? 早速分かったことがあったんだけど――」


 小影としてはさっさと報告して、真射とも意弦ともおさばらして早く登和を解放してほしかったのだが、


「小影……」


 振り返った真射の顔は、まるで信じられないものを見たかのようにがく然としていた。


「どうしたの? まあなんでもいいけど、とにかく聞いてほしいんだ。この問題は案外あっさり――」


「待って」


「……何?」


「あの子を一人にしたの?」


 今こうして小影が一人でいるのだから、当然意弦は一人だ。そんな分かりきっていることを思わず訊ねてしまうくらい動揺しているのか――


「――絶対逃げる」


 ……その言葉通り、急いで部屋に引き返せば、意弦の姿はどこにもなかった。



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