第十節 女性の味方。




 鐵道車内は、時刻も伴い少々混み合う。

線路の繋ぎ目に車輪が乗ると起きる、特有の振動と音が夕暮れに響く。

 今日もつつがなく、人々を目的地へと案内する。


「……初めは、恥ずかしかったが、美味い物を目の前にすると、気にならないものだ」

「確かにな」

「食べ物の前では、男子も女子も関係ないの!」


 公休日の空き時間。都長は頼み倒し、昂ノ介、礼衣、士紅を、情報誌に掲載される、女子高校生に人気の菓子を出す店への勧誘に成功した、その帰路だった。


「菓子の進化は凄いな。お陰で我々は、有意義な時間を頂戴出来た。

 行列に並ぶのが、少々難点かな」

「それも、楽しみの一つでしょ~?」


 全員、私服も手伝い普段とは異なる印象になる。上目遣うわめづかいで不満を漏らす都長は、幼い黒目がちな顔と、淡い色の夏服も手伝い、青一郎とは別方向の女の子に見える。


 この混雑。この容姿。不謹慎なやからが、都長を痴漢の対象にするのではと、思い過ごしを巡らせる。


 車窓の向こうで、遮蔽物の間から見え隠れする夕陽を、梅干しのようだと発言する士紅。

 その似紅にせべに色の双眸を、車内に走らせる。丁度、視界に入れた礼衣が、気に留めた。


「……どうした」

「誰か、痴漢に遭って居る」


 端正な唇を震わせず、短く小さく、仲間に伝達する。それぞれの表情が、引き締まった。

 昂ノ介は、勢いだけで人並みを掻き分けて行きそうな、使命をもびる。


「許せん。どこだ丹布。おれが行く」

「相手が白を切れば終わりだ。その場で騒ぎになれば、女性が傷付く」

「……その通りだが、このまま見過ごす気はないぞ」

「そうだよ。早く、助けてあげようよ~」

「待て、作戦を立てる」


 残る三人も密談のため寄り添う。

 女性の危機に、小さな紳士達は正義感をみなぎらせ、事態の解決へと動き出した。




 ○●○




 強張こわばってしまった、妙齢みようれいな肉体を、弛緩させてみせる。勘違いもはなはだしい、痴漢の歪んだ指標は、彼女を苦しめた。


 痴漢の手を払う。振り向き、一睨みする。声を出し、助けを求む。

 第三者からは、軽く言える簡単な事が、彼女は出来ない。不快な感触と恐怖で、身体も精神も硬直する。


 彼女は、リーツ・テイカの異国情緒漂う、少し濃い肌の色と顔立ち。決して隙がある服装ではないが、肢体を包み、健康的な肉付きが浮き上がるのは罪ではない。

 モデルや女優でも通る美貌は、様々な思いを引き寄せるに値するが、犯罪まで受け入れる必要はない。


 恥辱と混乱。周囲の無関心に失望し、嘔吐の気配まで込み上げる彼女。喉の奥で、神の御名と心ある人へ助けを叫び求める。


「ごめんなさ~い。通して下さ~い」


 彼女は声に釣られ、頑張って首と視線を向ける。小学生くらいの男子が、隙間も少ない間を縫いながら、彼女へと近寄って来るのが見えた。


「やっぱり、〝のんちゃん先輩〟だ~。お久しぶりです!」


 堂々と、適当な名前で彼女に話し掛ける、少年の笑顔の説得力に、彼女は乗った。


「え? ええ。お久しぶり。お……元気そうね」


 彼女は、引き吊りそうな筋を、何とか笑顔に動かす。声が震えないように最大限の気を張った。


「あっちに仲間がいるから、行きましょうよ~。ほら、先輩と仲が良かった、〝ヤマモト〟もいますし~」


 少年が声を差す方向には、均整が取れた高校生に見える男子が、硬い笑顔で手を振る。

 この状況に、彼女はすがる思いで活路を見出みいだし、かさず応じた。

 可愛い少年の、「すみませ~ん。もう一度、通りま~す」の声の導きで、〝ヤマモト〟がいる場所へと向かう事になる。

 力が抜けそうな膝を懸命に動かし、彼女は、近接する乗客へ、小さく断りを入れながら進んだ。




 ○●○




 周囲は、それぞれ過ごす手段に集中しているため、彼女を招き寄せた一行に、注目する事はない。


「お姉さん、大丈夫~? 顔色、悪いね」


 彼女を無事に先導した、都長が様子を伺う。


「……やはり、助けに来て下さったのね。あり、がとうございます」


 受けた行為の手と、救われた手に混乱し、彼女の顔色は冴えず、目も潤む。手摺てすり棒を持つ手元も、小刻みに震える。

 座席を用意したかったが、生憎の混みようで叶わず、掴まり立ちが出来る位置を、譲るのが精一杯だった。


「どうぞ。使って下さい」


 士紅は、夏用ジャケットのふところから取り出した白いハンカチーフを、彼女に差し出す。

 反射的に受け取った彼女は、その仕立ての良さに気付き、涙目に近い視線を、士紅に合わせた。


「こんな、立派な物で」

「お気に召されませんように。返す必要は無い物です。どうぞ、慰めの起因と共に、処分して下さい」

「……成る程。〝紳士の罪作り〟か」

「まぁね。私の周りは、泣き虫が多いんだ」


 ルブーレンの紳士が心得る、習慣の一つ。女性が涙するのは、男性が作る罪を嘆くから。その涙を拭うのは男性の義務。何よりも、女性に角を立てないため。と、由来にある。

 メディンサリも常時、懐に用意しているはずだ。


「あ、ありがとう。本当に、ありがとう~」


 正真正銘の紳士達に助けられたのだと、実感が湧いた彼女は、安堵によって感情が解放された。一気に涙腺から乙女の武器が、止まる事なく零れ落ちる。


「お、お姉さん。しっかり~!」


 痴漢に遭ったばかりの女性に対し、慰めるためとは言え、背中をさする事を躊躇ためらう。

 都長も、対処に余る感情の収まり所を失い、年相応の不器用な声掛けで、彼女を気遣う。


「恥ずかしい、やら、情けないやら……ッく。友人の痴漢の話しを聞いて、

 〝足でも踏んでやれば良いのよ〟って、軽く答えたのに、実際……ッ、遭ってみたら、怖くて声も出ないんですものォ」


 士紅が渡したハンカチーフに遠慮なく顔を伏せ、自責を吐露し、身を縮める姿。いたわりの視線で彼女を囲む彼らは、改めて痴漢の存在に憤りをおこす。


「今度は、助けてくれ無い人の、脚を踏めば善いのです」


 士紅の一言に、少し落ち着きを取り戻した彼女は、かすかに笑顔を浮かべた。


よろしければ、同じ駅で降ります」


 昂ノ介は、丁重に申し出るが、彼女は改札を出たすぐ先で、人と待ち合わせているから問題はないと、断った。


 やがて、目的の駅に到着し、彼女は礼と共に〝ヤマモト〟達以外の氏名を尋ねる。

 だが、発車の時間を味方に、〝ヤマモト〟達は濁す事に成功した。恩人の名前と一緒に、おぞましい犯罪行為を、思い出して欲しくなかったからだ。


 閉じた扉の窓から彼女を見送り、痴漢が同じ駅に降車しなかった事を確認した後、都長が口を開いた。


「何で、一人で電車に乗ってたのかな~」

「知り合いなのか?」

「一度しか会ってないから、覚えてないんだろうけど。

 蓮蔵の親戚のお姫様だよ。ほら、連堂に従姉妹がいるって。前に話しをしてくれたでしょ? その人の、お姉さん。

 『音童おとわか乃依のい』さんって名前」


 都長は、記憶力の良さを披露し、昂ノ介と礼衣を驚かせた。




 ○●○




 改札を出ると、その先には雑踏が開ける場所がある。中心には、プラチナブロンドのルブーレン美女と、烏の濡れ羽色のリュリオン美女が存在感を放っていた。


「す、すみません! お待たせしてしまって!」


 先程の彼女は息を切らせ、美女達が漂わせる近寄りがたい、見えない規制線を越える。


「そんなに走らなくても大丈夫だったのに。アタシ達が、先に着いちゃっただけよォ。

 ねェ? プリム」

「うふふ。そうね、桐子とうこ

「そ、そんな。お忙しい、姉様方に、貴重な、お時間を……、はァ」


 プラチナブロンドの美女・プリヴェールは、未だに息を弾ませる彼女の様子に着目した。


「どうしたの? 乃依。泣いたの?」

「んまッ! 何かあったの!?」

「あ、あの。お恥ずかしい事に、痴漢に遭って」

「……許せないわ。相手の顔、覚えていて?」


 普段は慈愛を宿す翡翠色の宝石が、危険な色にひらめく。


「……良いのです。直後に、助けて頂きました。これと一緒に」

「へェ~。〝罪作り〟じゃないの。ちゃんとした男もいたのね」

「後日、お礼がしたくて、お名前を伺ったのですが、教えて下さらなくて。

 このハンカチーフと、〝罪作り〟を渡してくれた、青い髪の男の子くらいしか、手掛かりがなくて」


 乃依が広げる、涙とアイメイクに濡れた、白いハンカチーフの刺繍と少年の特徴に納得した。

 二人の美女は奇しくも、小さな紳士と同じ思いを目配せで通じ合わせる。

 何も言わず、乃依を強引に予定通りの軌道に乗せた。舞台鑑賞、優雅な夕食と買い物で、不安と嫌な思いを浄化させるために。





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