第十六節 侍が住まう国・九央からの訪問者。




「士紅、気にする事はなくてよ。

 この日を境に、大人達はてのひらを返します」

「丹布君、これから大変だな」


 ルブーレンの豆台風が過ぎた、晴天に似た控えの座敷。


 ルブーレンは、マーレーンを郷里に持つ美女。

 リュリオンの根底を支える、精悍な壮年男性が、口々に士紅を擁護する。


 その会話に、違和感を持った千丸が問う。


「……ん? 叔父さん、丹布の事を知っとるんか」

「当たり前だろう。だから〝世界征服するのか?〟ってたずねたのさ」


 叔父、源緒の口振りでは、強化組全体より、士紅単体を差す。


 流れで士紅を見る千丸だったが、返って来る似紅にせべにの視線は、ここで語る程、野暮では無いとばかりに沈黙した。


 事が起きる前に、プリヴェールは艶のある声で、本会場の茶席への案内を買って出る。

 元々、そのために郷咲に先導を依頼していた。


 この栄誉に、メディンサリは信仰する神の御名をとなえ感謝し、他の面々も恐縮する中。

 士紅と源緒だけは、プリヴェールの不興に触れる。


「女神と言うより、魔女なのに」

「確かに。丹布君は、的確な事を口にするよなァ」

「……何かおっしゃって?」


 優美にかえりみるプリヴェールの笑顔に対し、「何でも無い」と。応えるだけで精一杯になる、懲り無い二名だった。




 ○●○




 茶の湯をたしなみ、和となし、親睦を深める場所。


 移動後も汗ばむ事のない、空調設備に守られた快適な空間には、茶葉の薫りと弦の音が、賓客達をもてなす。


「良かったァ、静まり返った一室だったら、どうしようかと思ったぜ」

「……適度な会話も、礼儀の内だからな」

「黙っていろと言われても、無理な事は昔から承知済みなのだろう」

「凄い事を言いますね、柊扇君」

「口なんて閉じていられないよね~。前の人のお茶碗とか、お菓子とか綺麗~」


 先程の騒動で見せた様子とは一転。普段の口調に戻した都長は、向かい側の賓客の席を観察する。


 大寄せに似た場所だが会話は許され、着座後は盆で運ばれる茶菓子を、嚥下えんかするまで立てない事以外は、常識の範囲内で比較的自由だった。


 出会いの縁や会話を楽しむ者。茶器を愛でる者。千丸邸の歴史ある造りを眺める者。五感で空間を共有する者。茶番ちゃばんの帯の締め方に感心する者。

 招かれた賓客達、それぞれの観点で茶会を堪能する。


「やった~、来た来た。おれ達の番~」

「都長は、少し口を閉じた方が良いな」


 何かの気遣いか、強化組八名へ同時に盆が運ばれる。


 礼節を守り、それぞれが受け取ったのだが、目端めはしが利く、礼衣とメディンサリは、用意された茶器の歴史と銘に、思わず気後れした。


「何て言うんかのォ。主賓様のご意向やからな」


 千丸は濁すが、表情は訳知り顔で口元がゆるむ。


 昂ノ介は点てられた抹茶の面に感心。

 ほぼ一気に菓子を食べてしまった都長は、茶を飲む事も忘れ、その味わいを記憶へと送り込む。

 その様子に、青一郎は茶の苦味を、どのように洗うのかと心配そうに眺める。


「お庭、手を入れられたのですか?」

「おォ。主賓様が、高名な造園師を同行されとってな。

 悪くなった所を処置して下さったり、手入れの時期の区画を、主賓様に合わせた造りにして頂いたんじゃ」


 時折、千丸邸に足を運ぶ蓮蔵が、庭の変化に気付き、千丸と話している頃。

 メディンサリが、士紅へ運ばれた盆の違和感に触れた。


「なァ、丹布。お前の黒文字くろもじ、おれ達と違わねェ?」

「武家の筋だから。九央では武家の扱いが特殊なんだ」

「へェ、それは知らなかった。え? 丹布って武家の筋?」

「うん。九央では、その扱い」

「でもよ、丹布は大ロスカーリアから来たんだろ?」


 メディンサリは、言葉を選別する。

 先程の身分だけが高い美少女のように、決して無粋な文言を突き立てる事はない。


 心配こころくばりを察した士紅に代わり、不意に現れた小柄な和装姿の若者が、廊下側から説明する。


「士紅さんの筋は、それだけ古く永いのです。メディンサリ様」


 声は、やや高いが胆が座り、袴履き和装姿の小柄な若者の風采で、着ている物から辛うじて、男性だと判別出来た。


 リュリオン人に似て黒髪黒眼。彫りは浅い顔立ちながら、異彩をかたどる。


 突然、見ず知らずの異郷の相手に名を差され、メディンサリと言わず強化組の気配が集まった。


 彼らの動向を置き去り、士紅は新参の若者の郷里の言語で、旧交を温め始める。


「何だ。『翁華』が随行したのか。『お爛ちゃん』だと期待して居たのに」

「うわ……。それ、長官にも同じ事を言われましたよ。

 親友揃って、底意地の悪い」

「っははは。許せ」

「も~。届け出の一覧表を見て、知ってたんでしょう?」

「実は知って居た」

「これだもの」


 急に交わされる耳慣れない言葉の響きに、都長は残る仲間に向かい、正直に感想を口に出す。


「何これ。どこの言葉?」

「ゼランシダルの九央じゃねェかな。

 おれ、読み書き専門で聞き取り辛いが、響きはあんな感じだった。祖父が詳しいからさ。

 千丸は分かるんじゃねェの?」

「お堅い場所の言葉なら多少は分かるが、あんな風に仲間内の砕けた会話は分からんわ」


 見えそうで肝心な部分を、伏せてしまう士紅の背後。


 今更、不安に揺れる事もなくなった強化組は、水を差す真似もせず、貴重な玉響たまゆらを存分に味わう事にした頃合い。

 茶菓子を片付けた士紅が中座を告げ、いつも通り強化組の並びで端に就いて居たため、律儀に隣の客にも丁寧に挨拶を置く。


 士紅が席を外して見えた客に、メディンサリは腹の中で目を見張る。

 どうにか気取らないように、強化組との会話を続けた。




 ○●○




 蓮蔵が指摘した通り、すっかり九央の夏の装いに築庭ちくていされた一角を眺める。


 士紅が座を外した時に、持って来た空の盆を片手に佇む。

 その隣には痩身の翁華が、士紅と同様に真っ直ぐに視線を保つ。


「意識は乗せるな。

 十二分割の二時方向をて欲しい」

「当家の、ご先祖様の祖廟そびょうがある方向ですよね。

 気になったので、郷咲さんに尋ねました」

「知って居たのか。隣の御社も?」

「そこまでは、ちょっと聞けませんでした。

 御社には違いないんですが、かなり異質なので。

 御坐おわされるのは、他の筋を護るはずの、随分と古式ゆかしい、立派な御柱様じゃないですか」

「元の家筋、判るか?」

「彼らの……、彼の家でしょうか」


 身体も異郷の黒い目線も動かさずに、翁華の声は青一郎を差す。


 士紅の端正なかんばせは、再び不愉快に染まる。


「あ~ぁ。面倒な事になった。

 この間は夜に来たんだが、その時は全く気付か無くてさ」

「午前中で、この雰囲気だからじゃないですか? 浄められた祭祀場のように美しく、ハレがうたう大気です」

「元に戻すべきだと想う?」

「私は反対です。

 祀られて時間も長くち、御柱様は当家を気に入られ、当家の祖霊の皆様に慕われて、感謝の念で満ちています。

 それと、およそ十年前に深い祝いが行われていますね。

 ……駄目だ。もう、これ以上の探りは気付かれてしまいます」

「ありがとう。充分だよ」


 士紅の一言に、翁華は少々申し訳なさそうに、はにかんで見せる。


「ごめんなさい。私の主観をお求めのようだったので、本当に一方的に並べましたけど、大丈夫でした?」

「うん、そこに用があったから。

 それにしても参ったな。シュレイフを、早々に帰すんじゃ無かった」

「士紅さんでも、事足りるんじゃないですか? 〝お狗さま〟の件みたいに、ぱぱ~ッと、ささ~ッっと」

「今回は相性が悪過ぎる。

 有無を問わず、綺麗に破壊なり消去するのは得意だが、今回それを選択するとまずい事になるから、最初から除外した」

「怖いなァ、士紅さん」

「元々の素地が違うんだよ。

 念入りに準備を整えて、無理して心の底から頑張れば可能だが、それをすると、あちらさんが気付いて身構える。

 何より、この家が大迷惑する」

「何が目的なんですか?」


 少しだけ目線が高い士紅の端正な横顔に、翁華は歳の割に幼く見える面を向ける。

 眇める似紅は不機嫌と不愉快を込めるが、翁華には別の色も見て取れた。指摘しようか迷う中、先に士紅が口元をく。


「声を聞き、ただしたい。

 どうしたいのか、どう在るべきと捉えて居るのか」

「それは大切な事ですね。

 厚意や恩情があるとして、本来の姿ではありませんから」

「その通りだ。いつまでも甘えてゆだねて居ては、前には進め無い」

「相変わらず、厳しいな~、士紅さんは」

「違う。誰も責めて居ない。責められる訳が無い。御柱が祝ってしまったのは私の責任だ。

 アーレイン=グロリネスから全権を預かって居たのに、応じたのに。

 慢心して、この地の惨状に気付く事が出来無かった。

 結果、方々の手をわずらわせてしまった。

 ……悪かった、翁華も巻き込んだな」


 感じ取った色の正体が、言葉となって昇華される様を見届け、次は己の番とばかりに翁華は口火を切る。


「間に合ったから、良かったではありませんか」

「この状態で? 冗談は止めてくれ」

「モルヤンは、まだ生きております。

 それに、羨ましいです。すぐ近くに九央があるのに、ここ何年も、ずっとモルヤンでしょう? 士紅さんが、いらっしゃるって事は、それだけで良い場所なんです。

 私も好きですよ、この大地。血を分けたすえも残ってますし」


 年令を無視した無邪気な笑顔が、言葉に釣られて翁華へ向けた士紅の視界を奪う。


 士紅の記憶に残る笑顔と、寸分も違わない翁華の表情に、かつて重ねた時代と風景が重なる。


 想わず、懐かしさに意識が引きずられた。


「翁華から、貰ってばかりだな」

「そんな事ないです。私は、ずっとずっと、士紅さんから頂戴するばかりです」

「そうか? 覚えは無いよ」

「気付いて下さいよ~。貰い過ぎちゃって、毎日が幸せ過ぎで困るくらいなんですから。

 諦めていた事も、手離した事も、この手で壊した事すらも。

 士紅さんに、殴られ蹴られ、痛烈な罵声を浴びせられて、戻って来ました。

 大切な物が、全部」

「全部は言い過ぎだろう」

「い~え! 全部です。士紅さんに出逢った皆さんが感じるはず。

 貴方が恋しくて、逢いたくなるんです。

 私が、ここに立ち、また、士紅さんに逢えたのは、貴方が差し出してくれた、白い手をつかんだからです」

 

 翁華もとらわれる寸前。


 モルヤンに居るはずの士紅が、九央で過ごし活躍したの姿に輪郭が変化し、それを許してしまいそうになる。


 記憶の境界を彷徨ほうこうする翁華を引き止めたのは、士紅が持つ茶の湯の盆だった。


「ああ! ごめんなさい! いつまでも、お盆を持たせちゃって。これ、貰います!」

「あ、あぁ。頼むよ」


 焦る翁華は、照れ隠しのように士紅から事後の盆を奪う。


 控える段取りに改めて青くなり挨拶もそこそこに、早々に辞してしまった。

 急に手透きになった士紅が、空けて居た席に戻ると、メディンサリが出迎える。


「もし。失礼するよ」


 見計らい、隣のルブーレンの老紳士が、静かに重々しく士紅に話し掛けた。


「初めて声を掛けさせて貰う。

 私は、『ジェダンブル=ヴュラン=テレシカ』と申す。

 そこの金髪の小倅こせがれとは知った顔です。今後とも、お見知り置きの程を」

「御丁寧に、恐れ入ります。

 丹布士紅で御座います」


 名乗る老紳士に対し、適切な礼節で応える士紅を尻目に、メディンサリは、ついに動き出した老紳士の一挙手一投足へ、最大限の警戒を構えた。





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