12 足を引っ張る呪い(3)
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(始まった)
空気がひんやりと、そしてどこか滑り気を帯びていく――
「きゃっ、」「わっ」
途端、短い悲鳴と鈍痛を想起させる物音が連続して響いた。
「え? みんなどうしたの……?」
それもそのはずで、彼女以外のこの場の全員がみんな、突然何もない空間でバナナの皮でも踏んづけたかのように転倒したのだ。まるで彼女のギャグに周りがずっこけたかのような図だが、現状はそんな甘いものではない。
「容赦ないな……。これが君たちの『足を引っ張る呪い』だ。転ぶ程度で済めばいいんだけど」
言いながら、同じく何もないところで転倒していた小影が立ち上がる。その隣の赤い影は広げた両手を下した以外、微動だにしていない。
「何が起きて……?」
無様に転びスカートがめくれていた
「あんまり動かない方がいいよ。たぶん、今ここ、『何をやっても失敗する空間』になってると思うから。無理に起き上がってもまた転ぶのがオチだよ」
「あなた、何したの……?」
環の視線に怯えが混じるのを感じ、小影は思わず苦笑した。見慣れた反応だが、こちらが慣れすぎて相手を気遣わないために毎回こうなってしまう。
「君たちが向けて、君がまとめていた悪意を拡散させたんだよ。分かりやすく言うとね、到辺さんにかけられていた『何をやっても失敗する呪い』を取り出してばらまいたんだ。うーん、
「は、はあ……?」
何を言っているのかさっぱり分からない。環はそんな表情で小影を見て、その隣の赤い存在を警戒するように一歩後ずさる。
「より正確にいえば、
小影はジタバタと地面を這いつくばっている周りには構わず、ただ真っ直ぐ草枷環だけを見据えて告げる。
「僕の話を聞いてほしい。今の君はさっきまでの『聞く耳を持たない』状態じゃないはずだ。心の内に凝り固まった『到辺さんへの嫉妬心』という『想念』を取り除いてるんだ。だから少しは耳を傾けようという気持ちもあるとは思うんだけど……」
小影の言葉の語尾が弱くなる。環の目に鋭さが戻ったことを敏感に察知したのだ。
「意味不明なことを語られて、逆に冷静になっちゃった感じですかそうですか。まあ心や記憶を取り除くわけじゃないから、時間が経てば結局『想念』は湧き上がってくるもんだし……。でも一応、話しますか」
これから語るのは、草枷環が到辺廻にかけた『呪い』の真相。その『呪い』を生み出す源となった『想念』について。そして小影はその『想念』をなくせるだろう『武器』を用意しているのだ。
「君が到辺さんに嫉妬するのは何も
「確かに仄見くんはカッコいいと思うけど、別に私は興味ないわよ」
「じゃあ、なんで……?」
と、まだ立ち上がろうと努力している真射が問いかける。小影は彼女を一瞥するも助け起こそうとはせず、
「草枷さんは到辺さんが『ヒロインに選ばれた』ことに嫉妬してるんだよ。草枷さんは恋愛ではなく、演劇という点で嫉妬心を抱いてるんだ」
恋愛沙汰ではないかという先入観さえなければ、普通はまずそちらに目が行くはずだ。真射は雛多から『郷司が女子に人気がある』という話を聞いていたからそういう先入観を得てしまったのだろう。
「でもそれだけじゃない。草枷さんは、自分よりも下手な到辺さんがヒロインに選ばれたことが許せない。明らかに自分の方が上手なのに、なぜか到辺さんが選ばれた。だから気に食わないんだよね」
「…………」
自分の心を解き明かされていることが不快なのか、環は八つ当たりでもするように足元に落ちていた小影の携帯を蹴り飛ばした。
「草枷さんはこう思ったんだ。自分より下手な到辺さんが選ばれたのは、彼女が副部長に気に入られているからだって。気に入られている、だからひいきされて、演技の技術なんか関係なくヒロイン役に選ばれた。それが許せない」
「だってそうでしょ。そんなんじゃ、どんなに努力したって意味がない。天才を前にして努力が敵わないのなら諦めもつく。だけど到辺さんには私を黙らせるような才能もなければ、演技は私よりも下手でしょう。そんなヤツが、ただ気に入られているからって理由で選ばれるなんて……演技の技術じゃなく、好かれているからという理由だけで選ばれるなんておかしい。間違ってるッ」
環は地面を睨みつけ、拳を握って吐き捨てるように言う。
「確かに、人に好かれる子がヒロインに適してるのは分かる。でも、それでも相応の演技力は必要でしょうッ」
「好かれているかどうかはさておき、少なくとも君には周りの『想念』をまとめられるだけの求心力、周りを動かすだけの影響力がある。そして演技も上手い。僕も君がヒロインに相応しいと思うよ」
小影が同意を示したからか、環は深く息を吐いて自分を落ち着かせようとする。自分の意見を受け入れられ、怒りが理性で制御できるレベルにまで収まってきたのだろう。
「だけど草枷さん。到辺さんが選ばれたのは何も委員長のひいきが理由じゃない。そもそも審査員は彼ひとりじゃないしね。むしろ彼の『選考理由』に僕は納得したよ。それを聞いてほしいんだけど……」
うまく会話を運び、なんとか納得してもらおうと思っていた小影だが……、
「仄見くんがロリコンだってさっき宮下くんが証明したでしょう。これ以上何を言うつもりなの? 今更何を言ってもただの言い訳にしか聞こえないわ」
環は眉間に皺を寄せて、突き放すような物言いで告げる。
「演技が下手で、失敗ばかりの到辺さんが選ばれる真っ当な理由なんてありえない! たとえあったとしても私は信じない! だって選んだのはあの変態なんだから! 自分の好みのタイプだからって優遇するなんておかしい、あらゆる努力に対する侮辱よ! 死ねばいい!」
「君はお淑やかな容姿に似合わず激情家だね。それにしても、変態が発覚したというだけで彼の信頼はそこまで地に落ちるのか……困ったな。どうやって収拾しよう、この事態」
誰ともなしに小影が放った弱音に、
「わたしにきかれても」
赤い影がぼそっと応える。
「録音の続きを聞けば納得してくれるかな。僕の言葉よりも本人の声で語ってもらった方が効果あるかもだし」
少なくとも小影はその言葉に納得させられたのだ。もしかするとそれでどうにか出来るかもしれない――と、思うのだが、
「あれ? 僕の携帯は……」
「こかげ、あっちにおちてる」
と、赤い影が指さすのは倒れる演劇部員たちの後方。先ほどの環の八つ当たりで蹴り飛ばされ、随分遠くにいってしまっていた。
そして、気付けばその場所に環の姿があった。
携帯を拾ってくれるのかと思いきや、彼女は小影に見せつけるかのように、足元の携帯を踏みつける。
「ちょっ、画面割れたらどうすんの?」
「知らないしどうでもいいわよ。ふざけた話の続きなんか聞きたくもない」
「いや聞いてもらわないと困るっていうか、もう……凝り固まるの早いな……」
ぶつぶつ言いながら小影はゆっくりと立ち上がり、環の元へと歩いて行こうとして、
「……うん?」
誰かに足を掴まれた。真射の嫌がらせだろうかと足元を確認すると、
「怖ッ」
倒れていた女子部員が小影の足首を掴んでいる。一人だけではなく、転倒していた他の女子も這うようにして小影に近付いてきていた。
「……なるほど。これこそ『足を引っ張る呪い』の本質か。その気持ちに同調する他人の意識を乗っ取って物理的にも足を引っ張ってくれるわけね」
小影は苦笑しながら、こんなもの大したことないとばかりに足を踏み出そうとするのだが――しかし、足首を掴む演劇部員の握力は強く、小影の足は微動だにしなかった。
「見事に僕の『弱点』が突かれてピンチじゃないか。どうすんのこれ」
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