第八節 在純 栖磨子。




 部室は、徐々に晴れた夕日に色彩を染め上げられる。


 柔らかい表情の中に張られる、抵抗を覚悟する青一郎と向き合う士紅は、真っ直ぐな強い意図を込めた黒い視線を似紅にせべにで受け止めた。


「大丈夫。行き先次第だが、二時間くらいなら付き合える」

「本当に? 思い切って聞いてみて良かったァ。

 実は、会って欲しい人がいるんだ。丹布君の話をしたら、どうしても会いたいって頼み込まれてね」

「へぇ。誰に」

「おれの妹。少し変わってるから、驚くと思うけど」

「ほ~ぉ。妹ね。会いたいと言ってくれるなら、応じるよ。行き先は在純の家で善いのか?」

「そうなんだよ。ありがとう」


 夕暮れとは言え、傾いた陽光には夏の明度が空に渡り、青一郎は手元を心配する事なく、部室の扉を施錠をした。


 鍵は強化組の全員が持っており、鍵当番は決めず最初に来た者が鍵を開け、最後に出る者が鍵を掛ける。

 管理の負担は分散されていた。


 鍵を掛け終えた青一郎が、夏でも半袖シャツの下に、黒の長袖を着込む士紅へ、先程の会話にあった気になる点について話しを戻す。


「……ねェ、丹布君。

 普通〝付き合って〟って言ったら、告白の事だと思わない?」

「何故に?」

「えっと……、だって、この間は告白したし、唇も差し出したよね?」

「火関は、気にするなって言ったから。

 気を付けろよ在純。世の中には、あの手の冗談が通じ無い場合がある。

 手込てごめにされるぞ」


 学院指定の鞄を肩に掛け直し、眼付きが悪い似紅を薄くして、声を立てて笑う士紅に釣られ、青一郎も破顔する。


「酷い言い方しないでよ。誰にでもやってる訳じゃないのに。

 丹布君の方が慣れた感じだったよ。……モテるんでしょ?」

「この色で、この顔付きだぞ。怖いと避けられてばかりだし、行った動物園なんか出入り禁止を食らった。

 〝お前が来ると、動物達が怯えて暴れる〟ってさ」

「あッははは、嘘でしょ!?」

「嘘や冗談で、こんな事を言えるか。

 何なんだよ、羊の群れが全力で散るって。

 毛刈りの手伝いで近寄っただけなのに、戻ら無いんだぞ。牧羊犬も」

「あはははッ。止めてお願い、笑いすぎて腹が痛いよッ」


 大笑いする青一郎は、次の呼吸でそれを止め、表情も凍らせた。


 急激な変化に、士紅は横目で様子を窺う。


「……ごめん。丹布君が困っている話なのに、笑ってしまって」

「笑われて不快になる相手に、こんな話は言わ無い。気にするな、気にするな」

「そう、なの?」

が居ない時くらい、大笑いしても大丈夫。笑え、笑え。

 腹の底から笑うと、向こうから笑顔をもたらす、主が訪れる」


 士紅が言う、が、昂ノ介や礼衣を差していないと、何故か青一郎は直感出来た。


 青一郎が負う環境を、見透かす気配を似紅に添えるようにも思える。


 双方は、出入り禁止になった動物園の場所や、全力で疾走した羊達や牧羊犬の顛末に、青一郎は興味津々、笑いを立てながらの道中となった。


 詳細に語られた内容にもかかわらず、士紅の背景が全く読め無い話術に、青一郎はふたをする腹の底で恐れ入っていた。


 士紅の鈍さと、明かしてもらえない少々の寂しさを、蓋の材料にきながら。




 ○●○




「判っては居ても、案の定だと感想を用意しても、金持ちの敷地は無駄に広いよな。

 それに何だよ。裏口みたいな所から入っては、家の方々に対して失礼じゃないか。

 御在宅なら、挨拶の必要があるだろう」

「平気だよ。祖父母は、本宅のフセナ。父は、お弟子さんに出先で稽古付け。

 母は出張で、一カ月先まで戻らないから」

「……大変だな」

「おれは別に。割と自由にさせてもらってるし、住み込みで家にいてくれる人もいる。

 あ、こっちだよ」


 トウミの高台。一望するの眼下に広がる家々。縦横の通り道。

 遠くには、沈みそうな残光を、海面が競って波が弾く破片が届く。


 周辺に家はなく広大な敷地は、まるで一軒家の開放感。コノエモトの千丸邸とは、また別の雰囲気で隔絶された権力を知らしめている。


 境界は生け垣。一辺ごとに違う種が植えられ、四季の華を飾ってくれると、青一郎は嬉しそうに説明した。


 不躾にならぬ程度に、士紅が視線を走らせ、夕暮れに染まりつつある庭や配置を把握する。


 渡り石が走る敷地には、四ツ柱の簡易舞台。数軒の、一般家庭並の家屋の規模がある離れ。


 士紅の脚が、不意に止まる。


 その気配に、案内役の青一郎が振り返ると、在純邸の敷地の裏手に臨む山側に、すがめた顔を向け、動かぬ士紅の姿があった。


「どうしたの?」

「あの山をまつり始めたのは何時いつからだ」


 前置きもせず、山側に向いたまま士紅が冷淡な声で問う。


 在純の跡取りなら知っていて当然だろうと言わんばかりの、最早もはや、詰問に似た響き。


「えっと。八百年前って聞いてる」

「在純がフセナの本宅を置き去りにして、拠点をトウミに移したのは?」

「それも八百年だよ。

 え? どうして、そんな事を聞くの?」

「……言え無い。とにかく、妹さんに会わせてもらう方が、今は先かな」

「う、うん」


 話の筋を遮られてしまった青一郎は、もう普段の無表情な士紅に戻って居ると知ってしまうと、応じるしかなかった。


 この手の空気は、何があっても進展がない事を、幼少の頃から叩き付けられていたのだから。




 ○●○




 母屋と通路が渡る平屋の離れ。


 青一郎は直接入れる玄関から訪問し、既に待ち構えていた使用人に迎え入れられた。


 初老に差し掛かり始める年令の女性が、隙なく三つ指をつき出迎え、『瀧宮 トシ』と名乗る。

 士紅も過不足の無い、相応しい作法で返す。


 やがて明るい障子部屋が見え、青一郎が声を掛けると、辛うじて人の気配が分かるか細い声が返って来た。


「ただいま。栖磨子」

「……ぇりなさい。お兄ちゃん」


 ふかふかの布団から半身を起こし、薄い青色の肩掛けを羽織る、小柄で可愛い少女がこちらを見ていた。


 鮮血色の、珍しい視線で。


 珍しいのは、それだけではなかった。

 和重ねの寝着から覗く白過ぎる肌。腰まで伸びる白い髪。

 形だけが、リュリオンの特徴を持つ、見ただけで病床に伏している事が分かる。


「ぁれ、お兄ちゃんの隣、誰かいるの?」

「うん。栖磨子が会いたがっていた、丹布君だよ」

「ゎあ、いつもお話してくれる、丹布のお兄ちゃん?」

「何だか怖いな。変な事を吹き込んで居ないだろうな」

「そんな事しないよ。事実しか話してないから。

 妹の栖磨子だよ」

「こんばんは。丹布士紅だよ」

「……こ、こんばんは。あの、ごめんなさい。寝着のままで。

 わたし、身体が弱くて、……今日も、ほとんど、起きられ、……なかったの」

「そうか。今は平気? 話をして居ても大丈夫?」

「ぅ、うん。今は苦しくないの」


 青一郎は驚いた。


 普通の容姿ではない妹を見ても、顔色一つ変えずに話を重ねる士紅に。


 昂ノ介や礼衣ですら、気遣いの色をありありと示し、今は遠慮して話題に触れるのも計りかねている。


 それ以前に、自身に染まる色を気にして、誰にも会いたがらない妹が、士紅にだけは会いたがった。

 士紅の特徴的な異郷の色に、親近感を覚えたのだろうかとも、今も会話を弾ませる姿を見て青一郎は思う。


「丹布のお兄ちゃんも、目が赤いの? 目、見えないの?」

「ん? 視力は善い方だよ。眼鏡も要ら無いし」

「栖磨子、失礼だよ」

「……めんなさい。だって、わたし、目がよく見えないの。

 目が赤いからだって。仕方がないって言われたの」

「視力の事は気の毒だが、綺麗に澄んだ赤い色だよ」

「ほ、本当に? 髪も真っ白で、お婆さんみたいなのに」

「何だ、髪の色まで気にして居たのか。

 私の地元には、代々白い髪の王様が居る。

 世界を救った英雄の一人で、今でも尊敬される。

 白は、とても尊い色なんだ。だから、私は気にし無いよ」


 士紅の言葉に、栖磨子はうつむいた。

 少し太い眉を八の字にして、恥ずかしさと嬉しさを表し、間を置いて首を戻す。


 陰影が滲む世界に士紅の輪郭を捉え、意を決した表情を、栖磨子は作って見せた。


「丹布のお兄ちゃん。橙色だいだいいろの長い髪のお兄ちゃん、知ってるよね? 背が高くて、いつも、……いつもニコニコしてる、優しそうなお兄ちゃん。

 お友達、……だよね?」

「まぁ、知って居るし、友達だよ」

「橙色のお兄ちゃん、とっても、怒ってる。とっても、困ってる。

 お願い、丹布のお兄ちゃん。

 許してって。、許してって、伝え……、て欲しッ」


 突然、脈絡のない話を始めた矢先。


 呼吸さえも苦痛を抱え、小さな痩せた身体を震わせる栖磨子に、異変を感じた青一郎が庇おうとした時、栖磨子の背後の襖が開く。

 玄関先で迎え入れた、老練な使用人が現れる。


「申し訳ございません。丹布様。お嬢様が体調を崩されましたので、どうぞお引き取り下さいますように」

「承知致しました。お大事に」

「そんな。……ぇっちゃうの? もっと、お話」

「お嬢様、お身体を大切にして下さいませ」

「栖磨子、丹布君を送って来るからね。この後、用事があるんだって」


 苦しさからか、見え透いた常套句にしか聞こえないのか。


 妄言としか思われていない事に対する失望からか、畳み掛けられるように引き離される現実に、栖磨子の赤い目が涙を集めて悲痛に細められる。


 その様子を受け、挨拶は済ませたが、まだ座を崩す前の士紅がこんな事を言い出した。


「また寄ったら迷惑かな」

「……ぇ、……ぃ、良いの?」

「うん。約束する。今度は、きちんと連絡を入れて確認を取って、お土産を持って来る。

 それが何かは、来るまでのお楽しみ」

「……ぅれしぃ」

「また来るよ。栖磨子さん」

「……うん……」


 苦痛を飲み込んだ精一杯の笑顔で答えた栖磨子の見送りと、間を計った瀧宮から、栖磨子に関する鋭い口止めをも受け、帰路に就く支度を始めた。




 ○●○




 トウミ駅までの道のりを、運転手付きの黒い高級車が安全第一に走行する。


 士紅は、不本意ながらも車中に居た。

 士紅はかたくなに徒歩で駅に向かうと申し出たのだが、例の迫力ある瀧宮も一歩も譲らず、時間を惜しんだ士紅はトウミ駅までと折れた。


「変な前置きするなよ。可愛い子じゃないか。在純の妹」

「でも、普通じゃないでしょ」

「驚いた方が善かった?」

「どうなんだろう。逆に、おれや妹の方が驚いたよ。

 丹布君が普通に接してくれたから」

「結構、転々と移動して居るからかな」

「そうなんだ」


 青一郎が視線が道路側に向かう。

 点在する街灯の明かるさ、対向車の強い光源に道や街の境界は返って見え辛い。


 思わず、自身の行く末と同じようだと意識した頃には、口を突いて言葉が零れていた。


「本当は、医者になりたかった」

「うん」

「妹は、小さい頃に庭球をやっていたんだ。

 なのに、急にあんな風になってしまって。

 似ている事例でもない。原因も分からない。そんな、妹の病気を治したかった。

 でも、どんなに頑張っても間に合わないと知って、おれは妹が好きな庭球を見せてあげよう。

 一秒たりとも無様な姿を晒さないように決めたんだ」

「うん」

「庭球や皆の話をすると、妹は嬉しそうに聞き入って、問い掛けるんだ」

「うん」

「これって、おれの自己満足だよね。

 妹は、こんな話されても実は辛いと思ってるよね」

「うん」

「丹布君って、容赦ないね」

「うん。当然だ」





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