第十二節 待望の異変。




 士紅は自身の席で、食後の余韻に浸って居た。


 ここ数日の、加速する厄介事の増加にも想いを馳せながら、今までは気になら無かった、違和感に意識が向き始める。


「……はぁ~……」

「あれ? お疲れ気味?」


 中間考査を前に席替えがあり、士紅の席は窓側の最前列から、中央最後列へ移動した事により、話し相手が変化した。

 士紅が無意識に吐いた溜め息を聞きつけ、前の席に座る女子生徒が話し掛けて来る。


「それは無いよ。大丈夫」

「でも、昨日の休みって、ほら何だっけ、セツト大会? それがあったんでしょ」

「凄いよな~。校内新聞で見たけどさ、セツト大会まで勝ち進んで優勝しただろ。

 練習量とか半端じゃないもんな」

「え!? 優勝したの!? じゃあ、次は〝ケイウ州大会〟になるのかな」

「うん、その通り。

 州大会で五位以内に入賞すれば、夏休み期間に行われる全国大会へ進出だな」

「ホントに? 凄いじゃない! 同級生から、全国行った人がいるなんて、ちょっと自慢したくなるよね~」


 周囲の同級生が会話に加わり、賑やかさを増した。

 中には、お金持ちの人が携わる、優雅な運動競技だと印象を持つ者が少なくなく、士紅は誤解を訂正をするように、部活動としての庭球の説明を伝える。


 競技となると、地味な基礎運動を重ね、試合に慣れるために経験を積む。

 一球は放つにしても、受けて跳ね返すにせよ、危険が伴うため規則があり、遵守じゅんしゅする必要がある事。

 枠組みがあるからこそ、競う事に意義があると。


「丹布君達、頑張ってるんだ~。

 アタシ達も、雑誌広げて騒いでるだけじゃ、ダメだ~なんて思っちゃう」

「楽しみ方は、それぞれなんだし善いと想うよ。

 黄色い声の正体は、雑誌だったのか。流行はやりの芸能人?」

「それもあるけど、コレだよ」


 自身の席から雑誌を持って来た女子生徒の手には、数人の少年少女が街並みを背景に、初々しい表情。

 制服姿で掲載される、ケイウ圏内の有名中高生の制服特集で、格付けされる誌面。


 本人と学校の了承を得ていると、ページの下に小さな文字で注釈が書かれている事に、まず似紅にせべにの双眸を走らせ確認する辺りは、保護者のような気分にさせられる自覚があった。


「中学生女子の一位ってどこ?」

「ここ数年は、セマロの連堂学園。

 名門だし、そのクセ数年ごとに流行を取り入れた制服に変更するから、飽きが来ないし可愛いのよ~」

「わァ~、蒼海学院は四位に入ってるじゃない。

 お嬢様風のワンピースって珍しいし、受けも悪くないもんね」

「お! 中学生の男子は、蒼海学院が一位じゃん!」

「うっそ、本当に?」

「あれ、知らなかった? 詰め襟って、この辺りでは蒼海学院だけだし、伝統的なんだけど形も色も渋くて、逆に受けが良いのよ」

「そうだったのか! モテるのか。

 ついに、おれ達にも、モテる要素が!」

「おおおッ、他校のカワイイ彼女が出来る日も、近いって訳だな!」

「……男子って、気持ち悪~い」

「ね~? 鏡を見なさいっての」

「酷い。それ酷い過ぎねェ?」


 同級生の楽しげな会話風景を、先程から無言で眺める士紅の、普段とは少し違う部位に気付いた赤縁眼鏡の女子生徒が、右隣の席から遠慮なく指摘した。


「ねェ、丹布君。

 やはり、具合でも悪いんじゃないの? 目が潤んでいるみたいだけど」

「……そうか?」


 その言葉に反応し、近くにいた生徒達が士紅を覗き込み、様子を観察する。


「顔色は、赤くも青くもないよな……。

 って、お前、良く見ると美人だな」

「本当だ。良いな~、お肌もスベスベじゃない。

 け、化粧してたりする?」

「そんな訳が無いだろう」

「嘘でしょ……。何もしてないのに、そんなに綺麗な肌してるなんて。

 羨ましいを通り越して、憎たらしい!」


 中学生の若さで、美容を気にするのも世情なのかとも考えながらも、妙な矛先を向けられた士紅を救ったのは、五時限目に差し掛かる、時間の流れを告げた予鈴だった。




 ○●○




「……青一郎。外周走り込み組が戻って来たぞ」

「皆、お疲れ様」

「もう、開始十分でクタクタなんじゃけど」

「この程度で根を上げるな。千丸」

「……はぁ~……」

「おや。丹布君、また溜め息ですか」

「冗談を言うなよ。溜め息なんて吐いた?」

「ええ、確かに」

「……珍しいな。丹布が、この程度で疲労の色を見せるとは」

「何だと!? お前もか、丹布!」

「ん~……。正直、気分が晴れないんだよな。

 柊扇、ちょっと気合いを入れてくれ」


 士紅は言いながら、白い掌を張りのある頬に数度、軽く当てると昂ノ介に向かい、時代錯誤な注文をする。


「良いだろう。歯を食いしばれ!!」

「応っ!!」

「昂ノ介、待っ……」


 青一郎が、士紅の異変に気付き制止を掛けるが、昂ノ介の遠慮なしの平手の勢いは、そのまましたたかに士紅の左側の頬を打つ。

 互いに間合いも加減も心得た結果、小気味良い音を響かせた。


「おォ~、ェ音がしたのォ」

「次は、千丸君の番ではありませんか? 先程の走り込みくらいで根を上げていましたし」

「マコト……。最近、冷たくないか?」

「何を言うんですか。わたしは、いつでも千丸君の味方ですよ」

「う~ん」


 蓮蔵と千丸の話を聞いていた、都長とメディンサリは、互いに笑いを押さえる同士となっていたのだが、視界のはしで起きた信じがたい光景を入れる。


 頬に一撃を受けた士紅が体勢を崩し、ゆっくりと沈み、腰を落としてしまったからだ。


 さすがに驚いた一同は、口々に無事を確認する。


 それは、仕掛けた昂ノ介も例外ではなく、士紅の前でかがみ込んで様子をうかがうが、程無く士紅は立ち上がった。


「効いた……。くらくらする」

「丹布。少し触るぞ」

「ん? 何だよ」


 倣って立ち上がった昂ノ介は、律義に断りを入れてから士紅の額に、やや固い自身の利き手の掌を当てる。


「おれも迂闊うかつだったな。

 青一郎が制止したのは、この事か」

「あ、やっぱりそうだった?」

「どうしたんだよ」

「どうしたも何もあるか。

 熱がある」

「熱くらいあって当然だろうが。走って来たばかりだぞ」

「違いくらい分かる。風邪でも引いたのか?」

「風邪? これ、風邪なのか?」


 普段からすがめがちな鋭い似紅をわずかに見張り、心外とも歓喜とも言いようが無い表情を浮かべ、返答を要求する。


「おれに聞き返すな。何故、自覚がないんだ」

「顔色は悪くないようですが、失礼しますよ」

「……別に善いが、野郎ばかりに触られるのは気色悪い」

「ははは。申し訳ありません。

 ……あ~。これは、いけません。八度後半か、九度過ぎの熱があります」


 付近にいた蓮蔵が、手の感覚での検温を伝えると、珍しい状況に高揚したのか、都長とメディンサリがかさず寄って来る。


「本当ッ!? どれどれ!?」

「おれにも触らせろ!」

「寄るな。触るな。むさ苦しい」

「何じゃい。ケチケチすんな。減るもんやなし」

「減る。私のは減る」


 気付けば千丸まで加わり、触る気満々の手を怪しい位置で待機させながら非難を口にする中、青一郎達から提案が次々と伝えられる事になってしまった。


「今日は、大事をとって早退した方が良いよ。

 集中力も、なくなって危ないからね」

「では、休ませてもらおうかな。その代わり、球拾いや補給係をやるよ。

 多少動いて汗を出した方が、熱も下がるだろうし」

「……それは道理だが、調子に乗って症状が進んだ時には、即座に休め」

「それと、普段よりも多めに水分をるんだよ。良いね?」

「気分が悪くなったら、直ぐ座るんだぞ~」

「お前、本当に顔色が分かんねェからな。口で言え。口で」


 つい先程まで面白がっていた、都長とメディンサリまで真剣な顔付きで語り出す。


「判った。……判ったが皆、過保護過ぎるぞ」

「熱を出しておいて、気付かない者が何を言う。愚かにも程がある」

「そいつは悪う御座いました。取りえず、監督に許可を貰わないとな」

「うん、いってらっしゃい」

「行って来る」


 士紅を送り出した面々は、それぞれの胸中に何事かを転がしていたが、正反対の言葉を口に出したのは昂ノ介だった。


「全く。体調管理も出来ん奴に、歩き回られては困るのだがな」

「素直じゃないねェ、昂ノ介は。

 前に、丹布君が話していたけれど、家族の方々が過保護になる気持ち、少し分かるよ」

「……周囲には良く気を遣ってくれるが、自身に対しては無頓着な傾向にあるようだ」

「それで倒れられては、目も当てられん。

 やはり、無理にでも早退させるべきだろう」

「言う割には、心配そうにしとるのォ。柊扇は」

「そんなにハッキリと言って駄目ですよ。

 柊扇君は照れ隠しでしか本心を伝えられない、恥ずかしがり屋さんのようなので」

「確かに、そんな所あるよな~。柊扇ってさ~」

「こいつらッ。下らない事ばかり並べる暇があれば、次の練習に入れ!」


 気が合うのか、付き合いの重なりか。互いの腹の内が読めるようになって来た彼らは、からかい半分。嬉しさ半分。昂ノ介に干渉する。


 それだけに、今の距離や関係性が心地いと感じ始めていた。

 それは恥ずかしく、親友の確認の言葉以上に尋ね辛く、野暮だと片隅に置きながら、昂ノ介の指示で機敏に動き出した。




 ○●○




 放課後の部活動時間を本日も無事終了させ、選抜組一同は揃って部室で帰宅準備を整えていた。


 メディンサリは、金糸のポニーテールをほどき前髪を七対三で分け、赤いヘアピンで器用に留めながら、隣のロッカーの士紅に話し掛ける。


「結局、最後までったなァ、丹布」

「まぁね。やはり、程々に動いて居たのが善かったみたいだ。今は身体も軽いよ。

 柊扇に、気合いを入れて貰ったしな」

「お前、良くあんな事頼むよな。

 青春っぽくて、羨ましかったけどよ」

「やって貰えよ。音の割には痛く無いからさ」

「ヤだよ! 痛ェ事には変わりないんだろ! 柊扇に打たれた日には、悪夢しか見ない気がするし! ヤダヤダ!」

「ほ~ォ。試してみるか? いつでも応じてやるぞ。メディンサリ」


 背後に来ていた昂ノ介から距離を取り、両手を両頬に当て守りに徹しながらメディンサリは、さり気なく士紅の背に隠れた。

 思い付く限りの強気な舞台演劇の台詞せりふを口走って、言葉の結界を張ろうとする。


「そうだった。

 急で申し訳無いんだが、今晩、誰か泊めて欲しい」

「お~。どこでも好きな家を選べばェ。

 どの家も、急な泊まり客が来ても困らんからのォ」

「おれの家に来ないか」


 士紅の話も急だが、昂ノ介の返答も素早かった。


 何より、気軽に家に招くようには見えない昂ノ介の挙手には、士紅以外、その印象の違いに少々驚きを隠せない。


「積極的じゃんか~、どういう風の吹き回しなんだよ~?」

「実は、祖父が丹布に会いたがっているんだ。

 この間、家に寄ってくれただろう」

「あぁ、いつぞや部活動が休みだった時だな」

「その際に、丹布は何かしらの武道に通じていると決め付けてしまってだな。

 手合わせが無理なら、演武を見せに来てくれないかと。

 何と言えば諦めてくれるのかと困っていた所だった。

 もう、本人から説明して貰った方が早いと思ってな。丹布任せで、申し訳ない所だが」


 意外な理由に、一同は士紅の反応を待っていたのだが、あっさりと昂ノ介の家に向かうと士紅が言い終えると、昂ノ介が思いもしない連鎖反応が起きてしまった。




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