第二節 モルヤン一の大金持ち。




 陽光は眩しく、すっかり初夏の明度は、放課後の部活動中の少年達に届けて差し込む季節。


 花壇の一角には、蕾が多い白百合が、まだ控え目にうつむくまま。見頃は、間もなくと言う所だ。


「昨日の『おとうた』見た?」

「あ~。見られなかったから、録画したやつを朝見た。

 あれだろ? シストワールの『はじまりの円環』」

「あの歌ってさ、青春! って感じするよな」

「メディンサリも思った!? あの人達の歌って青春とか、前向きに頑張ろう! みたいな歌が多いよな。おれ大好き」

「だよな? そうなんだよなァ。生で聞きてェな~」


 都長とメディンサリが青春について思いを馳せるそばで、士紅は木陰で水分を補給して居た。


 少し身体を動かせば流れる汗は、どこから発生するのか不思議な程に滑らかな肌を事実濡らす様を、青一郎は、ぼんやりと眺めていたが、やがて確固たる意志を携え視線に込める。


 その生きた思いが触れたのか、士紅の似紅にせべにが発生源に向かう。


「何だよ在純。化け物のように強い私だが、水分くらいらせてくれよ」


 自前の専用水筒から端正な口を離し、吐息混じりに言葉を零す様は、少年とは言い難いなまめかしさを不用意に添えて居るが、士紅に、その自覚が全くもって無いのが問題だった。


「それは摂って欲しいけど、丹布君って物凄く綺麗だよね」

「突然どうした」

「君が女の子だったら、必ず口説く。おれが女の子でも、必ず告白する」

「そんな、非現実的な事を言われてもなぁ」

「あ、じゃあ試しに付き合ってみようよ。おれ、相手が丹布君なら唇くらい普通に交わせるよ」


 はい、どうぞ。と言わんばかりに青一郎は、目を閉じると余計に長い睫毛が目立つ可愛い顔を士紅に向けた。

 ご丁寧に女の子のような可憐な色が薄付く唇へと、誘引するための隙間を開けて静かに待ち受ける。


 少々の事では動じ無いと自負する士紅ではあったが、さすがに対処に困り近くにいた解決の糸口を握っているであろう適切な相手に助けを求めた。


「火関。おい、火関」

「……何だ」

「在純が変なんだ。こんな時は、どうすれば善いんだ」

「……知らなかったのか? 青一郎は昔から変な奴だ。放っておけば良い」

「そうだったのか。それでは仕方無いな」

「……流す丹布も、変わった奴だな」

「流すと言うのか、容姿を褒められるのは嬉しいからな」

「……そうか。……?」


 礼衣が猛然と歩み寄る勢いの良い気配に、涼やかな目元を差そうとするいとまもなく、憤然たる感情そのままに拳骨げんこつが三名の頭上から落下し、鈍い音が空気を震わせた。


「い、……痛ッたァ」

「今時、拳骨って何なんだよ……っ」

「……な、何故、おれまで」

「先程から、何をじゃれ付いているんだ! この愚か者共が!」

「もうすぐ全国模試と中間考査なのに。数式が飛んだら、どうしてくれるんだ」

「今の一撃程度で飛ぶのなら、覚えていないのも同然だ! 忘れてしまえ!」


 様々な思いが混雑としてしまったのか、怒声を上げる昂ノ介の顔色がやや赤みが目立つのは微笑ましい程に否めない。


 休憩時間のついでに、説教の一つでも始める雰囲気を立ち込めさせていた昂ノ介を遮ったのは、青春談義をしていたはずのメディンサリ。

 ただならぬ顔付きで、ある一角を空色の視線で差し示す。


 庭球部の屋外練習場は、中央を境に東側六面が男子。西側六面が女子。

 更にそれぞれの外側には階段状の観覧席が設置され、南面・北面を防護柵付きの出入口が配置される。


 その男子側の南出入口から少し離れた場所で、物々しい風景が展開している最中。

 千丸が、軽く十人を数える仕立ての良いダークスーツ姿の男達に、かなり余裕を保つ距離で囲まれ、内一人と何やら舌戦を続けていた。


 休憩に入る前、千丸は例の一団を目にした時点で自ら断りを入れて練習から抜け、ほぼ同時期に深歳が校内放送で中等科本館へ呼び出され、未だ戻らず。

 無関係とは言え、視界に入る非日常的な構図は他の部員も話題に織り込み始めた。


「何なんだ? あの黒服集団」

「見た感じ、怖そうな男ばかりですよね」

「あれって、千丸が話してるよな。知り合いか何か?」

「大丈夫なのかな。千丸。なァ、監督を呼んだ方が良くないか」

「監督は、先程の校内放送で呼び出されたまま、まだお戻りではありません」


 心配そうに目端に入れながら噂をする部員達に、蓮蔵が話に加わり、この場にいる者では状況を解決出来ない理由を知る者の役割を果たそうと、少し異国の特徴が入る口元を開いた。


「あの方々は、千丸君の家に所属される護衛の皆様です。

 残念ながら、我々に介入する余地はありません」


 事情を知らない部員達は、別世界の単語に息を飲む者も少なくなかった。

 誰もが静観を決め込むしかないと判断する中で、士紅だけが常識の縛から脱し、空手からてにしてから歩き出す。


「お、おい、丹布。どこに向かう気なんだよ~」

「いけません。丹布君。今回ばかりは、我々の意志は反映されません」

「大丈夫。皆に迷惑は掛け無いよ」


 一度だけ振り返り、特に気負いもせずに言葉を残すと、士紅の脚は孤軍奮闘する千丸に向け歩き去る。


「……ただの向こう見ずに見えないが、相手が悪過ぎる。

 千丸は鼻にも掛けず普通にしているが、このモルヤンの政財界を古くから支える大財団『千華院倶楽部』直系唯一の跡取りだ」

「うむ。内外に資源採掘、多くの占有権。

 ことに公式経済圏には必要不可欠の『P57』恒久エネルギー資源製錬施設を維持する巨大企業でもある」

「だよな~。余りある資産を抱え込まないで、史跡や文化財の保護に、盗掘集団から回収するための交渉とか、研究設備や教育施設への援助は、経済圏内外を問わず評判も信頼も高いもんな~」

「いくら、遠い大ロスカーリアから来たって丹布でも、耳に入ってるだろうによォ」


 仲間が語る上層世界の常識を、微風そよかぜ程度の響きにしか聞こえない青一郎は、柔らかな視線を気掛かりに染め、芯がる揺るぎ無い背面を見送るしか出来なかった。




 ○●○




「そんな急な話では、なかったはずです。少なくとも、わたしの耳には届いておりません」

「別件の話です。若さま」


 千丸は敬語を使用しているが、長年培った信頼が込められ、いつぞやの領域をへだてる音はないものの、非難と預かり知らない状況によって、声には硬質の膜が張られていた。


 説得役は大の大人が二、三人で担当しているのだが、それでも千丸は一人で窮地きゅうちしのぐ。


 役を外れる他の護衛は、決して手持ち無沙汰にする者などいるはずもなく、鋭利な気配を四方八方に巡らせる中、顔色一つ変えず臆する動きも立てず、異郷に彩られる少年の接近に、一団は警戒態勢を取る。


「護衛対象に手間を取らせた挙げ句、周囲に不審を撒き散らすとは。

 定評ある千丸家の護衛陣も、たかが知れるな」


 故意に、士紅はかんばせに角度を付け睥睨へいげいして見せる。その仕草が憎らしい程、効果的に映え、若い護衛士の神経を逆撫でるの役割を存分に果たす。


「……丹布」

「部外者は、控えて頂こうか」

めよ。咏十様の大切な御学友だ。無礼な物言いをするな」

「申し訳ありません」


 士紅は、安い挑発に掛かった若い護衛士など早々に視界から外し、制止に入った実年令よりも若く見える壮年男性の、隠しもしない生き様その物を現す鋭い黒の眼孔を見据える。


 護衛陣と言わず、モルヤン水準でも一、二に名を挙げられる武人の実物に対峙した士紅は、別視点で満足しながら不遜な態度を解いた頃、空気が意志をもって張り詰める糸を囲い込こむ。


 ある人物が距離を詰める兆しを伝えていた。




 ○●○




「うわァ……。千丸翁だ……。おれ、初めて見たぜ」


 メディンサリ程の地位でも、感嘆せずにはいられなかったようだ。


「うん、おれも初めて見た~。モルヤン政財界・社交界の重鎮だけど多忙だし、あの事件以来、滅多に表立った場所に出なくなったって話だし」

「……それにしても、千丸は何故あれ程に抵抗しているのだろうか。いつもなら不承不承ふしょうぶしょうながらも、護衛の方々には従っていたのにな」


 礼衣は、それとなく蓮蔵に向けて独り言を流せば、行き先の蓮蔵は、謝罪文でも隠し持つような気拙きまずい表情を作っている。


 住まいも近く、小等科の低学年から唯一と断言出来る付き合いを持つ、千丸の親友でもある蓮蔵は、今、士紅が居る場所で明かされる事実を、口内にとどめていた苦渋に似た言葉を、吐き出す時が来てしまった。




 ○●○




 敵陣の直中ただなかで、千丸から語られた単語の列を、士紅は丸ごと復唱して見せた。


「ルブーレンの『ブルグランス寄宿舎』へ編入とはね。

 こんな時期に善く入れたものだな」

「前々から話には出とったが、ここで持ち出されるとは思わんかった。

 ワシとしては面食らっとるわ」


 千丸の顔には、やや諦めの色が濃くなり始めている。先程、中等科本館方向から訪れた正絹の略礼装姿の老人が着いてからは。


「時間は尊く、決して無駄にするものではない。さあ、咏十。戻るぞ」


 士紅の存在など意識の一つも配りもせず無き者とし、ただ千丸だけを意識に留める老人。


 名を『千丸 克征』。

 千華院倶楽部と関連団体を率いる千丸家の当主にして、千丸咏十の父方の祖父その人だった。




 ○●○




「冗談だろ~!? あいつ、よりによってブルグランス寄宿舎に入るの!?」

「千丸くらいなら、あり得る話だろ。世界で一番安全な学校としても有名だしな。

 入れときゃ、その間は何があろうと出られないし、出る頃には、磨き抜かれた一流の紳士淑女の出来上がりだ。政財・社交界で活躍してる奴がゴロゴロいるぜ」

「別名、〝貴公子の監獄〟と呼ばれていますね」


 そこそこの水準にいる御曹子達も、辟易の態度を会話に投じる内容の他に、思い当たる節を青一郎が口にする。


「もしかして、あの事も関係しているのかな」

「ああ、先日だったか。かなり警備体制が充実した施設から、どこぞの子息が身代金目的で誘拐され、救出には至ったが失明して戻って来た話だな」

「……さすがに表沙汰にはならなかったが、千丸翁の耳には入っているのは必至。極めて曖昧な情報だが現実だけは広がっている」


 生まれた頃からの付き合い組も、別角度から考察を開始する。声が届かないこの距離が事実と憶測を隔て、仲間内で仲介可能なはずの蓮蔵は、再び口を結んでしまった中、遅れて深歳が千丸翁側の集まりに合流すると、新たな火種が再燃しつつあった。


 深歳は数日前から選抜組の家々を回り、全国大会へ向けての折衝を行っていた。出過ぎた言動だとの自覚は重々承知の上で、彼らの習い事や家の都合を減らし、その練習にてるために。


 返答は、それぞれ色があった。快く応じてくれた家。むしろ歓待してくれた家。保留の家。門戸に辿り着けなかったが応えは一つの家。


 導火線に火を点けてしまった家。それが、千丸の家だった。


「屋外での部活動との話の時点で保安上けしからんと思っていれば、次は我が家にまで干渉を試みるとは、何たる無礼な言動だ。この痴れ者が」

「……申し訳ありません」


 庭球界を制した強者ですら、伏魔殿の御簾みすから現れた政財界の黒幕を前に、恒星と蝋燭の灯火ともしびに等しかった。


 深歳が積み上げた経験のもといすら、覆圧ふくあつに砕ける寸前。士紅の唇が薄くほころんだ。





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