第三節 捧ぐ居場所。




 ホゼカには、ランテナと呼ばれる特別区域がある。


 その中にあって、最も古く広大な敷地をようする大家の別邸には、夜のとばりも明け渡す。

 

 絢爛けんらんの威光をともし、紳士淑女を招き入れるのは、ルブーレンの大貴族・ゲーネファーラ家が所有する、〝青の屋敷〟。


 同じ文字が名前に入り、密かに親近感を持つ青一郎せいいちろうは、少年ながらに正装する姿も板に付く。祖母や母の後ろに従い、大人の集まりに免疫はあるが、今は守ってくれる家族もない。


 何とか一波乱をやり過ごし、邪魔にならない位置で休憩を取りつつ、りになった仲間と合流する機会を待っていた。


在純ありすま~! やっと会えた~。

 着いて早々、引き離されちゃうなんてさ。〝雛鳥の巣立ち〟済ませてないからって、油断した~」

都長つなが。おれも、さっき解放された所だよ」

「意外だったのは、真っ先に柊扇しゅうおうが連れて行かれた事」

昂ノ介こうのすけの家は、ルブーレンの社交界と深い繋がりを持っているし、重工業部門では美名持みなもちと並んで有名だからね」

「そうだった~……。あ! 美味しそ~。

 あれって、おれ達も食べて良いんだよな?」

「大丈夫だと思うよ。

 給仕さんに言えば、取り分けて……」

「すみませ~ん、それ下さい。えっと、隣りのも!」


 都長は既に、白いクロスに立食形式で並ぶ、目にも鮮やかな細工やクラームス、果実に彩られる菓子の波間に飲まれていた。


 物怖ものおじせず、給仕に取り分けてもらった目当ての品々を受け取る頃に、青一郎も追い付き、都長にならい同じ物と、グラスの中で華が咲く品を指定した。


「なァ、今、花を食った?」

「うん。あ、凄い。この香り」

「蜜の芳香だよ。外圏種だけど、ジルさんが交渉で集めて来た食材の一つ。

 どう? 気に入った?」


 取り分けてくれた、給仕からの説明だと思っていた青一郎は、別方向からの聞き覚えがある声を探し当てたものの、姿を符合させるまでの時間を要した。


 そこには、お仕着せに身を整える、八住やずませんが居たからだ。


「こんばんは~。在純君、都長君」

「確か、八住さんでしたよね」

「覚えてくれたんだ、ありがとう」

「在純、知り合い?」


 不躾にならない調子で都長が尋ねると、先日、中間考査欠席に伴い、士紅しぐれが大量に溜め込んだ、課題を取りに来た身内の一名。

 との青一郎の説明に、大いに納得した都長が改めて名乗り、挨拶を済ませる。


 大量の課題を受け取った、その時の士紅の様子が気になった二人が、質問しようとする頃合いだった。


 前触れなく。


 上質で穏やかな照明で満たされる、回廊を含めた一角から、紳士淑女の悲鳴や驚きの声、様々な質感が激しく接触し、砕け散る音が重なる波が響き渡る。


 現場で突如起きた、小さな喧噪地帯を示す中心には、騒ぎを起こした張本人と、小揺るぎもせずに見据える少年が立つ。


「お止め下さい。ハーネヴェリア様」


 若い男子の声に、現状に臆さず発言する芯を通し、八住りつ毅然きぜんと相手に言い渡す。


「お前は確か、ウチの庭球部にいる、八住の似てない弟だよな。

 小虫の分際で、何故こんな所に紛れてんだ?」


 傲慢と傲岸を重ねても、足りない雰囲気と容姿を持つ相手は、律を認めて口を動かしながら、高価な靴で下にある物を踏みにじる。

 仕上げた老舗の店も、泣くに違いない。


 立食も兼ね、試食品評会でもある品々が、原型を留める力を失っている。

 手織りの絨毯じゅうたんの上に、散乱する風景を作り出したのは、見た目だけは貴族然とする、律よりも年上の少年だった。


「応えて頂くのは、そちらの方です。これ以上の暴挙を、見過ごす訳には参りません」


 なおも重ねる律に、ハーネヴェリアは思いつくままを言い並べる。


「なるほど~! 誰かの小姓として入ったのか。

 飼い主とはぐれたのなら、今すぐ私の相手をしろよ。

 前から気になっていた所だ。綺麗なつらと肌してるしな」


 質だけは高級な夜会用の手袋に包んだ指を、律に向けて伸びる欲望の先端の前に、黒をまとう意志が空を割って遮った。


けがらわしい食指を、弟に伸ばすとは何事です。

 場所を考えて頂きたい」


 喧々囂々けんけんごうごう


 品格も最上級の客層、迎え入れる場所も楽の音も、人としての興味を満たす舞台と化した劇場に、旋を追って来た青一郎と都長は、騒動に引き寄せられた仲間と次々と合流した。


まずいなぁ。かいまで出て来ちゃった」

「だ、駄目なんですか~?」

「そうじゃ無いけれど、あの貴族先輩が、何を言い出すのかが怖いんだよ」

「フレンヴェイリ=ハーネヴェリアじゃねェか」

「やっぱ、来とったんかい」

「では、彼が日重ひおさんが忠告して下さった、例の〝壊し屋〟ですか。

 すみません、八住さんの前で失礼な事を」

「善いよ、大丈夫、平気だってば。あの貴族先輩が来てから、第一部の奴らが益々調子に乗り出して、うんざりして居るんだから」


 蓮蔵はすくら千丸ゆきまる、メディンサリも加わり、再会の安堵よりも騒ぎの中心に意識を注いでしまうのは無理もない。


「済みません、廻兄さん」

退さがって、旋の所へ行け」

「おいおい、勝手な事をするな。

 それとも、こっちの美形のが相手をしてくれるのか? 別に良いが本当に、お前らの養父ようふってのは、相当のだなァ。

 美形の戦災孤児を並べて引き取って、目的は私達と同じか?」


 廻に変化は無いが、判る者にしか把握はあくが難しい静かな憤激をおこして居た。


「私が知っていて意外そうだな。お前達は、私達の間では有名だ。

 それにしても、青年から少年まで囲うとは恐れ入った。

 あの、お澄まし伯爵も仲間に入っているのか?」


 色欲と下世話で埋め尽くされ、すさむハーネヴェリアの表情に、廻の黒眼がちな双眸がわる。


「もう嫌だ、あの貴族先輩。

 どうしてくれるんだよ、廻が本気で怒ってるよ」


 喧噪の中、渦中の二名の会話は聞き取りにくいが、旋は正確に疎通が叶う。


「あの、止めないんですか」

「無理です。

 本気で怒る廻兄さんは、俺達でも止められません」


 退避して来た律が、流れで青一郎の進言を封じる。


「お律ちゃ~ん、勘弁してよ。

 あの貴族先輩には、近寄るなって言ったでしょうが」

「……済みませんでした」

「偉い! 言い訳なら、後でお兄ちゃんが聞いてあげるから、皆を安全な所へ誘導するよ」

「はいっ」


 即座に気を持ち直した律が、使命感を込めた返事をした頃、ハーネヴェリアは手近な八つ当たり対象へ、自らの感情をぶつけ再び聞き苦しい和音を奏でていたのだが。


「廻君、落ち着きなさい」


 憂患ゆうかんの舞台に踏み入り、蠱惑的な声一つで無遠慮な観客を黙らせた。


 極上の風貌で視覚をさらう、廻をも上回る長身の美丈夫。


 シグナが推参する。


「他の誰かに曲解されたとして、穢される御養父では無いだろう。

 真なる姿は、君の中に刻まれて居るはず。それでは不満か」

「……申し訳御座いませんでした」

よろしい。

 まずは、伯爵に詫びよ。追って君の師より、処断を受けるが善い」

「承知致しました」


 場を取り上げられたハーネヴェリアが面白い訳もなく、使い古された台詞せりふで主役取り戻すべく声を張るが、格の違いは明らか。

 廻は、シグナの指示に従い退席する。


「勝手な事をするなよ、この〝寝子ねこ重役〟が!」


 静まり返っていた観客も、ハーネヴェリアの一言に反応を波立たせる。


「今の地位を手に入れたのは、その綺麗な顔と身体で手に入れたって話は有名だもんなァ、おい」

「相手から言い寄って来るだけだ。私とて相手は選ぶ。

 その手の噂は私も知る所だが、己の器量もわきまえず、私をおとしめるだけに遣う陳腐な物言いの一つだな。

 もっと私を動揺させてくれ」


 ハーネヴェリアは、鼻白んだ。


「貴族先輩、どこまで愚かなんだ。

 君達も気を付けなよ? あの銀髪の長身は、偉いさんじゃ無くて〝偉いさん〟だからね」


 旋の、内容とは真反対の軽い口調の説明に、青一郎達はどの顔を表せば正解なのかが分からないまま、状況は刻々と過ぎる。

 シグナの独演場に染まりながら。


「君が誇る生まれが、高みの価値があろうと、君程度の誉れと、私が手に入れた居場所と一緒にして貰っては不快だ。

 生命を代償にしようが、尽き底果てる事の無い愉楽を捧げたとして、の隣に立てる機会など得らぬわ」


 八住兄弟を押し退け、今や主演を張るシグナの演目に、楽しげな合いの手を入れる客が現れる。


「おやおや、愉快な舞台ですね。私も混ぜて頂こうかな?」

 

 ロマンスグレーの老紳士が、眼鏡越しに浮かべる聡明な笑みを絶やさず、ねじれた感情が交錯こうさくする惨状へ分け入った。





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