04 人には言えない事情があって




         ×




「はい、あーん」


「いや自分で食べれぐふ」


 無理矢理に口の中に突っ込まれる卵焼き。これが美味しいもんだから憎めない。


 何事もなく迎えた翌日。不自然なこと極まりないが、当然のように朝食などを作ってくれる自称誘拐犯の美少女、天王寺てんのうじ真射まい小影こかげは嫌々ながらも抵抗できないまま、彼女と朝食をとっていた。


(数日後にはこれを平然と受け入れている自分がいそうで怖い)


 そんな数日も彼女に居座ってほしくはないが、それもまたありそうで怖い現実である。


 一応眠ったはずなのだが、全身だるく、頭の動きも鈍い。疲れは完全にはとれていないようだ。こんな生活を続けていくことに抵抗を覚えるよりは、いっそ開き直って慣れる努力をした方が無難かもしれない。


 人間、住めば都である。慣れてしまえば問題ない。しかし、住まば都。どうせ住むなら天王寺真射のいない部屋が一番に決まっている。


(もちそうにないもんな。なんか手を打たないと)


 一応昨夜の眠れない時間を使い、いくつかの策は用意している。小影はその中の一つを実行しようと考える。


(誰かの家に泊めてもらおう。せめて今日だけでも。問題は誰にするか、だけど)


 相手は天王寺真射、クラスメイトだ。何もしなくても、ある程度は小影の交友関係を把握しているだろう。小影に友達がいないことくらい分かりきってるはずだ。


登和とわの部屋は論外だし……僕と親しいってことが天王寺さんに知られている人もダメだとして……まあ『親しい』と言えるほどの相手もいないんだけど……)


 そうなると、いきなりメールで泊めてくれといってそれを許可してくれる知人なんて一人もいないことに気づき、小影は少し絶望した。


(他は浅い関係というか、そう親しくもない人たちだしな……。もうこうなったら『委員長』に頼るしかないかな――)


 会話のない朝食を頂きながら、小影はテーブルの下で携帯を操作する。都合のいいことに真射が半ば無理矢理「あーん」と料理を口に運んでくれるものだから、メールを打ちながらでも朝食は進行した。




         ×




 朝食を終えると、宮下みやした小影は寝室で何かをし始めた。


 天王寺真射はその様子を意識の隅に留めながらも、朝食に使った食器を洗う手は止めない。彼は何をしようとしているのだろうと考えながら水で洗剤を洗い落とす。

 ちらりと視線を小影の方に移すと、彼はリュックサックに物を詰めているようだった。


(……逃げ出す気だ)


 真射はそう考え、食器を洗う手を早める。


(そうはさせない)


 視界の端で、小影がリュックを隠すようにしながら部屋を出てくる。リビングに用があるかのような素振りを見せながら、着実に玄関を目指していた。


「小影」


 手についた泡を落とし、タオルで水を拭いながら真射が振り返ると、


「これでも食らえ!」


「っ」


 何かを向けられ、真射はとっさに両手で顔を庇う。小さな噴射音と共に、スプレーのように霧状の水分が吹き付けられた。


(催涙スプレー!?)


 突然の襲撃に狼狽える真射の耳に、小影の逃げ出す足音が響く。


(今のは……)


 床に捨てられている容器は市販の消臭スプレーのものだった。他に何もなかったからこれを選んだのだろう。殺虫スプレーの類を選ばなかったのは彼の良心か。

 真射は着ていたエプロンを放りながら玄関へと駆ける。部屋を飛び出してアパートの通路に出ながら、


(私、臭うのかな……)


 少しだけそんな不安を覚えつつも、小影を追うため階段へ向かい、足元に注意しながら数段飛ばしで駆け降りた。




         ×




 小影は階段を下りて地上へ。そして誰かの家に泊まる魂胆なのだろう。


 そう思って――


(……よし。うまくいった)


 だが、宮下小影は下ではなく、上の階へと逃げていた。その結果うまく真射を撒くことが出来た。


「さて……」


 自室に戻って鍵をかけて真射が入れないようにする……というのは愚策だ。彼女はきっと部屋の鍵くらい用意しているだろう。


 なので、小影は真射の推測通り、知人の協力を得ることにする。


 三階に逃げた小影は通路を奥へと進み、ちょうど自分の部屋の真上に当たる部屋の前で足を止めた。表札には『仄見ほのみ』とある。小影はそのドアをノックした。事前に連絡していたからかすぐに家人が現れた。


「あ、委員長……えっと、例の件だけど」


 出てきたのは長身の少年だ。端正な顔立ちに知的な眼鏡。怒っているかのような無表情を浮かべている。どこか荘厳な雰囲気をまとっていて、神父の格好などが似合いそうだなというのが小影の印象である。


 仄見郷司さとしという、小影のクラスの委員長をやっている少年だ。

 そんな彼は救いを求めてきた子羊に、厳かな口調で問いかける。


「……宮下。例のモノは用意できているか」


「例のモノ、ね。データでいい? それならいくらでもあるけど……」


「誰かとツーショットのものは論外だからな」


「大丈夫。何枚かあるはずだから……」


 小影は携帯を取り出して画像データを表示すると、周囲を窺いながら、目の前の少年にだけ見えるようにディスプレイを傾けた。


「……よし。交渉成立だ」


「ありがとう。とりあえず今日だけでいいから、よろしく」


 多少の罪悪感もあったが、小影は眼鏡の少年に『例のモノ』を渡す代わりに、天王寺真射から逃れられる安全圏を獲得した。


 郷司の後に続き部屋に入る。ドアを閉める際にもう一度通路の様子を窺う。


 ……大丈夫。階段の方から真射が覗いているなんてこともない。安心して小影は玄関に上がった。


 仄見家の部屋の間取りは小影の部屋と変わらない。玄関から続く廊下の脇にトイレと浴室があり、奥にいけばリビングとキッチンがある。


「……え、あ、あれ? なんで宮下っ?」


 リビングに到着すると、ソファに座って寛いでいた少女が慌てて姿勢を正した。


 ショートの髪を薄く茶色に染めた背の高い少女だ。完全にリラックスしきっていたらしい。服も部屋着で、裾が長くサイズの大きいシャツは肩のところが垂れ下がっていた。


「ちょっ、ちょっと! 誰か来るんならそう言ってよ!」


「言っただろう、宮下が泊まりに来ると。寝ぼけて聞いてなかったお前が悪い、夏美なつみ


「こんの……っ」


 今にも近くのティッシュ箱に手を伸ばしこちらに向かって投げつけそうな勢いの彼女の名前は仄見夏美だ。郷司の義理の妹に当たる人物だが、同い年で同級生である。小影のクラスメイトの一人だ。


「ごめん仄見さん。……ちょっと緊急でさ」


「ううう……」


 夏美は首から下を隠すようにソファにしがみつき、背もたれから顔だけ覗かせてこちらを睨んでいる。赤らんだ頬を膨らませて不機嫌さをアピールしている様子が可愛らしい。


「というか……二人、同じ部屋に住んでるの?」


「あぁ、生憎とな。俺は断固拒否したが、しかし生活費を考えるとこちらの方が安いのも事実だ。こればかりは仕方ない。――ちっ。義妹といえば小さい子だろうに。なんでこいつは馬鹿みたいにでかいんだか」


「こっちだって好きで大きくなったわけじゃないし! い、一緒に住むのだって、べべべ別に望んでなかったし!」


「宮下。適当に寛いでてくれ。義妹それには構わないでいい」


 顔を真っ赤にしながら長身の義妹が抗議の声を上げているが、郷司はそれに構わず小影から携帯を受け取ると、私室だろう部屋へと入っていった。リビングにはドアが二つあり、一つは小影も寝室として使っている大きい部屋で、もう一つは押入れに使っている小さい部屋だ。郷司は大きい方を夏美に譲り、小さい部屋を私室としているらしい。


「……あいつ、何しにいったの?」


 郷司が去ると、夏美が不審そうに小影の顔に視線を向けた。


「ちょっとね、写真を提供する約束をしたっていうか」


「画像って……え? 何? 宮下もしかして友達売ったの?」


「ちが、違うよそうじゃない。その……きれいな満月を撮影したんだよ。ほら、委員長って写真が趣味でしょ? だからその写真を、」


「あのロリコンめ……」


 夏美の射殺すような視線が郷司の消えたドアに向けられる。小影はその視線が自分に向けられる前にと、話題を変えることにした。


「あのさ、仄見さんもいるとは思わなかったから委員長にお願いしたんだけど……」


「もう二年目突入してるのに、今更知ったの?」


「まあ。……そもそも君たちとはそんなに親しくないし。委員長のアドレスだって、クラスの連絡用としてもらってるだけだから」


「それもそうだ。じゃあなんでうちにって話にもなるんだけど?」


「いろいろね、家にいられない事情が出来たんだ。すぐ上のこの部屋なら、ほら、灯台下暗しっていうし、案外気づかれないかもしれないと思って。えっと、泊まっていいかな」


「その事情がよく分からないけど……」


 夏美は思案顔をしてみせると、なぜか拗ねたようにそっぽを向いた。


「別にいいですよーだ。泊まるんなら勝手にすれば? あいつが許可したんならもうアタシ何も言えないし」


「ありがと。助かるよ」


「……わたしがいても平気で泊まれるんだねー。もうちょっとくらいアタシのこと意識してくれたっていいのに……あいつも宮下もさ」


 夏美がぼそぼそと何か言っていたが、とりあえずこれでなんとかなりそうだった。




         ×




 ……本当になんとかなりそうか微妙な夜が訪れた。


「ありがと、先に入れてもらって。お風呂あいてるよ」


 入浴を終えて仄見家のリビングに出ると、なぜか仄見兄妹の視線が顔に突き刺さった。


「……何? 僕なにか変なこと言った?」


「いや……。お前、お湯に入ると女体化するような体質だったのか?」


「はい?」


「これがほんとの湯上りマジック。まるで別人みたいだよ宮下。もともと女の子っぽい顔してるとは思ってたけどまさかここまでとは」


「うん……?」


 確かに昔は男なのに女みたいという理由でからかわれたりもしたが、郷司と夏美の視線は昔向けられた変なものを見る目とは何か異なっていた。どこか犯罪的な色を秘めているというか……。


「なあ宮下、お前ちょっと夏美の服とか着てみないか」


「待っててすぐ持ってくるから。可愛いから買ったはいいけどサイズが小さすぎて入らなかったものが確か、」


「い、いや待って。君ら急にどうしたの?」


「まあまあそこに座れ宮下。お前、俺たちに泊めてもらってるんだからいうこと聞けよ」


「そうだよ宮下。だからとりあえず脱いで今すぐ」


「ちょっ、待っ――」


 夜は、更けていく。



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