第七節 恋しくて。逢いたくて。




 その日は、夏を迎え熱せられた空気が、屋外練習場を満たす。


 陽光館へ通じる花壇のカラーに、少し元気がなかったと、華の季節の終わりを心惜しむ青一郎が、礼衣に語る視線の先には、コートがある。


 サービスラインに、昂ノ介。ベースラインには、士紅が立つ。

 それぞれの位置から、鬼気迫る怒声と打ち込みを、対陣に一人いる都長へと放つ。


「何度も言わせるな、正面で受け取れ! 出来無いのなら、捕らえられる場所に来い!」

「はい!」

「脇が甘いと言っているではないか! 返事だけで球が取れると思うな!」

「はいィ!!」


 まるで私刑のようだが、志宝戦での危険球で、仲間の足を引っ張ってしまった負い目も含め、恐怖心を克服するための、荒療治の風景だった。


「この程度で、──(自主規制)──が、──(自主規制)──になって、すくみあがって居るのか!」

「こら~! 何て事を言うんだ、丹布!」

「そんな事では、●※▼@×△◎と呼ばれるぞ!!」

「それ、外圏で絶対ぜってェ~言っちゃいけない単語だろ!」

「判るか?」

「何となく分かる!」

「●※▼@×△◎。……か。

 そう言われたくなければ、行動に反映させろ。都長」

「柊扇は耳が善いんだな。だが、ロスカーリア人の紳士淑女の前で言うなよ。

 蛇蝎だかつの如く嫌われるから」

「……耳に付いて離れないのだが」

「●※▼@×△◎。●※▼@×△◎。●※……」

「繰り返して、刷り込ませようとするな!!」


 柊扇の感情に起きた火に油を注いだ所で、士紅はいつもの感覚に気付き、昂ノ介と都長に断りを入れてコートから退出する。

 その際、コートへの一礼を欠かさ無い。


「しっかし、容赦ないなァ。柊扇と丹布はよォ」

「昂ノ介は心得たもので、急所には当てないし、都長も鍛えているらしいから、事故にはならないよ」

「……丹布も、妙に慣れた節がある」

「それって、つまり丹布も何か武道でもやってるって見立て?」

「……昂ノ介は〝剣陣の気配〟が見えると。おれは〝躰道の相〟だと思うのだが」

「そうかな。丹布君は〝舞の陣〟だよ」

「どの道にせよ、所作がとても美しいですね。

 この間、丹布君が家に寄って下さった時、母や姉が褒めていましたから」


 千丸以外の強化組が、合間を縫って噂を立てる。


 今も黒いケータイで通話中の士紅から、珍しく内容が判別出来る言語が途切れ途切れで流れ込む。

 無粋ではあるが、どうしても聞き耳をそばだててしまう。


「おや? 丹布君は電話中ですか。

 仕方がありませんね。千丸君と丹布君を抜きで、陣形を試しちゃいましょうか」


 青いファイルを片手に、深歳が飄々と歩み寄って辺りを見渡し事態を把握する。

 強化組は慣れてしまったが、部員達は今も面妖に映ってしまう。士紅とも離れている事もあってか部員達が、つい尋ねる。


「監督。丹布の電話、注意しないんですか?」

「君達だって、電話くらいするでしょうに」

「そりゃあ、たまには出ますけど」

「丹布は多過ぎません?」

「仕方ないんですよ。丹布君は」


 深歳の、その一言に礼衣が食い付き理由を問い掛けると、多少は知っているが詳しい事は話せない。色々な人から口止めをされている。

 そう、人を食った笑顔で誤魔化されてしまった。


 メディンサリは、汗で張り付く金糸の一房を払い、士紅の姿に空色の視線を送る。

 耳に入る士紅の言葉は、メディンサリが羊水と共に浸る頃からの西の大陸・ルブーレンの公用語。

 中でも、貴族達の古い領土を抱える、マーレーンの上流会話の韻を含む響きに、郷里に思いを馳せていると、士紅の焦る声が張られる。


「そんな物を軽々しく発動しないでくれ。

 ……少し待て、本当に待ってくれ。

 ……善い歳して泣くなよ。

 ……いいえ

 何も申し上げて居りません」


 最後に聞こえた士紅の一言には緊張が込められ、姿勢も伸びたような気がする。

 間も無く通話が済んだのか、両の手で挟むようケータイをたたむ。

 肩を落とした士紅は、振り返り注視する一同へ向かい、まず深歳に席を外した事について詫びた後、早退するむねを伝えた。


「さっきの電話で呼び出されたのか? 何か揉めてたみたいだけどよ」

「会話についての詮索は失礼ですよ、メディンサリ君」

「あぁ、大丈夫。近くの『ソウイ』で猫を見失ったから、探すのを手伝って欲しいってさ」

「……猫だと?」

「家の方々に任せておけば安心だと言っているのに、取り乱して聞き入れてくれ無いんだ」

「そうでしたか。それはさぞ、ご心配でしょうに。動物と言えども、大切な家族ですからね」

「見失って、三時間以上もつそうだ。気持ちは判るんだが」


 家で犬を飼っている蓮蔵は、我が事のように同情し、形の良い眉に憂いを乗せた。

 捜索に向かわせるため、士紅を焚き付ける言葉を選んでいた眼鏡越しの視線の先に、近寄る人影を認めた。


「監督、遅れて済みません」

「いえいえ、何の。委員会活動は大変ですからね。お疲れ様です」


 意外な事に、千丸は図書委員会に所属している。


 そこそこ大きな図書室がある蒼海学院は、何かと仕事が多く不人気な委員会の一つだった。


 委員会の割り振り決めのホームルーム。

 八組の生徒が役を押し付け合い、匿名の投票で決めようと誰かが提案し、それが通ってしまった。

 余りにも面倒でホームルームの時間を越えそうになっていた事もあり、千丸が挙手して一年八組の図書委員の役に就いた。


「図書委員会、お疲れ様。千丸」

「ありがとさん。いや~、疲れた。まさか力仕事をさせられるとは思わんかった。

 で? この集まりは何なんじゃ。指示待ちか?」

「何だ? ありゃ」

「運動場の方が、騒がしいよね~」


 屋外練習場の西側に位置する競技トラックがある。

 その方向から、部活動とは異なる声や雰囲気に、メディンサリや都長が意識を向けると、あっさり千丸が事情を語り出す。


「犬か猫が入り込んで、用務員さん達が追い掛け回しとるそうじゃ」

「そうなの? 面白そうだな。ちょっと行ってみない?」

「……部長が率先してどうする」

「犬か猫ですか。これから、丹布君が探しに行こうとしている猫なら御の字ですね」

「何の話じゃ。マコト」

「蓮蔵」

「はい」

「それ、正解」


 言うなり、士紅は北側の防護扉から練習場から抜け出した。


 西側に向かって善く通る声を大きく張り二文字の音を叫ぶ。白い掌を二度打ち鳴らし音も立て、何かの注意を引いて居るようにも見える。


 もう、部活動をしている所ではなくなり、深歳を筆頭に強化組は士紅の元へ集まり出す。


 手入れが行き届く北側の桜並木と植え込みの間から、見え隠れする白い毛玉が、猛然と距離を詰め士紅に飛び掛かる。

 士紅も姿勢を低く保ち、腕を広げて迎え入れた。


 そこには、ブルーポイントの猫が、士紅の頬や顎に額を懸命に擦り付け、縄張りの上書きを熱心に行っている。


「箱入りなのに、大冒険だな」


 士紅の声に応え、毛玉は愛らしい猫撫で声を一つ上げ、士紅の肩越しから頭を出し、集まる仲間に顔を向ける。


「うわァ! 可愛い子だねェ」

「本当に猫だ~。コイツ、丹布が言ってた猫なのか?」

「うん。『スサ』だよ」

「コイツ、随分と汚れてねェか?」

「どうやら、私に会いに来てくれたみたいなんだ」

「さっき言ってたソウイから~!? 猫なのに!?」

「猫とは、なかなか肝が据わった生き物だな」

「……昂ノ介。動物に根性論などない。

 あるのは使命感と本能だ。経緯は知らないが丹布は、あの猫に余程気に入られているのだろう。

 猫には額や口角にホルモンを分泌する腺があり、子や親、好意を持つ相手に付着させ縄張りのように誇示し、意思表示に置き換える」


 猫が珍しいのか、礼衣の話を半分に聞きながら昂ノ介も近寄り観察する中。


 スサを追い回していた用務員の数名が到着後、深歳が部員の猫だと説明し、事の解決と騒ぎになった謝罪役を買って出てくれた。

 士紅も深々と用務員達に一礼する。

 用務員達も、不意の追い掛けっこから解放され、要因も晴れた所で安堵し戻って行く姿を見送る深歳に、士紅が二言三言の会話を交わした後、スサが来た方向へと歩き去る。


 器用にブルーポイントの手脚で踏ん張り、士紅の頭を抱え込むスサの姿を、名残惜なごりおしそうに眺める仲間の一角に、視線を怪訝けげんに染める千丸がいた。


「あの猫、丹布が飼っとるんか?」

「話の感じだと、お知り合いの猫のようですよ」

「……あれ、薄汚れとるが、『シバーシュ=ペンテネル』やぞ。毛の光沢と目の色は独特やからな。間違いない」

「シバーシュ? どっかで聞いた響きだな。……何だったかなァ」

「あのな、メディンサリ。マーレーンの大貴族のクセに、寝ぼけた事を言うんやない。

 シバーシュ=ペンテネル種って言や、マーレーンの大貴族の一つ、グリーシク家が管理しとる国宝級の猫じゃ。

 しかも、その家はゲーネファーラ商会の筆頭・ゲーネファーラ家と、深い関わりのある分家筋と来とる。

 あんなの頭に乗せるって、丹布は何なんじゃ」

「親しいって可能性はあるよね。

 プリヴェール様とも仲が良かったし」

「は!?」

「え……。プリヴェール様って、次期ゲーネファーラ商会会長の? 〝フレク=ラーイン〟で〝マーレーンの魔女〟って言われてる、あの?」


 千丸とメディンサリが、驚愕で面白い顔になっている所へ、礼衣が説明を加える。

 いつぞや、セツトのリメンザへの誘いを、どうにも都合がつかず二人が断った日の事を。


 千丸とメディンサリは、終始その表情のまま、固まり動かなかった。




 ○●○




「お疲れさん。またな」

「うん、気を付けてね。千丸」


 次々と部室から選抜組が帰宅し、残りは備え付けの長椅子に腰を掛ける青一郎と、黒いケータイで一方的に言葉を並べる士紅だけだった。

 相変わらず士紅の言葉は判別出来ないが、その声と音律は心地好ここちよく、いつの日か教示願いたいと、青一郎は密かに思いを抱える。


「どうした、在純。

 柊扇と火関と一緒に帰ら無かったのか?」

「あ、えっと。今日は二人共、習い事で忙しいし。

 おれは、……別に」

「大丈夫か? 心、ここに在らずって感じだぞ。

 始まったばかりの夏の暑さに、やられたのか」

「あはは。平気」

「そうか。……あぁ、忘れる所だった」


 学院指定の鞄から出た士紅の手には、白い巾着袋があり青一郎に差し出す。


「これは?」

「お香だよ。大伯父がってくれた。

 舞をやるなら、在純にはこれが善いって」

「え? おれ、丹布君に舞をやってるって言ったっけ?」

「聞いて無いが動きで分かるし、大伯父にはもっと明確に映って居たんだろうな。

 大伯父が試合着を届けてくれた時に、呼び止めて名乗って貰ったろう。その時に、見立てを色々と察したらしい」

「でも、良いのかな。無料で頂いてしまって」

「もちろん、見返りは欲しいってさ。在純の舞い姿を見たいそうだ」

「そんな事で良いの?」

「うん。当の大伯父の言葉だから。心配するな、私も付き添うよ。

 何分、大伯父には通訳が必要だからな」

「あははッ。分かった」


 笑った顔に陰りが差す。夕日のせいでも姿勢の加減でもない。


 内側からの暗さが青一郎の笑顔を曇らせる。

 それを意識から振り払うために、青一郎は士紅に向き直る。


「丹布君、お願いがあるんだけど、良いかな」

「何だろう」

「付き合って……、欲しいんだ」





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