05 そこでスベると笑えない




         ×




 日曜の次は月曜日がくると決まっている。そして、月曜日とは概ね平日だ。

 なので、学生である宮下みやした小影こかげは登校しなければならない。


 仄見ほのみ家で散々な一夜を過ごし、朝食をご馳走になった小影は、登校するために一度部屋に帰って通学鞄を取りにいったのだが――それが運の尽きだった。


 遅刻ギリギリを狙ったにもかかわらず待ち構えていた天王寺てんのうじ真射まいに拘束され、彼女と腕を組むという傍から見れば仲良さげな恋人同士の図を描きながら登校した。せざるを得なかった。なぜなら彼女は笑顔で人の脇腹に銃を押し付けていたのだから。


 昨日部屋を抜け出す際にどうして今日のことを考慮して通学鞄や教科書類を荷物に含めていなかったのかと、自分の迂闊さを呪いたくなる。


(でも、学校だ)


 学校という公の場。過剰なスキンシップも積極的な誘惑もさすがに自重するだろう。そうでなくとも、授業中だけは彼女の存在に悩まなくて済む。


「……ふう」


 自分の席について、一息――


「小影」


 ――吐く間もなく、空いていた隣の席に座る天王寺真射。容赦がなかった。


 だが近づいてくるだけでそれ以上はなく、彼女はただにこにことこちらを見ているだけだ。問題があるとすれば制服の胸元を少し開いている点。それが周囲の視線を集めることになっているのだが、本人はあまり気にしていないらしい。


(そうだよな……。いつもは黒縁眼鏡におさげで、自分の席に座って大人しくしてる子だったんだから)


 わざと地味な少女に徹しているかのようだった彼女が、今は長い黒髪を惜しげもなく広げ、堂々と色気を出しながらクラスメイトに接触しているのだ。男子の中からは「あいつ誰?」という声も上がっていた。それほどの豹変なのである。


(隠れ美人……では、あるけれど)


 迫られても嬉しくない。それに応えれば大事な友人を失ってしまいかねないのだ。

 暗澹たる思いを吐き出すように、小影は溜息をついた。


 その直後。


「ひゃぁっ!?」


 妙な叫び声をあげて、教室の入り口で大げさに転倒する女子生徒の姿があった。

 赤茶けた髪を三つ編みのおさげにした小柄な少女だ。何もないところで転倒し、痛そうにお尻をさすりながら立ち上がった彼女の名前は確か……、


「な、なに……? 天王寺さん? なんで睨んでんの?」


「……小影が私以外の女子に視線を向けたから」


「そう言われても……」


 別に遠慮する必要はないのだが、小影は転倒した少女から視線を逸らし――


(なんでそんな怖い目……?)


 視線を移した先に、目を細めて教室の入り口を睨むように見ている人物の姿があった。黒髪ロングのどこか不機嫌そうな顔をした少女だ。彼女は先ほど転倒した小柄な少女を睨んでいるかのようだった。


 気になって観察していると、彼女は机の上にあった赤いフレームの眼鏡をかける。


「なんだ……。眼鏡つけてないから目を細めてただけ……」


「また他の女を……」


「うぐっ」


 脛を蹴られた。

 なんでこんな目に遭ってるんだろうと、小影は泣きたくなった。




         ×




 授業を終えて休み時間に入ると、彼女は真っ先にこちらにやってくる。


「またか……」


 真射は人の机に座る際、スカートがふわりと舞い上がるように工夫している。小影にだけスカートの中が見えるようにしているようだが、彼女は痴女か何かだろうか。


「そんな地道に誘惑しても、さすがに校内じゃ何もしないよ?」


「我慢ゲージを地味に上げて帰宅後にとどめを刺す作戦」


「…………」


 帰りはどうやって彼女を撒こうか……と、まだ午前中だが、小影は早くから放課後のことを考えて溜息をついた。


 そんな折、


「あのー……宮下くーん……」


 弱々しく間延びした、語尾が消えてしまいそうな声がかけられた。


「……何?」


 女子から話しかけられるなんて珍しい。小影はそう思いながら、声の主を振り返る。

 真射を警戒しているのか何なのか、小影の机からやや離れた位置に、今朝何もない所で転倒していた女子の姿があった。弱気な視線をこちらに向けている。


「えっと……到辺とうべさん?」


 あまり親しくない相手だが、二年間同じクラスなので名前くらいは憶えていた。彼女の名前は到辺めぐる。背が低いことにコンプレックスがあるらしい少女だ。


「うん、到辺だよ。えっと、そんな到辺から宮下くんにお願いがあるんだけど……」


 おずおずと、その後ろに控える真射の冷たい視線を浴びながら、到辺廻は言う。


「わたし……もしかすると、もしかするんだけど――呪われてるかもしれないんです」


「……そう……ですか……」


 頷く小影の頬がひきつっていく。


 おかしなことを言いだすやつがまた増えた……という顔ではない。

 ただえさえ色々と大変なのに、この上また厄介事が重なるのか、という諦めの表情だ。


「あの、友達から勧められて。今日鳴坂なきさかさん来てないみたいだから……宮下くんに相談しようと思って。えっと、ダメ……かな?」


 上目遣いに、恐る恐るお願いしてます感が溢れる表情で見つめられて、小影は渋い顔をしながらも頷いた。


登和とわがいないと難しいんだけど……まあ、聞くだけなら。『呪い』かどうか判断しないといけないし」


「あ、ありがとう……」


 廻は頭を下げてから、小影の近くに移動する。


「で、『呪い』だと思うような出来事は? 成績が上がらないとかモテないとかいうのは『呪い』であるかもしれないけど、大した実害が出てないんなら僕は関与しないよ」


「そ、そういうんじゃなくて……ですね。なんというか、わたし、先週からなぜかよく転ぶんです」


「転ぶ……?」


 転ぶといえば、この子は今朝も教室の入り口で転んでいたなと小影は思い出す。


「何もないところで転んだりして。あんまり頻度が多いから……友達に、これは呪いなんじゃないかって言われて」


 小影の視線が廻の足元に向けられる。細いが、引き締まって形のいい脚だ。彼女の背の低さは足の短さに起因するらしい。黒いニーソックスに覆われていて、紺色のスカートに溶け込むように布地が続いている。彼女が動くとスカートが揺れ、ほんの少しだけ絶対領域と呼ばれるような素肌が見えた。廻の手がスカートの裾を押さえる。小影はハッと顔を上げた。


「……っ」


 眼力のようなものはなかったが、泣きそうにうるんだ瞳で弱々しく睨まれていた。廻は顔を赤くしていて、小影が気まずくなって視線を逸らすと今度は真射から冷たく睨まれた。


「じ、事情は分かったよ。でも、さっきも言ったけど……登和がいないから」


 正直、相談されても困るのだ。そんなサービス業を率先して引き受けているのは今この場にいない鳴坂登和であって、小影じゃない。


(いや、そもそもサービス業じゃないな……料金代わりにいろいろもらってるし)


 さながら探偵である。実際、引き受ければまず廻の身辺調査をすることになる。小影は基本的に人見知りなのでいろいろと聞き回るのはあまり得意ではなく、そういうのはもっぱら登和の役割だ。


 なので、


「……悪いけど」


「そ、そっか……。その、ごめんなさい」


 廻の視線が床に落ち、スカートの裾を掴んだまま後ずさるように離れていく。


「引き受けたらいいのに」


 気まずさや罪悪感を覚える小影に、頭上から無責任な真射の声が降ってくる。


「鳴坂さんいなくても、出来るかも」


「…………」


 恨むなら真射を恨んでほしい、などと小影が思っていると、


「ぎゃぁっ!?」


 叫び声とともに近くの机が音を立て倒れた。物理的にも精神的にも後ろ向きに移動していた廻がそのまま転倒したらしい。机にでもぶつけたのか、頭を抱えて蹲っていた。


(これ、単なる不注意かもしれないけど――もし、『呪い』であったなら。転ぶ場所を間違えたら大変な目に遭う)


 たとえば、階段から。たとえば、車の行きかう道路で。たとえば、倒れた先に危険物があった場合。


 事故に発展するような転倒シーンが脳裏を駆け巡り、小影は大きく溜息を吐いた。


「――仕方ない」


 そう呟いて宮下小影は、涙目で蹲る到辺廻に手を差し伸べることにしたのである。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る