第十七節 連ね響くは、吾の名。




 老練な碧い瞳が、沃若よくじゃく似紅にせべにを見据え、そこから何かを窺う気配を立てる。


「美しい所作だ。君は、随分と九央の文化と深い関わりがあるのだな。

 先程の談笑相手は、九央でも中枢組織に属される役人だ。

 その方と親しく会話を交わすとは、君はどのような身分なのかね」

「ヴュラン=テレシカ卿、その物言いは失礼ではありませんか」

「無礼は覚悟の上だよ。『ジェリク』の孫よ」


 庇い立てたメディンサリを、その祖父の愛称と名前すら呼ばない事実で黙らせるテレシカは、視線を戻し士紅との交流を再開する。


「恥知らずなジョゼアーヴの小娘が喚いた内容なら、私の所にも届いている。

 今、君に会い受けた印象とは全く異なる下らぬ調書もな」


 値踏みを越えたけわしい老紳士の表情が、吐く息と共に緩やかになる様を、見守る一同は目撃する。


「君に会えて良かったよ。

 本物は語らずして雄弁だと実感している。私の友人達の真贋の分別も、また本物であると誇らしく思う」

「恐れ入ります」

「止しなさい。……何故、君は身を明かそうとしない? 後ろ盾をしてくれる方々には不自由しないだろうに」

「貴方様のような、本物が稀少過ぎるからです。

 ヴュラン=テレシカ公爵」

「言ってくれるではないか。これは面白い。

 ジェリクの孫達よ、君達はとんでもない友人を得たものだ。当分、退屈をせずに済みそうだよ」


 前置きの無い二名のやり取りが一段落し、何とか追い付く一同を代表したメディンサリが、士紅の向こう側から半身を下げ、言葉を挟む。


「ヴュラン=テレシカ卿は、丹布の素姓をご存知なのですか」

「うむ。先程、御隠居様より伺った。

 あのゲーネファーラが涼しい顔をする理由が分かったわ。あの食わせ物が。

 ……さあ、お目通りするが良い。丁度、翁華様が呼びにいらしたからな。

 では、失礼する」


 ルブーレン人には不慣れな正座から、揺らぎもなく立ち上がり、足取りも確かな老紳士の真っ直ぐに伸びる背を見送った一同は、緊迫の場面から解放された。


「さすがは、ルブーレン全土の社交界の顔役ですね。わざわざ、このような場所で値踏みですか」

「元から、丹布を疑う素振りではない様子だったな」


 蓮蔵と昂ノ介が、手短に交換する会話をする間に、宣告通り翁華が屈託のない笑顔を乗せ距離を縮める。


「皆様、先の九央王帝・不応上帝が、挨拶を申し出ております。どうぞ、叶えて下さいますように」


 今度は、明瞭なリュリオンの言葉で一同に告げたが、二名を除き恐慌寸前になる面々が声を立てた。


「千丸、知ってたんだろ!」

「そりゃ当然じゃ。ここで寝泊まりされとるからのゥ」

「なッ、なななな何で、もっと早く教えてくれないのさ~!」

「皆がビビって、萎縮させちゃ悪いから言うなって」


 メディンサリと都長の反応に、千丸は人が悪そうな笑みを浮かべ、状況をしっかり楽しんでいる。


「ほら、行くぞ。先方を待たせるものでは無い」

「何というか、大物だよな~、丹布って」

「……そうだな」


 権威の抑圧も人種も越えた士紅の肝の頑丈さに、半ば呆れ、半ば頼もしく語る都長と礼衣を合図に、一同は翁華の先導に追随した。




 ○●○




 目通りの相手は、別室の座敷でくつろぎ、下品ではない域の笑い声で応えつつ、話し相手の千丸家の当主・千丸充征との会話を楽しんでいた。


「貴重なお時間を頂戴して申し訳ない。

 是非、貴方々に顔を覚えて頂きたく、呼び立てた事を容赦願いたい」


 綺麗なリュリオンの言の葉を乗せる声は、太いが洗練される音。

 黒髪を総髪にまとめ、意外にもダブルのスーツ姿の九央の壮年紳士が、丁寧にこうべを垂れる。


 黒檀の一枚卓を挟み、年令も立場も離れた面々が並ぶ。まず、常識から外れた状況に、末席の一名を除き腹の内で、戦々兢々せんせんきょうきょうが渦を巻く。


 一同は、揃って畳に両手をつき深い一礼で返礼する。


かしこまらないで下さい。私は、楽隠居の身でございます故。

 ……時に、丹布よ。長官から預かりもんがあるんだろ? そいつを寄越よこしな」


 急に砕けた御隠居の言葉に、充征までが目を見張る。


 その声に翁華が動き漆塗りの盆を差し出すと、士紅は懐から抜いた袱紗ふくさほどき、包んだ書状を乗せた。


「皆さん、少々失礼します」


 一つ、断りを入れ届けられた書状を手に取り、御隠居が文字を辿る間、士紅は座を外し平伏を保つ。


 その様子に不安を募らせたメディンサリは、一同の思いを受けて小声で士紅に問い掛ける。


「おい、丹布。おれ達も平伏した方が良いのか?」

「大丈夫。そのまま座布団に座ってろ」

「彼の事は気になさらず。義理を通しているだけです」


 静まり返った一室では、水面下の相談も筒抜け。気を遣わせた詫びも含め、陽の笑顔で御隠居が言葉を添える。


「……あい分かった。

 答えは〝否〟だと伝えてくれや。

 長官や、おめェさんを含めた〝印可いんか〟の口利きや特例をひけらかそうが、条件を満たさねェやからは、ゼランシダルには一歩も踏み入れさせねェってな」

「ありがとう。御隠居の直々の返答は、何よりも強固な盾となる」

「駄々ってる、このお大尽だいじんには、わしから一筆をしたためる。

 手配を頼むわ」

「あぁ、悪いな」

「ちょ……、ちょっと待て。

 済みません。お話中、本当に申し訳ございません。

 丹布ッ、お前、何て口の利き方してんだよッ」


 状況に耐えかねたメディンサリが、割って説明を求めた。

 士紅が改めて仲間を見ると、不信はないが心配そうに感情を乗せるそれぞれの面が向いていた。


「お前ェさんは、本当に相変わらずなんだな。お仲間くらいには説明しとけよ」

「彼らは、何も言わずに受け入れてくれたから、つい甘えてしまった」

「そんななりだもんなァ。お仲間はともかく、大人連中には口上こうじょうしたって通じねェか」


 多少は士紅の性格の一端を知る御隠居は、一緒にいる強化組を見渡すと不憫に感じてしまった。


 その端正な口から素姓を語られる機会は限られる。

 今でこそ普通に会話を交わしているが、不自然と非常識を受け入れるまでには時間を必要とし、士紅の〝魔法〟は不条理そのものだった。


 埋没しそうな過去から、己の役割を思い出し我に返った御隠居は、一つうなずき、茶碗の中身で渇き始めた喉を潤す。


「そんな顔をしなさんな。こいつは無礼なんざ働いてねェし、素っ首を叩き落としたりせんよ」


 茶托に碗を戻し、息を吐いた御隠居は言葉を崩した。


「こいつは、こいつの先祖ってのは、ゼランシダルの窮地を何度も、何度も救ってくれた英雄だ。

 ゼランシダルで〝丹布士紅〟って言や、三国のどこでも通じる。

 『武士道の九央』。

 『騎士道と大輪の薔薇の帝国・ルフ=ザンテワイト』。

 『魔道と戒律の宗教国家・デンラーヤ』。

 それぞれに名を残し、主要陣との親交は今も深く続き、そこの丹布が出向いても、手厚くもてなされるぜ」


 強化組のみならず、ゼランシダルは憧れと稀少文化の極致に等しく、御伽話おとぎばなしの世界。


 厳しい入圏審査に始まり、行き先の言語を、正確に読み書き伝達出来なければならない。


 九央に至っては警察組織、特に〝央狼組〟の処断は苛烈で、例え正式な許可を得た入圏であっても、法に触れた者は即座に斬り捨てられる。


 ゼランシダル側からの出圏も厳しく、人であるなら行き先の言語を二種以上操れなければ不可となる。どのような目的や重責があろうと、一切の例外は許されない。


「ついでに言えば、グラーエン、グランツァークの両財団の導線になってくれたのも、丹布の筋なんだぜ」


 モルヤンを代表する御曹子達は、規模の違いに閉口した。

 してはいるが、媚びる気配が起きない事に、御隠居は気を良くして話題を一転させる。


「さすがは丹布のお仲間だ。肝が座り、思慮深く良い目をしていなさる。

 あのよ、さっき茶ァ飲んだろう? 掛値なし、太鼓も持たずに率直な感想を聞かせてくれや。

 咏十君と丹布は聞くまでもねェし、じゃァ、メディンサリ君」


 てっきり、青一郎の方からだと思い込んでいたメディンサリは、虚を突かれたが居住まいを正し、真っ直ぐに空色の目を向けた。


「私は、茶葉を育てたいと思いました。

 祖父は若い頃、九央の茶屋で素朴な茶と団子を食べ、衝撃を受けたそうです。

 食べ物に込められた賛美と惜しまぬ手間に。合理化が悪いとは思いません。手間が掛けられる物が高いのは当然です。

 清潔な量産体制が整っても、人の口に入らなければ、それは生ゴミになるんです。九央では、食べられる物を作る。着られる物を作る。住む場所を作る。その循環が確立され、無駄がほとんどないとも聞いております。

 祖父は、嘆いています。無駄が溢れる世界は豊かとは言えないと。貴族ですら、銘だけ打たれた粗悪な品々を声高らかにうたい、身に纏い、飲み食いし、買い漁る始末です。

 私は、祖父の夢を叶えたい。本物を口にし、自らが良き肥料となって、肉体を大地に、魂を天の神の元へかえす。

 何よりも茶葉市場を独占する、ゲーネファーラのサッパルとヘルダン品種を超える茶葉を作りたい。それが本音です」


 一気に言い終えたメディンサリは、長い口上と隠していた野心に恥入りながら、深い一礼で意見を閉じた。

 感心の息を吐いた御隠居は、礼衣に水を向ける。


「火関君がてる茶は、とても美味いそうだな」

「……お耳汚しの程、お恥ずかしい限りです。仰る通り、私はあの茶葉で点てたいと素直に思いました」


 無骨な男の手で、御隠居は顎を撫で目尻には嬉しさにしわが寄る。

 次に差したのは昂ノ介だった。


「あの素晴らしいお茶を、飲みたい。そう思った時に飲める。それに相応しい男になりたいと感じました」

「淹れてくれる相手は、もういるのかい?」


 茶化して、昂ノ介の反応を楽しみ終えた御隠居は、都長に振った。


「お客様に飲んで貰いたいです。本物を、多くの方々と分かち合いたいんです」

「そりゃあ、良いな。家業にも貢献出来そうだ」


 気分を良くした御隠居は、その頼もしさに朗らかに一笑し、青一郎に向き直る。


「九央へ行きたくなりました。

 メディンサリのお祖父様が感動された、同じお茶屋さんの団子とお茶を頂いて、丹布君のご先祖様が守ったゼランシダルを、この身の全てで感じたいです」

「そう来たか! 良いぞ良いぞ。最後になっちまったが、蓮蔵君は止めの一言で締めてくれるかい?」


 不意に大役を任された蓮蔵だが、動じる事もなく眼鏡の奥に笑みを浮かべ堂々と口を開く。


「単純で恥ずかしいですが、歳を取り皺だらけのお爺さんになってしまっても、この仲間で、あのお茶を囲んでいたい。

 それだけを思いえがきました」


 御隠居は一通り聞き終え、ゆっくりと息を吸い、静かに吐く。

 決意は揺らぐ所か、誰にも二言を許さない程に、更に強固になっていた。


「あの茶葉は、モルヤンでも生育可能な改良が施されている。

 九央でも特級品種の一つだ。この商権の全てを君達に任せる」


 先の最高権力者が、年端もない学生に商談を持ち掛ける場面に、一様に戸惑いを表す。

 その態度は当然と言えるが、相手の御隠居は、真剣そのものだった。


「実際、計画が推進するのは十年後になるが、そこから先は君達が持つ全精力を賭して、あの茶葉を本物の高見へと導いて欲しい。

 分かっていると思うが、ゼランシダルが商権を委任する重きは、受け渡す側も、受け取る側も失態など許されんぞ。その薄い腹ァくくる気はあるのかい? どうだい、咏十君」


 一時は九央を背負い、役目を全うしたとは言え、挑む眼差しには陰る事のない。為政者としての矜持の残り火が、爛々と千丸を射抜く。


 この面々にあって、千丸を名差したのは場所柄によるものと、一同の器を量るためだった。


千丸ゆきまる 咏十えいとの名にいて、必ずや彼の仲間と共に大成する事を、ここに申したてまつります!」


 千丸は、さほど間を置かず、腹に芯が入る宣言を迷う事なく高らかにうたう。


 こうなると、結果は見るまでもない。


在純ありすま 青一郎せいいちろう、千丸咏十に倣います!」

柊扇しゅうおう 昂ノ介こうのすけ、同じく!」

火関ほぜき 礼衣れい、同じく!」

都長つなが ヨータ、同じく!」

蓮蔵はすくら マコト、同じく!」

「ルクレーク・レデンゲール=メディンサリ=デューランデーン、同じく!」

「本名、長いな。メディンサリ」

「茶化すんじゃねェよ! 早く連名しろっての」

丹布にふ 士紅しぐれ。以上の七名に倣い、盟約致します」

「貴殿らの漢気、この天織あまお 不応ふおう 瑳長さななが

 しかと受け取り申した。こちらは、娘を輿入こしいれさせるつもりでいる。

 しっかり頼んだぜ」


 御隠居の座る声と態度に臆する事もせず、強化組一同は、未来の銘茶の商権を預かる返事を、部活動で鍛えた声を座敷に響かせる。


 次席で見守る充征は、孫だけと言わず、行く先も楽しみな彼らを、厳格な視線で見張りながら、腹の底では嬉しくもあり、成長に伴い手を放れるであろう寂寞せきばくを感じていた。


 同時に、並ばれてなるかと挑発に似た思いをも自覚した。


「もちろん、後見は立ててやるから安心しな。

 こっちからは、皆志間みなしまって言う最高の庭師と、メディンサリ君のご祖父とも懇意にする乃桐ないとうく。

 そちらさんの面々は、後でゆっくり聞いてくれ」

「その皆志間様と話がしたいんだが。出来れば、皆にも会わせたい」

「そ、それがですね、士紅さん。皆志間様は、既にロスカーリアへ向かわれました。

 『祇向しざき様』に会いに行くと仰いまして、……その、急に」

「嫌われてンじゃねェのか? えェ? 丹布よォ」


 翁華おうかの説明を聞いた御隠居が、意地の悪い笑顔を作り士紅の感情に干渉を試みる。


「違いますって! 何を言い出すんですかッ。

 あんなに士紅さんに会いたがっていらしたのに、皆志間様は、恥ずかしくて顔を出せなくなったんです。

 ね? ね? 士紅さんも覚えているでしょ!?」

「そんなに必死になる事は無いだろうに。

 モルヤンに踏み入れたなら、いずれ機会もある。待つよ」

「待ってんじゃねェよ。一度くらい顔見せに戻って来いつってんだよ。

 どんだけ、お前ェさんに会いたがってる奴がいると思ってやがんだ」


 わざわざ、御隠居と翁華はリュリオンの言葉で語り続ける。


 士紅と九央との関わりを見せ付ける風景は、「丹布士紅を返せ」と黙して語っていた。





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