第五節 仄暗い烽火。



 街の灯りも、夜を覆う天幕に散る星のまたたきすら、ゲーネファーラの栄華の威光に隠れる。


 招待客の往来の音と匂いを、遠い感覚で拾うのは、夜会の場に不満の全てを放散ほうさんした、ハーネヴェリアだった。


 空調に保護された快適な空間の保護からも追い出され、ぬるい外気は、高貴な身の上も容赦せずに等しく抱擁ほうようする。


 その周辺には、誰も寄り付かない。望まぬ者なら、気付けば誰かがいる。ハーネヴェリアは、選べなかった。


 今も、変わりなく、呼びもしない相手が寄る気配が立つ。


「誹謗中傷の撤回でも、懇願しに来たのか。〝白銀の怪人〟」

「あいつのそばに居ると、多くの肩書きを頂戴する物だ。飽きぬ日々を送れる事は、幸いと言える」

「減らない口だな。閉じろよ」


 共に、不快な気温にさらされるはずの銀髪の美丈夫が、涼しい顔で掛ける蠱惑の声色に反抗する、ハーネヴェリアだった。


「モルヤンを想うこころざしは、君もゲーネファーラも同じだろうに」

「何が言いたい」

「君は君なりに、モルヤンを愛し、うれいて居る。それを、上手く伝えられぬだけ。違うかな?」

「……知らねェよ」


 シグナを見もせずに、ハーネヴェリアは吐き捨てる。不器用な本心を突かれようが、それを全力で否定するのは、若気の至りであり、生来の底意地でもあった。


 そこへ、シグナと同じ長身を持つ、異郷の若者が音も無く間を詰める。


 言葉も声も短く低く、双方の仲を証明する距離で、報告が交わされる様子に、ハーネヴェリアは、新参の相手の特徴に、驚きと興奮を押さえ切れず、口を突く。


「へェ。お前、?」

なら、とうの昔に絶滅して、残るのは元に戻すのも困難な程に切り離された標本と、の息も絶えた数体だけです」


 ロゼルは、ハーネヴェリアの口振りから察し、諸々をはぶき、立場上、無難な敬語で会話を転がす。


「……ここ数カ月。お前と、お前と良く似た少年が、〝青の屋敷〟を出入りしている。とは、噂で聞く」


 気温が下がり切らない夏の空気に辟易へきえきし、ハーネヴェリアは恥も貴族の常識をもぐよう、上着を脱ぎながら、ロゼルへの値踏みを続ける。


です。フレンヴェイリ=ハーネヴェリア様」

「本物と疑わしい割に、大して騒がれないのは、ここの伯爵と、そこの〝欲呆よくぼけ長官〟のお陰か?」

「そろそろ、名前を覚えてもらいたい。私は、イ=シグナ=セース。適当に抜いて呼ぶが善い」

「そんなに短い名前だったか?」

「本名など、早々に名乗らぬわ。我が主より賜りし至宝は、主にのみ許される響き」

「……分かるよ。知らねェ奴に、気安く呼ばれたくねェもんな」


 自嘲じちょうとも、捨て鉢とも言えない苦い表情を、一瞬ぎらせ、ハーネヴェリアは興味をともしたあおい瞳を、ロゼルへ向ける。


「で、そっちのアンタは? 呼ばれてもいらっと来ない名前くらいあるんだろ」


 いでの付録ふろく程度の流れでたずねられたロゼル。

 主義にも外れ気分を害し暴れるか。と、シグナに想われながらも、抵抗も無く名乗り上げた。


「エレアノール=ロゼル。もしくは、隊長とでも呼んで下さい」


 ハーネヴェリアは、片目で怪訝けげんを表す。その思いを、素直に投げ掛けた。


「女の名前じゃねェか」

「こっちの色魔しきまにも、女性の名前がありますよ。魔除けみたいなものです」


 ロゼルに〝色魔〟と差され、鏡色の双眸で反論を唱えたが、瞬時にシグナは諦めた。代わりに、ロゼルの発言内容へ肯定の意を込め、ハーネヴェリアに向かってうなずく。


「エレアノール……。それに、ロゼルだと? 待てよ。他に、聞き覚えがあるな」


 記憶の波間に、名を沈めてしまったハーネヴェリアは、引き揚げる手間も、捜索をも早々はやばやと放棄した。

 人員と送迎車の準備が整い、退散の算段を確認したからだ。


「じゃあな。クソ外圏人共」


 気の抜けた笑みを、貴族特有の綺麗な口元に乗せ、ロゼルとシグナに向けて見せ付たまま、最後まで揺れ動く事のない役割を果たし、ハーネヴェリアは舞台から降りた。


 ハーネヴェリアを乗せた、白の高級車が遠い門扉から見えなくなった頃合い。シグナは、物陰に控えたヴェルゲインに問い掛ける。


におうな。どうだ、ヴェルゲイン」

「し、しますゥ」

「ヴェルゲインも察するとは、裏が取れたも同然よな。跳ねっ返りは元来の気性として、会場の振る舞いは疑わしい」

「……管制塔の回答だ。暗示に使用される誘引因子が検出された。案の定、の尖兵と接触した痕跡もある。

 ……面倒だなぁ」


 上司と部下を身近に置いた悠揚ゆうようから、ロゼルは語尾に本音を添えた。




 ○●○




「全国大会を目指す最中に、無理を言って済みません。どうしても、君達に会いたくて、方々ほうぼうに頼み込んだのです」

「あまり説明もなく来て頂いたので、皆さん恐縮してしまってるのよ」

「そんな物、どこかに捨てて下さい! 私の方が、君達に憧れを抱いているのですから」


 プリヴェールの説明に、ジルを囲む青一郎達は、困惑を深める。立場も年代も、活躍の場さえ数段上にいるジルから、分不相応な扱いを受ける現状に。


 ジルは、良からぬ何かに付け入られ、誤情報によって操られているのではと、一同はいぶかしむ思いすらある。


「私は以前、庭球界に身を置いていました。離れはしましたが、今でも深く愛する競技です」


 吊り上がる濃い茶色の細い眉とは対照的に、あおまなじりは垂れる瞳に、後悔とも未練とも読める感情が広がる。


「信用ある上司に、〝今、一番輝く庭球の競技者は誰か〟とうかがった所、君達だと答えが来ました。上司の審美眼に、やはり間違いはなかったよ」


 ジルの瞳が垂れる分、優しく朗らかな笑顔が咲く。普段から磨きを掛ける容姿と童顔。

 身長も手伝い、年令の垣根が惑わされ、青一郎達は、身近な同輩にすら感じてしまう。


「君達の公式戦の試合は、全部拝見しました。先が楽しみです。

 それに……」

「ジル、ここにいたのかい。

 テレシカ公爵夫人が、お待ちかねだよ。行っておいで」


 ゲーネファーラ伯爵の招きに応じ、ジルとプリヴェールは名残惜しそうに、青一郎達から辞した。


「君達は、随分とジルに気に入られたんだね。

 しかし、競技観戦に誘われた時は、気を付けなさい。

 狙撃されても観戦を続けるからねェ。ジルは」


 ノミの夫婦と交代で残った伯爵は、恐ろしい忠告を言い渡し、青一郎達の反応を見て楽しんでいたが、少々、悪趣味が過ぎたと自覚し、話しの風向きを変えようと試みる。


「そうそう、青一郎君。『眞津まつ』は元気かな?」

「失礼ですが、祖母をご存知なのですか」


 唐突な名指しに、青一郎は素直に驚くしかなかった。


「当然だ。充征みつまさ蓉可ようか、眞津は、学年こそ違うが、共に青春時代を過ごした大切な友だ。

 そうか、聞いていないとは。私も深く嫌われたものだねェ」


 優しく、困り顔になる伯爵へと変化するが、預かり知らない事情を投げ掛けられ、反応に戸惑う青一郎を翠色の視界に映す。

 打って変わり、伯爵は慈愛に満ちる笑みで話題を切り替える。


「来年は、君達も〝雛鳥の巣立ち〟を迎えるのだね。うむうむ。

 子の成長とは、とうとく美しい限りだ」


 分不相応の夜会。単独での参加で、大人の世界で漂流する中、伯爵の心遣いに青一郎達は心から感謝した。


 家柄や付き合いの深さから、全く顔を知らない訳ではないが、伯爵が、ここまで親密に距離を詰めて接して来るのは、周囲の目から見ても異例だった。




 ○●○




 その様子を、遠巻きに指をくわえて眺める一団がある。


 親族のすそつかみ、後ろに回る処世術しか持たない、歳も若い面々。

 何とか、お近付きなりたいと機を計るが、彼らから話し掛ける事は叶わない。


 それが、社交界の暗黙の常識だった。


 負の情念が煽られる。それは、見えざるモノへの最高の供物として捧げられ、わざわいかてとなる事を、知るよしもない。


「どこかで見覚えがあると思ったら、あいつら揃いも揃って、蒼海の一年レギュラーじゃねェか」

「千丸に、デューランデーンだけでも厄介なのに、何なんだ、あの顔触かおぶれは」

「しかし、何故だ。何故、伯爵は我々を差し置いて、くちばしも黄色い、あんな子供と親し気にッ」

「生意気だネ、本当に。二度と這い上がれないように、次の舞台で潰そうヨ」

「決まりだな」


 先日、ロゼルは彼らを〝四流貴族〟とは侮蔑ぶべつしたが、第一部に名を連ねるだけの家名を背負う彼らは、仄暗い情念に捕らわれ、見えぬ烽火のろしが立ち昇る。

 彼らは、連堂中等部・硬式庭球部の第一部正選手のりない面々だった。





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