第十節 秘密の小部屋。




 強いて寄せるなら、チューブラーベル。


 敢えて当て填めるなら、チェンバロの


 高く、低く。遠く、近く。規則的に、あるいは気紛きまぐれに空間をたゆたう。


 ここは、シユニのグランツァーク財団本社屋にある、非公開のとある場所。

 天井も奥行きも白の境界は曖昧で、在ると言われたのなら在る。

 無いと問われるなら無いと答える空間は〝白の拷問部屋〟などと物騒な響きが宿り、呼称する者が居て、内側で活動する者が存在した。


 この部屋で、隠し事など叶わない。総ての真実が暴露され、整然かつ公正な情報として回収し〝メル〟へと導かれ保管される。

 照合の一存と〝白の拷問部屋〟への侵入・退出許可すらも〝管制塔〟に全権が与えられる。



「隊長。何を、お考えか当てて御覧に入れやしょうか」

「どうぞ」

「〝面倒だから、今すぐ家に帰って縁側で午睡したい〟。

 どうです? 私の見立ての冴えの程っ」

「お~ぉ。当たりだよ。

 ならば、この想いを叶えても、許されるよな」

「そりゃ、隊長が御判断なすって下さいまし」

「……出来る訳が無いだろう。何だって、次から次に面倒な事案が涌くんだ。

 どうなって居るんだ本当に。何故、太陽を祀る在純が、山なんか祀ってるんだ。

 あの山を祀った所で意味は無い。

 何処へ行ったんだよ〝陽の輪の祇〟は。蒼海の〝海祇〟も不在だし、何なんだよ今のモルヤン。

 ……どうしよう。

 笑顔を張り付かせたままの、アーレイン=グロリネスに殴られる」

「はいはい。大変で御座いやすね。

 御言葉では御座いやすが、目星はあっての御様子」

「……多少は。そこまで無能だと想われたく無い」


 背まで包まれる、違う明度の白の椅子に全身を預け、ロゼルは不機嫌そのままに似紅をすがめ、白い虚空に視線を放る。


「御冗談が過ぎやすぜ。隊長」


 どの感想を込める似紅を不意に遮る無礼を働こうが、黒いファイルを無言で差し出そうと、自らの意図を正確に伝える事を許されるのは、六ピト(およそ二メートル四十センチ)の白を基調にした長衣姿の大男。


 悠然と似紅を受け止める双眸は赤銅色。後ろへ緩やかに撫で付ける、張りのある髪は濃い蜜の色。

 不自然な整い方と、違和感が無く掴み所の無い笑みを浮かべるのは、管制塔の一角『オルガゼルフ』。


 ロゼルの、らしく無い揶揄に不快を込めた声は、低音の芸術の粋が音律を成したしなめる。


「冗談が過ぎるのは、貴方の不遜な物言いの方です。

 少しは遠慮を覚えなさい。オルガゼルフ」


 更に、窘めの上書きをするために現れたのは、見る誰もがその容姿に驚愕する。


 確実な意趣により壮絶な美貌に、造り上げられたとしか考えられない程の部品によって構成されるのは、南海の沖色の双眸。

 背に流れる明るい金髪を、緩くひねって青いリボンで纏め、その細身に赤を基調とした装いに包む青年。

 声は滑らかでありながら、繊細な張りで白い空間に領域を広げ、非を責めつつも穏やかに、ロゼルとオルガゼルフに届けるのは、『パルセフィア』。


「何を今更。隊長は、私の物言いを好いて下さる。

 じゃあ無けりゃ、とっくの昔に矯正されて居る。お判り?」


 言いながら、パルセフィアが持つ名刺の形状をした薄緑色の淡く光る板を、オルガゼルフは受け取る。

 それは、白の手袋の掌の上で、八角形の破片として霧散させる。


「心配症だなぁ、パルセフィアは。

 気にさわったその時は、隊長から正座を言い渡されて、情け無い姿になって居るだろう?」


 同じ白い手袋に包まれる片方の手の差し指の先で、ミラーゴーグルの重心を利用し回転させる、少年寄りの快活さを絵に描いたような青年が、何も無い空間を足場に健康的な若い声を落として来た。

 しなやかな身を包む長衣は黒を基調にして居る。床に触れる長い頭髪は青みが強い明るい銀色。

 双眸は極海の氷山の色。オルガゼルフを飼い犬と例えるなら、この青年『ヴァイレルド』は山猫の雰囲気を持つ。


「ヴァイレルド。

 積んである情報を粗末にするなよ。

 我々から観測れば愚劣な情報の山でも、発したヒトにとっては何よりもとうとい想いの結晶だ」

「失礼致しました」


 渡されたファイルに眼を通し終えたロゼルが身を預ける椅子が接する床に、音も振動も立てずヴァイレルドが降り立つ。

 代わりに、薄緑の八角形の光の筋が、波紋のようにヴァイレルドの黒い靴を中心に平面を伝う。


「承知した。予定に組み込んで欲しい」

「仰せのままに」


 ロゼルから恭しくファイルを受け取ったオルガゼルフの掌中で、黒のファイルは形状の維持を解き、赤銅色の視線の先を辿り薄緑の破片に姿を変え、あるべき位置へと納められる。


「頃合いだと想って休憩に入ってみれば、本筋が関わって来るとはねぇ。

 楽をさせて貰え無いな」

「でしたら、『守斎布 懮』様に復帰して頂きやすかい?」

「……焚き点けるのが上手いな、オルガゼルフは。

 判りましたよ。四の五の言わず、働かせて頂きます」


 反動も立てず立ち上がるロゼルは、裾を静かに払って整えた。


 予定にある訪問者の気配を察しての事だ。

 色も着心地も気に入りの葡萄色えびいろのロングスーツの出で立ちは、当然、例の彤十琅の仕立て。


 オルガゼルフに指摘された、己が性根の不甲斐の無さを支えてくれる戦闘服を纏う気分にさせられる。


 身に纏えば判る。


 高価だけが総てでは無い。縁と相性が重要なのだと、彤十琅は手掛ける服飾の数々で示してくれた。


「乱れは御座いませぬ。一同、善き結果をお待ち申し上げます」


 パルセフィアの穏やかな声に、オルガゼルフとヴァイレルドが、一礼を添えて送り出す。

 来訪者の名を、互いに確認する事は無い。到着した事すら未報告。言うのが野暮その物で、不粋ですらあるかのよう。


 それが、ロゼルと管制塔が取り持つ縁と言える。


 財団における導線的な補佐を、シグナがロゼルに捧げるとするなら、管制塔はロゼルに関わる正確無比な全情報を最優先で集積し、ロゼルに提示し共有が許される存在。


 管制塔の存在意義はロゼルに集約されて居た。


 何故ならば、管制塔を




 ●○●




「わざわざ、悪かったな」

「何を仰います。ほぼ、こちら手落ちです。

 廻君達の顔が、見たかったのも本音ですけれど」


 シユニのモルヤン・グランツァーク財団本社屋の一角にある貴賓室。


 特に目立つ豪奢な調度品や絵画はない。内緒話が滞りなく交換が叶う場所であれば良い。


 グランツァーク財団が誇る堅牢な情報防衛機構が布陣し、直接の指揮を管制塔が執る、この場所の内側にを共有するのは、ロゼル、シグナ、来訪者であるグラーエン財団の重鎮・シュレイフラルツ=グラーエンだ。


「こちらが、紛失した例の病理の標本一覧。非合法〝器章〟を纏う天貴人の調書です」

「寛大な御心遣いに、感謝致します」

「早速、改めさせて貰う」


 謝意の一礼と、この場で開く詫びを入れたロゼルとシグナは、今年搬入されたルブーレンの個掛けのソファーに、それぞれ腰を据え素早く眼を通す。


 その間に、シュレイフはロスカーリアの稀少品種の紅茶、『カマイアーヴィ=シャドレワーヌ』の旨味と、口に含んだ時に広がる香気に感心する頃、管制塔にしか気付け無いロゼルの変化を捉えた。


「……今の所、このモルヤンに不審な天貴人が降りた形跡は御座いません」

「モルヤン特殊な圏内です。

 不特定の天貴人は、降り立て無い珍しい場所ですからね」

「しかし、決して警戒を解く状況ではありますまい。

 これ程に無軌道な手段を、躊躇ちゅうちょせず行使するです」


 隣で一覧を読み終えたロゼルの様子に気付き、今後の方針を尋ねようとする前に、青いファイルへ似紅にせべにを落としたままロゼルが口火を切った。


「一覧の中でも指定印がはいる対象が、グラーエンでも即時対応策が取れず手に余る標本なんだな」

「その通りです」

「対策室を組織するな。解析も駄目だ。特効性因子の特定も止めてくれ」


 ロゼルの物言いに、残る二名は無言で次の言葉を待つ。

 現状を放置する事の危険性を、誰よりも熟知するはずのロゼルが、真反対の内容を言い放つ意味を把握するために。


「標本も現存。化学式も正確に残されて居る。

 即効性はともかく、時間稼ぎの手段くらいは講じられるのでは無いのか」

「〝限界数式〟って聞いた事があるだろう。

 あらがうための数式や手段の先が無い、ある種完成された隙が無い方式だ。

 これを崩して、全く別物に変質させる方法がある。

 だが、変質の過程で莫大な質量が生成され、本来の数式が崩壊する。崩壊しては根本的な解決には至ら無い」


 淡々と語られる内容からは、半ば諦めの響きすらある。

 諦めと言うよりも、面倒事に対する逃避を試みたい本音を、わざと見せ付けるようにも見える。


「こんな物を撒かれた日には、対応策が見付かる前に経済圏が、寿命を迎えて消失する方が先だ。

 言ってしまえば、精製するにも時間を要する」

「それは、あくまでも《人界》感覚での話だ。

 そこに天貴人や《高威界域》が関われば、総ては想定から逸脱する。早い話が、別次元の数式であり、が《人界》で探し回る、《旧・高威界域》の〝遺蹟〟に等しいとの見解か」

「まぁね。グラーエンの御意見番の桐条様も、同様の結論を出されたのでは?」

「さすがですね。その通りです」


 温かみのある茶色の卓上に、青いファイルを置くロゼルが呆れながら、白い指を組み膝の上に置く。


「所属不明の天貴人の遊撃による暗躍。

 非承認の〝器章〟の横行。

 背後にはの影。

 どうせ《公正》の偉いさんは、見て見ぬ振りだろう」

「はい。残念ながら。

 怖れて居るのでしょうね。自陣から規約に抵触する者が現れる可能性に」

「何のための集まりなんだよ。《公正》って。

 こんな時のためだろう」

「《公正》は、比較的新しい《高威界域》の集まりだ。

 《旧・高威界域》が関わる件には触れたがらぬのが現状だ。

 閉じられ、接触を断つ世界の得体の知れ無さの畏怖は、かつての〝公正襲撃〟にもあるように《旧・高威界域》の〝遺蹟〟によって攻め込まれて居る。辛酸に似た件だ」

「その割には、《人界》に降りたがって利権あさりに興味を持つ辺りは、俗物意識が浸透して居る。

 《公正》もも同じだよ」


 ロゼルは音も無く立ち上がると、シュレイフが居るというのに、退出しようと出入口へ向かおうとする。

 当然、シグナは不遜に似た行動を引き止める。


「〝御上おかみ〟が助けてくれ無いのなら、こちらも勝手に動く。

 これ以上顔色を伺っていたら、は想うままに事を成してしまう」

「だから待てと言うに。

 の目的が明確では無いのも事実だ。

 踏み込むのは、時期尚早……」

「治安維持の一環だ。簡単な話だろうに。

 シュレイフも頼むよ。今後グラーエンで押さえた現場でも、本件に関わる事案は初動捜査以外、私が戻るまで凍結して欲しい。

 伝手つてがあるから根回しして来る」


 双方の返事も聞かずに、手動で両開きの扉の錠を解いたと同時に、ロゼルは素早く退出する。


 間髪を入れずに動いたはずのシグナが後を追った頃には、見通しの良い通路に、ロゼルの姿はどこにも無かった。


 恐れ入りながらロゼルの非を詫びるシグナに、シュレイフはむしろ、案の定の展開を眼の前に、その笑顔は喝采に染まって居た。






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