第二十節 お約束は、裏切らない。





「まだ、留守電になっとるな」 


 昼休みの解放感と、翌日からの中間考査を控え、緊張感が混じる一年四組。


 千丸ゆきまるは、蒼海そうかい色のケータイの反応に溜め息を吐く。


「……一般向けの、衛星位置探査機能にも応答がない。

 丹布にふが、通信波の通らぬ施設内にいれば、特殊な信号での探査が必要だ」

「病院、演奏・演劇会場、一部飲食店、情報管理場、等々ですね」


 礼衣れい蓮蔵はすくらが立てる仮説に、都長つなが昂ノ介こうのすけも加わる。


「でもさ~、丹布が休み出した五日間、ず~ッと、そこにいる訳ないだろ?」

「元より、我々も常に張っていない」

「丹布も薄情だよな~。レールに一言〝明日から休む〟ってだけなんてさ~」


 廊下側に移動した青一郎せいいちろうの席の周りを占拠する庭球部・強化組は、それぞれの面持ちで待機中。


「そう言や、丹布の席見た? 配布物の山。

 一組の奴らが整頓してたから、まだ見苦しくなかったけど。

 家に届けてやりてェが知らねェし、監督や他の先生も教えてくれねェし」

「困ったものだ」


 メディンサリが、士紅しぐれの席の惨状を口にすると、見計みはからうかのように、放送で呼び出されていた青一郎が戻って来た。


「放課後、丹布の身内の方が配布物を取りに来るから、すぐに帰らないで欲しいって。

 それまでに、先生方も預かっている課題を用意するそうなんだ。量もあるから、何人か残って手伝ってくれないかな」


 中間考査を欠席する事も、ついでに知らされていたが、増える課題に同情を禁じ得ない一同の中。

 申し訳なさそうに、礼衣、都長、メディンサリが帰宅後の用件のため断りを入れ、昂ノ介、蓮蔵、千丸は快く居残りを申し出た。


 丹布の関係者と会える機会を逃した帰宅組は、心底残念そうに歯噛はがをする。

 好奇心にはあらがえず、そこは素直に思いの丈を表した。




 ○●○




 放課後、蒼海学院中等科の正門に他校生を、自己紹介を添えて迎える青一郎達は、少々驚いていた。


「ご、ごめんね。僕達、セツトの方で寝起きしてると想って気付か無かったよ。

 そうそう。僕は連堂学園中等部三年の八住やずませんよろしくね」

「申し訳ありません。配慮が足りず、御迷惑をお掛け致しました。

 同じく、二年の八住りつで御座います」

「似て無いけど、僕達兄弟なんだ。色々と気にしたら負けだよ~?」


 旋は、彼らを見透かすように笑顔で釘を刺す。

 モルヤンに無い眼の色。風貌が異なる兄弟。士紅とは姓も違う身内。

 青一郎達は、既に負けていた。その様子も置き去りに、旋は用件に触れる。


「重いでしょ? 荷物、こっちで預かるよ」


 陽光を弾く朝露に似た笑顔と、気さくに両の手を開いて招き入れる仕草で、旋は課題を手にする彼らを、その重量から解き放つ。


 だが、次第に金色の双眸が陰りを見せるまでに時間は掛からず、ついに蓮蔵が渡し終えた頃には、たまらず捕まえて問いただす。


「この量って、士紅に対する嫌がらせじゃ無いよね?」

「ええ、もちろんですとも。

 欠席している他の生徒よりも、多少は多いかもしれません。

 丹布君は、中間考査も欠課届けを提出しているそうなので」

「嘘でしょ!? そんなの聞いて無いよぉ。

 お律っちゃん、何か聞いてる?」

「特に何も。こんなの、今に始まった事ではありません」

「それもそっか~」


 彼らは、また負けてしまいそうだった。


 何日も身内の姿が見え無い理由を掘り下げず、軽い口調で受け流してしまう八住兄弟のやり取りに、傾注けいちゅうせずにはいられない。

 気を取り直した青一郎が、挨拶も含め世間話に持ち込む。


「八住さん達の方こそ、足を運んで下さって、ありがとうございました。

 ご自宅の住所を存じ上げておりましたら、お伺い出来たのですが」

「大丈夫だよ、気にしないで。一度ここには来てみたかったし。

 それにしても、やっぱり皆に家の場所を教えて無かったのか」

「あの、失礼ですが〝やっぱり〟と言うのは?」

「士紅、〝ここに家は無い〟って言ってたでしょ」

「……確かに、他の部員が〝丹布の家に遊びに行きたい〟との申し出に、すかさず答えていました」

「気を悪くしないでね。家っぽい場所はモルヤンにもあるんだけど、士紅は遠慮しちゃってね~。

 移動も多いし、十年も同じ場所に居る方が、珍しいくらいだよ」


 中学生そこそこの年令で、不自然な言いように違和感を覚える蒼海側の仲間だが、旋の失言に気付いて居た律は、容赦の無い忠告を入れる。


「旋兄さん。喋り過ぎると、士紅さんに殴られますよ」

「……あ~、それはまずいな」

「それは、例えではなく、本当に手を上げるのですか? あの丹布君が?」


 聞き役に回っていた蓮蔵が、驚きのあまり質問を口にしてしまう。

 志宝戦での一件はあるものの、普段の士紅は暴力よりもべんが立ち、行動で示す姿を印象に残している。


 所が、旋が知る士紅は違う事を、日頃の恨みとばかりに言い並べ始めた。


「皆の前だから猫を被ってるんだね。あんなの猫じゃ無くて、虎だよ怪獣だよ。

 手を上げるなんてモンじゃ無い。士紅の導火線って爪の先より短いんだ。

 すぐなんだよ。すぐなの! 士紅、物っっっ凄く短気で、意味不明の制裁して来んの! 発音一つ間違えただけなのに、消え無い塗料で顔に落書きするんだ! ひどいと想わない!? 計算を間違えると叩くし、体捌きが甘いって骨を折ろうとするし、それからそれから……」


 徐々に興奮が増した旋は、士紅の非道ひどうさと自らの失態を、同時に披露して居る事に気付か無いのだが、不意に言葉を止める。

 その場にいる全員が旋に注目する中、動きがあった。


「着信に、出ても善いかな」

「ど、どうぞ、遠慮なさらず」

「ありがとうっ」


 無言の目配せで、律は旋の手提げ袋を受け取り着信に応じる。


 案の定、旋から零れる言語は圏外のものだが、響きには覚えがある。

 時折、士紅が捲くし立てる音に似て居た。


 少し間が空き、慣れた雰囲気で旋の通話が済むまで控える律に、臆せず蓮蔵が話し掛ける。


「律さんは、もしかして芸学科の方ではありませんか?」

「はい。仰る通りです」

「やはりそうでしたか。そちらの五年生に、従姉妹いとこが在籍しているのですが、その彼女から、見事な黒髪の美少年が転校して来たと聞かされたのです」

「『音童おとわか 眞ち子』先輩ですね。先輩には、いつもお世話になってばかりです。

 蓮蔵さんの事は、先輩から伺って居ります」


 共通の話題で間を保たせていると、通話を済ませた旋が、荷物を持ち直し青一郎との会話に復帰した。


「今日は、本当に悪かったよ。士紅のせいで、皆の試験勉強の時間を潰しちゃって」

「大丈夫です。仲間のためですから」

「ありがとう、在純君。中間考査も大事だけど、部活も頑張ってね。

 何なら、連堂も踏み倒して優勝しちゃっても善いよ」

「良いんですか? 八住さん、連堂の庭球部のはずでしょう」

「何だ、知ってたんだ。あの練習試合では、大人しく黙ってたのに」

「監督も話をしていました。連堂は、第一部よりも第二部の方が要注意だと」

「そっか。凄いな、そっちの監督さんも。

 残念ながら、来年まで僕らに出番は無いんだ。

 蒼海の〝シキタリ〟の大半は潰れたみたいだけど、こっちはこれからだよ。

 もう少し待っててね」

「……はい。今年の全国の優勝旗は、おれ達が頂戴します。

 今年と言わず、これからもずっと」

「うっわ、生意気~! 恩村めぐむら第二部長に、しっかり伝えておくよ」

「ありがとうございます」


 負けず劣らず、曲者くせもの同士の笑顔で激励し合い、この日は、それぞれの思いを抱え、それぞれの家路に就いた。




 ○●○




 やや襟足を残す長めの前髪は岩群青いわぐんじょう

 普段よりも低い視界を映す双眸は似紅にせべに色。


 その範疇はんちゅうに広がるのは、セツトを代表する小・中・高・大一貫教育場の一角、蒼海学院中等科の男子硬式庭球部屋外練習場。


 中間考査による部活動停止を、経ているとは思えない程に保たれる庭球場は、時間を割き監督兼顧問の深歳みとせをはじめ、部員達が整備活動を続けていた結果だ。


 現に、今も深歳が小石や落ち葉を拾い上げている。中間考査に向けての授業や、当日をも費やし、不眠不休の激務を遂行した片鱗さえ見せず、確固たる歩調で深歳に歩み寄る丹布士紅は、第一に深く頭を下げ、今までの勝手を詫びた。


 深歳は、士紅の背景の一部を知る数少ない一人。


 詰問も、学生としての本分を逸脱する行いに染める事実を責める事もせず、ただ、年令の割に邪気のない笑顔で迎え入れた。


 校舎や教室より先に、庭球場へ脚を向けた士紅らしさに、苦笑しながらも神経の太さを頼もしく思い、深歳はしばらく士紅と談笑を交わす。


 二名共、授業中の教室へ促す事も向かう気配も立てないのは、昼も過ぎ、最後の六時限が開始され、久しい頃合いだったからだ。




 ○●○




 中間考査が終了し、部活動解禁の初日の晴天の放課後は、気温は高いが、さわりと風が吹く軽い空気。


 庭球場に、全国大会を目指す部員達が戻って来た。


「やっと、この日が来たなァ。個人練習も良いけど、味気なかったぜ」

「集中するには、良い時間だぞ。コートに立てば助けはないのだからな」

「そりゃ、そうだけどさ~。久々の部活だし、張り切っちゃうのは事実だよな~」

「元気が良いのは何よりだけど、怪我だけは気を付けてくれよ。州大会も近いんだから」

「抽選会は、二週間後の公休日でしたっけ?」

「……そうだな。連堂で行われるはずだ」


 強化組も程良い気合いが乗り、きたる州大会へ向け調整に余念がない。


「何じゃ? コートのベンチで寝とるんは、丹布やないか。

 あいつ、朝から欠席やったろうが」


 千丸の指摘通り、恐ろしくも学習能力の無い士紅は、寝姿をさらしたまま放課後を迎えた。


 しかも、ご丁寧に試合着に着替えての事だ。千丸の言葉の後に、都長のはずむ笑い声が重なる。


「何だよ丹布、部活だけやりに来たのかよ~」

「笑っている場合か! またコートで寝るとは、どう言う了見だ。

 叩き起こされても、文句は言わせん!」

「まァまァ、昂ノ介。ちょと待ってよ。

 おれ、面白い事を思い付いた。眠り姫には、目覚の口付けが必要だよね」


 罪のない笑顔は晴れやかで、衝撃的な言葉の意味さえ見えざる錦の布で包み込み、仲間達の音のない驚愕を誘った。




 ○●○




 畳んだフカフカのタオルを枕に、ちらつく木漏れ日の万華鏡を、整う寝顔に乗せる士紅は、仲間が近付いても目覚める気配が無い。


「に、丹布君、起き……ッ!?」

「し~ッ、蓮蔵、ここは我慢だ。面白そうじゃんか~」


 大変な事になる前に、蓮蔵が行動に移る所を押さえ込んだ都長は、成り行きに興味津々だった。


「……昂ノ介。止めないのか?」

「どこで丹布が目覚めるか、見物だと思わないか」

「……そ、そうか」


 青一郎を止めに入るより、士紅の武人としての素質の観察に意識が傾く昂ノ介を、礼衣も半ば呆れ気味に見るしか出来ない。


「死んどるみたいやの」

「……だよな。息してんのか? そのくせに、ケータイだけは手に持ってるって、どうなんだよ」


 千丸とメディンサリが、不吉な感想を述べ合う間にも、事態は進行中だった。


「丹布、起きないと大変な事になるよ。

 良いのかい?」


 青一郎は腰をかがめ、陽光の破片をさえぎり士紅を覗き込む。


 似紅を閉じた先を、彩る長い睫毛まつげにも震えは見て取れず、深い眠りを決定付けて居た。


 双方の温もりは、距離を確実に共有へと近付く。








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