第三の幕 八重垣は望む
第一節 水と油。
赤い屋根が
時の区切りを告げるのは、今も人の手による鐘打ち。
朝のホームルームが始まる二十分前の鐘の音が、今朝も寸分すら狂わず響く。
歴代の
「あれ? お
「朝練、お疲れ様です」
歩行の妨げにならない位置で、丁寧な一礼を見せた血縁が無い弟の姿を、鮮やかな金色の視界に入れた
「えへへ~、ありがとう。珍しいね、律がこの時間に来るなんて。
……その包み、もしかして、もしかするの!?」
「恐らく、ご想像通りの品です」
「やった! 念願の士紅弁当~!」
惜別の果てに再会した恋人のように、律から受け取った大振りの包みを抱え込む。
「本当に大丈夫なのですか、その量。
六段重ねの弁当なんて聞いた事がありません」
「当たり前じゃない。律も知ってるでしょう~? 僕が大食らいだって事を」
「それは、まぁ、そうなのですが。
こちらは飲み物です」
「ありがとうね。
律も弁当を
「
「そうなの? 士紅も朝練あるはずなのに。ありがたい話だよね」
「……はい」
旋の言い様に、普段は鋭い律の水色の双眸が緩む。
名や姿は違えども、自慢の養父の心遣いに、縁を繋ぐ兄弟は想いを新たに重ねる。
「おお!? 何だよ八住、その包み。この雰囲気と匂いは、もしかしなくても~?」
「わざとらしいんだよ、
自慢の弁当だし!」
「ホントかよ!? 学食代が浮いたぜ。ありがてェ~」
旋と同じ三年の山都が、重箱の包みに向かって両手を合わせて拝んでいる。
「良いんスか? 八住先輩の弁当なのに。山都先輩も、相当食い意地張ってますよ」
一年生の
「八住先輩も、山都先輩も、どこに入るのか不思議なくらい食べますよね」
控え目な声ながら、内容は椛と変わらないのは、律と同じ二年の
「うっせェよ、二人とも!
「だからそれ、八住先輩の弁当っス」
弁当で言い合いが始まりそうな場面に、複数の靴音が寄って来た。
「道を空けろよ下郎どもォ。第一部様のお通りだ」
「生意気に、道なんて通ってんじゃねェよ」
「第二部の小虫の分際で、ボク達の行く手の邪魔をするナヨ」
「あ~? 何か言いたい気分? 聞いてられないけど? 小虫の羽音なんか誰が聞きたいものか」
「散れ、散れ。目障りだ」
連堂のタイトなブレザー制服を着崩し、ルブーレン人の特徴を持つ生徒が口々に渡る悪態は、傲岸な物言いと姿勢に反映され、旋達に絡み付く。
「ああ!? お前ら専用の道でもねェだろうが、クソ貴族が! お前らの方こそ地べたなんざ歩いてないで、ご自慢の自家用ジェットで、空でも飛びやがれってんだ! ついでに、二度と戻って来んな!」
「下層庶民の分際で、知ったつもりの言葉を並べるな!」
「あンだと? コラァ! やろうってのか、この野郎!!」
「や、山都先輩、駄目ですって。
こんな所で揉めたら、恩村部長に迷惑を掛けてしまいます」
見た目そのままの血気盛んな山都が、相手の日常会話程度の挑発に乗り、豪快に噛み付いた。美名持が止めようと試みるも、効果はないに等しい。
代わり映えのない
「おや~? 八住クン、何だい? その包みは。来た時は持ってなかったよね~?」
「そこの似てない弟が持って来たんじゃねェの?」
「へェ、ご大層な包みダネ。小虫の餌しか入ってないんダロ?」
「いいや、危険物かもしれん。
喜べ、我々が調べて……」
「……え?」
貴族部員の集団の中で、ただ一人
悪口雑言を吐いた貴族部員の面々は、悪態ではなく頭上から降り注ぐゴミにまみれた。
「あぁ、悪い悪い。
収集箱が貴族様の頭の上で滑ってしまったよ」
連堂学園用務員の深緑色の制服に身を包み、同じ色の帽子を深く被る競技選手並の長身。
神経を逆撫でする物怖じ無い口調。
予測不可な言動の主役の登場に対する反応は二種類。
呆然と二の句をつげずに、主役を注視する。
問題を起こす知己に、案の定の表情を浮かべる。だった。
「なッ、何をする! この無礼者!」
「その
部屋もまともに使えぬ
恥を知れ、四流貴族」
ゴミを払いながら、非難の応酬を交わす風景に圧倒されながらも、山都は痛快な気分を
「何だよいきなり。
カッコイイじゃんか、この人!」
「か、格好いいかは分かりませんが、着ている物は用務員さんの作業着ですけど、こんなに背が高い人っていましたっけ?」
「皆さん、今の内に戻りましょう」
「お律の言う通り、行くよ!」
「はいッス」
律の音頭に旋が乗り、一同を先導する。渦中を生み出した、親愛なる
これは常識よりも優先させるべき教訓であると、八住兄弟が最初に覚えた生き抜く
「このような事をして、無事で済むと思っているのか!」
「ゴミがなければ生きる事も出来ぬ下男が、我々に口を利くだけでも汚らわしい」
「ならば、私に構わず立ち去れよ。話し掛けて来るのは、そちらの方では無いのか?」
「御託を並べるなんて、生意気ダネ」
「名を言え! 言った瞬間、我が『デンビュラン家』の名において、お前の働き口の全てを奪ってやる!」
「あのな。
そんな事を言われて名乗ると想うのか? もう少し話術を磨けよ。貴族様」
「減らず口をッ」
「その前に、私の仕事を潰す権限があるのは、親御さんの方だろう?」
「同じ事だ」
ひっくり返したゴミを、会話の間に元の箱へ戻し終えたロゼルが、端正な口元を
「発言、勘違いと言い、貴族社会の行く末が楽しみだな。
そもそも、一流の貴族は家名を
相手に名も問う事も無い。
見知らぬ者を引き寄せる真似は、危険以外の何物でも無いと教育を受ける。
お前達、本当に貴族様なのか?」
一人を除き、ゴミを被った面々は、恥辱に顔を紅潮させ、四肢を震わせ憤りを表していた。
「遅刻するなよ、貴族様。今度会うまでに、部屋を使えるようになったら名乗ってやるよ。
どこの粗野な子供だ。一流の貴族は、何を遣っても一流だし、散乱した部屋など持たぬよ。
我々のような清掃員が入らずともな」
言葉も出なくなった貴族一色で構成された、連堂学園中等部・男子公式庭球部の第一部の面々は、長身の用務員の後ろ姿が見えなくなるまで動けなかった。
「どこまでもバカにしやがって! 絶対に何者か調べて、地の世界に叩き落としてやる……ッ」
「帽子を
あの身長に、髪を青く染めてる奴なんて目立つから、今日中に見付かるだろ」
「ズタボロになって、我々に許しを請うだろうネ。今から楽シミ」
「あ、そうだ~。ミスクリージ動かして、殺して
『エインドーラ』が言えば、やってくれるよな?」
「……む、無理だよそんな事」
名指しを受けた少年は、簡単に恐ろしい事を口にしてしまう仲間に反論しようとするが、いつもと変わらず、誰も取り合わない。
「はァ~? 流れを止めるような言い方すんなよ。詰まんねェな。
ゲーネファーラか、グリーシクに泣きつけば良い話なんじゃねェの!?」
名ばかりの仲間に置き去られたエインドーラは、
「ボクは、大好きな庭球がやりたいだけなのに。
キミ達は凄いよ。
どんな魔法を遣って、蒼海の悪習を断ち切ったの? 教えてよ、昂ノ介。
僕は、一体どうしたら……」
我慢していたエインドーラの気持ちは、建て前の堤防を越え、涙となって決壊した。
○●○
同日の放課後。
セツトの蒼海学院中等科の屋外硬式庭球場には、全国大会を目指すため、次に控える最後の砦・ケイウ州大会へ向け、強化組ばかりではなく支える部員、同じ敷地の女子部や、他の部活動も張りのある声を鼓舞として、若い身体を躍動させ練習に汗を流している。
「ほらほら、皆どうしたんだい? 顎が上がっている、ぞッ!」
「誰が上がるか!」
部長の
「……む?
「そんな訳には行かんじゃろが。ほれ、見てみんかい」
額に張り付く、腰がある黒髪を手の甲で押しのけながら、
そこには、幻想の住民が浮き世に現れる奇跡の風景があった。
筆舌に尽くし
瞬間を、一枚の絵画に留めるには、いささかの問題がある。限り無く賛美を送り続けるべき表情が食い違い、調和を乱して居た。
金髪美女は婉然の笑みを。
銀髪美男は硬質な不満を浮かべる。
その不協和音の焦点は、
非日常の競演は、周囲の気を引き、手に着かない現象へと波及した。
「フ、フレク=ラーイン様、何のご用件なんだろう。
おれ、特に問題行動は、やらかしてねェはずなんだけど」
地元の名士だけに、つい
「後ろ暗くないのなら、堂々とすれば良いのです」
「プリヴェール様って、本当に女神様だよな~。
憧れちゃうよね~」
「誰が手を止めろと言った! 練習に戻れ!!」
結局、青一郎に引導を渡され負けた昂ノ介は、その憤りを添えて語気を荒げてしまうが、防護柵越しまで近付いた美男美女に、お手上げ状態の青一郎は、少々早い休憩を練習場に伝えた。
「御一同、練習中に申し訳無い。この問題児に用がある」
「私が? 何かの冗談だろう」
顧問兼監督の
やがて、シグナが手にする黒いファイルで頭を叩かれた。
明らかに、士紅はシグナから説教を食らって居た。
「はい、皆様は
桃色の日傘の柄を器用に支え、深歳の真似なのか、掌を一つ打ってプリヴェールが強化組の意識を集めた。
「全国大会の準備で、お忙しい中とても心苦しいのですが、一夜だけ
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