第十三節 手にする一刀、その刃。




 脅威が去ったと安堵したメディンサリが士紅の背後から脱し、空色の瞳に好奇心の星をまたたかせる。


「この間、チラッと言ってたよな。片刃を扱うってよ」

「へェ~! そうなの?」

「まぁね。

 私は、ヒトを殺すための稽古は行わ無い。刀剣は、祀器さいき、ヒトを殺傷するために生まれ、どんなに美麗や御託で飾り立てようと、私が手にする一刀はヒトを斬り殺すための道具。

 一刀の重さ、己の可動領域を確認する手段だ。

 それ以上でも以下でも無い」


 人斬りではないか。


 邪推しそうな士紅の口振り。姿勢は昂ノ介に向き直って居るが、似紅の視線は外され、強化組の誰にも合わせ無い。


 一刀本来の働きと接する凄みすら、昂ノ介は感じ入る。

 物心をつく前から手にした一刀と、士紅の一刀。

 その違いを比べてしまいそうになり、浅はかな思いに埋没する寸前で、昂ノ介は士紅の声に引き揚げられた。


「演武なら披露出来るよ。

 ただ、柊扇の稽古場の具合によっては、それもかなわ無い。それでも善いかな」

「あ、あァ。祖父も満足するだろう」

「それ良いなァ。おれも見学してェんだけど」

「はいは~い! おれも見たい!」


 メディンサリと都長が連れ合って希望を述べる。

 妙な流れに、一旦仕切り直すため言葉を繋ごうとしたが、仲間の波状攻勢は止まらない。


「では、柊扇君の所で泊まらせて貰いませんか」

「図々しいのう、マコト。ワシも押し掛けちゃる」

「な、何だと!?」


 この年令で、遠慮と気遣いの紳士の代名詞のような蓮蔵と、普段は無関心と隔たりを全面に押し立てる千丸が意外な言葉を発し、思わず昂ノ介も聞き返してしまう。


「合宿みたいで楽しそう。良いよね? 昂ノ介」

「……では全員、着替えや明日の準備を整えたら、昂ノ介の家へ集合だ。大丈夫だとは思うが、場所が分からなければ気軽に聞いてくれ」


 付き合いも長くなると、我が家の気分で決定を宣言する青一郎や礼衣に対し、仲良く声を揃えて一同が返事をする。


 昂ノ介は反論の言葉を練る努力を諦め、蒼海色のケータイを手に取り通話機能を呼び出し、恐る恐る家人の馬城に話を通すための話を紡ぎ出した。




 ○●○




 個人道場にしては、歳月を経たおもむきも深いたたずまい。


 床も磨き抜かれ、使用者の志の高さが垣間見える。

 看板や門下生は抱えず、柊扇家が脈々と受け継いで来たと道場まで案内しながら語るのは、願いが叶い上機嫌の昂ノ介の祖父・威峰。


 当然、急に増えた見学者にも嫌な顔を一つせず歓待し、家人の馬城に至っては「坊ちゃまに、これ程に立派な御学友が大勢いらっしゃるとは!」と、般若に見えがちな厳しい顔付きが一気に涙に染まりそうだ。


 入口で礼節を尽くし、一通り道場内を巡った士紅は、改めて正面に向い袴を払って正座をし、床に手を就き深々と頭を伏した。


 次いで、何故か次席・参席でも無い方向へ正座を移すと、遙拝ようはいして立ち上がり、襟と帯を整える。


 昂ノ介が使っている練習用の和重ねの上着と紺袴を、士紅は借りて着用して居た。


「丹布君、本当に大丈夫? 押し掛けて来て何だけど、本調子じゃないでしょう?」


 準備が一段落した事を見計らい、今更とは思いながらも、青一郎は不安を素直に問う。


「気分も悪く無いし、この程度なら剣気で払える。

 問題は無いので、このまま続けます。柊扇の御祖父様」

「うむ。よろしくお願いする」

「丹布、この刀を遣ってくれ」


 祖父の声を合図にしたのか、昂ノ介が黒塗りの鞘に納められた一刀を、両手で差し出して来た。

 その気遣いには感動した士紅だが、使用は断る。


 双方が軽く揉めている風景を見ていた都長が、拾った士紅の一言を取り上げ、事情に詳しそうな礼衣に説明を求めた。


「さっき、丹布が〝一刀が怯えて居るから遣えません〟って言ったじゃん。

 どんな意味?」

「……刀にも相性がある。

 職人が、一身命を打ち据えた逸品ならなおの事。魂も宿る。

 その魂すら、丹布の剣気に呑まれているのだろう」

「刀剣の世界も、奥深いのですね」

「あの一刀は『宣長伯父様』。昂ノ介の、お父さんが打ち据えた品だ。

 柊扇は、元は鍛鉄たんてつ民の長の名。採掘と鍛鉄を生業なりわいとした。

 人々の生活の境界を守り、天候から時節を読み、神々を祀り、その声を介する巫覡みこを飾る神器を製作し、納めていた先が、在純だ」

「古い話だなァ」

「参考までに言えば、火関は文武をもって、在純・柊扇の民を守る一族だった」

「へェ~。三人とも、やけに親密だと思ってたら、そんな訳だったんだ~」

「古い血統やとは聞いとったが、そこまで古いか。成る程なァ」


 それぞれが、深い歴史と繋がりに思いを馳せる中、士紅が頃合いと見て、一同に演武の開始を尋ねて来た。

 折り合いの果て、木刀での演武におさめ、青一郎から承諾の返事を受け、士紅が確認も含め威峰に事情を語る。


「普段は我流なのですが、当道場を荒らしかねません。

 正統派の型抜きになりますが、御了承下さい」

「承知した。して、流派の御名は?」

「先程見せて頂いた型も近い、『二ノ布眞狼流・弐ノ陣』です」


 二ノ布の名に、威峰や昂ノ介と言わず、数人の強化組が驚嘆した。


 経済圏の一級海里・ブロエを支配する大家の名に。二ノ布以外には門外不出の流派に。


 そんな空気の中、二ノ布の宗主とは代々懇意なので、特別に一部の剣陣を伝授されたと、士紅は軽く言う。


「いざや、参らん」


 作法を経て、己の意を差し出し締める陣を構築し、士紅の演武は開幕した。




 ○●○




 「御粗末様に御座いました」


 所作しょさを終えた士紅の剣陣の気配は、既に何処にも無い。


 知らぬ者は近寄り難いだけの、普段の士紅に戻って居た。


 峻厳しゅんげんであり、嶄然ざんぜん

 一刀へ至る道では無く、士紅にしか辿り着けず、誰も通れぬ世界が在り、その場所を護り続ける孤高の姿。剣陣の内側の士紅は、触れる事も見る事すらも畏怖いふの境界の向こう側。


 ただただ、現し世に在らざる秀絶の風景をあらわす。


 唖然とする面々の中で、ふと隣の変化に気付き、青一郎はハンカチを向けると、昂ノ介は素早く受け取り目元を拭う。

 誰も、昂ノ介を茶化さない。それぞれが、心ここにあらずの心境で、構っていられないのが本音だった。


「……魂が揺れるとは、この事なのだろうか」

「何なのさ~、丹布って妖怪とか、お化けなの~? 人間の領域じゃないって」

「失礼ですが、同感です。

 不粋で申し訳ありませんが、舞で例えさせて頂くなら、まさに幽玄ゆうげんでしょう」

「この手の事は素人じゃが、丹布の腕は次元が違う気がするのゥ」

「驚いたぜ。たまに真剣に見間違えたからよ」

「皆、褒め過ぎ」

「丹布君は凄いな。何でも出来るんだね」

「そうやって、私はねたそねみを買う」


 士紅が顔を作って冗談を言うと、青一郎はほがらかに声を立てて笑う。


 その様子を威峰は珍しい物を眺める視線に、士紅だけが気付くが触れず、先程から沈黙する昂ノ介に話題を振った。


「柊扇。胴着、このまま借りても善いか。この方が落ち着く」

「あ、あァ。好きにしろ」

「悪いな。ありがとう」

「良いよなァ、丹布。

 おれも、そういうの着てみたい」

「メディンサリ様、もしよろしければ浴衣の御用意を致しますが、いかがなさいますか」

「お借りします」


 即答したメディンサリに、全員の顔がほころび、仲間だからこそ共有出来る笑声に包まれる。

 釣られたのか、威峰も口元や目尻に孫達を見守る優しい皺が浮かぶ。


「さあ、皆も疲れて腹も減っただろう! 自慢の食事も風呂も用意してあるぞ。先に、どちらを選ぶかね?」


 八名が、揃って大きな声で「食事です!」と答えてしまっては、ついに威峰も大笑いを解禁せざるを得なかった。




 ○●○




 広い洗い場に、埋め込みの檜の浴槽は掛け流しの湯が滾々こんこんき、心地好ここちよい熱気が包む。

 透明な大窓は人の気配を感知し、白の磨り硝子状に曇る。


 年頃の男子であっても、ここはお行儀良く掛け湯を済ませ、身体を洗う者と、そのまま湯船に浸かる者に分かれた。


「何だか贅沢な風呂だよな~。大きい浴槽は気持ち良くて好き」

「でしょ? おれもたまに入りに来るんだ」

「これだけの人数で入ると、銭湯気分ですよね」

「……行った事があるのか、蓮蔵」

「はい、温泉浴場とか普通に。

 広いのもありますが、その場にいらっしゃる方との会話が楽しいんです」

「意外だな。興味はあるのだが、機会がなくてな」

「今度行きましょうよ。柊扇君」

「うむ。考えておく」

「在純、都長、メディンサリ、丹布に胸がないんは、不思議な感じがするのォ」


 洗い場で泡を立てる四つの大小様々な背面を見ながら、ゆるく水を絞ったタオルを畳み、頭に乗せた湯船組の千丸がポツリと呟いた。


「あははッ」

「変態! 何見てるのさ!」

「心配すんなよ。付いてるモンは同じだからよ」

「変な趣味に目覚めるなよ。相手は出来無いからな」


 奇しくも洗い組の面々を差され、笑い話になる。


「……青一郎は、昔から女の子に間違われていたな」

「そうだな。今も女の子のように母に可愛がられているからな。何だか申し訳ない」

「そんなの気にならないよ。大事にして貰って、嬉しいだけだよ」


 今でも十分、女の子のような雰囲気はあるが、石鹸の泡や湯の雫が伝う身体の線も肉の付き方も、男子のそれであって、自身の事は棚に上げメディンサリは意気消沈しながら左隣を見た。


「姿形って言えば、丹布はどこまで整ってるんだって言いたくなるぜ」

「被写体としては自信はあるが、形状で言えば柊扇の方が女性がよろこぶだろうな」

「ほっほ~ォ。では、見せて貰おうかのォ」

「残念ながら、湯が透明ではありませんね。柊扇君、お手数ですが立って貰えませんか?」

「止めんか! 下らん事を並べるな!」

「良いじゃんか~、参考のために見せてくれたってさ~。おれの、ちゃんと育つのかな。不安になって来た」


 泡まみれの頭のまま、タオルを巻いた内側にある成長途中の象徴を眺めながら、都長は声変わり前の音域で独り言と肩を落とした。


「大丈夫だろう。モノと身長は関係ない。

 現に、おれの父は背が低いが、母は〝昼も夜も相性が良い〟と、いつぞや話していた。見る限り、両親の仲は良好だ」

「ほ、本当に!?」

「だから、その話は止めろと言うに!」

「何だよ柊扇、照れてんのか? 実際大事な話だぞ。

 リュリオンの奴らはもっと色恋の話を日頃からするべきだ」

「メディンサリの、お国事情を押し付けるな!」

「やっぱ照れてんじゃねェか。

 分かったよ、話を変えてやる。おれさ、あんまり大勢で行動すんの好きじゃねェけど、こんなのは楽しくて良いよな。

 合宿っての? 青春って感じするよなァ」

「言えてるねェ。

 あ、そうだ。この後は勉強会にしようか。

 中間考査も近いし」


 青一郎の提言に反応は真っ二つに分かれ、一方が拒否反応を起こした。


「嘘でしょ~!?」

「か、勘弁してくれや」

「冗談じゃねェよ! おれ、皆で遊べる系のゲーム機本体とか持って来たんだぜ!?」

「何がゲームだ、愚か者! 集まっているからこそだ。学生の本分は文武両道。

 これから全国大会を目指すものならば、手本となってしかるべきだ」

「お前、どこの時代の人間なんだよ!」


 結局、メディンサリは昂ノ介を言い負かせられず、都長、千丸も、そのやり取りの中で退路を見いだせず、浸かる湯船の中で押し黙るしかなかった。






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