第五節 遺した者、遺された者。




 千丸充征に招かれ貴賓室の一つに通されたのは、蒼海学院中等科・男子硬式庭球部顧問兼監督の深歳。

 同庭球部強化組の青一郎、昂ノ介、礼衣、都長、蓮蔵、メディンサリ、士紅の計八名。


 全員が蓉可夫人から語られた、『ハンス』が誰を差しているのか。

 その説明は不要だったが、『ベルジンの少年』には反応が半々だ。


「失礼な事を言うんじゃない。下がりなさい。蓉可」


 邪険ではなく、これからの会話の内容をおもんばかり心からの気遣いの響きに、蓉可は声の主に従い、広間から辞した。


 その姿を見送り確認した千丸翁は、改めて席に着く面々を見渡す。

 値踏みの眼光よりは、孫と同じく時代と血統に縛られ生かされる背景を負う、憐憫れんびんを超越し、尊敬に似た憧憬が含まれる。


 深歳と士紅は例外とは言え、孫の生きる道に少なからず影響と干渉を与える要因としては、見過ごせない存在には変わりなかった。


「見れば見る程、黄金世代と吹き回る者が多い訳だ。

 その割に、君達の家は思いの外、行動の自由を与えているのだな。

 世代の違いか、私は驚かされている」


 何かに思いを巡らせているのか、千丸翁の先見を見据え続けて来た目に、かすかなかげりが広がる様を、この場に居合わせる面々に隠そうともしない。


「子を失う気持ちを、君達は考えた事はあるかね。

 君達は若い。若過ぎると言って良い。

 だがな、子を思う気持ちを、君達は必ず味わう事になる。

 監督は既に、味わい始めているだろう」


 この輪にあって名指しされた深歳は、ありがたいと感謝しつつ恐縮し、話を途切れさせないよう一礼で返す。


「私はな、考えるよりも先に、十年前に突き付けらた現実と共に味わってしまった。

 孫は、目の前で親を殺され、考える余地もなかった」


 年端に至らない彼らも処世は心得たものだが、一名を除き一同は息を飲み、反射的に千丸咏十に、それぞれの視線を向けてしまう。


 当時からして、そのような話など、一片の噂にも醜聞記事にも載っていなかったはずだ。


 彼らの記憶にある情報は、グランツァーク財団の無謀な指揮の下、近隣経済圏にある希少鉱山の落盤事故に千丸の若夫妻、詰まりは千丸咏十の両親が巻き込まれ、事故死したとある。

 明らかに、千丸翁の言葉と食い違う事実に彼らは固唾かたずを飲んだ。


「その様子では、説明は不要のようだな。大変結構。

 そう、全ては操作された虚偽が真実として浸透し、我々は全ての汚濁を飲み干して下さった、グランツァーク財団の恩情に甘んじた」


 身動みじろぎもはばかられる、緊張感と無音の中、千丸翁は再び鉛を含んだ重々しい口を開く意を満たし、語り手として毅然と姿勢と声を正した。




○●○




 十年前の丁度、今頃の時期。


 モルヤン経済圏総意による突然の決定で、多くの他経済圏との交流が拓かれ、多様な人種と文化が奔流となって渦巻いた。


 公式経済圏には必ず複数設置され、衛星軌道付近にあるそらの物資・人々の往来の玄関口であり、検疫・身分照合の最終防衛線でもある〝空中庭園〟は大混乱をきたし、情報交換上の処理は適切に行われるが、人員が全く追い付けず、機能は間もなく不全を起こす。


 政策が破綻するまで日数は掛からない。ヒューマンエラーの嵐は、容易よういに招かれざる客を素通しする。


 情勢が不安定の中でも、生活は歯車を回し続けた。

 いびつな遊技盤は既に見えない場所で構築され、十年前のブローム・ナトス群島周辺で氷山の一角が姿を現した。


 その日。

 かねてより問題提起される、ブローム・ナトス群島周辺の生活水準向上のため、建造された巨大な採掘場と、資源製錬施設の稼働状況の視察に訪れていた千丸充緒・永子夫妻と幼い一粒種は、突如として公式経済圏で国際手配を掛けられ、某狂信者で構成される、犯罪集団の襲撃を受けた。


 さすがに、その集団がモルヤン圏に侵入を果たしたとあっては沽券に関わる。

 圏内の捜査当局は連携を図り、包囲網をせばめていたのだが、追い詰めた先が、よりによって千丸の若夫婦達がいた採掘現場だった。




 ○●○




「当局は、一気に流入し多様化する人種や文化によって撹拌かくはんされ、犯罪に対する政策や法整備の不始末によって混乱した。

 机上の演習と書類整理しか出来ない指揮陣、現場の強行班との疎通が乱れる中、たったの半日で採掘場は狂信者の犯罪集団に占拠された」


 千丸翁は、淀みもなく当時の状況をそらんじて語る。

 それを記憶力や強靭な精神によるものなどと、誰も感心せず望んでもいない。


 素面で、血を吐く思いを語る姿に、説明も感想も口に出来るはずもなかった。


「失望したよ。私自身にな。誰もが避けて通る千丸の名。

 殺意や濁った目を向けられる程に羨まれる富や権威があっても、リュリオンから遠く離れた群島。しかも最悪の治安。

 私の指示や思いなど、一つも届かなかった。

 現場を知らぬ権力者になりたくないと、常々言っていた息子の足を、あの日ばかりは折るなり、切断してでも止めるべきだったと、今も後悔している」


 非常識な事を口にしているとは重々承知の上で、千丸翁は親として、剥き出しの思いを包み隠さず語る。

 未来に家族を持つはずの、幼い後輩達に向けて。


「万策も尽きた。手札も使い果たした。私は失い続ける人生を辿るのかと、諦めそうになっていた」


 話の内容は、絶望的な状況ばかり。なのに、語る千丸翁に力強い眼光は保たれたまま。


 稀代きだいの語り手と映りだした彼らは、その話術と雰囲気に引き込まれていた。


「しかしな。そんな時に思い出したのはが好きな物語の文言だった。〝戦え。抗え。決して諦めるな〟。

 誰も動かぬのなら、私自身が現地入りし、息子達を解放してやろうと一暴れするつもりで準備に取り掛かっていると、から連絡が届いた。

 何の偶然か、丁度モルヤンに現地入りされた、グランツァーク財団総本陣の総務長官様に直接、事件解決の要請を訴えたとな」

「グ……、グランツァーク財団総本陣……ですか」

「総務長官……?」


 酸欠寸前の金魚のようにあえぎ、呼吸を求める変わりに、都長とメディンサリが独り言を呟く。

 千丸翁も空気を汲み、幼い後輩達に話の水準を合わせる説明を施す。


「君達も覚えておくと良い。総務長官様は、各経済圏の財団に配される全ての黒い狼群を。

 あの最の私設武装強襲集団・ミスクリージを直轄する御役目を負っていらっしゃる」

「詰まりは、ミスクリージが事件解決に関わっていたのですか」

「その通りだ。実は、が総務長官様に要請する前に、事件の情報をいち早く得ていたモルヤンのミスクリージ達は、強行班を編成済みだったのだが、当時のモルヤン・グランツァーク財団は内紛で相当混乱していたそうでな。

 出動しようにも叶わなかった所へ、総務長官様のたったの一声で指揮系統は氷解し、事件は膠着していたミスクリージではなく、既に現場は別のミスクリージによって解決に向かっていたのだよ」


 昂ノ介の言葉を受け、千丸翁は話を重ねる。


 採掘現場を一時の支配者として、惨状を極めた実行者達を総じて絶命へ導き、を全員捕縛し、千丸の若夫婦が生命の全てを懸けて守り抜いた現場の生存者を解放したのは、たった一名のミスクリージであったのだと。


 現場の規模に対し、解決に当たった要員の少なさに、ほぼ全員が現実離れした世界に唖然となっていた。


「後日、総務長官様が御自ら我が家へ出向いて下さり、当時の全容の説明を頂戴した。

 千華院に恩を売るためだけに、ある経済圏の王侯が、例の狂信者の犯罪集団を導く算段を立てた事。

 工作を実行したのは、件のミスクリージが一人残らず捕縛した救助隊を装った工作員によるものだった事。

 今回の失態を隠蔽し、息子夫婦が事件に遭った場所も理由も差し替え、犠牲になってしまった職員の方々の保証から何から何まで、グランツァーク財団が全て請け負って下さったのだ」

「……別経済圏の王侯が絡んだ案件故に、さらに事態が混乱したのですね」

「高度な政治が働き、複雑な背景を抱えていても、双方が穏便に事態を解決に向かわせたかった。

 頭では分かります。分かりますが……」

「分かる訳ないじゃない」


 礼衣と蓮蔵が負荷が大きすぎる事件を振り返り、学習要項に沿って情報を処理していたが、とても「はい。その通りですね」などと綺麗に消化出来るはずもない所に、青一郎が静かに怒りを表した。


「そんな。そんな子供のじみた占有欲を満たすために、簡単に生命を駒のように扱うなんて許せるはずがない。

 政治は大切かもしれません。

 でも、その結果、救えるはずの生命が……。

 果たせない意地や矜持にしがみついているから、こんな……」

「ありがとう。在純君」

「すみません。言葉にならない未熟な羅列で場を乱してしまいました」

「そのような事はない。世の中、綺麗事だけで渡れぬものだが、在純君の思いは、とても尊い。

 あの事件を起こした連中は、持て余す時間と権力と財力を持つ者が陥りやすい病。

 人の痛みが分からぬ、救いがたい病を患っている」


 千丸翁の言葉を、一言一句逃すまいと集中する彼らの表情は、一様に生命への尊厳を自らの枢奥すうおくに刻む意識を窺わせる。


「皆も、いつまでも忘れないで欲しい。決して、そのような病にはならないでくれ。

 全てが見渡せない場所にあっても、皆が、何の上に立っているのか。誰に支えられているのかも、同時にな」

「はい!!!!!!!!」

「……フフフ。体育会気質の返事は心地よいものだな」

「ご自身も、庭球に明け暮れていらした時期がありましたものねェ。

 そろそろ、坊ちゃま達を帰してあげないと、ご両親が心配なさいます。

 色んな意味で」


 出入口から小首を少し傾けて微笑む蓉可夫人の声に、全員が注視する中、千丸咏十が小さく吹き出す様を、照れ隠しも含め千丸翁が見咎める。


「深歳監督。明日からも孫の指導を、宜しくお願いします。

 これだけの面々の中ではばかられるが、部活動において不備があれば、いつでも申し出て欲しい。

 全ての事案に応えよう」

「ありがとうございます。お心遣い、一同深く感謝致します」


 立ち上がり、深く深く一礼する深歳に倣い、強化組全員も座を解いて立ち、美しい角度で一礼を形取る。


 無論、千丸も同じ姿勢を保っていた。その様を頼もしく、誇らしく見渡す千丸翁夫妻。




 ○●○




「すみません。近所のわたしまで、車をご用意して頂けるなんて」

「年寄りの心配事の一つや二つ、解消しても罪にはなるまい。

 丁重にな」


 運転手に言い付け、送り出すよう促す千丸翁は「また遊びに来なさい」と蓮蔵に付け加え、恐縮する姿を見送った。


「さて。最後に残った、この強情な学友をどうするか」

「送って頂くような、身の上ではありませんから」

「丹布君」

「はい」

「全国へ行くには、孫の存在は欠けてもらっては困ると言ったな」

「はい」

「それは、孫とて同じだ。君達の誰かが欠けてしまっては、孫は生きては行けないだろう」


 祖父の意表を突いた言葉に、千丸が反論しかけた丁度その時。


 正面の車道脇の石畳の足元を、案内役の提灯で照らされながら向かい寄る姿が浮かび上がる。


 認識した千丸翁は、孫をからかおうと崩し掛けた姿勢を正し、迎接げいせつの態度を即座に整えた。





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