第十九節 〇二一四。




 いつも響く音は無機質で、出入りも限られる白い空間。


 ここは、モルヤン・グランツァークの不可侵領域・白の拷問部屋。


 本来、在るはずの無い数の気配を迎え入れ密度が増す。


「総本陣・ロスカーリアの〝メル〟との交信反応は良好ですぜ」管制塔・オルガゼルフが軽く報告を入れ。


「指定領域の走査準備も整えて御座います」管制塔・パルセフィアは堅く述べ。


「次元軸の算定も済みました。どうぞ御指示を」管制塔・ヴァイレルドが締める。


 代表して受けるのは、深い頭巾が特徴にある黒装束の長衣を、一切着崩さずに立つロゼル。


 下準備の細かな指示を続けるそばに、造りも形状も異なるが、全身を覆う白装束姿で、打ち合わせとは名ばかりの会話を交わす面々が控える。


「お~、あの服の色合いって善い感じだよなぁ」


 粗目ざらめの甘さと快活な声で、数千数万分割される画面の一つを拾って感想を語るのは、三男・いぶき


「そうかな。ここって、今は夏でしょう? 季節にしては、浮き気味だと想う」


 年令と身長の割には、少年の高さが混じる控え目な声で応えるのは、四男・しめす


「頼もしいわねぇ、この余裕」


 生命の総てが嫉妬と羨望を向ける、艶唱えんしょうに似た声で弟達を評するのは、次男・かつと


「余裕など持ってもらっては困る」


 低く淵雅えんがな声に、つい辛労を乗せてしまうのは、長子・はじめ


「恐らく、モルヤン周辺の経済圏で定数に達します」


 冷冽れいれつな声で、さらりと危機感を重ねたのは、末子・おわること、ロゼル。


「ちょっとぉ、それ本当なの? アーレイン=グロリネス御自慢の結界なのに」

「実は、効果を込めたのはアーレイン=グロリネスですが、範囲を指定したのは私です。

 少々、気になる事がありましたので、小細工をしました」

「じゃあ、誘い出されて居るのは、の方って事ね」

「痕跡が曖昧で暫定ですが、の協力者が工作活動をけ負って居ます。

 先に動くのは、協力者でしょうね」

「間違い無く、ヒトに準じる知的活動体よねぇ。

 信じられないわ。

 天下のグラーエンとグランツァークを敵に回すって、どんな神経してんのよ」


 装飾は抑え気味だが、洗練される形状の、白い長衣の立て襟を整えつつ。

 遂は刻々と変化し、多角的画面に流れる情報を拾いながら、ロゼルとの会話を並行させる。


「大体、これ程の短期間に、あの《紅涙こうるい辺境へんきょう》が、三等級以下の経済海里へ、諜報に入るのは不自然なんだよ」


 鍵盤楽器を演奏する優雅さで、複数のパネルを呼び出しては納める示が、怪訝に言葉を投げる。


「見方を置き換えると判るのよね。

 主にが干渉する各経済圏は、特級を越える安定した〝地場〟。

 物見遊山ものみゆさん天貴人あまつあてひとは、不可侵を冠する祝われる地。

 ようは、《高威界域》にならう次元軸すら安定する場所。

 おいそれと、他の空間と繋がったり、割ったり出来ないわよ。

 えて、そんな所に眼を付け、更に工作まで施すなんて。

 何かの演習を、試みるとも考えられるわね」


 再び話の筋の主導を取る遂の考察に対し、思慮を口にしたのは、脚を崩し床に直接座る吹だった。


「遥か昔、突然その歴史が途絶え、天貴人の巫覡の女王が治めた〝太阿の洲〟。

 その最後の王族・アーレイン=グロリネス。

 その総てを受け継ぎ現す、最高峰の結界操作を誇る、アーレイン=グロリネスの結界に手を出してるって事はさ、最終的には、俺らの《契約の地》が張る、境界線や結界を破壊しようってんじゃねぇの? それなら、この間、春兄ちゃんが言ってた話と辻褄が合うよな」


 一室に居る誰もが押し黙る。


 可能性よりも現実に近い吹の思慮は、最も起きて欲しくない事象そのものだ。

 の目的も、その先に在る物だとするのなら、最高に悪い冗談だった。


「その件は追々として。

 今は、索敵した九名を、ほふるる事に集中して下さい。

 オルガゼルフ、走査開始」

「承知致しやした」


 ロゼルの指示に、オルガゼルフを通し、応える白の拷問部屋全体が一つ呼吸を吐く音は、高く低く遊ぶ空間を乱反射する、チューブラーベルのよう。


 それを合図に、作戦参加要員の九名の前に現れた緑色の空間画面には、それぞれが担当する標的情報が流れる。


「確認のため申し上げます。対象は九。

 ブロエ対象番号・一 春さん。

 『エフルエ』対象番号・二 遂さん。同じく・三 吹さん。

 ゼランシダル対象番号・四 示さん。

 モルヤン対象番号・五 エンレルグ。同じく・六 銀華ぎんか。同じく・七 玄華げんか

 虚数座標リュリオン対象番号・八 ヴァイレルド。同じく・九は私が参ります」

「はぁ~い!」


 ロゼルの確認事項に対する、元気な吹の返事を合図に、五から七を担当するために召集され、控えて居た面々が、正式仕様の繋ぎ目が無い白い仮面を装着する。

 そこへ、遂と吹が送り出すため声を掛けて気遣いを差し入れた。


 恐縮で応える大小の白装束の要員は、衣擦れの音も立てず、白い空間に溶けるように任地へと消失した。


「オルガゼルフ。さっきのは例の長官?」

「仰せの通りです」


 開始時刻までは、この場で情報収集に徹する事に決めた示は、まずは本社屋内の監視装置画像から、シグナの姿を指摘する。


「へ~ぇ、これが〝元・南殿なんでん御要みかなめ〟イ=シグナ=セース。

 まともに姿を確認するのは初めてだな」

「吹お兄さんも?」

「ふぅん。こんな感じの御方だったのね。

 男も女も、老いも若きもを振り撒く感じよね」

「気が合うんじゃ無いのか? 遂」

「春兄さんったら、冗談は止めて頂戴っ。

 僕の愛は崇高で誠実なの。後ろ暗さなんて一片も無いわよ」


 兄弟がじゃれて居ると、拡大画面の向こう側で黒いファイルに視線を走らせるシグナが、声を掛けて来た。


<……何の用件だ、管制塔。

 少々、集中したい所なのだが>


 グランツァーク財団の各社屋の監視装置は、定点ではなく死角もない。


 社屋全体が監視装置と言えて、「見られている」感覚が麻痺する程に意識が絶たれる。一般の感覚では、注視される気配を感じるのは皆無に等しい。


「申し訳御座いません。先程お送りした資料の追加分の、お伺いをと存じまして」


 それは事実だったが、不自然なオルガゼルフの言い訳を聞き流し、わずかに間を空けたシグナが、極上のおもてを、監視装置を介するオルガゼルフの視線と合わせた。


<そこに、ロゼルが居るのか?>

「お察しの善い事で」

<圏内にロゼルが居るのなら、朧気おぼろげに判る。

 出逢った時から、それは変わらぬ>

「隊長を御案内致しましょうか?」

<急ぎでは無い。ロゼルの用件が済めば伝えてくれ。それと、先程の資料の追加分を頼む>

「承知致しました」


 さすがに観測を止めた兄弟達は、自然とロゼルに四色の視線が集まる。


「あいつの傍に居るなんて、大丈夫なの? それにほら、彤十琅って〝造り手〟もさ。

 優秀なのは判るけど、悪戯とか仕掛けて来るんじゃ無い?」

「たまに、絡んで来ますが、吹さんが心配されるような事態にはなりません」

「立ち入った事だとは想うわよ? こんな状況だし、少しだけ距離を置いた方が善いんじゃないかしら」

「勘弁して下さい。シグナは私に添う大輪の華です。彤十琅様も同様です。

 手折たおるなど考えられません。

 その長官の御指名なので、行って参ります。加え、そのまま作戦に就きますので、御了承下さい」


 残る兄四名は、口々に挨拶やねぎらいで見送る。


 ロゼルに変化は無い。

 これ以上の干渉や、詮索を受け入れる雰囲気では無いとは、兄達も認ざるを得ず。


「御安心下さいやし。長官は、その気で近付かれやすが、一線は引いて下さるんで」


 畏れ多くも、不憫に感じてしまったオルガゼルフは介助を買って出た。


「有能だってのは判るさ。〝上〟からの無理難題を上手く転がしてるし、実際、折衝せっしょうや処世術は大したもんだと想うよ」


 吹は、白い手袋に包まれる手で、明るい金色の髪を撫で付け、再びシグナが、映し出される一角を追う。


「止めておけ。冬の私生活の場だ。あまり干渉するな」


 四様の視線の先に居るシグナを眺める意味を、管制塔は不可侵として心得た。


 


 ●○●




 三十六階層。談話区画の一角。


 シグナは他を寄せ付けず、黒のファイルと社屋用のタブレットに鏡色の視線を走らせる。


 乱れの一つも無い上質なダークスーツの重役は、就業時刻を過ぎようと、着崩しや草臥くたびれる様子など微塵も漂わせる気配が無い。


 先程、白の拷問部屋で確認した位置に姿を現したロゼルは、シグナの元へ歩み寄る。


「また、はかりごとか?」

「何の事やら」

「制服姿の君が、どの口で応える」


 しばし、似紅にせべにと鏡色の双眸が睨み合うが、シグナは早々に音を上げ、極上の口元から低音の蠱惑な色を差す言葉を紡ぎ出す。


「いつもの事だった。言い出せば退かぬ君の言動は、止めようが無い」

「それは、どうもありがとう」

「止められる訳が無い。我々は、君に負担ばかりを押し付けて居るのだから」

「気にするな。矢面に立つのは私の役目だ」


 立ち上がるシグナが、手にするファイルをロゼルの胸に、軽く音を添えて置き、改めてロゼルを見据える。


「今日中に眼を通してくれ」

「承知した」


 どの拍子と加減なのか、シグナの指先はロゼルの袖口をつまんだ。精一杯の小さな抵抗として。


 本当は黒いファイルを渡す事さえ、口実でしか無いように。


「どこの迷い子だよ。離してくれ。用件を片付けておきたい」

「ロゼル、約束をして欲しい。

 必ず戻って来い。決して、私を置き去らぬと」


 シグナの視線は、摘む袖口に落ちたまま。

 本当に子供のような心細さを抱えた響きが、極上な口元から零れた。


 ロゼルとしては、今回の役割は、そこまで危険を帯びる事との認識は無く、現時点でモルヤンを離れる事も、シグナを置き去る意図すら念頭に無い。


 何を察したのか。漠然とした先行きへの不安が湧き出したのか。

 シグナは、ことほかロゼルへの執着を顕示けんじする機会は多い。周知させるよりも、ロゼルの領域に刻み込みたいがために。


「涙の一つでも流し、縋り付いて止めるなら考えるが、シグナは、そんな選択肢を意地でもらずに、私の隣に立ち続ける。

 だからこそ、私はシグナを留守番役に選んだ。

 それだけの事だ」


 シグナは、その言葉でようやく普段の視線の位置に戻し、向き直ったロゼルの似紅を見据える。

 ロゼルの黒い制服の袖口から指を離し、間髪入れずロゼルの白い指先を上から掴む。


「今度は何だよ」

あかしが欲しい」


 凄まじく整うロゼルの口元に、呆れ返ると言わんばかりの表情が浮き、間も無く親愛込めた苦笑に染まる。


 ロゼルは、受け取った黒いファイルを卓に置き、空いた左手でシグナが誰にも触れさせ無い、生きる銀色の滝を幾度か白い手櫛でく。


 流れで一房を取り上げ、ロゼルは口付けする。


「ほら、これで満足か?」

「どうせならば、しとねの上。薄衣姿で微笑み、誘って欲しかった」

「っははは。そんなに私に喰われたいのか」

「駄目だな。

 君を見る事も、触れる事も叶わぬか。……私には耐えられぬ」

「判ったら、そろそろ離してくれ。

 想いの他、痛い」


 言われたシグナは、想いの底から未練がましく、ロゼルが手に通す手袋の、シグナにしか判別不可な繊維一つ一つの感触を惜しみ、縛を解く。


「早く要件を済ませて来い。こう見えても、私は蒼海の優勝旗を期待して居るのだからな」

「ならば、〝御上おかみ〟を黙らせてくれよ」

「……前向きに検討する」


 淡い期待を込め、ロゼルが小さく整い過ぎる口元に浮かべ、社屋用のタブレットを片手に、シグナの方が場を後にした。


 歩調で揺れなびく銀色の背面を見送ったロゼルは、シグナが座って居た同じ席に着き、後ろに流した頭巾の端を取り、目深に被る。


 きたる時刻は、まだ先にありながら、確実に迫りつつあった。




 ●○●




 夜番勤務の社員の姿は少なく、三十六階層の談話室も、空調や機器の駆動音が耳に触る。


 社内用にしては上質の乳白色の一人掛けのソファーには、見る者、知らぬ者すら圧倒する絶大な対象が、長い腕を、脚を組み腰を下ろして居た。


 グランツァーク財団・私設武装強襲集団〝黒の群狼・ミスクリージ〟の、闇夜をも呑み込む黒い制服を隙無く装着し、余裕ある大きさの頭巾で、その整い過ぎる端正な姿形を鼻の先まで覆い隠す。


 不意に、群狼は反動の一つも無く立ち上がる。


 左手を後ろにやり位置を戻せば、浮き上がる白い手には、細長い棒状の何かを包む朱色の筒袱紗が握られた。


 何も無い空間より、手品のように現れた物からは、祓いを込めるきよの音が鳴る。


 提げ刀風に持つ朱色の包みの上方に、ロゼルが右掌を添え、小さく鍔鳴りがささやく。


 変化は、ただ、それだけだった。


 長身の群狼が、席を立ち上がる。監視装置にも、その様子は克明に記録される。


 にもかかわらず、モルヤン標準時刻・〇二一四。


 同時刻。ブロエ、ゼランシダル、モルヤン各地九カ所で、九通りのヒトの惨殺死体が


 ある者は、湖の底に沈み。


 その者は、繁華街で血飛沫を勢い良く噴射し。無人の高層建築物の屋上で無傷で仰向けに倒れ。


 別の者は、突然空中から四肢が離れ離れで落下し、新たな外傷を作り。


 一方では、予兆もなく現れ、自重の勢いで路面に昏倒。何の縁故もない庭先で事切れ。一級河川で水音を跳ねさせ。


 さらには、橋梁に妙な姿勢で引っ掛かり。未開に近い森林で斬殺された。


 姿無き殺人事件は、場所、凶器、物証、証言、動機すら繋がらぬまま。

 後日において、発見が遅れた遺体もあった程だ。ただ、同時刻に偶然発生した点と点を連ねる、真の意味に辿り着いた者は、慄然とするしかない。


 モルヤン・グランツァーク財団本社屋の談話区画の片隅で、休憩して居た群狼が軽く朱色の包みに右掌を近付けた時には、〝九番目の現場〟に零時間で移動し、音も気配も相手に与えず凶刃を抜き放ち、返り血も撒き散らす臓物に堕ちた天貴人の臭気をも置き去る。


 現場に居たはずの気配も、先に延びる時間をも回収し、納刀すると鍔鳴りは囁いた。


 零の時間と空間を操作しても、なお余りある緊迫を張る糸におごりを乗せる事は決して無い。


 ロゼルは、卓上の黒いファイルを白い手ですくい取り、その場を静かに立ち去った。






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