第十一節 最強の隊長さんが頼る伝手。




 異世界も高次元も空間があり、住まう意志が在ると、そこには誰かが居て、存続する術によって構築される崇高な場所がある。


 《負界》に属し、《鏡の都》と称される《高威界域》が席巻する世界は、何者の侵入も辞さず、住む者の出入りさえも断固拒絶した。


 実態すら、霞の向こう側。

 辿り着いたとして、鏡面に対峙し門前払い。


 そもそも、出入口の門戸すらない。


 世間で言えば、存在しない場所。る者が居るのは、内に住まう者。外には識られぬ場所。


 《高威界域》とは得てして、その様な空間。


 閉鎖され、安定するが故に他と呼べる接点もなく、繋ぎ目のない綺麗な硝子細工の内側でときは止まり、真円の世界が、ただるだけ。


 かつての《負界・鏡の都》も同様だった。


 ただ在るだけの世界は境界をはかり、可能性と言う銘の尺度を得る。


 その尺度は無限と識り、おごる事なく〝役割〟へと導かれ律せられ、他に類を見ない展望を遂げた。


 それは、生命と呼ばれる《多重次元》の住まう者。


 その枠組みも、営みも似ている。


 空間も、時間も、尺度も異なる文明の共有は、現状の矛盾さえも指し示す、揺らぐ事のない条理。


 矛盾がそうであるように、事実とは往々にして簡単に看破される。


 識らぬ存ぜぬは、単なる建て前。


 繋ぎ目が存在しない世界を、越えられぬ境界を、鍵のない天幕だとして、容易たやすく出入り可能な者は、確実に存在する。


 一例を挙げるのなら、《人界》では背景が黒く塗り潰され、所属先へ辿り着く事が不可侵とされるロゼルが、その末席に銘を連ねて居た。




 ●●●




 庭園と呼べる常緑の迷路には、一切の不快がない。行き届く手入れ。適切な明度。


 例えるなら、常秋の心地好ここちよい外気。枯れる事のない花弁の連なり。


 邪魔も介入されずむつみ合う具合の善い相手。傍目はためにはつがいが愉楽を互いに享受しようと試みる場面。


「……っふふふ、〝紺青こんじょうの御塔の君〟。

 この御技は別の《界域》のもので御座いましょうや?」

「構わないで。じっとして……」


 ここで問題なのが、仕掛ける側の風貌に性別の境界が見当たら無い所か、それを問う事すら憚られる圧倒的で凄艶過ぎる整い方だった。


 濡羽色ぬればいろの髪。深い青黛せいたいの色を湛える双眸。

 声も艶やかな一言で、御技以前に仕掛けられる相手は、既に悦に浸る寸前の境地。の、はずだった。


「……『遂さん』。

 お取り込み中、失礼致します」


 通路を仕切る常緑の壁の向こう側から、何かが割って入る。


 葉脈に高い明度の光が走る葉の群れが擦れ合い、非難の代わりに音が立つ。

 凄艶な美丈夫に対し、形式だけの断りを添え、躊躇ちゅうちょせず青いファイルを差し込んだのは、ロゼルだった。


「あら? その声は『冬ちゃん』なの?」

「そ、そんな。まさか、〝鉄黒てつぐろの御塔・後継の君〟の御出おでましとはっ」


 情緒も遠慮も無く、中断を強いる相手を見当けんとう付けた、凄艶の美丈夫は悠揚ゆうように。

 女性らしき相手は動揺の海に溺れ、好機とばかりに美丈夫に縋り付く。


「そのままで結構なので、こちらの資料に御眼通おめどおし願います」

「そんな訳には、行か無いでしょう」


 《人界》の植物に似て非なる茂みの向こうから、上質な衣擦れが二種類と、相手が気遣い退散する声。

 艶のある声で優しく送り出し、中途の詫びのやり取りが立てられる。


 事象に対する顔色も、感想も浮かべずロゼルは、遂の身支度が済むまで待って居た。


「珍しいわね。冬ちゃんが戻って来るなんて」

「過日、グラーエン財団が管理する歴代の危険因子標本への、接触、改竄、紛失の痕跡が確認され、それらの一覧を示すものです。

 別記の一覧は、グラーエン財団側にも解除、特効性因子の解明、開発が中途段階で封印された代物です」


 光源も定まらない、不思議な空間にある緑の垣根を挟んだ凄艶の美丈夫は、受け取った青いファイルに愁眉を落とし無言のまま。


「今回の事案発生時点より、グラーエン財団〝分室〟は初動捜査を開始。

 グランツァーク財団も、協力体制を整えて居ります」

「実行犯が判って居るのなら、強行侵入による標本回収。及び確保に移行する方が断然早いわね。

 こんな〝限界数式〟に《人界》で労力をく方がどうかしてる。

 それに、研究を再始動すれば資料は分散し、図らずも多くの眼にさらされるからめて頂戴」

「御安心下さい。

 現場保存を含め、初動以外の解析作業は停止して居ります」

「その話の続きは、部屋で聞かせて貰おうか。

 『吹』は待機中。『示』も間も無く到着する」


 ロゼルは、不意に背後から威厳に満ちた声を掛けられる。


 声の主は長身で侵食も許さぬ黒色の髪と双眸を持つ壮年に近い青年。

 揺るぎ無い姿勢を包むのは、《人界》で製作された一点しか無い、シングルのダークスーツ。

 ロゼル同様、この場所には浮いた様相。


「春兄さんまで戻って来るなんて、《人界》は相変わらず騒々しいわねぇ。

 判ったわ。行きましょう」


 目線より少々高い常緑の垣根の向こうから艶やかな声が届くと同時に、気配が消えた。


 〝春兄さん〟と呼ばれ、堅牢でありながら華やかさを持つ青年と視線を交わすロゼルは、久々の安堵と待ち受ける厄介事を入り混じる想いを伏せ、艶やかな声の主の後を追った。




 ●●●




 天井が遠過ぎて暗いが、庭が眺望出来、窓も天幕もない開放的な空間は部屋と呼ぶには広大で、細密な敷物が床を覆い、そのまま腰を下ろしても充分にくつろげる。


 五名の青年達が円を描き床に座す周辺は、外からの光源が明るく侵入し、情報交換に支障は無い。

 それぞれ楽な座り姿で語り合う。


「へぇ~。新しい天貴人の容れ物、〝器章〟かぁ。

 実際、どうなのさ。冬ちゃん」

「既存の〝器章〟を高級食器に添えられた肉料理。

 非合法に適用された今回の〝器章〟は、懐紙に据えられた老舗の生菓子。

 そのような印象です」


 ロゼルの独特な感想を受け止めたのは、明朗快活な口調と雰囲気と満面の笑顔で、ロゼルを〝冬ちゃん〟と呼ぶ。

 淡い金色の髪と竜胆色りんどういろの双眸を持つ、大層端正な器量の青年は、三男・吹。


「冬、減るはずの無い腹をかせて居るのか?」


 下睫毛が濃い栗色の双眸を緩め、少し呆れて茶々を入れたのは、四男・示。

 淡白な言動が多い様子をそのままに映し出す表情は、ほぼ動かず。

 薄いが整う風貌は、場を共有する一同と似通う端麗さがある。


「気持ち、減って居る気がします。

 ようは、〝器章〟持ちの天貴人に比べ、かなり《人界》のヒト型へ雰囲気が寄せられて居ます。

 我々のように、元から〝器章〟を持って存在するよりも近いです」

「ヒトに近くて、天貴人から遠い。

 でも、この資料からすると、強度・耐久性は既存の〝器章〟よりも優秀ね」


 ロゼルの感想を受けたのは、正真正銘、男性形態の次男・遂。

 彼は、女性のや所作を好んで遣うのだが違和感が無い。

 誰よりも華やかで、凄艶過ぎる容姿の非常識さが隔てる賜物なのか。

 これで審美眼や洞察力は、水準を超えた領域に達するためか、もう誰も指摘し無い。


「この間、九央で冬はの末端と接触したとの報告を受けた。

 その天貴人と、モルヤンへ干渉し遊撃的に活動する天貴人との違いは感じたのか?」

の標本が手元に無いので、明言出来ません。

 似ては居ましたが、量産された気配がありました」

「やはり、自己改造を可能とする技術を備えると踏まえるべきだな」


 切れ長の黒の双眸を閉じ思慮に入るのは、長子・春。

 問題児揃いの兄としては、得意先で起きる想定外の事象も、ぬるいと感じてしまう悪癖が身に付いてしまった。

 気苦労の長子のかがみそのものの生き様を辿る。

 この先も変わる事は無いと踏む辺り、成るくして成ったと、兄弟と共に在る事を案外、楽しんで居た。


の〝器章〟は今、冬と行動を共にする、彤十琅って言う天貴人が造った物が、基盤になって居るんだよね」

「九央で接触したが、その口で語りましたし、彤十琅様にも確認を取りました」

「九央での一件以来、と彤十琅との接触は?」

「無いとは言い切れません。

 彤十琅様は、度々たびたびモルヤンを無断で出奔し、主に九央での創作活動の事実は確認済みです」


 この間柄に在っては末子・冬ことロゼルは、示へ現状報告と一緒に、解決不可な不満をこぼす。


「あら、モルヤンや九央なら、未承認の天貴人が降下不可な場所。

 その彤十琅様は、境界を越えちゃう無節操な方なのねぇ」

「……それが、モルヤンの未承認の天貴人の、降下不可領分機能が怪しいんです。

 何か、揚げ足取りのような小細工をされた違和感が拭い切れません」

「感覚の範疇はんちゅうで、確認や確証は無いんだな」

「モルヤンでの十年間の活動中、〝群狼〟や〝分室〟で、視線を感じると報告を受けました」


 春や遂にも、滞る事無く提示するロゼルの話を受け、最初、遂に突き出された青いファイルの資料に眼を通し終えた吹が、ロゼルにファイルを返却しながら感想を述べる。


「視線かぁ。《紅涙の辺境》と独自の繋がりを持って斥候させたり、旧式回線を使用しての盗聴。

 グラーエンの遺失管理倉庫に手を出す技術。自己改造。

 こりゃあ、示も難儀してるだろ」

「無関係を装うの止めてよね。

 正直、〝オール〟だけじゃ手に余るから『銀華』と『玄華』を僕にけて欲しいよ。

 結局『エンレルグ』は、春お兄さんが独占。

 冬の所には、管制塔が専属で就いてるし」

「え~? どうしよっかな~」


 吹が、年令不詳の小意地悪い笑みを浮かべ、示をからかい反応を引き出し、楽しみ始めた。


「冬」

「はい」

との接触を試みる複数の《高威界域》の情報を掴んだ。

 彼の界域は以前、〝不明瞭で仕組みも明かされぬ『契約の地』の結界など放棄し、各々が持つ技術にて、自衛に徹するべきである〟。

 そう、言ってのけた奴らだ」

「それは困りました。商売があがったりですね」

「お前も、我関せずな物言いだな」

「やれるものなら、実行してご覧なさいな。

 そう、申し上げる次第です」

「あらあら。可愛い顔が、もっと魅力的に映えて居るわよ。

 冬ちゃん」


 兄にしか見せ無い表情を浮かべるロゼルを評した遂の言葉を受け、その反応に他の兄弟も注視する。


「判りました白状します。

 圏内に、覚えの無い天貴人が、空間軸の向こう側で潜伏して居ります。

 数は九。対象九名を、同時刻に於いて特吏条項二種による〝ししむらうつろ〟にて殺害後、通常通り即時離脱。

 今回はを放置したいです」

「大胆だね。冬、大丈夫?」

「〝ヒト〟が被害者。姿無き犯人による殺人事件として所轄に処理して貰います。

 その道程で天貴人と特定され、《公正》が規約に従いを要求したとしても引き渡します。

 私が欲しいのは、犯行前後の現場周辺の情報なので、集積が済み次第〝メル〟と管制塔に解析をします」

「それってぇ、グラーエン、グランツァークにも提案して無い作戦だよな? 冬ちゃんの独断って事?」

「そう、判断して頂いて結構です。

 の思惑に飛び込む形になりますが、別角度から穿うがち、の反応を知りたいのです。

 上手く行けば、は私との接触を図るはず」


 示と吹の問いに淀み無く応えるロゼルの方針に、今度は遂が非常識な整い方をする唇を優雅に開く。


「そんなに煽ってどうするの? 目算通り、がグラーエンから〝限界数式〟を盗み出し保持し、精錬が済んで居た場合、の欲望がはしり猛るあまり、使用して来たら? 無作為に、遊撃的に」

「願ったり叶ったりです。

 《契約の地》の尖兵として我々が動くまでも無く、《人界》の方で大義が成立ち、私はおおやけにグランツァークを動かし、掃討殲滅を断行するだけです」

「善いだろう。決定事案として遂行条項へ移す。

 各位準備のため散会。

 後に、前線基地はモルヤンの管制塔を指定する。以上、解散」


 春の滑舌の善い重厚な音律は、見えぬ指揮棒となり不滅・不惑の精鋭が一斉に、衣擦れもさせずに立ち上がる。


 得意の楽器を手に、凄惨な四重の音を奏でるために。




 ●●●




 回廊の中央は、残響が心地好ここちよく、繋ぎ目のない黒い床が伸びる。


 中央の通路に靴音を立てる事が許されるのは、《負界・鏡の都》の支配者に連なる縁者のみ。

 その通路の中央を、堂々とした脚取りで進むのは、異境の衣装に身を包むロゼルだった。


「冬ちゃん」


 不躾にも背後から、ロゼル呼び付ける優越感に浸る訳でも無く、妖艶に映る微笑みを浮かべ、たたずむ遂。

 やや間を空け、そこに居た。


 想い当たる節もあり、ロゼルは振り返ると、遂と向き合う形になる。


「本当に御免なさい。

 僕は、また冬ちゃんの平穏を、壊してしまったのね」


 遂の綺麗な青黛色の双眸に、悲憤と自責。

 拭われる事もゆるされぬ、罪の重さを静かに耐える色が差す。


「いつもの事です。案外、楽しく過ごして居ます」

「冬ちゃん。そんな事を言わないで頂戴。

 真っ先に、僕の所へ来ておいて」

「違います、遂さん。

 抱えた案件を解決出来る、適切な御方の元へ、推参しただけです。他意はありません。

 駄目ですよ。深読みは、結末を読み違える原因になりかねません」

「……冬ちゃん。自身の居室でもある〝黒鉄の塔〟を砕いて消失させてしまっても、暴れたって構わないわ。

 また、《都》に戻って来てくれただけでも嬉しいし、安心したのよ。

 本当に、ありがとう」

「若気の至りと言うのでしょうね。

 お恥ずかしい話です……?」


 間を置いて、一つ似紅の視線を下げ、恥ずかしそうに小さく笑ったロゼルが、整い過ぎるかんばせを元の位置へ戻す。

 遂は間近に詰め寄り、両の手で包まれたロゼルの容は、頭一つ違う凄艶な遂のそれに向かい、固定されてしまった。


「僕の事、存分につかって頂戴。

 何だって応えるわ」

「お心遣い、恐れ入ります」


 回廊の中央を進み去る、遂の背後を見送りながら、ロゼルは何とか動揺を収めた自身を褒め称えた。


 一つは、未だに間を詰められると、遂の別次元の美貌に照れてしまう事。


 もう一つは、過去に遂が開発した病理が、盗難に遭った〝限界数式〟の一覧に載って居た事に加え、その病理の最後の犠牲者が、たまたま初恋の相手だったと、感慨の深みに陥る事。


 戻らぬ時間に、失望をせずに済んだ事を。





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