第六節 盟友の置き土産。




「夜分、前触れもせず御無礼致します」


 広過ぎる玄関の灯りを注がれ、極上の容姿が照らし出される。案内を終えた千丸の家人へ律儀に礼を伝えるシグナが居た。


「長官様。この様な所までお越しとは、我々に何か不備でもございましたか」

「まさか。御前には何の非も責も御座いません。

 私は、言い出せば何者の言葉も聞き入れぬ無礼者を回収するために参りました」


 千丸翁は反射的に士紅を見やる。

 自ら持つ情報と、孫から得た話からは何らかの関係性は伺い知れるが、この外観からは双方を繋ぐ共通項が分からない。


 この場で尋ねるには無粋が過ぎる。

 今も簡単なやり取りが交わされているが、シグナに対する遠慮の無い士紅の態度に、千丸翁は驚きを隠せない。


 そんな中、シグナは千丸翁の側で控える人物に水を向けた。


「ソルダ。変わりは無いか」

「はい。何事も滞る事はありません」

「御苦労。

 それでは御前。何かありますれば即座にお伝え下さい」

「お心遣い、痛み入ります」

「千丸咏十君」

「はい」


 謹んで千丸翁の意を受けるシグナから、唐突に姓名を蠱惑的な声で呼ばれわずかに緊張を走らせる。

 この総て規格外の美の極致と、平然と顔色も変えずに接する士紅は、どこかおかしいのではないかと内心で呆れ果て、千丸はシグナの次の手を待つ。


「丹布士紅の周囲に居ては、何かと大変だが、退屈な想いだけはせずに済む。

 どうか、寛い心で接して欲しい」


 言いながら、シグナの素手は士紅の豊かな岩群青の頭髪を櫛げる。


 その表情は、我が子や愛しい相手を越えた特殊な親密さを誇示して居るようだが、当の士紅は感慨も顔色も消し、羽虫を払いける軽い仕草で拒絶の意を示す。


 千丸はシグナの素性を知らないが、睦まじい相手同士のを見せ付けられている気分にさせられたのは、生前の両親も千丸の前でも遠慮せず、仲の良さを隠さなかった思い出が鮮明に残っているためだ。


 しかし、それはあくまでも男女仲での事。

 いくら美丈夫とは言え、目の前の二名は明確な男同士。制服さえ着ていなければ、美女に見える士紅が間違いなく男である事は、強化組の全員が確認済みだ。




 ○●○




 初夏に入り、部活動後は当然汗塗れ。付き合いが数カ月も経つと、互いに隠す物も隠さなくなる。


 士紅も汗が不快らしく、使い捨ての制汗シートで全身を拭った後は、清涼感に浸って居るのか全裸で長椅子に座り、差し入れの雑誌を読む場面があった。


 さすがに、尻の下にタオルは敷きはしても余りの姿に、すかさず昂ノ介が厳重注意を行っていたが、昂ノ介本人も着替えの途中で、上半身は夏の試合着。下半身は下着の素足。


 どうにも締まらない姿の者同士の様子は、今も仲間内での笑い話だ。




 ○●○




 人には、色々な事情がある。


 その手の世界に偏見はない千丸は、諸々の記憶を起こしながらも、「こちらこそ、本日を含め、ご造作お掛け致しました」と、割とあっさり返答出来ていた。


 二、三の当たり障りのない挨拶の後、士紅とシグナが最後は丁重に場を辞した姿を遠くに見送り、千丸翁は突然の来訪者へのかまえを解く。


「……祖父さん」

「なんじゃい」

「あの銀髪の人は、どこの偉いさんなんじゃ? 祖父さんの構え方、尋常じゃなかったなァ」

「来年くらいにでも、教えたるわ。嫌でもな」

「来年って。ワシ、まだお子様なんやけど」

「安心せェ。ワシにも可愛らしい子供の時期があったわ」

「うわ~。全然、想像出来んわ。

 正直に言うてくれ。生まれた時から、そのまんまやったんじゃろ?」

「だまらっしゃい」


 軽口を叩き合いながら、邸内に戻る祖父と孫の後ろ姿に、郷咲とソルダは無言の目配せで、笑いの所の感覚を共有していた。


 当然、口に出して笑い声を立てるなど許されない事だったが。




 ●○●




 後ろに流れ、歩道側にある街の灯や人影の浮き彫りを、ぼんやりと視界に入れる車中の士紅は、助手席に着いてから無言だった。


 運転席のシグナも、無理に話題を投げもせず、倣って無言を通して居たのだが、頃合いを計り蠱惑的な声を開く。


「何を考えて居るのか、当ててやろうか」

「……書類仕事しか出来無い奴の運転が、不安で不安で仕方が無いと考えて居た。

 どうだ。当たったのか」

「私が何年、《人界》に居座ると想う?」

「私と並べてみろ。恥ずかしくて今から運転を交代して欲しいくらいだろうに」

「悪う御座いました」


 実際の所、シグナの運転は自動操縦に切り替える必要も無いくらい優良で、書類仕事以上の辣腕も清々しい程に振う。


 優雅な夜会で折衝を行ったその翌日には、現場を訪れ重機を操作し掘削作業を担当する事を、士紅は重々に承知の上。


 そんなシグナが本来、最優先すべき一番重要な案件は、士紅の行動を妨げる事無く、円滑に役割を果たしてもらう事だ。

 その点に従事して居ると、いつしかシグナは〝総務長官〟と呼称されるようになった。

 だからこそ士紅は何の前置きもせず、シグナが話題に置きたい内容を語り出せる。


「私の大嫌いな、大金持ちで権力者なのに、千丸の若夫婦は、生存する職員を隔壁の内側へ退避させる時間を稼ぐために、たった一つしか無い生命を盾にして自ら囮となって撹乱するなんてさ」

「あまり、感心して居ないようだな」

「死んでしまっては、おしまいだ。見ただろう千丸家の姿を。

 今も、決して癒えぬ生々しい傷に苦しみ、耐え続けて居る」


 暗い景色に人々がともす叡智の証は、恐れる闇に打ち勝った凱歌を高らかに歌い上げるも、滑稽で愚かな円舞を見せ付けられる気分にもなる士紅は、車窓に映る詰まらなさそうな心情を浮かべる自身の視線と眼が合った。


「……確かに安心したよ。蒼海学院で千丸咏十と再会した時、私に対して何の反応も見せ無かったからな。

 私のも、まだまだ衰えて居ないようだ」

「少しは、切ない気分もあったのでは?」

「まぁね。あんな事件に巻き込まれたのに立派に成長してくれて、正直、嬉しかったよ。

 あの事件は、本当に愚の骨頂。想い出しただけでも苛々する」

「……狂信者と言う名の犯罪者を意図的に散開させ、ある時は恩を売り、ある時は非合法な利潤を得る。

 その先を辿れば、事もあろうに人の上に立つ、最高権力の一角なのだからな」

の尖兵だろう? しかも、にも届か無い末端だし、よりによって名乗るのは『あかときのうた』の一節のお題を逆にして。何が〝キヨノシロ〟だ。

 もう、時節も折り合いも無視して、何ものこさずほふりたい」

「それだけは止めてくれ。『ザミフ』の二の舞にするつもりか。今回は規模も相手も悪過ぎる」


 士紅は、常識も倫理に沿った見境みさかいを持つが、事と次第では独自の尺度によってを断行した経緯が幾例もある。

 その一つが先程語られた、千丸翁が実行しようとした事柄を、現実に移したと言える。


 たった一名の養子のためだけに、養子を苦しめる要因の総てを独断で、手落ち無く準備し殲滅せんめつした。


 その場所がザミフ。


 綺麗に穿った空白地帯は補完され、今はエフエオフイと名前が変わっただけの、都合が良過ぎる役目を担う暗幕の向こう側と果てる。


 元を絶つか、主となって支配するか。

 極限に立たなければ同じ役割が再生されるだけだと判って居たが、当時の士紅にとっては些細な問題に過ぎなかった。


「判り切った事を言うなよ。冗談だよ。本音だけどな」

「最後の一言は聞か無かった事にする」

「それは、どうもありがとう」

「……まだ、間に合わなかった事を気にして居るのか」

「私が到着した頃には、狂信者連中の〝儀式〟は済んで居た。

 千丸の若夫婦は、総ての歯を抜かれ、孔だらけにされ、内臓も掻き出され、狂信者が崇める聖なる液体が注がれ、立派な供物と化していた。

 眼前で起きた惨劇の記憶を灼くのは簡単だし、両親との記憶で埋めるくらい幾らでも施せる。

 だが、千丸咏十の真っ白な髪を見てしまってはなぁ」

「俗に言う、精神への過重負荷による現象では無いとの報告だったが」

「実際、そんな例は稀有と言うよりも、ほぼ無いとは知って居るだろうに。

 それに、千丸咏十は健康そのものだ。あの白い髪は、怪奇現象の方だよ。

 判りやすく言えば、先祖返りみたいなものかな」

「待て」

「ん?」

「そのような報告など、どこにも無いはずだが」

「それはそうだろう。書きも、添付も、誰にも伝えて無い。

 今ここで初めて言った」


 裏切られた。失望に打ちひしがれるのでは無く、またか。の方だった。


 シグナの唯一の親友であり、敬愛する無二の主は、とても多くの秘密を抱え込む事実は、出会った頃からの御約束で、明かされず沈黙されたとしても大した問題では無い。


 士紅が何を呑み干そうが、世界の総てを敵に回そうが、必ず隣に戻って来てくれさえすれば善い。

 それが何よりシグナが切望する幸いだった。


「彼らは、アーレイン=グロリネスの〝置き土産〟の一つ。別件の方が大きいから目立た無いけれど、かなり厄介な相手だよ実際」


 士紅の盟友の名と共に、常に張り付き柔和に見えるだけの笑顔を想い起こし、シグナは極上のまなじりを、遠慮もせずわずらわし気にすがめる。


 アーレイン=グロリネス。


 士紅が口にする度に不快にさせられ、千年前からはシグナにとって忌避の対象として格上げされた。


 〝別件〟についての事態は把握し、決して口に出さ無いが、シグナはどうにも納得出来無かった。

 表に出るべきは、アーレイン=グロリネスなのがだ、今回など未だ姿を見せずに一切を士紅に任せ続ける。


 そんな折。驚く事に士紅の方から一つ吐息が零れ落ち、気怠けだるそうな一言で沈思ちんしは絶たれた。


「シグナ」

「何だ」

「死が、間近にある気がするんだ。身体が重くて、気分も悪い」

「士紅」

「ん?」

「今すぐ、手首の試行実験の〝かせ〟を外せ。任務にまで装着していると聞いて居るのだが」

「これさ。案外、貴重な体験だぞ。

 夢の一つが叶うのかもしれない」

「参考のために聞いてやろう」

「風邪だよ。風邪を引いてみたい」

「それはそれは、医療部も歓喜する事だろう。君程の天貴人が抵抗力を無くし、罹患の進行具合や対象が何かを調べ尽くせる機会を得るのだからな」


 シグナの言葉を受けた士紅は、端正な口元に薄いながらも自嘲を乗せる。


「結局、こんな冗談を口にする私も、ヒトの痛みなど判らぬ病持やまいもちだ」

「それが事実なら、とうの昔に《人界》はの手に堕ちて居る」

「っははは。褒めて甘やかすのは止めてくれ。小銭も、お菓子も持って居無いよ」

「何故そうやって、君はいばらの道を往きたがる」

「私が変だから」

「君が言うな。私に言わせろ」

「こいつは失敬」


 似紅と鏡色の視線が同時に触れ合い、元に戻すと、これまた同時に小さく笑う。


「シグナ」

「今度は何だ」

「陽がある時間に、丹布士紅の姿で強化組全員と、千丸邸へ向かえる算段を用意して欲しい」

「期限は?」

「二十日以内。中間考査が始まってしまう前に頼むよ」

「承知した。そうだった。忘れがちだが、君は学生の身の上だったな」

「まぁね」


 唐突な要請にも疑問や反意の無駄口は一切挟まず、シグナは承諾する。


 この手の意図には必ず意味が存在し、シグナには過不足の無い的確な応えを整えるすべを持つ。これこそが、シグナが《人界》に居座る第一義だった。





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