第十四節 衛星レヅル。 




 その日は眩しいくらいの晴天。


 澄んだ青い空に若人の声や、跳ねる一球の快音が昇る。

 夏は本番を迎えつつあるが、木陰に入れば快適なリュリオン。


「悪い。火関、待ってくれるか」


 流れる汗もそのままに、消える表情で制止を求めた士紅は対陣に断りを入れ、ベンチで部誌を付けていた蓮蔵を呼び、代理を頼んだ。


 士紅はコートへの一礼の後、通りかかった青一郎を捕まえ、一時抜ける事を告げ許可を得ると、防護柵の向こうで存在感を放つ銀髪の長身男性へと真っ直ぐに歩み去った。


「……あの方は、いつぞや丹布を迎えに来た御仁だな」

「見忘れるはずがありません。見事な銀色の滝。浮き世離れの容姿を」

「親友なんだって。丹布君が言ってたよ」

「……プリヴェール様と言い、随分と歳が離れた繋がりだな」

「我々と似たような感じではないでしょうか。同級生より、年配の知り合いの方が多いのは」

「……ふむ。それは道理だ」


 コートでの火関と蓮蔵の会話を耳に入れ、その一言を加えた青一郎は不機嫌そうに、冷ややかに。柔らかいはずの黒い瞳は表情を移し視線に乗せられる。


 その先には、防護柵の向こう側の観客席で並んで立つ、士紅とシグナがあった。




 ○●○




 シグナから受け取った黒いファイルへ、似紅にせべにを走らせながら士紅は、雑談を投げる。


「単独で視察とは、よくも許可が降りたな」

「褒め無いでくれ」

「お前の聴覚と認識反応、異常をきたして居るのでは? 褒めた覚えは無いぞ。

 それにしても、これはまずいなぁ。

 これ程のさぐりが入って居たのか」

「仕方あるまい。相手はモルヤン有数の御子息だ。

 善い機会だ、先方も君に会いたがって居たのだし」

「『御隠居』を引き合いに出すとは、シグナも人使いが荒いよな」

「……っふ。褒め無いでくれたまえ」

「褒めて無いんだよ」


 黒いファイルをシグナに戻した士紅は、ふと視線を上げた。


 そこには昼に浮かぶ、白い衛星の『レヅル』。

 気付いたシグナが、鏡色の視線を合わせた。


「レヅルが、どうかしたのか」

になってから、一四二八年か。

 丁度、〝大祭〟の翌年だったな」

「その通りだ。目下、進入権限の一切を持ち逃げし、レヅルとレヅルの先住民族・ベルジンの資料をモルヤンから駆逐したの所在を追って居る」

「今となっては、無条件でレヅルへ降り立てるのは、アーレイン=グロリネスだけだ。

 仕掛けたが放棄する程の荒れ狂う〝場〟と化して居るでは無いか。

 のたった一つの功績は、物理的にも法的にもレヅルを不可侵にした事だけだ」


 似紅を不快にすがめ、虚空に吐き捨てる。

 その視線が語るのは、過去の失態の後始末と、先に待つ〝大祭〟の張り直しの重責だった。


「さすがは、〝《人界》最大にして最古のおり〟が通り過ぎた場所だ。

 様々な禍根をのこし、び寄せる」


 シグナも当時を回想したのか、重々しく極上の口元を開く。


「モルヤンの結界にも干渉の形跡がある。下手をすると、侵入を許している節もある」

「仮にも、このモルヤンは、あのアーレイン=グロリネスが〝祭祀〟を執り、うたわれた地なのだぞ。

 私の見立てですら、何ら異常は無いのだが」

「う~ん。アーレイン=グロリネスが来てくれたら、原因も明確になるんだけどなぁ。

 だが、焦って動かすのは危険だし、八住兄弟も縫い止めて居るから、当分は現状維持で決定だ」

「今ぐ、アーレイン=グロリネスを喚べ。

 もしくは、守斎布を現場に戻せ」

「却下。シュレイフが表に出すなと、かたくなに譲ら無いし、懮は連堂に居てくれないと困る」


 言い出せば聞き入れ無い、唯一無二の親友の強情さに、諦めの心境に至ったシグナは、不意に気になって居た事を想い出す。

 これ以上進展を見ない話題に見切りを付け、転換する事にした。


「それはそうと、昨日は何処どこに泊まって居た? 管制塔を尋ねても、規約を盾に教えて貰え無かったのだが」

「柊扇邸。誘われたから強化組で合宿した」

「……あの少年の所か」


 シグナの鏡色の視線が、正確に昂ノ介を差しながら妙な胸騒ぎを感じた頃、約束して居た本来の相手、深歳が謝罪と共に訪れた。

 シグナと話に入る前に、士紅を視界に入れた深歳は、心配そうに優男の口を開く。


「丹布君、昨日の熱は下がりましたか? どこか身体が痛むとか、気分が悪いとかありませんか」

「大丈夫です。お騒がせ致しました」

「うんうん。そうですか、安心しました」

「何だと? 熱を出した? 何かの冗談では無いのか」


 師弟の会話に、珍しく顔色を変えたシグナが割って入る。


「前にも言っただろう、身体が気怠けだるいと。

 最近は多忙だったし、疲労とやらが溜まって居たんだな。

 全く、不便な四肢だよ。こんな身体で活動するヒトを尊敬する」

「何故、本社に戻ら無かった?」

「実験台になると判って居て誰が戻るか。

 青の屋敷に至ってはプリムや八住兄弟に、軟禁されるくらいの看病が待って居る事すら、容易に想像出来たからな。

 熱が出たくらいで騒ぐなよ」


 確かに数日前、車内で身体の不調を訴えて居た覚えはあるが、〝枷〟の効果が天貴人、しかも別格の士紅に、そこまで深く作用をしていると考えに無く、普段の冗談だと捉えて居た己の甘さを恨めしく想う。


 次の言葉を巡らせるシグナの思惑に、先程の胸騒ぎが急浮上した。


「彼の、柊扇昂ノ介の邸宅に泊まったと言ったな。風呂はどうした。

 君は一日に一度、必ず沐浴もくよくを実行する習慣があるはずだ」


 怖がりの乙女が、覚悟と承知を胸に、恐怖の領域へ踏み出す決意の場面。

 そんな姿が今は似合うシグナに、士紅は無遠慮な鉄槌で、恐怖の領域ごと粉砕する一言を滞り無く述べる。


「立派な檜風呂に入ったよ。皆で入ったから、もやった。

 背中を向けて一列になって、前の奴の背中を洗うの。

 憧れて居たんだよなぁ。叶って嬉しいよ」

「み……っ、みん……っ」


 シグナが、見た事も無い面白い顔で刻を固着してしまった。


 蝉の物真似ものまねに合わせるにしても、極上は崩れぬものだと士紅が無表情で感心して居ると、我に返ったのか、シグナは捲くし立てるように蠱惑的な音律を奏で始める。


「皆とは、あの?」

「うん。強化組の皆だ……」

「何故だ。何故なのだ、士紅っ! 私が幾ら誘っても返って来るのは鉄拳ばかり! あの八住兄弟でも四の五の言い捨て相手にもせず、一緒に入るのは猫だけの君が、何故。何故、あの小童共と沐浴などっ」


 美丈夫の絶叫に似た、舞台の一場面を思わせる風景と迫力に、間近にいた深歳は身体を跳ね強張こわばらせた。

 善く通るだけに辺りに響き渡り、注目を集めてしまう。


「見せたのか? 自慢の肌を晒したのか!? 私が見る前に!! 何と言う悲劇なのだろうか。付き合いは私の方が断然永く、優位のはずだったのにっ」

「落ち着けよ、シグナ。

 多分、変質者だと想われて居るぞ。それに気持ち悪い」

「私は、変質者とは断じて違う。

 君を知る者は皆、取り乱すっ」

「う~ん。そうかなぁ」

「社に戻るぞ。医療部に細密検査をさせる」

「シグナ」

「熱が出て、気も乱れたのだろう。

 悪かった。君が頑丈過ぎる事をるが故に、聞き流してしまった私を許して欲しい」

「シグナ」

「想えば、私は……」

「シグナ、大嫌い」

「え!? そんなの嘘だろう!? 嫌だ! 撤回を要請する!」

「何だよ、聞こえて居たのか」

「その前に、撤回して欲しい。

 このような仕打ちなど耐えられぬ!」


 このやり取りが面倒になって来た士紅は、「取り敢えず、嫌いでは無いよ」そう捨て台詞を残し、この場を深歳に預けて退散する。


 何か言いた気にして居たが、満足したのか、シグナは何事も無かったように平素に戻り、深歳との打ち合わせを始めた。




 ○●○




「面白そうな人だね。シグナさんって」

「ただの変質者だ。

 あんな話を大きな声でわめき立てるんだからな」


 ダブルスの新しい陣形と、その欠点を話し合う間に、先程の会話について青一郎が触れて来た。

 なかあきれて士紅は言い捨てる。


 判りにくいが、相当恥ずかしかったようだ。


「……その様な言い方はないだろうに。親友なのだろう?」

「あぁ、在純から聞いたのか」

「しかし、風呂の事で、あれ程の騒ぎになるのは何故なんだ」

「さぁな。……シグナ達と入った事が無いからかな」


 昂ノ介と礼衣も参入し、半袖から伸びる黒いシャツの腕を前で組み、士紅は想い当たる節を考えた。


「親友なのに、入った事ないの?」

「入る必要なんか無いだろう」

「もしかして、丹布君って一人っ子なの? 普通、小さい頃は親・兄弟で入って慣れるものだよね」


 話の食い違いに、住む場所によって慣習が違うものかもしれないと感じ始めた青一郎だったが、ここで士紅が黙り込んでしまうと、触れてはならない場所に、土足で踏み込んでしまったのか。

 気拙きまずい思いが、苦味のように胸の内に広がり出す。


 しかし、端正な表情に曇りは無く、再び士紅は口を開いた。


「まぁ、善いか。別に」

「……話しづらいなら無理をするな」

「あぁ、大丈夫。どうせ、この感じでは押し掛けて来るから」

「誰がだ」

「兄だよ。私には兄が居る。実質、かな」

「そうなんだ。良いなァ、沢山お兄さんがいて」

「確かに、賑やかだよ。私は末子扱いだが、養子なんだ。

 目的に合わせて寄せ集められて、兄弟ごっこをして居るだけ」


 突然の重い話に、旧知の付き合いがあり、三つ子扱いの三人も思わず閉口する。


「心配するなよ。

 血の繋がりみたいな物が全く無い訳じゃ無いし、その辺の兄弟より仲が善くて、信頼して居る。何処の誰よりも。

 兄は皆、社会で生計を立てて居るから、揃う機会が少ないだけ」

「そうだったのか。それで、ご両親とも離れて暮らしている訳か」

「両親は居ないよ。気付いたら、私にあるのは名前と兄達だけだった。

 兄達が、私の最初の家族」


 普通の身の上とは違うと薄々予想していたが、上回る内容に三人は沈黙してしまったのは、声の掛けようがなかったからだ。


 加えて士紅には悪いが、全てが真実なのか確認不可な事情の鵜呑みも躊躇ためらわれた。


 出来れば、普通の幸せな家庭の愛情に包まれた、育ちの良い御曹子で居て欲しいとの観測的希望もあるのも事実。

 それを面について出してしまえば、士紅を傷付け尊厳すら踏み荒らしてしまうと分かっていても。


 また、士紅の雰囲気から、易々と真実を語るとは到底考えられなかった。

 今も、彼らの意志に反して、調査の手が届かない白い闇の向こう側に、素性を隠しているのだから。


 それでも、士紅の口から素性の一部が聞けた事は素直に嬉しいと思い、周囲の心労を余所よそに、青一郎達は士紅に対し、本能的な警戒は既に解いていた。


「優しいんだな」

「え!?」


 士紅は、思いを見透かすような似紅を順に向け、意味深な笑みが浮く端正なかんばせが底意地の悪さを小気味善く伝える。


「お~ィ、そこの四人さんよ。

 次の連休の初日、ちょっくらワシに時間をくれんか」


 千丸が、のんびりと歩み寄りながら、意図を捉え辛い問い掛けをすれば、気分を切り替えた昂ノ介が、大真面目に返答する。


「勉強でも見て欲しいのか。

 この間の勉強会では得手不得手の差が酷かったからな」

「それは間に合っとる。

 他の三人には了承は貰ったんじゃ。さっきケータイで連絡が入っての。

 ウチに、美味い茶を飲みに来んか?」


 


 

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