第十五節 茶宴と、若き熊虎の咆。
モルヤン最強の武人・郷咲に案内され、都長とメディンサリが仲間内で最後の訪問者となる。
二人はばつが悪そうに非を詫びるが、遅刻と言う時間でもなかった。
季節の割に過ごしやすい気温と湿度、天候に恵まれた吉日。
以前、呼び出された夜の印象とは、また異なる広大な庭や邸宅の佇まいを誇るコノエモトの千丸邸には、モルヤンでも指折りの名士、紳士淑女が招かれる。
自らが展覧会の様相を呈している中、二人の恐縮振りも致し方ない。
「皆が早過ぎるんだよ。近所の蓮蔵が一番乗りってどう想う?」
「間もなく、丹布君も到着したではありませんか」
「迷子対策じゃろ?」
「そこは言わぬが華だろうに」
迷子の話題で、士紅が蓮蔵と千丸に突かれる中、士紅の藍色の古い形のロングスーツに驚いた都長が裾を触りたがり、メディンサリは衿穴に挿して居た、華を模した白銀の
そんな風景を、柔らかい黒の視線で見守っていた青一郎の視界に、上背のある均整の取れた男性が満面の笑みで近寄って来た。
「やあやあ、皆。お揃いのようだな」
「あァ、叔父さん」
「デッカくなったな~ァ、咏十! つい、この間まで、こ~んなに小さかったのに」
屈んで膝丈に手を下ろすと思えば、おどけた表情を浮かべる目の位置で、親指と人差し指で僅かな間を空けて、胎児並みの幅を示す。
「何を言うんじゃ。三日前に
一応、紹介しとくと、叔父の源緒。
何でか知らんが、グランツァーク財団の海外開発部の平社員やっとるわ」
「棘のある言い方だなァ、我が愛しの甥っ子よ。
……むッ!?」
どこか芝居掛かる反応と、良く動く表情が強化組の御面相を眺めて回る。
「……話には聞いていたが、ここまで揃うと
涼しい顔して、実は野心家だったんだな。
その歳で世界征服を視野に入れるとは。兄さんも義姉さんも、草葉の陰で立派なモンだって喜んでるな。うん。喜んでる」
「んな打算で付き合い広げる程、器用やない」
「やろうと思えば出来るだろ。この面々ならよォ、少しは野心持てって」
「無茶言わんでくれッ。
んな事より、早よう嫁さん貰えよ!」
叔父と甥の近い距離感の会話に、強化組が気持ちを
気を持ち直したその主は、穏やかな身内の会話を折る覚悟で問い掛ける準備を整えた、次の瞬間。
千丸の背後を取った少女に場を奪われてしまった。
「お招き、どうもありがと~ォ。大好きよ! 咏十ォ~ン」
「は!? 何じゃ!?」
「嫌だわ。
淡い水色の最新の夏ドレスに身を包む、ルブーレンの典型的な美少女が、千丸の背中から抱き付き離れない。
美少女には見えない千丸の顔は、不本意の渋い文字が書かれている。
「へ、へ~。千丸の許婚さんか。お国通り、大胆な方だね~」
都長が少々身体ごと
我が意を得たと掴んだのか、美少女は甘えた声で言葉を重ねる。
「あらァ、咏十のお友達? 紹介してよォ、咏十ォ~ン」
「……ルブーレンのね、ジョゼアーヴ侯の姫君で、エイジー様だよ」
貝になってしまった千丸に代わり、源緒が説明をすると、エイジーは非難がましく源緒を睨み付けた。
どうやら姫君は、〝愛しの咏十〟に紹介して欲しかったようだ。
「咏十ったら、照れちゃって可愛い! 大丈夫。
アタクシと結婚したら、世界征服なんて簡単ッ。咏十の代で経済圏一級海里になれるわよォ」
「は? そんな簡単になれる訳……」
「ジョゼアーヴの家名と手持ちの部門が来た所で、叶うはずが無い。
どうせ婚姻するのなら、この中から選んだ方が数億倍意味がある」
場を読まない美少女に、士紅が処世術も何もかも投げ打ち、不機嫌全開のまま整い過ぎる口火を切った。
たまたま近くにいた昂ノ介と礼衣が視線で制するも、士紅は振り払い続行する。
「なッ、何ですって!?」
「邪魔なんだよ。
小娘が夢物語で、経済圏一級海里の絵図面を描くな。
婚姻による政略のみで千丸の代で一級海里にしたいのならば、八万人と婚姻を交わし、六百万人の愛人を持つ事だな。
無論、老若男女を問わずだ」
「そんな数は相手に出来んのォ」
遠慮の無い士紅の暴言で縛が解けたのか、千丸も調子を取り戻し始めた。
「判ったら、千丸から離れろ。
それとだ。許婚を名乗るなら、そのふざけた発音を止めろ。
千丸が〝咏十〟に込められた想いを、どれだけ大切にして居るのかを知って当然だろうが。
正確に呼べ」
服装や国籍で通される部屋は異なるが、広過ぎる座敷には強化組の他にも招待客が通されていた。
その一室に緊張が走り、騒動の中心へ多種多様な視線と意識が集まる。
「お前が、咏十に寄生している汚らわしい下郎ね? 排除するために調べたくても、誰にも検索が叶わないのは当然だわ。
だって、お前は戦災孤児に指定されているんだもの。
家も家族も出身地も、あるはずがないものを、調べられる訳がないわよねェ」
無言の士紅に、思わず強化組も注視する。
先日、家族構成を聞かされた青一郎達も動揺を隠せない。
「お前は、誰にそんな物言いをしているのか分かっているの? アタクシはルブーレンを古くから守る誉れ高い血統に連なる高貴な人間なの。
お前のような親も兄弟もない、家名も財もない分際で、この千丸の土地に上がり込むなんて、無知で卑しい鼠の性分よね」
ルブーレンの血統が生んだ綺麗な顔に、歪んだ笑顔を浮かべる。
士紅を徹底的に
「まったく嘆かわしい。
どこの銘柄かも分からない服を着て、よくも千丸のお茶会の場に、今も
無知無学って、本当に恐ろしいわァ。
ホホホッ」
自身の優位に酔いしれるエイジーは、士紅の周囲が変化する様子を、見落とす致命的な失態を起こしているのだが、気付けない。
丁度、貴賓を案内して来た郷咲を捕まえ、エイジーは傲岸に呼び止める。
「あら、良い所へ。
郷咲、この汚らわしい下郎を早々に追い出して頂戴な」
郷咲は貴賓の案内を止められてしまったが、こちらから見えない貴賓の配慮で、郷咲はエイジーへの対応を許された。
「どうしたの、郷咲。
咏十に近付く害悪を駆除するのが役目でしょう? 早くおし!」
「あの。
お話中、済みません」
「……あら、都長様。何でしょう」
「我々の大切な仲間への誹謗中傷、今すぐ止めて下さい」
普段の間延びした雰囲気を締め、都長が毅然と言い放つ。
その幼い顔には、エイジーが誇る血統をも凌駕する古い祖先の血を背景に、眠る怒りを黒い瞳に
「な、何を仰るのですか! 都長様ともあろう御方が。
その下郎は……」
「ですから、丹布は下郎ではありません。
姿勢も良く、礼儀正しい。冗談は言いますが、品性を欠く言動など一切ありません」
「それは、都長様方の側にいるため、卑しい姿を隠すための演技ですわ。
お気を付けあそばせ」
エイジーの言葉を受け、都長が小さく笑う。相手の優越感を逆撫でする絶妙な息。
当然、エイジーは術中に
「侯爵家の姫君ともあろう御方が、真偽を他人に委ねて飲み干されるのですか。
成る程、そうですか」
「……は?」
「私は不勉強なので、丹布が着る服の銘柄は知りませんが、仕立ての良さは分かります。
モルヤンにもない織り方は、我々の誰よりも上質です。
機械織りでは出せない、繊維の面まで揃っています。
こんな事を可能にする職人が、世界に何人いらっしゃるのか」
お姫様の寸劇の幕を降ろす頃合と見たメディンサリが参戦する気配に、ついエイジーは身構える。
「九央織りに近いでしょうね。
フラワーホールに挿す飾りが目に入らなかったのですか。
ゼランシダルに轟く『名工の一族・冶荻木』の手による物です。
しかも、『初代・鈴級』の作品。
誰が持てるんです? こんな奇跡の逸品を」
「は、はァ!? 九央ですって!?」
「ついでに申し上げますと、その鈴蘭に似た飾りの裏には、九央の言葉で次のように刻印されています。
〝永遠の友へ。吾は丹布と共に在れり〟」
「善く読めたな」
「読むのは出来るんだ。祖父に感謝だぜ」
「もう、気が済んだかしら。
この場は、お納めになる方がよろしくてよ。
これ以上の視線は、貴女に良い結果をもたらさない事は、賢い姫なら分かるでしょう?」
「フレク=ラーイン様……」
案内を待ってくれていた郷咲に、丁重に詫びたプリヴェールは送り出す。
自身はリュリオンの座敷の礼節に倣い入室し、適切な距離を置いて正座した。
ごきげんよう。そう、優雅に添えて。
「それにしても、エイジー姫は服装に対する審美眼がよろしくていらっしゃるのね。
どうしましょう。
ご不快よね? ごめんなさい」
謝罪を口にしながら全く非を込めず、婉然と微笑むプリヴェールの、茶会に
結い上げられるプラチナブロンドから一房流れる色の共演は、まるで生ける絵画。
「エイジー姫は、大切な許婚が心配で仕方ないのね。
そのお気持ちは、痛い程に分かります。
でもね、士紅の戦災孤児指定には意味があります。貴女が知らないだけで、士紅には立派な素姓がありますのよ。
それがなくても、
彼らと同じようにね」
ルブーレンの階級社会は、絶大な間仕切りがある。
しかし、そこには例外も存在する。階級から言えば、プリヴェールよりもエイジーの侯爵家の方が断然に上だが、現実は、この場が証明していた。
エイジーはプリヴェールが持つ全てで捻じ伏せられ、一言も発する事が許されない。
「だから、安心なさって。
エイジー姫の不安に触れる事態を、もしも士紅が起こしてしまったら、
「年頃のお姫様が、首なんて貰っても困るよな?」
「う~ん。ワシも要らんなァ」
エイジーは、その場を辞した。辞さずを得ない。
小さな足音の気配が消えたと確認し、一同は張り詰めていた空気が解けて行く様子を確実に感じた。
「二度と目の前に現れるな。
って言ったも同然ですよね。恐ろしい場面を拝見した気分です」
「あら、そう? 皆様は違ったかしら」
言葉に出したメディンサリを筆頭に、強化組の面々は黙り込んでしまうが、この沈黙こそ答えだと言えた。
代わりに、千丸が顔を上げ士紅に向き直る。
「済まん。
ワシらは気にせんかったが、周りは違うらしくてな。守ってやれんかった」
「気にするなよ。お姫様に噛み付いたのは私が先だ。騒ぎを起こして悪かったよ。
プリム、源緒さんも、ありがとう」
士紅が放った数々の激しい物言いは消化されたのか、突然に火が点いた不機嫌も散ったのか冷静になったのか。
律儀に、同室にあった招待客にも非を詫び、深々と潔い謝罪と礼節を捧げた。
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