12 さよならの前に越えるべきもの




         ×




 今夜の夕飯は炒飯だった。


 細かく刻まれた各種野菜にぱらぱらとしたご飯と混ざった卵。素直に美味しいとは思えるものの、少しだけ味が濃いためたくさん食べることに若干の躊躇いを覚えるメニューだ。


(昨日、一昨日のカレーも辛めだったなぁ……)


 ともあれ、そんな生活も明日で終わりだ。

 今日は木曜日。そして明日は金曜、約束の七日目である。


「確認するんだけど、登和とわはちゃんと帰ってくるんだよね?」


「…………」


 向かいの席に座る真射まいは黙々とスプーンを口に運び、それからオレンジジュースの注がれたコップを手に取った。


「それから、君も出てってくれるんだよね? まさかこのまま居座るなんてことはない――、」


 突然だった。


 ――ばしゃあ……っ!


「わっ、ちょ……っ」


 小影こかげはとっさに椅子を引いて倒れかけたが、冷たさに心臓が驚く。見下ろせば見事にオレンジジュースがシャツを濡らしていた。


「……今拭くね」


「そのタオルはまさか君、狙ってたな……?」


「手が滑ったの」


 タオル片手に真射が近づいてきて、


「あ、また手が」


「いいから! どさくさに紛れて変なことしないでくれるかな!?」


 小影こかげは思わず声を荒げ、飛び退くように真射から離れた。


「もう……どうしてくれるんだよ。しかもこれオレンジジュースだし、ベタベタするし……。僕さっきお風呂入ったばかりなんですけど?」


「じゃあまた入ればいい。背中流してあげる」


「……いいよ、着替えだけで済ませるから……」


 幸い直接体にはかかっていないから、濡れタオルなどで拭えば問題ない。


(……追いつめられたから手段を選ばなくなってきたな……。だけど今夜が山場だ。今夜さえ乗り切れば……)


 着替えを取りに行こうと、小影は自室へ向かう。

 とん、と床を踏む音が聞こえ、とっさに振り返ろうとした瞬間だった。


「……っ」


 背中に感じる衝撃と温度、後ろから腕を回され抱きすくめられる。


「…………」


 これまでとはどこか雰囲気の違うそれに、小影は息が詰まるも、


「君、さ……」


 ゆっくりと吐き出すように、


「誰にでも、こういうことするの」


「……しないよ」


 頬が押し付けられる。


「小影にだけ」


「そう」


 素っ気なく応えた。


「放してくれないかな」


「……ごめんね」


 掠れた声で呟くと、真射はいっそ呆気ないくらいに自分から身を離した。


 その夜、真射がいつものようにベッドに入り込んでくることはなかった。


 小影は罪悪感のようなものを感じつつも――それを押し殺し、


(なんか、久々だな……)


 ゆっくりと眠りに就いた。




         ×




 カチャカチャと食器ばかりが音を立てる沈黙が、二人の間に横たわっている。


 今朝は白米に味噌汁、焼き魚というザ・日本人の朝の定番といったメニューだ。


 真射の作る朝食もこれで最後だと思うと感慨深いような気がしないでもない小影である。昨夜はぐっすり眠ることが出来たから、今朝はこんなにも広い心で世界を見ることが出来るのかもしれない。


(最後になればいいんだけどね……)


 一抹の不安を覚えつつ、塩辛さのある魚を口に運ぶ。


「君、もうちょっと味付け考えた方がいいよ。こんなの毎日食べさせられてたら早死にしちゃうよ」


「…………」


 真射が顔を上げる。探るような目つきだ。


「あ、深い意味はないからね。僕が君の料理を食べるのはこれが最後だから」


「…………」


 相変わらずの感情表現が乏しい無表情だが、こうして数日一緒にいると、真射の表情の変化の微妙な違いも分かるようになってきた。今はどことなく不満気な顔をしている。


「ところで、登和はいつ帰ってくるのかな」


「……まだ今夜があるから」


「今日いっぱい、僕が君になんらかの手出しをしなければ登和を解放するってことだね」


「…………」


 真射の手がなみなみとオレンジジュースの注がれたコップに伸びる。昨夜の光景がデジャヴのように蘇る。小影は即座に椅子を引いて距離をとった。真射はそんな彼には目も向けず、コップを口に運んだ。


 それでも警戒しつつ、小影は椅子に座り直す。


「……君さ、ご飯に甘いものって合わなくない……?」


 ちなみに小影の食事のお供は水か麦茶である。


「コーラよりはマシ」


「比較対象がね……」


「野菜ジュースみたいなもの」


「……なんか違うような……」


 まあ人それぞれだろうと納得し、小影は食事を再開しながら、


「結局――君は何者で、何がしたかったの?」


 かねてからの疑問を単刀直入に訊ねた。


 最初は大掛かりな組織的犯行を考えたし、『呪い』の解決が目的、あるいは『呪い』に関する情報を引き出すことが狙いなのではといろいろ想像したのだが、どれもしっくりこないような気もする。


 手を出したら登和を返さない……つまり登和を人質に、暗に自分に手を出すなと言っているにもかかわらず、誘惑するような真似をして小影を責め苛み、それを拒絶したらまるで傷ついたような反応をする。


 小影には、彼女の望みがさっぱり分からない。

 だから本人に直接訊ねた。


「……分からないなら、いい」


 答えは期待していなかったが。


「所詮……」


 真射が小さく呟く。


「……私なんて、その程度の存在……」


「ちょっと……」


 今朝はいつにも増して口数が少ないと思えば、まるで呪われているかのようにネガティブなことを口にする。おまけに「はぁあ……」と、暗澹たる想いを吐き出すようなため息をつくものだから、小影の顔もさすがに引きつった。


 昨日の乙希いつきを思い出した。彼女から何か良からぬものが感染したのかもしれない。


 小影はため息をついてから、


「まあ、登和が今日までいないんなら……」


「…………」


涙条るいじょうさんの件、今日でどうにかしたいと思ってたんだけど――もしもの時は、君の手を借りることもあるかな」


「…………、」


 真射が顔を上げた。しばらく呆気にとられたようにこちらを見つめてから――


「……!」


 少しだけ笑みを浮かべ、力強く頷いた。



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