第十二節 殺し続けた、祈求が届く先。




 


 ──……さん! しっかりしてよ!




 切り取られた白い風景の中。特別な祭祀のために用意された、白い式服姿の幼子おさなごが、同じ形の式服を着込む大人に縋り付き、取り乱す。




 ──……己……さん! どうして、どうしてこんな事に!




 幼子は、感情のまま乱暴に取り付く。仰向あおむき、起き上がらない塊を揺さぶる。




 ──ねェ、目を開けてよ。波己なき伯父おじさん!




 可愛い黒い瞳から、流れては生み出される温かい涙。穏やかで優しい幼子の思いを移し取るぬくもりは、式服や、生前の男振りも無残な形相で、事切れた肌がさらった。




 ○●○




 士紅の領域に、容赦せず注ぐ触れざる祈求ききゅうは、その視野を奪い、空間や次元の均衡感覚を撹乱かくらんした。


 士紅は、地に倒れ込む事を拒絶するために、意識を確立し、平常を再構築する事を即座に強いられる。

 一見すると、軽い貧血にあらう雰囲気だが、士紅にとって、心底不本意な状況だった。


「丹布! しっかりして! おれの声が分かるかい!?」


 白い手は、自覚せず誇る端正なかんばせを覆い隠し、無言で俯く士紅の形容。

 士紅の異変に、平静を乱す青一郎の声に引かれ、昂ノ介が駆け寄る。


「どうしよう、丹布……、丹布が」

「落ち着け、青一郎ッ」

「……ったから、大丈夫」

「え? 丹布……、何?」


 両手に一本ずつ、ある物を用意して近寄る礼衣が、情報交換の余地がある昂ノ介に話し掛けた。


「……意識障害か?」

「分からん。熱中症の疑いもある」

「……取りえず、天然水と電解質飲料を持って来た」

「用意が良いな、助かった。丹布、分かるか? 水だ」


 士紅には、余裕が無かった。今は水分より先に、対処すべき根元へと、声を絞り出す。


「判ったから、……と」

「丹布?」

「音を……、消してくれ……っ」

「丹布、何の事なの? 分からない。分からないよ。おれは、どうしたら良いんだ?」


 青一郎の言葉を受け、士紅は覆っていた方の右手を、緩慢に動かした。


 白い手は、士紅を気遣いくうを迷う青一郎の右手を、力強く一気に握り締める。


 支えが欲しくて掴まれたと思った青一郎は、士紅の身体そのものを支えるため、一歩を踏み出すが、く方の白い手にさえぎられた。


「……っはぁ~。苦手だ。やはり、柄じゃ無い」

「……丹布、水と電解質飲料だ。飲めるか」

「水をくれ」


 言うと同時に、改めて問い掛けた礼衣が持つ、天然水の使い捨てボトルをかすめ取り、封を開け頭の上で反転させる。


 半分を浴び、半分を飲み干した。水もしたたい男と評したいが、重く張り付き濃くなった岩群青いわぐんじょうが、容を隠してしまい、不審者に近い。


「……大丈夫、なのか?」

「っははは。下し過ぎて、水分不足になったみたいだ」

「何だ何だ、また一騒ひとさわぎか? 今度は、誰の親が来たんだ?」


 メディンサリの音頭を皮切りに、強化組や、付近の部員達の首が向き、士紅の周辺は渦中となった。


「これは面倒だ」


 整い過ぎる士紅の口元が、言葉とは逆に愉快ゆかいえがき、一つ、白い手で打ち鳴らす。


 曇天の薄暗さと、湿度に濁った空気を走る、音の祓い。


「あ……れ? 何してたんだっけ」

「……青一郎が、呼び付けたのか?」

「思い出せんな。もう良い、練習に戻る。

 メディンサリ! 球を零し過ぎだ! 気を抜くな!」

「えェ!? おれかよ!?」


 一拍の余韻が、一帯に鎮められた頃。士紅も、士紅の失態も消えて失せた。


 ご丁寧に、違和感が残らないよう、礼衣の片手に残っていた、電解質飲料の使い捨てボトルも回収した。




 ○●○




「定刻の操作終了を確認。隊長に御報告。

 ……ん?」


 時折の、澄明な金属音が奏でる白の空間に、座るための純白の調度品に重量が掛かる摩擦音が立つ。


「隊長!」

「水と拭く物を、お持ち致します」


 シユニ区を席巻する、モルヤン・グランツァーク財団本社屋。招く相手が厳選される、秘密の小部屋。

 急に現れた主に、疑問を投じる無粋もはぶき、ヴァイレルドとパルセフィアが動く。


「悪い。ロ=ミアラーレに入る時間まで休ませてくれ」

「異存は御座いません。強化組の方々の移送準備の申し送りは、お任せ下さい」

「頼むよ」


 ヴァイレルドの報告に対し、声だけは平素と変わらず応える士紅。

 外見からは想像を絶する現実に、パルセフィアの双眸に広がる南海の沖色は、気遣いと憂いが差す。

 判って居ながら、話しの流れを堰止せきとめる。


「膝枕に、なりましょうか?」

「今は、大丈夫。仕事して」


 先に差し出された、フカフカのタオルは素直に受け取ったが、パルセフィアの予想通り、士紅は提案を退しりぞけた。


 気を改めたパルセフィアが、銀製の盆に、水が満たされる境界も危うい程のグラスを乗せ、適切な位置と距離を保ち、一言を添え無二の主に差し出す。


「他に、御要望は御座いますか」

「グラーエン財団の、白妙の御大・シュレイフラルツ=グラーエンを、一日も早く呼び寄せて欲しい。

 今、想い付くのは、それだけだ」

「承知致しました」


 渡された水に、口を付けると落ち着いた士紅は、座り直し両の手で包んだグラスに、似紅にせべにを落とした。


「凄いよ。在純青一郎。抱えるが深い。気付きが無い分、厄介だ。

 一応、祓って封はほどこした。経過を観測する」


 零れる声は、独白に似た音量。それぞれに作業に従事しながら、管制塔の三名は一言一句を記憶領域へと、確実に沈める。


「在純青一郎には、波己と言う伯父が居た。在純慶香の兄だよ。

 十年前、祭祀の最中に狂い死んだ。苦悶に歪む伯父の亡骸に、幼い在純青一郎が縋り付いて居た」

「御役所には、死亡届以前に、出生届も提出されて居りやせんね。

 は~……ん、はいはい。改竄かいざんの痕跡がありやす。認証が、火関の管轄ですわ」


 易々と国家管理基準の情報庫へ侵入し、特定情報を覗き見るオルガゼルフが、手持ちの走り書きでも読み上げる感覚で報告する。


「さすが、リュリオンの首都を冠する、リュリオン最大の情報網管理企業の守護者・通信社ですなぁ。

 お坊ちゃまも、将来有望でやすね。隊長を逃がす期を得るため、在純慶香社長の、位置情報を追うなんて」


 仲間を褒められ、士紅は悪い気分では無い。慶香の会談相手の予定を差し替えたのは、作戦を開始して居た、オルガゼルフだった。


「おんや?」

「静かになさい。今し方、お休みになりました」

「……隊長ってば、準備して、無理して、心底頑張っちまったんですな~ぁ」

「言うんじゃねぇよ。沈黙こそ美学を打ち立てる隊長の御心を無碍むげにするのか」

「わざわざくちにする貴方こそ、台無しにして居るではありませんか。ヴァイレルド」


 突然、深く寝入った士紅に、管制塔達の軽口は幸いにも届く事は無かった。

 睡眠。と言うよりは、引きずられる。と言える士紅の代償行動だいしょうこうどうは、少なからず、管制塔達に不安の二文字をぎらせた。




 ○●○




 等しく撒かれる、雨粒の恵み。それは細かく霧雨で、鈍色の空を水を含んだ天幕で隔てる。


 臨海商業区シユニ。数ある高層建造物の一つ。化粧石で整えられ開けた敷地。

 過密を思わせ、広い歩道で建物の圧迫感を、荘厳へと魅せる直方体の白亜の施設・ロ=ミアラーレ。


 実験・研究目的よりも、高級保養所で心身を癒やす要因が強い印象を受ける。


 ロ=ミアラーレに到着し、簡素ながら機能美に溢れる待合室の一角で、モルヤン有数の御曹子達は、くつろぎながらも、隙のない観察眼を発動していた。


「遅かったのォ、丹布。迷子にならんで何よりじゃ」


 壁代わりアクアリウムは、電子が見せる幻想。その向こうに反映される見慣れた仲間の陰影に、千丸の眠気眼が捕まえた。


「せっかく、職員さんが迎えに来てくれたのに~。学校で行方不明になるって、どう言う事~?」

「レールで説明を書き込んでくれてたけど、皆、心配してたんだよ」


 素直な都長と、気心が優しい青一郎が次々に声を重ねる。


 気を利かせたオルガゼルフが流した、ケータイの仲間内で設定した交流機能のお陰で、無難な言い訳が成立する現状に、士紅は安堵した。


「悪かったな。本当に急な用事だったんだ。

 施設の説明、もう受けたのか」

「はい。皆さん、とても親切に案内して下さいました。夕食も頂きましたよ。

 丹布君は、お腹は大丈夫ですか? 具合が悪かったようですが」


 紳士な蓮蔵が輪を掛けて心配し、眼鏡の奥を曇らせる。


「うん。平気。ありがとう」


 蓮蔵の言葉に連なり、昂ノ介と礼衣も注意深く士紅を観察した。一同と変わらず、部活動の汗を流し終え、真新しい施設着に様子を確認し、ようやく一息を吐いていた。





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