第四節 狂宴の支配者。




 夜会に設定される時間は、長居をする客もいれば、ご機嫌伺いで短時間を過ごす客もいる。


 紳士淑女、家人、主催者側の行き来が波のように、満ち引きを繰り返す。

 広過ぎる正面玄関の間口は、隙だらけの深窓しんそうの令嬢を思わせるたたずまいだが、客の往来に紛れ、精鋭中の精鋭監視員や、無人に見えるだけの警備装置の掌中しょうちゅうだった。


「あのォ、隊長? 先程、会場で音がしましたけどォ、行かなくて大丈夫ですかァ?」

八住やずま兄弟も控え、シグナも居るし、伯爵も御健在。

 特に必要は無い」

「その伯爵様も、追い返しちゃいましたけどォ」


 その一角いっかく


 若い割に年中顔色が悪い、痩身男性の『ヴェルゲイン=ロッサイス』が、語り掛ける長身の相手は、群狼ぐんろうの制服では無く、護衛陣と似たダークスーツ姿のロゼルだった。


 先程も、覗き魔にペイント弾を御見舞おみまいし、無粋な貴族が懐中かいちゅうに忍ばせる違法薬物に気付き、すごみを入れ取り上げた所だ。


「そんな事よりィ、良いんですか? エフエオフイの案件を、民間の交渉団体に取られたままでェ。

 あんなの民間で解決出来る規模じゃないでしょ」

「好きにさせろ。どうせ、半年もたず我々に泣き付く」

「そんなの面倒ですゥ。何ならボクに任せて下さいよォ。

 民間団体ごと〝お掃除〟しますからァ。……アハハァ」


 〝青の屋敷〟の明度も届かない、ヴェルゲインの心根の闇は、生み出した惨事を想像し、熱を帯びる様に集中する。


「恩着せがましく動いた方が、色々と美味しいだろう」

「ァアははァ。さすが隊長ォ」


 ヴェルゲインの言い様や変化に、特に気を留める事もせず、ロゼルは虚空を見上げる。

 口元のゆるみを直し、ヴェルゲインの方がロゼルに気を取られた。


「こんな時は、紫煙しえんでも吐いて、天上人てんじょうびとの様子を眺めると、決まる所だろうなぁ」

「……隊長。見栄を張ってどォするんですか。大体、煙草たばこすら吸えないのに。

 それに、ここは禁煙ですよォ」


 黙るしか無くなったロゼルは、無色無害な溜め息をこぼすすだけで精一杯だった。




 ○●○




 家人や給仕達が、自らの役割を果たす最小限の物音が、やけに大きく響く。


 騒動の中心に現れた、典型的な老紳士は夜会の主催者。


 フォーヴハンス=ウェリエ=ゲーネファーラ伯爵が、無残に荒らされた会場を受け、招待客から発生する様々な視線を跳ね返し、たっぷりと時間を掛けてながめる翠色みどりいろの瞳から、事態の視覚情報を集める。


「フレンヴェイリ=ハーネヴェリア。

 私の親愛なる大切な客人達に、不安を与えたばかりか、尊い生命のかてを粗末にするとは。

 何と罪深き所業だろうか」


 今も根強い人気を集め続ける、老練の美しさを保つ伯爵の顔が、悲壮に曇る。


「外圏の物を並べて、媚びやがって。下卑げびる経済貴族が、考えそうな浅慮だ」

「ジルの帰還を祝う席でもあるが、来期に向け導入を検討する外来種の品評会でもある。

 『ロ=ダの所長様』より指南して頂いた品々もあったのだが、上手く説明が伝わらなかったようだね」


 ロ=ダの所長。


 この呼称を耳にした者は皆、息を飲み事の重大さに身をすくませる。


 公式経済圏で取り引きされる通貨は〝ロダ〟。単位の全ては、ロ=ダに由来ゆらいし、統制される世界の尺度。

 国家機関よりも、統制機関の役割を負う、第一級を冠する経済海里。


 その所長となると、存在の噂に触れる機会さえゼロに等しい。


「ロ=ダの名を出したからと言って、私が退くとでも思ったのか。罪深いのは、お前の方だろう!」

「何よりの大罪は、主役の僕よりも目立ってくれた事ですよ」


 別方向からの一言に、なめらかだった舌の動きが凍り付いた。

 ハーネヴェリアのあおい瞳が映し出したのは、大小の人影。


 真っ先に目を奪われるのは、深紅のドレス。白皙はくせきの肢体を秘する宝石と覚え、慎ましやかに封じるマーレーンの魔女の腰に、手を回す短身痩躯の紳士。


 ジルハイン=コーフ=ヘーネデューカは、荒れ果てた雰囲気の中、威風堂々と会場入りした。


「出迎えも少ないと思ったら、こんな事に。

 君の上にあるシャンデリアでも落とそうか、君の背後にある大窓を蹴破って、お客人の視線を集めようか、思案していたのです。

 〝その前に、お前の硝子玉がらすだまを割ってやろうか〟と、銃口を突き付けられたのでめました」

「うふふ。わたくしは、そのジルの勇士、見てみたかったわ」


 さらりと恐ろしい冗談を言ったプリヴェールは、ヒールも手伝い夫のジルよりも背丈が高い。

 言葉とは裏腹に、プリヴェールの敬う思いは、余す事なく最愛の夫に向けられ、やや低く甘い声を注ぐ。


 その背後には意外な事に、昂ノ介こうのすけ礼衣れいの姿。偶然、騒ぎの避難先にいたため、主催者一行と合流を果たしていた。


「〝雛鳥の巣立ち〟をた紳士とは思えぬ愚行。

 私の庭に入るのは、まだ早かったようだね。

 この事は僭越せんえつながら、私が、お父上に直接お伝えしよう」


 笑みの中に厳しさをたたえた伯爵は、ハーネヴェリアにそっと言い渡す。これが合図となり、夜会を荒らした小さな暴君は、丁重に帰り支度へといざなわれた。




 ○●○




 速やかに会場の案内は滞りなく済み、騒ぎの前に時間が巻き戻る感覚に包まれるのは、生きる高級宝飾が行き交う、許される者のみに与えられる、楽の音が寄り添う至高の歓談の場。


 不始末を詫びて回るのは、〝青の屋敷〟の主・ゲーネファーラ伯爵と跡継ぎ夫妻。挨拶回りも一段落ついた頃。伯爵は、お仕着せの少年達と、何やら話を弾ませている。


「伯爵、眼鏡の仕上がりは間に合ったんですね」

「おお、旋君。気付いてくれたかね。右側が『リラージ』、左側が『ジャン=ジャック』の足型なんだよ」


 伯爵の犬好き、馬好きは有名な話だ。愛犬二頭は、軍用犬にも登用される二種の短毛の大型犬種。


 可能な限り伯爵が常に連れ歩き、愛犬達もまた、伯爵以外には数名を除き触れさせず、近付こうものなら無視を決めるか、牙を剥く。


 馬に至っては数年前。

 リュリオン競馬史上無敗の悍馬かんばが息を引き取った際は、最上級の礼装で身を整え、真っ先に厩舎に出向き、厩務員一人一人に悔やみの言葉を掛け、立派な花輪を供えて号泣した逸話も持つ。


「旋君達も、とても良く似合っているよ。

 ご養父達も、彼方かなたの空の向こうから、見守ってくれている事だろう」

「嫌だな~、伯爵。

 まるで死んでるような言い方ですよ」

「おや? 言われてみれば。これは一本取られたな」


 律は、正直羨ましかった。

 おくせず伯爵の的を外したがる話術に、適切な間合いと厳しさで切り返せる、旋の度量が。


 伯爵だけに止まらず、ロゼルとシグナの会話にも度々挟まれる、的外し会話の応酬にも、律は何度も腹の中で、封じ込めの独白を吐いたか数知れず。


 そんな、会話の消化不良を起こす律を構わずに、やり取りは続く。


「うむ。これは、後世に残さねばなるまい。

 旋君達の姿を、画像ルームにアップさせてくれんかね」

「駄目ですって。伯爵でも問題になりますから」

「私も、閲覧数を伸ばしたい。

 プリムのルームは盛況だと聞く。私も味わいたい。

 されたいのだよ」

「プリムちゃんは、確かに人気ルームの主です。

 更新すると、あっという間に、三億くらいの閲覧が付きますから。

 でも駄目です。

 また、お小言を食らっちゃいますよ?」

「そう、それだよ。最近、は冷たいと思わんかね。

 先程も、この眼鏡を自慢しに行ったら、無言で睨まれてねェ」

「またそんな。仕事の邪魔をした伯爵が悪いです」

「何と。私に非があると?」


 援軍の調達に失敗したゲーネファーラは、シグナの姿を認めて呼び止める。


「時に、長官。

 サンローアで出される、例の紅茶。次の機会はいつ頃ですかな?」

「そればかりは、ご勘弁を」

「非常識とは考慮の上。

 こちらの対価で、手を打って頂けませんか」


 伯爵は、手に取ったケータイを操作し画面を向けると、シグナは、最上級の一礼と共に口を割った。


「残念ながら、今期の入荷は御座いませんが、直接『グランツ』に掛け合います。

 の名を出せば、秘蔵のキルシュヴァッサーも差し出す事でしょう」

「それは至悦の極み。ささ、お受け取り下さい」

「痛み入ります。伯爵」


 彼らは見た。


 受け取った情報を落としたケータイを胸に伏せ、極上の美丈夫が、大満足に弛緩しかんする表情を。


 場所も忘れたシグナが、夢見心地に浸る情報の内容は、愛猫・スサに向ける甘いかんばせ

 リラージとジャン=ジャック、スサと共に隙だらけで午睡ごすいする、ロゼルの姿をとどめた二枚の画像だった。





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