第二節 火と油。




 年令不詳の〝マーレーンの魔女〟は、相手の思いなどかまう事なく、婉然えんぜんと微笑み続ける。


 しかし、今も続く異音が横槍となって気はがれ、年頃の少年でありながら、プリヴェールの言葉に集中出来ないのも事実だった。


「まずは、部長の在純ありすま様」


 整列をしていた訳ではないが、偶然にも近くにいた青一郎せいいちろうに差し出されたのは、深紅の地に、銀の飾りふちの招待状。


 ルブーレンの大貴族、ゲーネファーラのいろどりだ。


「フレク=ラーイン様、お手ずから?」


 このほまれと恐れ多さに、声を出したのはメディンサリだった。


「あら、そんなに身構えないで。

 どうぞ、副部長の柊扇しゅうおう様」

「恐縮ではございますが、何故、我々に?」


 昂ノ介こうのすけと言わず、強化組は知っている。

 大逸だいそれた物を、未成年が受け取った所で無意味に等しい。


 メディンサリならいざ知らず、リュリオンの御曹子と言えども例外ではなかった。

 ルブーレンの社交界事情を知るが故に、不安をつのらせる彼らの心境を置き去り、プリヴェールは次々に招待状を届ける。


「明後日、夫のジルハイン=コーフ=ヘーネデューカが、長期出張から戻りますのよ。

 親族と近い関係者が集まる、小規模な夜会なの。

 どうぞ、火関ほぜき様」

「……痛み入ります」


 礼衣れいが、招待状を受け取る姿を目に入れる、千丸ゆきまるとメディンサリは素早く小声を交わす。


「小規模な訳がないやろが。

 天下のゲーネファーラを支える、次世代を囲う夜会やぞ。

 ワシらが行っても笑われるだけじゃ」

「おれだって、こんな話は祖父からも聞いてないってのッ」

「ご心配なく。

 どうぞ、千丸様。

 メディンサリ様」


 少年達の密談を、しっかり把握はあくして答えるプリヴェールに、かなわないと知りながら千丸が応戦に出る。


「我々が招待されるのは、どう考えても不自然です。

 それに、コーフ=ヘーネデューカ伯爵が戻られるのは、四年後だと祖父より聞きおよんでおります」

「あら、さすがですわね。

 でも、お忘れにならないで。情勢は常に一定ではなくてよ? ゲーネファーラが、招待客を見誤る事はありません。

 はい、蓮蔵はすくら様。

 最後になってしまいましたが、都長つなが様。お気を悪くなさらないでね」

「身に余る栄誉でございます」

「お手ずから、光栄です。お気遣い、ありがとうございます」


 蓮蔵、都長もとどこおる事なく手渡され、一同は安堵感に包まれたが、士紅しぐれへのシグナの説教は、いまだ途切れずに続く。


「あの、プリヴェール様」

「はい。何かしら、在純様」

丹布にふへは、招待状を渡さないのですか?」

「別の用件があるからと、断られたの」

「冗談でしょう!? ゲーネファーラの招待を断るって、あいつ何を考えてるんだよ~」

「あり得ねェ……。おれンなら、最優先で送り出されんのに」


 都長とメディンサリが背中に冷や汗を感じる中、プリヴェールは可笑おかしそうに、今年の夏流行の口紅を乗せる唇を引き、彼らの焦燥しょうそうを拭うために言葉で癒やす。


「士紅に、社交界の常識は通じませんし、縛れませんわ」


 えんで誤魔化されるかと思えば、言いたくても言えない秘密を抱える少女のような可愛かわいい笑顔で、自らの言葉にかすみを掛けた。


 妖艶と幼い清楚を使い分ける女性のみょうを、目の当たりにする者もいれば、意識がれる者もいる。

 その代表格の昂ノ介に、プリヴェールは意地悪く指摘した。


「うふふ。そんなに気になる?」

「……!? 失礼致しました」

「よろしくてよ。異国の言葉で小言。確かに珍しい姿でしょうから」

「う~ん。何をしたんですか? 丹布」


 都長の率直な質問に、翡翠色ひすいいろの瞳を士紅へと一瞥いちべつしたのが区切りか、プリヴェールは判断の上、伝える事実を選ぶ事にした。


「詳しい流れは言えませんが、士紅が貴族と揉めて、わたくしの所に事案が来ましたの」

「うわ……ァ。何やらかしたんだよ、あいつ」


 貴族が、どれ程に面倒な思考と言動で構成されるか、身に染みて実感するメディンサリは、心の声が表にあふれてしまった。


「内容が内容でしたので、シグナ様のお耳に入れたら、このさま

 士紅には、悪い事をしたわ」

「大変な事態になっているのでは? プリヴェール様の所まで話が行ってしまうような貴族と揉めるなんて」

「在純様は、お優しいのね。大丈夫です。

 相手は黙らせましたし、士紅は説教で済みそうですから」


 日傘の下でも、燦然さんぜんとする美女の笑みは、権力を誇るでもなく、持つ範疇はんちゅうによって大切な相手を護り通した明度を宿す。


「そうそう、都長様。

 営業前に招待して下さった新しい保養所、とても心地好かったです。

 裸で過ごす南洋の世界に包まれる体験なんて、素晴らしい発想ですわ。

 宿泊施設の構造も、他の利用者と出会う事もなくて、あの開放感はたまりませんでした。

 今度、『保子よりこ様』に直接お礼をお伝えに参ります。

 まずは、発案者の都長様に、お礼が言えて良かったわ」

「え? いや、その~。

 母に聞かれて、その場で思い付いた事を、考えずに答えてしまったんです。まさか実行するなんて驚いちゃって。

 でも、嬉しいです。開放感って大事だと思いますし」

「そうね。わたくし、日頃の疲れが吹き飛びましたもの。

 また、母や友人を誘って、予約を入れますわ」

「あ、ありがとうございます~!」


 都長の表情に、盛夏の向日葵ひまわりが咲く。


 家業の利益より、利用者の思いに応えられた喜びに満ちる、明るく真っ直ぐで、分け隔てなく照らすいつくしみの笑顔。


 開花した年令相応の表情に、プリヴェールは思わず本音を表現する。


「まあ、素敵な向日葵の笑顔。

 わたくし、男の子なら都長様のような子を産みたいわ」


 夏用の薄い手袋越しだが、プリヴェールの手は都長のふわふわの頭髪に触れ、ヒールも手伝い、女性の割に背が高い目線を、都長に寄せる。


 間近でかおる、プリヴェールだけの色香を感じ、都長は否応いやおうなく、時間を止めて照れてしまう。


 だが、無情な反応が都長に訪れた。


 小さいが、鼻筋が通る奥底で、何かが重力に従って導かれる。


 当の都長が気付いて動く前に、その鼻先を音も無く白い指先でつままれ、難を逃れた。


「ふお? ひふ丹布ひふおはひいつの間に

「間に合って善かった。のぼせたか?」

「おっと、都長君、処置しますね。

 丹布君、そのままでお願いします」


 深歳が、素早く携帯用の救急箱を取り出すと、都長の鼻梁びりょうに貼り薬で冷やし、溜まる血液を処理する。


「都長の鼻粘膜の弱さは、お母さん譲りだな」

「な、何で丹布が知ってんのさ~」

「何年か前に、シグナを見て鼻血を出してられた」

「……嘘でしょ? そんな事があったの?」

「ルブーレンの王立劇場。

 五年前の冬だったな」


 シグナも説教を切り上げ、会話に合流した。


 目上の相手に対し、失態を重ね恐縮する都長が、更に心身が縮む思いに埋没する。

 しかし、徐々に話の内容が変質する兆しを放つのは、明らかな不快を込める貴夫人の声だっだ。


「異様な外圏の大男に驚かれての事でしょうね。

 保子様も、お気の毒に。魔性の容姿も考え物ですわね」

「ゲーネファーラ伯爵家の跡取りとは言え、いささか無礼な物言いでは?」

「あら、そうかしら。

 物欲しそうな目で、士紅を追う貴方の視線こそ穢らわしくてよ。わたくしは、日頃から心労が絶えませんわ」

「勝手な事を言わないで頂こうか。

 姫君の方こそ、士紅に近付き過ぎです。今日も、足だの背中だの露出する衣装で、士紅と言わず、彼らも誘引するつもりでは無いのかね」


 確かに、プリヴェールの服は、正面から見れば白地に、稜線りょうせんも柔らかな膝丈のドレスだが、後ろ姿は山に谷と切り込みが入り、背中や膝裏があらわで、表側よりも目のやり場に困る。


 ここで感心するのが、いやしくも、下品にも見せないプリヴェールの着こなしだった。


「貴方が、九央くおう椿つばきが好きだなんておっしゃるから、大好きだった椿が大嫌いになりましたわ。

 どうして下さるの? わたくしのこの気持ち」

「私の事など、気にされる必要など御座いますまい」

「士紅だけならともかく、貴方の〝椿の紋章〟まで預からねばならない、わたくしの身にもなって下さる?」

「預けて居るのは、ゲーネファーラだが」

「同じ事です」


 過熱する舌戦に、誰も口を挟めなくなった所で、メディンサリが細く整う眉の片方を、ついつい軽く吊り上げた。


 いつぞや、強化組全員によるケータイ機種変更での場面で、〝狼と鈴蘭〟を耳にしたメディンサリが起こした疑問。

 今、話題にげられた、ゲーネファーラ家が預かる〝椿の紋章〟。

 重ねられた、現状の事実をかんがみて導かれる答えは限られる。


 当時のメディンサリに、貴族としての〝丹布士紅〟の名は記憶にはない。

 詰まり、違う名前で貴族としての銘と紋を負う可能性があると言う事だ。

 



 ──士紅さんの血統は、それだけながいのです。メディンサリ様




 先日の千丸邸での茶宴で出会った、九央の翁華おうかの言葉。


 余談だが、後々のちのちに聞いた年令と、嫁も子もいると告げられた時は、下手をすると、少年にも見える翁華の容姿と反する事実に、そこそこの衝撃を受けたメディンサリだったが、抜き出した言葉を付加要因として思い出す。


「丹布だけじゃなく、この銀髪の大男も、そこそこの血統と地位があるって事だよなァ」


 腹の内での仮説を保留にしたのは、野暮な確認を避けるためと、消化の目処めどが立たない、空色の瞳に映る現実。


 やがて、不毛だと気付いた極上の男女の矛先は迷わず一致し、同時に突き付けた相手は、当然の事ながら士紅だった。


「答えて頂戴ちょうだい、士紅」

「君は、私と小娘。

 どちらを深く愛して居る?」


 プリヴェールとシグナと言わず、場面を共有する全員の注視を一身いっしんに浴びる士紅は、一筋の動揺も見せず、ぞんざいに言い放つ。


「甘い菓子と、美味しい紅茶が飲みたいな」


 全く脈絡の無い一言に、周囲は静まり返るが、心得た二つの影が動く。


「お任せなさい。夜会のために、『ヴァッサー』がルブーレンから戻って来ています。

 士紅が大好きな、季節の果実を使った最高のガートを用意してよ?」

「規模が小さいのだよ。

 士紅、そんな物より〝サンローア〟シユニ店に在庫の確認を取り次第、ゲーネファーラの茶葉など足許あしもとにも及ばぬ、カマイアーヴィで最高の時間を約束しよう」


 芸術の範疇を越える男女は、その顔を一つ突き合わせ、翡翠と銀の火花を散らしてらすと、退出の挨拶も短く互いに逆方向へと立ち去った。


「これで、練習に戻れるな。

 行こうか」

「ず、随分、慣れた感じだったね」


 異空間に似た時間から、日常の風景の一端を取り戻してくれた雰囲気すらかもし出す士紅に、青一郎が深呼吸の代わりに話し掛ける。


「仲が悪いんだよ。プリムとシグナ。

 たまに、険悪な会話で盛り上がって居る。

 う~む。これはむしろ、仲が善いと言えるのかな」


 あの剣幕を前にして、仲が善いと感想を言える士紅のズレた感覚に、一同は恐れ入る。


「丹布って、罪作りなんだね」

「私が? プリムとシグナの交渉手段に、巻き込まれて居るだけだよ」

「……本人に自覚がないとは。始末に負えんな」


 部室へ向かう前の青一郎と礼衣の言葉にも、我関せずを貫く士紅の返事は、単に照れ隠しか、かたくなを敷く無神経か。


 手元にある破片だけでは、一枚絵を仕上げて鑑賞するには程遠く、奇妙な人脈を持つ頼もしい仲間には変わりないと、それぞれを胸に、士紅以外の強化組は貴重な招待状を保管するために、部室へと向かった。





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