第九節 飽くなき決意。
やがて、店内は平穏に戻り、店員達は忙しい
美しく磨き上げられた、奉仕と効率の美学を、店員の全員が共有していた。
店員とのやり取り。客同士の話し声が、サンローア・セツト駅構内店に流れる、静かなBGMと和音を織り成す。
「あン時の事は、な~んも覚えとらんが、形のない色が、ぼんやり浮かぶんじゃ。
黒・白・赤……ってな」
「……まるで、グランツァーク財団の社色のようだ」
千丸が語る色に、礼衣も普段の口調に戻り、納得する。
グランツァーク財団が抱える、私設武装強襲集団の群狼・ミスクリージ。
偽物が横行し、噂だけが尾ひれを付け、勝手に迷走をしているからだ。
しかも、礼衣は良い方向へと色を転換しただけであって、当時に広がる惨状の断片の可能性もある。そこは
「ワシや職員さん達を、あの時、あの場所を守り抜いてくれた両親には、もう礼は言えんが、恩人さんには、キチッと礼が言いたいんじゃ。
〝助けて頂いた、あの子供は無事成長しました〟
って、胸を張って礼を言えるように、磨きを掛ける必要はあるがのォ」
照れ隠しか、残り少ないパルフェを、時間を費やし匙で集める。
「この先、家がどうなるんか。ワシが、あの家を継ぐのかも分からん。他に、優秀な人がおるなら、その人のモンになるじゃろうし。
ただ、はっきりワシのモンやと言えるんは、両親が
これだけは、守らんとな」
珍しく、千丸は
眠そうで、偉ぶらず、注ぐ力量の加減が上手い。強大な権威と経済力を持つ生家に対する、客観的な線引き。
彼らの中で、得体の知れなかった千丸咏十が、輪郭と体温を持ち始めた。
付き合いを重ねて来た蓮蔵も、改めて口答する千丸の姿に、変化を
悪しき変化ではなく、良い変化だと。
「あ~ァ。余計な物言いやった。恥ずかしいったら、ありゃせんわ」
「そんな事ないよ」
千丸が、パルフェから顔を上げると、青一郎の穏やかな黒い瞳と鉢合わせになる。国際色が豊かな視線の集まりにも釣られ、自然と仲間を見渡した。
「立派な心意気だ。見直した。親御さんや、職員さん達の分まで、存分に礼を言えるよう、千丸の切磋琢磨に付き合ってやろう」
大真面目に、昂ノ介は力強く申し出る。その先導に、仲間も揺るぎない思いを込め、千丸に注ぐ。
友情と青春による感動的な幕引きで、この場は閉められる。
はずだった。
「礼なんて、言う必要なんか無いだろ。
あいつらは、命令されて、殺しを実行する。それ以前に、確固とした
そんな殺人集団に、万感を込める礼なんて捧げるなよ。勿体無い」
鋭く冷淡な
見計らいや、雰囲気もあったものでは無い言動に、仲間も不満と愕然を表す。
士紅を責めても、問題はない。
分かっているが、誰も動けず、腹の内の言葉を士紅へと放てない。
流言飛語の想い込みからか、本物を知り得ての事なのか。容赦も遠慮も置き去る、士紅の発言に根差す真実の芯を、仲間は確認も判断すら、出来ずにいたからだ。
当の士紅は、自らが招いた
先程の一言など、淡く薫る湯気と消え、幸せそうな一時を堪能する様子を眺めていると、仲間は、問い質す機をも失った。
それは、まるで〝魔法〟のように。
○●○
「悪しき事、良い事が同時に起きたようですね」
千丸は、コノエモトの自宅へ定刻通りに帰着し、郷咲の出迎えを受けた。茶話室の一つで
ついでに、店内での出来事を、会話の中に盛り込んでいた。
「良き事の方が、大きいようですけどね」
偶然、居合わせた『コールブ』が、茶話に混ざる。彼は、ソルダ同様、モルヤン・グランツァーク財団から派遣される、群狼・ミスクリージだった。
この事実は、家人を含め千丸も心得る情報だ。だからこそ、群狼の真の姿が、表立たない理由が分かる。
黙っていれば、
「あれ。いかがされました? 私が外圏人だからって、もう見慣れたはずでしょ~?」
ソルダと似通う、コールブの青みが強い肌に収められる、異郷の容貌。つい、考え事をしながら、視線を定めてしまった千丸へ、本人から軽口が返って来た。
「すみません、失礼しました。……コールブさん、私を助けて下さった、ミスクリージの方をご存知ですか?」
郷咲は、動きのない表情の下で驚愕していた。何故なら、今の今まで、両親を失った
千丸の疑問は、もっともだった。だが、コールブの背景を
「はい。もちろん、存じ上げておりますよ」
「え!?」
「はい!?」
「し、失敬。あっさり返答されたので、思わず声が。いつもの規約を盾に、
郷咲の珍しい反応に、笑いを
「隊長の、詳しい現在の位置情報や、関わる案件については、規約により申し上げられませんけどね」
対人の距離を砕く笑顔を添え、コールブは開示可能な事情を二人に伝える。
「隊長?」
「通り名です。本来は、長ったらしい肩書きと名称がありますが、我々の間では〝隊長〟で通じます」
「その、隊長様にお会いするには、どうしたら良いのでしょうか」
千丸の問い掛けに、コールブは渋い顔を作り、夏の装いに整えられた、千丸邸の中庭へと視線を逃がす。
「別に、偉いから会えないって訳ではないんです。多忙過ぎて捕まらないのが、大きな理由です。
僭越ではございますが、私の方から咏十様のご意向を、伝えさせて頂きます」
体裁を
「もう一つ、
「どうぞどうぞ」
「子供は、ミスクリージに所属出来ますか?」
「不可能です」
「身体能力、適応能力、素養期間の限度を考えても、可能性はあると思うのですが」
千丸は、腹に抱える疑惑を、半々の期待で投じた。名指しもせず、真実に届くのかも運に任せる。
「咏十様は、浪漫を語る恐い方でいらっしゃいますね。
時代や情勢により、どの歴史上においても、少年兵は存在します。
ロスカーリア発足当時は、前身である〝黒の群狼〟に
しかし、間もなく撤廃されました」
コールブは、瞳を伏せる。奥底に沈め、現実を見据え続けた混沌に染まる色を、千丸に見せないように。
「追い詰められた正義は、
そんな世界に、子供達を送り込むべきではない。と、当時の群狼側から警告が発せられたと、記録にあります」
千丸と郷咲の前には、人がいた。清廉な者の盾となり、全ての汚濁を飲み干す決意をした、優しい人が。
「〝生命の回数券〟を使い切ってしまったら、余程の機会と素地がない限り、もう二度と後戻りは出来ません。
殺さなければ終わらない。人として悲しいです。悔しいです。無限の選択肢を持って生まれた子供達に、こんな思いを強要する世界など、一つでも多く、地上からなくなるべきなのです」
悲痛な思いが宿る言葉には、無情にも、決して消滅しない現実も乗せていた。人である限り、繰り返される愚行を歴史に刻む息遣いが証明しているからだ。
千丸は、本物を目の前にし、改めて決意の芯に熱意を封じた。生命の恩人に必ず会い、拒絶されようと、万感の礼を捧げると。
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