第十八節 姫様強襲。
学業は中間考査を控え、明日からの部活動停止に際し、課外部活に所属する生徒の気分を反映してか、放課後の空は曇天。
気温も上昇せず夏の暑さも小休止。
地上の花壇には、色も取り取りのガーベラが、代わりに陽気を周囲に与えようと、
「メディンサリ、お前もか」
「済まねェ。断り切れなかった分だ」
着替え終わった士紅の眼の前には、メディンサリが差し出す十通程の、華やぐ
無造作に持つ封書の一通一通が、メディンサリの家名を頼り、士紅への〝お近付き〟の誘いや、九央への懇意を願う内容が込められる。
「大人に回しても善いんだな?」
「そりゃ当然だ。そう言って引き受けたんだからよ」
「安心した」
士紅は言いながら表と裏を見返す。
手早く確認しては、封書を束の後ろへ送る様子に、メディンサリは、素直な質問を差す。
「それ、どこの誰からの封書か分かるのか?」
「まさか。綺麗な面だと想って見るだけ。後見人に、そのまま回すよ」
メディンサリが持って来たからには、封書の差出人は漏れなく大貴族と有力一族だ。
色や縁取りは様々だが、名前の一つも記されない。封書の特徴と、
端正な口元からの発言とは裏腹に、差出人と振り分け先は、把握し選定済みだ。
「そっか」
「それにしても、九央の雷名は凄まじいな。不審人物から、導線役に格上げか」
「……仕方ない。
ゼランシダルの、人の手による文明保持の精神は、広く伝わっている。その功績も計り知れない」
「悪い言い方だが、閉鎖的な所だからな。
そこで絶大な信用を得るばかりか、功名が代々にも及ぶともなれば、導線の的になる」
本日の昼休み。
揃って決まりが悪そうに、包みを持参し同じ内容の封書を渡し終えていた、礼衣と昂ノ介が話に入る。
「少しの間だけの我慢だな~、丹布」
「んだの。しばらく袖にすれば、
都長と千丸の、
青一郎がコートへ誘導する声を立て、一同は気合いを込め返事で応えた。
○●○
整列の並びが慣習となり、この面々で行動する時は、青一郎、昂ノ介、礼衣、都長、蓮蔵、千丸、メディンサリ、士紅の順になる。
部室の扉を閉めるのも、士紅の機会が断然多い。
今日も
「だ~れだ?」
「……
「もう! 全然、
可愛い、士紅君とっても可愛い!」
桐子は、士紅の肩を掴み自身へ向け、抱き締める。
両の頬に口付けし、再び抱き付き、力の限り士紅の身体を
「うん、士紅君の線って最高よね。
あら! 腹筋の陰影が良いわねェ。うん、エグい程に深くもない。しなやかな質感が肌に馴染んでいて。
やだァ、士紅君の背中も好みだわァ」
手際良く、士紅の試合着を
次に士紅の白い両手を取り、爪を短く手入れされた指で質感を確かめる。
「お願い、士紅君。
標本にするから、この手袋と、お腹の皮膚を頂戴!」
「駄目です」
「何よ! モルヤンの医療・生化学に貢献してくれたって良いじゃない!」
「駄目なものは駄目です」
意外にも握力が高い桐子が、白い手を捕らえて離さないその背後から、プリヴェールが困った顔を美しく浮かべ近寄る。
「うふふ。桐子ったら、まるで痴女が美少年に襲い掛かっていてよ?」
「プリムばかりズルい。アタシも美少年達に囲まれたいのに。
皆も元気だった? 少し見ない内に、大きくなったわね。
特に、昂ノ介君は背が伸びて、大人っぽくなってる」
「こんにちは。おかげさまで」
昂ノ介の挨拶を皮切りに、一同は一礼を挨拶に代え、犯行現場を見なかった事にする。
勝ち気を絵に描いた快活な黒髪黒眼の美女は、
グランツァーク財団傘下の、深歳医療製薬の跡取りで、系列総合病院の現場で活動する働くお姫様。
本日は、先日の猫騒動の詫びにやって来た、学生時代からの親友・プリヴェールに付き添い、念願を叶えに訪れた。
それと、もう一つ。
「
「こんにちは、圭。
この間は迷惑を掛けてしまって、ごめんなさいね」
「桐子さん、それにプリヴェールさんも、お待ちしていましたよ。
ご丁寧にありがとうございます。……あれ、
「それが、両親がイウロに連れ出しちゃって」
「イウロなら、避暑にもなりますし、環境も良いので大丈夫ですね」
「仕事仕事で、アタシこそ悪い母親だわ。
どうしよう、圭さん~。両親の事を、本物の親だと唯至が思っちゃうわ」
「大丈夫ですよ、桐子さん。
唯至が返って来たら、オレ達で独占しましょう」
内輪の話で盛り上がる二人を置いて、プリヴェールも含め一同はコートに向かい出した。
その気配に、深歳が気付き声を飛ばした。
「丹布君、準備運動の後は、コート周り百周ですよ」
「私だけ? 今日は強化組で試合方式……」
「丹布君は、百周してからです。良いですね?」
妻と生徒との行き過ぎた挨拶を目撃していた深歳は、ささやかな報復に出た。
妻に甘い深歳は、その非を全て生徒に押し付ける。
「殿方は、意外にも嫉妬深い生き物です。
士紅も気を付けないとね」
「百周で助かった。
背中から刺されるより健全だから」
士紅の頬に薄付きする桐子の口紅を、言葉と共にプリヴェールがハンカチで拭う姿を眺める礼衣と蓮蔵は、過日のリメンザでの話は事実なのだと、改めて思い知らされた。
○●○
数日後の授業終わり、トウミの在純邸の一角は、華やか雰囲気に包まれる。
「あの時の、お二人が、フレク=ラーイン様と、桐子姫だったなんて」
「ええ、もちろん覚えていてよ」
まだ、
その正体は、学生時代のプリヴェールだった。
「お姫様って歳じゃ無いよな」
「……何か
「空耳かなぁ」
「あ、あのッ。
丹布のお兄ちゃんも、お土産ありがとう。とても美味しい。
こんなに美味しいお菓子、食べたの初めて」
「気に入ってくれて、嬉しいよ。
在純から、栖磨子さんは乳製品が好きだと聞いたんだ」
栖磨子は、不穏な空気と話題を
近所のよしみで昂ノ介と礼衣も、この場で相伴に預かっているが、菓子職人も顔負けのチーズスフレのガートを、あっと言う間に胃の中へ片付けてしまった。
学業は首位を独走。庭球は無敵。一刀を振るい、菓子作りは逸品。
士紅が何者なのか、問う事も考える事も麻痺する二人だったが、青一郎は上機嫌でプリヴェールと栖磨子の会話を見守る。
内容は庭球からの繋がりで、プリヴェールの学生時代に遡っていた。
「庭球が本格的に楽しいと感じたのは、中学に入ってからよ」
「お姫様、学校に通っていらしたの?」
「ええ、
大学はルブーレンでしたが、中学・高校時代が一番楽しかったわ。
親友の桐子とも中学で出会って、桐子と一緒に、庭球で何度も全国大会へ行って、何度も優勝しました」
「お姫様、素敵。お兄ちゃん達も、全国大会で優勝するんだよね。
ね? そうでしょ?」
無邪気な栖磨子の笑顔が、色素が薄い顔に花開く。
青一郎も、これ程に言葉と表情が変化する様子は、久しく見ていない。
近しい身内だけでは与えられなかった、女の子としての喜びや、お喋りに興じる栖磨子の姿に、青一郎や昂ノ介、礼衣は士紅とプリヴェールの心遣いに感謝した。
○●○
用件を控えていた昂ノ介と礼衣を、玄関先まで見送って来た青一郎が離れに戻ると、士紅が縁側に脚を崩して座し、庭を眺めて居た。
「どうしたの? 部屋に入っていた方が涼しいのに」
「女性同士、会話を楽しんで
「じゃ、おれも丹布君に
「それ」
「え?」
「前から気になって居たんだが、何故に私だけ〝君〟付けなんだ?」
「言われてみれば。
皆とは小等科から一緒だったけど、丹布君とは初めてだからかな。
それに、大人っぽくて先輩みたいだし」
「傷付くなぁ。その言われよう。
蓮蔵は、あの性格上〝君〟で呼び続けるだろうから諦めた」
「あはッ、ごめんね。確かに、蓮蔵はそうだろうね。
じゃあ、丹布」
「うん、落ち着いた」
確認も込めて顔を合わせ、互いに
「あ、良かったら、夕食どう?」
「悪い。プリムを次の場所に案内する時間だから、次の機会を楽しみにするよ」
「謝る事ないのに」
「和食が恋しい。
この間、柊扇の所で頂戴した食事は、美味しかった」
「和食が好きなの?」
「どうなんだろう。食べられたら何でも善い」
「それって、女の子の好みも、何でも良いみたいな言い方だよね。
桐子姫とも親しいみたいだし。
お姉さんとか呼んじゃって」
三角座りの青一郎が、膝の上で組んだ腕に顔を伏せる。
士紅に対する妙な感情の正体を、自身に問う必要が迫る焦りも感じる。
開き直るべきなのか。単なる勘違いなのかと。
「桐子お姉さんには、
会った頃から豪快な人だったよ」
「い、家出したの?」
「兄とは仲が善いが、養子先とは折り合いが悪いんだ」
再び複雑な背景が見え隠れし、青一郎が言葉を選んで
場面と時間は動き出すが、青一郎は、思いの揺れに時間が止まってしまう感情を、自覚せずにはいられなかった。
○●○
千丸家に
在純家には
モルヤンで一、二を争う武人の
士紅と共に、日が傾いた夏の暑さをも付き従える。
「士紅のおかげで、移動も楽だわ。
護衛の皆さんに囲まれるのは、悪い気はしないけれど、標的として
「護衛の本分を、全否定するなよ」
プリヴェールは「あら、いけない」と言わんばかりに、いつもの婉然とした様子。
真夏の陽射しにも映える笑みを浮かべ、唐突に話題を変えた。
「あの子は、『フィル』とは違う
「私の一存では決められ無い。
あれは、『
どの道、シュレイフ待ちだ」
「あら。お行儀が良い事」
ロゼルの領分にも、通じる発言を放つプリヴェールは、さらに続ける。
「ありがとう。
その上、私は子を産み育てる、奇跡をも体験出来るのね」
「プリム。その話には、あまり触れ無いでくれ。
管制塔が詮索を始めてしまう」
「まあ、大変。士紅の負担が増えてしまうわね。気を付けます」
〝マーレーンの魔女〟は、二つ名に相応しい妖艶な表情の中。
それでも隠微な歓喜と感謝を、士紅に向け伝えた。
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