第七節 生命の糧。




 数日後。蒼海学院中等科の一角、男子硬式庭球部の屋外練習場。

 州大会への姿勢も正し、部員達の集中力は若さも手伝い、研ぎ澄まされる一方だった。


「何度も言わせるな! 処理する脚が逆だ。怪我をしたいのか!」

「す、すみませんッ」

「謝る相手が違う!」

「はい……ッ」


 息も乱さず、士紅は怒声と同時に蓮蔵の陣地へ、仕留しとめのスマッシュを決めた。

 相変わらずえぐる厳しさと、的確な気遣いに千丸が他人事じみて軽口を乗せる。


「柊扇もこエェが、丹布もやのゥ」

「……良いのか? あの二人は揃って耳も鋭いぞ」


 近頃は、余計な一言を滑らせる癖が付きつつある千丸の変化に、注意を向ける礼衣。その言葉のはしで、士紅がコートから戻って来た。


「うん。……分かった、心配しないで。確かに伝えるから」


 脈絡のない話し声に、意識が誘われた士紅は、近くの礼衣と千丸に想った事を語る。


「珍しいな。在純が通話中とはね」

「誰かさんは、いつも、電話中って、感じやけどな」


 千丸は手首、足首に重りを装着し、ゆっくりと負荷を掛け、筋力作りの課題を果たす。言葉の打診で、士紅の反応をあおる。

 痛い所をくすぐられ、士紅の短い笑い声が返って来た。


「丹布。どうも、ありがとう」

「どう致しまして」


 通話を終えた在純が、突然、士紅へ頭を垂れ、礼を告げる。

 士紅も、間を置かず礼に応えた。


「……どうした、青一郎。前置きもなく、礼などと。

 丹布も、心当たりがあるのか?」

「一切、わからん」


 潔過いさぎよすぎる、青一郎と士紅のやり取りに、千丸も呆れ気味に閉口する。


「さっきの電話、妹からなんだ」

「そうか。元気か?」

「調子も良くて、プリヴェール様に、水族館へ連れて行って貰ったり。

 夜会用のドレスを、作って頂いたり。しかも、プリヴェール様と同じ生地で」

「成る程ね」

「聞くと、プリヴェール様と出掛けるのは、今回だけじゃないんだ。

 改めて、お礼が言いたいんだけど、相手が相手だし、連絡先をたずねられずに困っていたんだよ」


 青一郎が話す内容に、礼衣と千丸は思わず視線を合わせ、驚きを共有した。

 そんな中、遠慮する理由を察した士紅は、事情と解決策を提案する。


「プリムは、特殊な警護体制下に居る。簡単に、居場所や連絡先を伝えられ無いんだ。

 栖磨子さんの想いは、僭越ながら私が伝えるよ。気遣い、ありがとう」

「……そんな、おれ達の方こそ、不躾ぶしつけで申し訳ないなって。……思って」


 青一郎の語気の失速に、礼衣が思う節を割り出す。実行に移すため、無言の目配せで千丸を連れ立ち、場を外そうとした。


「あ、大丈夫だよ。聞かれてもまずい話しじゃないから」


 この辺りは、青一郎の方が上手うわてだった。人の機微きびには、幼い頃から敏感な理由を知る礼衣は、それが不憫でならない。


 青一郎が思いを整え、心配事を並べる寸前、士紅の方から語り掛けて来た。


「迷惑なら、止めさせる。栖磨子さんの調子が善いとは言え、具合が心配だろう」


 心の荷を一つ、担いでくれたと感じた青一郎は、ありがたく受け止める。お陰で、もう一つの事案を乗せる手札を切る事が出来た。


「それは、平気。ありがとう。

 妹は、家から出る機会もない。友達もいない。おれは男だから、女の子が満足する付き合いも出来なかった。

 だから、プリヴェール様と出掛けた日、栖磨子は嬉しそうに話してくれる。本当に、感謝しているんだ」

「判った。その事も、きちんと伝えるよ」

「恩に着る。でも、プリヴェール様は、どうして妹に良くして下さるのかな。

 何だか、申し訳なくて」


 青一郎の危惧は、もっともだ。歳の差も、経験も不釣り合いだと、気後れするのも不思議ではない。

 青一郎と言わず、この場に居合わせた礼衣と千丸も期待する解答を持つはずの、士紅の対応を待つ。


「夢の続き。……かな」


 青一郎を筆頭に、似紅にせべにらした、士紅の言い回しの妙に引き込まれる。


「プリムには、不治の病を抱えて生まれた親友が

 原因も、治療法も不明。プリムが持つ総てを費やしても、親友の病は一度も癒える事は無かった」


 プリヴェールの略歴は、世間に浸透する。しかし、彼らにとっては初耳の事情に、士紅への注目は深まるばかりだ。


「親友を失う数年前。プリムは、私に泣き付いた。

 ロスカーリアには、あらゆる病を治す〝魔法〟が存在する。

 何でも望みを叶えてくれる、〝魔法遣い〟も居る」

「……では、プリヴェール様の親友は、助かったのか?」


 不相応とは自覚しながら、礼衣は好奇心を満たさずにはいられなかった。先述の士紅の口振りからして、結果は予想出来る。むしろ、確認に近い。


「病なら、治癒も叶った。

 世の中には、摂理・法・秩序を超える領域が、必ず存在する。

 相手が誰であれ、叶わぬものは叶わ無いんだよ」


 無情にも、切り捨てる士紅の言いぐさに、穏やかな黒い視線を落としていた青一郎が、その顔を上げた。

 そこには珍しく、腹底におさえる憤然を瞳に宿す表情を、士紅へと向ける。


「じゃあ、死んで当然の人は、生きたいと願っても無駄だって言うの? 抵抗もせずに諦めて、犠牲になれって言うのか!?」


 どこか、根幹で繋がる話しを交わす青一郎と士紅の間に、耳慣れ無い音が渡る。

 封じ損ねた感情の息が、士紅の整い過ぎる口元から漏れた。あろう事か、嘲笑にも取れる。

 不本意だったのか、士紅は弁解するために、息吹に声を込めた。


「悪かった。適当では無い態度だな。

 在純。今朝は何を食べた? まさか、ヒトは食わ無いだろうが、絶えた生命をかてとしたはずだ」


 青一郎を含め、礼衣も千丸も、異質な食事の姿を表現する士紅に、それぞれの思いを浮かべて見据える。


「ヒトだけでは無い。生命は、他の生命の糧となり、次代へと繋がる。

 死とは、次に繋がる始まり。何が悲しいんだ」


 士紅の着眼点に、意識が塗り換えられる悪寒を、彼らは血流に感じる。

 夕暮れの訪れを、肌で感じた訳ではない。


「それとも、在純は永劫えいごうに生きるつもりか?」

「無理だよ。そんなの」

「生まれ落ちれば、死ぬのは必至。死をいたむ想いは、当然尊い。

 えんを持って生まれる事こそ大変だ。生まれなければ、こんな風に話せ無いし、世界の境界を知る事も無い。

 プリムの親友は死んだが、こうして、生きる者を縁で繋いでくれた。

 毎日毎日、繋いでくれるのは、誰かの生命。貰い受けた時間を、大切に生きる必要がある。

 それを犠牲と呼んでしまっては、失礼では無いのかな」


 青一郎の蓋を開けた思いに、士紅が小さく笑った理由が分かった。


「どうして、丹布は女の子じゃないんだろう。オレは男に生まれてしまったのかな。

 違ったら、おれは必ず君を選んだのに。丹布が、誰であろうとね」


 練習場に宿る熱気を、抱え去るように、陽の傾きを告げる風が抜ける。それは、青一郎が士紅に対する信頼と、この先、変えようのない確固たる心情をも乗せていた。


 相手を傷付け潰して、掴む欲望からではなく。あくまでも、そばにあり続けたいと願う、青一郎のすいなる思い。


「そうだな」


 士紅も、いつもの無表情を端正なかんばせに張り付かせ、冗談とも本気とも判別が付か無い返事をする。


「そんな生き方も、あったはずなのにな」


 青一郎と士紅の間に、不可解な垣根が構築されてしまい、礼衣と千丸は対処にきゅうしていた。

 そこへ、通り掛かる昂ノ介と都長が、空気の違いに引き寄せられる。


「何これ、どうしたの~? 結構、神妙な雰囲気なんだけど」

「……青一郎が、丹布に告白をしていた」

「またか」

「肝が座っとるのォ。驚かんのかい、柊扇も」


 千丸の一言で、場は不確かな気配が散り、雑談に転じる。


「……それにしても、丹布の視点は変わっているな。悪い意味ではなく」


「私も、変わったから得た感想だよ。

 これでも、昔は無口だった。しかし、ヒトと関わる中で、影響を受けた。

 会うヒトも大きく分けると三種類かな。

 変わろうとする人。変わりたくても変えられ無い人。変わら無い人。

 状況や環境にもよる。善し悪とは違う。その行き先は左右されるから、興味深い」

「おれも、変われるのかな」


 不意に、青一郎が呟いた。意識した今は、気拙きまずい表情で、打ち消しを試みた。


「どんな風に変わるのか、我々で観察してやるよ」


 士紅が言えば、一同が顔を見合わせ、その面相をほころばせる。


「おォ~い、もう片付けようォぜ~!」


 離れた位置から、メディンサリが忘れるなとばかりに、ようやく息が整った蓮蔵を脇に据え、んでいた。





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