第二一節 お兄ちゃんのプディング。




在純少年ありすましょうねん

 その続きを、お兄ちゃんの眼の前で、出来るのかな?」


 青一郎せいいちろうと、士紅しぐれの動向に、集中していた事もある。


 士紅を挟んだ向こう側で、青一郎と視線の位置を合わせ、背中を丸めてかがむ姿勢の、見知らぬ青年が居た。


 それも、いつの間にか。


 突然の変化に追い付けず、混乱しようにも、場所を同じくしていたはずの強化組の面々が、全く違和感に触れる事が出来なかった。


 金髪紫眼の大層、眉目秀麗な青年が、最初からその場所に居た事実さえ、領域に浸潤しんじゅんする錯覚がある。


「えっと。〝お兄ちゃん〟と仰いますと、もしかして……」

「士紅ちゃんの美形のお兄ちゃん、景彩十かげあやと いぶきだ。

 よろしくな、在純君」


 歯車に砂粒が噛んだ思考を必死に動かし、事態に辿り着いた結果を口にした青一郎の返答を受け、少々癖の強い黒髪を頭ごと、吹は掴む。

 青一郎の、可愛い顔を引き上げた吹の笑顔は、紅蓮地獄から召喚した、極寒の冷気をまとう。


「なあ、在純君。それ以上はまずいよなぁ。

 男子が、無抵抗の相手の寝込みを襲うのは、頂け無いと想うよ。

 しかも、その相手は俺達の大事な大事な、大っっっ事な士紅ちゃんだ。

 〝キズモノ〟にされちゃ困るんだ。

 判るか? 普通に無ぇよ! 特に士紅ちゃんは、駄目に決まってんだろうが。

 少し考えりゃ判るだろ。その若さで、道をはずそうとしてんじゃ無ぇぞ!」

「他人様の御子息を、恫喝どうかつするな」


 中学生相手にすごむ吹の首を後ろから、すくい抱えて立たせたのは、リュリオンの特徴とは隔絶する黒髪黒眼の色彩を宿し、堅忍果決けんにんかけつの言葉に、一点物のダークスーツを着せた、かなり端正な風貌の長身の青年だった。


「驚かせて悪かった。

 お詫びと言っては何だが、差し入れだ。

 強化組の分しか用意する事が出来ず、心苦しい限りだ」


 重役よりも、管理職の雰囲気が強いスーツ姿の青年が、肩から掛ける保冷鞄を強化組に見せ、自己紹介に移った。


「俺は、長兄のはじめ

 平素より、士紅が世話になる以上に、迷惑を掛けて居る。本当に申し訳無い。

 加えて、ありがとう」


 春は中学生達に向け、謝意と感謝を込め丁寧に一礼を示す。

 慌てた青一郎を筆頭に、残る強化組が礼を返す。


 礼節によって落ち着いた一同は、ようやく士紅の事を思い出した。

 その様子に意識を戻し、ベンチを見る。


 既に姿は無いばかりか、数歩離れた場所で、吹の熱烈な抱擁ほうように見舞われて居た。


 先程の青一郎への説き伏せが、瓦解がかいする風景は、先日の桐子とうこによる、ご挨拶を無抵抗で受けた士紅の姿に、既視感で溢れる一同は、唖然と見守るしか出来ずにいる。


「在純君。部活の時間だが、士紅を貸してもらう。

 差し入れは、士紅に任せるので安心して欲しい。

 吹、士紅を解放してこちらに寄越よこせ」


 春の言葉に、誰も〝否〟とは言える者は居らず、強化組は集まり出す部員達と行動を開始し、景彩十兄弟は防護柵の外へと移動した。




 ○●○




 全国への可能性に、庭球部の屋外練習場の周辺は、見学の生徒や偵察の他校生が目立つ中、景彩十兄弟は異分子以外の何者でも無かった。


 目立つのでは無く、際立きわだちが過ぎて居る。


「今からでも遅くありません。早く戻って下さい。

 こんな人目の直中ただなかに姿を現すなんて……」

「〝私の苦労を返して下さい〟と? 貞操の危機に気付かぬ程に、迂闊うかつな隙を生み出しておいて」

「このような所で、貞操も何も関係無いでしょうに」

「それに、監視・観測機構の総ては、管制塔の指揮下にある。

 我々の姿や音声は、それらに干渉する事は無いし、名乗った所で彼らの記憶には残る事も無い」

「この場所は、何が起きても不思議ではありません。不用意な行動は控えて下さい」


 士紅の似紅にせべにの視線が警告を含み、春の黒羽色の双眸を刺す。


「お前の行いを、踏みにじる気は毛頭無い。

 伝えるべき話があったからだ。

 お前の言動、真摯たる姿は、老獪な旧界域の最大権威を動かした。

 《沈黙と不動の暁・フェルグンレス》が、の動きを隠れみのに蠢動し始めた《公正》の一部の抑止、がグラーエン財団から引き抜いた〝限界数式〟の行方を追うための支援を申し出た。

 よって、このモルヤンは今、《人界》の中で最も安全な場所の一つだ。

 常にとは言えぬが、我々も居る。管制塔、〝メル〟も控えて居る。遠慮せず、あの仲間と楽しめば善い」


 想いも寄らぬ春の報告にも、士紅は驚きを表す事は無かった。


 その面差おもざしは硬質で、曇った硝子がらすに通じる、晴れ間も見え無い、想いの内を浮かべる。


「私に、真摯な部分などありません。ヒトの意思の強さを利用して、死地に送り出し、奈落ならくへ突きとしただけです。

 かの《界域》を動かしたのは、私の理不尽な指示に、総てを擦り減らし応えてくれる〝群狼ぐんろう〟や、グラーエンの〝分室ぶんしつ〟。

 彼らを支える方々です」

「その程度、ヒトは自責し、ごうを負うべきだ。

 お前が、おのれの発した言葉でけがれる必要など何処どこにも無い。

 当然、非はにある。

 だが、生命の殻を逸脱しようと堕ちたのは、極々ごくごく一握ひとにぎりの《人界》のほうなのだからな」


 気に病む事は無いと言われようと、士紅は常に持つ沈憂ちんゆうを露わにする。


 本当は卑屈で、事象じしょうに関わりを持つなど億劫で仕方が無く、ひなたの匂いが立つ、もこもこの布団に身体も心も包まれて眠り続けたい怠惰の者。

 士紅は、己の性根を心得て居る。


 だが、選択した道は、真逆の性根を要求される、いばらを超えた阻絶そぜつの境界。


「私は、我が儘な子供です。春さん達の、皆々様の庇護が無ければ、決して赦されぬ存在です。

 なのに、私は御盾にもなれませんでした」


 言うべき私情を歯の裏で止め、唾棄すべき悲憤と激昂を、無いはずの肚の底に叩き込む。


 そんな世界と境界を護ると立ち尽くす士紅が、選択した理由の一端を知る者として、士紅の前に立つ春は、綺麗で大きな手を量も豊かな岩群青いわぐんじょうの頭髪に差し込み、想い余って乱暴に撫で回すと、自身の黒羽色の視線と合わせる位置に、端正さが似通う顔を向け合わせた。


「どうした士紅。

 お前が決めた渇望する姿で居られなくなるなら、折れる必要は何処にも無い。

 信念を貫け。

 俺達は、いくらでも支えてやる。元より、お互い様だ。

 気にするな。俺達は、そんな士紅が大好きだし、愛して居る」


 士紅の乱れた岩群青に、春の整い過ぎる唇が一つ落ちた。


「……な、何するんですか。春さん」

「ん? 大切なに変な虫が寄り付かぬ〝魔法〟だ。正直、常に張り付きたい所なのだが」

「あ……。春兄ちゃんずるいぞ! 俺も士紅ちゃんと〝チュッチュ〟したい!」


 周囲を警戒する吹が、竜胆りんどう色の視界に入れた風景を指摘する声は善く通り、払って居たはずの雑多な視線を収束させた。


 その中には強化組を含めた庭球部員も多く、居たたまれず士紅は春の大きな手から脱出し、吹の要求を背でさえぎって部活動に参加したのだが。


「……遅くなって、悪かった」

「平気だって。

 仲良くしてる所を邪魔するなんて、野暮ってもんだし」

「見た感じ恐くて、堅そうな人が、髪に〝チュッ〟って意外だったよな~」

「見えて居たのか?」

「偶然やったがのォ」

「……ほォ、お前でも照れる事があるのだな。顔が赤いぞ」

「陽射しのせいだ。……もう、見るんじゃ無い。

 見るな見るなっ」

「あははッ! 照れる事ないじゃない」

「あんな接し方をする兄じゃ無いから、想い切り油断した」

「金髪のかたも情熱的だったな。丹布の国では、あれが普通なのか?」

「そんな訳が無いだろう。特殊例だ」

「特殊かもしれませんが、兄弟の仲が良いのは素敵ですね」


 散々、仲間達から先程の情景を茶化され、士紅には珍しく焦る表情が浮かび、恥入る色に染め上げられた。




 ○○○




 椅子が一脚。そこに影は伸びない。影すらも主に呑み込まれる、主のみに赦される世界。


 椅子が一脚。そこには子供が腰を掛ける。床と見立てる平面に、その影は伸びない。子供は、この世界の唯一の主だった。


「ふぅん。そんなだったんだ。

 きみとは、がながいけど、はじめてみた。

 のなかで、いちばんさいしょに〝うつわ〟におちた、そのすがたをね」


 空間を介さず、子供が発する意図は正確に相手の領域へ届く。


「どうでも善い。早々に戻りたい」

「だめだよ。

 ぼくは、いちばんふるい、こきゃくだよ。

 かってに、もんをとじて、きえるなんて、おかしいとおもわないの?」

「想わぬよ」


 子供の輪郭は時折り虹色が走り、ともすれば透ける。


 彤十郎とうじゅうろうの色も白に透けた。


 ここでは空間の主によって形骸けいがいすら残さず、総て奪われ続ける世界。

 そこに在って、存在と、発して伝達する意識と〝器章〟を保てるのは、接見に見合う条件を満たして居ると言えた。


「そんなに、いま、いっしょにいるは、おもしろいの?」

「少なくとも、御主よりも、私が生み出す品々が善く似合う」

「あのは、ぼくがつくったよりもゆうしゅうだ。

 せっかく、しこうの〝むすびて〟のがあったのに。

 どうして〝つかいて〟なんかに、しばったのさ」

「お前が、そうやって欲望のために利用するからだ。

 もう、あの頃の〝法と秩序〟は存在せぬ」

「へぇ。これがというやつか、おもしろいなぁ。

 おもしろいといえば、いつのまにかいなくなった、イ=セースがもどってきて、きみまであいにきて、こんがんがみられるなんてねぇ。

 ながく、ときをかさねてみるものだよ」


 子供は、微動だにせず意志を席巻させた。

 愉快そうだが、込められる歪みは彤十琅に不快感を押し付ける。


「そうそう、〝アト=グロリネス〟はどこ? あいたくなったよ」

「《人界》の感覚で、かなり昔に消失したと聞いた」

「つまらない。

 たのしそうな〝おもちゃ〟を、たくさんもっていたのに。

 ああ、そうか。それをさがしているんだね。は。

 ……でさぁ。きみといっしょにいるを、はやくつれてきて。

 ぼくは、うごけないんだからさぁ」

「御主に会わせるつもりなど無いし、あやつも会う気など起こさぬよ。諦めろ」

「あ~ぁ。おこらせちゃったか。

 しかたないや。でも、きにいっちゃったから、やくそくは、まもる。

 ぼくが、もっている、すきにつかいなよ」

「……一応、伝えておく」


 彤十琅は、透けて消え去った。


 世界の主の引き留めから、解放された証しでもある。


 《沈黙と不動の暁・フェルグンレス》の主から。




 ○●○




「美味い! このプディング絶品だよ~。

 千丸のお茶会で出た羊羹ようかんと、今、おれの中で決勝戦」

「あれな、実は祖父さんが作ったんじゃ」

「嘘だろ!?」

「祖父さん、家事が得意での、婿養子に入らんかったら、食いもん屋をしたかったんやと」

「……事実とは、読み切れない」

「丹布の、お兄さんも凄いね。料理人じゃないんでしょう?」

「管理職だよ」


 部活も終わり、冷蔵庫で食べ頃のプディングに、舌も肥える強化組は揃って舌鼓と感想を言い合う。


「この間、丹布が作って来てくれたお菓子も、お兄さんに教えて貰ったの?」

「あれは専門家の手解てほどき。

 そうだなぁ、基本的な家事は、兄が教えてくれたよ」

「良いなァ、お兄さん。

 兄弟が多いとか、お兄さんお姉さんって憧れるよ。

 もちろん、妹は可愛いけどね」


 青一郎が、今まで他言しなかった妹・栖磨子すまこに触れる会話を発した事に、昂ノ介と礼衣は目配せで驚きを共有する。


「在純、妹がいたのか~。知らなかった~」

「身体が弱くて、表に出られないから、あまり知られていないんだ」

「そうでしたか。お大事になさって下さい」

「うん、ありがとう。

 栖磨子に伝えておくよ」


 案の定、仲間は青一郎の妹の存在を知らず、都長や蓮蔵を中心に、踏み込みを加減した会話が重なる。


「……どうした、メディンサリ。容器が気になるのか?」

「おいおいおい。こんなの、どっから持って来たんだよ。シシュトーヴ王朝の『ヴァダン工房』の器じゃねェか」

「お? 青い蝶の刻印や。間違いないのォ」

「これは、マーレーンの大貴族の城か、歴史も深い博物館にある代物だぞ」

「盗品を持って来る兄では無いし、使った方が器も嬉しいと想う」


 器を凝視するメディンサリの言葉を余所よそに、士紅は内心で頭を抱えて居た。


 士紅は、この陶器に見覚えがある。


 長兄の春は、後見人である伯爵に会い、居城の厨房で調理し、借りた容器にプディングを流し込んだと言う事後報告を示していた。




 ●○●




 シユニのグランツァーク本社屋内の吹き抜けの一角。


 清掃作業員の白い制服姿のロゼルが、命綱一本で高所の窓拭きにいそしむ中、数階層下の位置から聞き慣れた声を掛けられ、清掃の手を止め床に脚を就ける。


「少し甘いぞ」

「疲れた脳に糖分をと? 私にも効果があるのかな」

「気分、気分」


 シグナは、秘蔵の紅茶葉で旨味を引き出し注いだ一杯を、ロゼルに取っ手を向けて差し出す。


「休憩を挟め。学校へ行き出したのは、はかりごとも一段落したからだろう?」

「今回は、色々と感謝する」

「〝御上〟を黙らせろと言ったのは君の方だ」

「まさか、あんな大物を動かすとは想わなかった。

 《沈黙と不動の暁・フェルグンレス》」

「動いたのは、私だけでは無いようだ。

 他にも情報は錯綜するが、各方面の重鎮が裏で動きを見せた。

 明確なのは《正の高威界域・リーン=ラーン》の調停者・シュレイフラルツ=グラーエン。

 信じがたいが、彤十琅様が、《フェルグンレス》に頭を垂れたそうだからな」

「皆まで言うな。

 シグナ達の余りある偉業に、現場で存分に応えるよ」

「早速、応えて貰おう。

 清掃活動終了後、第一会議場へ向かってくれ」

「承知。紅茶、ありがとう。飲み頃で美味しかったよ」

「気にするな」


 ロゼルは、教えて貰った表情で微笑んだ。


 春が作ったプディングを仲間と囲み、美味しいと感じるのも。シグナが淹れてくれた紅茶に癒されるのも。それが叶うのは、ロゼルを構築する素材を惜しみなく提供してくれた出逢いの数々。


 感佩かんぱいするおのれを、今もわずかずつ受け入れる。


 生かされる恩と、果たすべき役割を改めて刻める領域に感謝しながら。


 ロゼルの、誰にも届かぬ恋しいとうた鵺子鳥ぬえこどりの声は、色が失せる御園へと消えた。






 ──第二の幕・幕引き──

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