第二二節 公と、私と。ロゼルの場合。
セツトに程近い人工埋め立て地には、シユニと名の付く古くからの臨海商業区がある。
織り成す幹線道路に鐵道、空路へと繋ぐ海門橋。誘致された有名飲食店舗に、夜景を見据えた高級宿泊所。
植物園を思わせる公園。遊興施設がない分、商業人による、商業人の為の、商業人の
三六階は、七階層を貫く流水階段の終着階層でもあり、圧巻の眺めは一般にも解放され、グランツァーク職員に混じり、軽食店舗や休憩所、商談場所として重宝される区画の一つだった。
「会食はどうしたんだよ」
その三六階に点在する観葉植物へ、追肥用の液体肥料の面倒を見て居た、白い帽子に白い作業着姿の長身の青年に、黒の頭巾黒の長衣姿の、これまた長身の青年が語り掛ける。
「話も
そんな事など構わぬ……」
白い青年は
「よくぞ無事、戻ってくれた。ありがとう。……ロゼル」
苦労知らずに見えるだけの、極上な線を宿す白皙の青年の指が、黒の青年の厚地の頭巾に差し入れ、背後に流す。
そこには、眉を隠す程に深く巻く
双眸は
その凄まじく整う薄い表情に、白の青年の手は掛かったまま。
唯一無二、最愛の相手に触れ続け、白の青年の極上の口元が、囁かんばかりに近寄る。
「……ロゼル」
「何だよ。シグナ」
「突き立てる二本指を、収めてくれないだろうか。
さすがにロゼルの指で突かれては、私の眼も潰れてしまう」
「潰されるような事をして居るからだろうが。離れろ。気持ち悪い」
「唯一の敬愛する我が主。無二の最愛なる我が親友に、この言われよう。
底の無い思慕の深淵に堕ちようと、私の愛はロゼル。君だけに注がれる」
「先程のブローム・ナトス群島の事だが」
「ああ、〝管制塔〟から聴き及んで居る。現地との
ロゼルは、それで了承なのか?」
「特に問題は無い」
元より無視を決め込み、仕事の話で切り返しをするロゼルに、いつもの事と割とあっさり、シグナも流れに沿う。
この二名に伝説の会話手法『ボケ・ツッコミ』など求めるのは無謀だ。
事後の確認も含め、話が煮詰まると、ある事を想い出したシグナが付け加えた。
「君はな。野遊びでは無いのだから、試作品を紙袋に入れて出掛けるのは止めてくれ。
仮にもMの三七五六四号、二三一なのだぞ」
「医療部が大丈夫だって言うから」
「真に受ける者があるか。大体だ、君はモルヤンに来て、どれだけ備品を壊せば気が済む? 地下練習場の壁も、何をすれば庭球の練習だけで穴が開く? 〝管制塔〟も零して居たぞ。
君には途方も無い稼ぎがあるとして、同時に莫大な借金を負って居る事を忘れるな。財団が生み出す利益は、社員の
「シグナ、次の要件が控えているのだが」
「要らぬ。今に伝えなければ捕まらぬからな。
ロゼル、そもそも君はだな……」
最凶最悪の集団の頂点を差す称号『アラーム=ラーア』を持つロゼルは、時間の限り、シグナから日頃の素行についての、問題点と改善点の講釈を受ける光景が続き、周囲の好奇の視線を集めに集めていた。
「シグナ。そろそろ、本当に時間が無くなるから、この辺りで勘弁……」
「四分十五秒ある。この間の補正予算では、君の過剰破壊行動に、幾ら投じられたと想って居る。
群狼の隊長が率先して、
ロゼルの表情は、相変わらず微動だにし無いが、誰にも気取られぬ思惑の
●○●
「あんれまァ……。隊長さんも、どえらい事さしなすったなやァ」
「こげな穴、どうすんだァ?
一夜にして、犯罪拠点の牙城とも言える集落が消え去り、底も見えない大穴が綺麗な境界を垂直に
夜が明けそうな明度が届き、水面や懸命に生きる開拓者が、南洋の鮮やかな鱗を
「こんな穴さ、ポッカリ
「んだッ、すねかったッ」
「やっぱァ、隊長さんのとこの技術ってな、すんげーもんだ」
「んだッ、すげーすげーッ」
「騒いで穴に落ちんなよ」
陽の出と共に、近隣の離島から村長
一行と違い、組織に属する制服と階級章、古めかしい大型の猟銃を、
「おお、ドトルデア」
「でかい猫に喰われなくて良かったな」
「仕事は終わったけ?」
などと、短時間での別れの間の情報交換が行われる。
名前だけのブローム・ナトス群島の軍警察と言われるが、彼らは、たった一割残される土地に追いやられた、住民達の尊厳を守り抜くだけで手一杯だった。
軍警察の備品を横流ししてまで、住民側の自警団の装備を固めさせたのは、非合法の餌に抱き込まれ、犯罪集団に傾く輩も多いからだ。
食うや食われるかの軍警察組織の中でも、ドトルデア達は
限界まで受け続けた再生医療の数が、それを黙して物語る事を、一行は確実に知っている。
ドトルデア達は、一行の誇りと希望そのものだった。
そんなドトルデア達は、夜も明け切らない時間から、単独で暴れ散らした群狼の後始末に駆り出され、容疑者や被害者の捕縛や救助に当たっている。
彼らは、一行と同じ島出身の軍属として、真っ先に編成部隊に歓喜と共に放り込まれた。
旧交を温めるくらいの軍規の
そこへ。
衝撃波が高く抜ける乾いた音と、空に向け飛び立つ鳥の羽根音が重なる。
談笑も寸断し、全員の心身に緊張が駆ける。嫌でも聞き慣れてしまった、発砲音。
「残党か!?」
「いんや。銃声は一つだんべ。ありゃ獣除けの音じゃないけ?」
「……誰か襲われてるんだか」
報復や残党対策として、村長一行は武装している。使い込まれた小銃や、野戦に適した銃器を手に触れ持つ。
まだ安全装置は掛かり、薬室には弾は装填していない。
彼らは見た目にそぐわず、安全、銃口管理を徹底して教育されており、それぞれの身構えで、臨戦態勢へ、素早く移行可能な準備が敷かれる。
「待ってくれ。連れからの通信が入った。妹が
「あァ~、ムテナハが来たんだっぺや」
同郷の馴染み相手とは言え、あっさり軍警察無線の内容を伝えてしまうのは問題だが、誰も
気構えを解きながら待っていると、知らせ通りの人影が、真っ直ぐ一行に姿を現す。
「おっはよ~ございます! 村長様! 村役の方々! ……それと、兄ちゃん」
似つかわしくない、サプレッサー付きのショットガンを悠々と肩に担ぐ、群島出身が一目で分かる容貌の少女。
年が離れた、ドトルデアの妹でもあるムテナハが、元気良く挨拶を示す。
年格好は高等教育を受ける辺りだが、その場所すら、ここ十余年、確保すら出来ずにいた。
しかし、それも今日までと言わんばかりに、満面の笑顔で預かる手紙を村長に手渡し、たった今やり遂げた武勇伝を一行に披露していた。
島にもよるが、犬科と猫科の大型肉食獣が生息しているものの、現地人は殺傷を目的としない。
あくまでも、自衛の最終手段で発砲する。ないしは、あえて家畜肉を用意し、半ば餌付け気味に与えていた。
現地人にとっては害獣でもあり、神聖な対象でもある。生態系の激変で固有種の乱獲も進んでしまい、保護種に指定されている理由もある。
話が弾む一行の雰囲気を、突然村長が指が欠ける手で、紫外線と苦労に満ちた生き様を引く、
その様子に、一行は顔を見合わせながら成り行きを見守ると、村長は震える手で差し出した。読めと言わんばかりに。
代表し、年長の助役が受け取り、皆に見えるよう、角度を付け手紙を開く。
「……こりゃぁ、……村長様も、我慢出来ねな」
「オレは、今でも、こらえ切れねッ」
「粋な事するよな。隊長様も」
●○●
ブローム・ナトス群島は、観光資源や水産資源、海底資源の豊富さから、幾度も大国の支配に甘んじ続ける歴史があった。時々の支配国に言語をも奪われている。
群島の名の通り、かつては島それぞれに風俗文化や言葉があり、織物の色彩や模様が組まれ、染め物一つでも特色があった。
今となっては、死守していたはずの文化は時代の中で風化し、清潔と便利さだけが洗練された、近代都市へと人口は流出。
挙げ句の果てに、違法を掲げた欲望の吹き溜まりは、追いやられた訳ありの外圏移民をも懐深く迎え入れ、肥大するだけの我欲の終着駅の一つと化してしまう。
およそ十年前。
その流れを変えるべく、企業団体が出資し、資源開発と精製基地を整備した上、かつての採掘産業を復旧させ、犯罪ではなく労働雇用で厚生を図ろうとした。
結果は、海風の侵食に沈黙する、敗残の巨棟群が物語っている。
●○●
一行は、皆一様に涙を流していた。
手紙は、
丁寧に手書きで
島の人間以外には、読みも書きも出来ないはずの言葉は、外圏域の住民のロゼルの直筆によって
また、ロゼルが、島民に差し出した最大級の敬意は、崩れ去ろうとしていた存在意義を、魂を、奮い立たせてくれた。
「お
見てみィ、今も
「こっからじゃ、見えねェけんどな」
「あたしは見える! 目を閉じていても、島や海の美しさァ焼き付いてるもの!」
「んだッ、見える見える!」
「お前ェは、さっきから、そればっかだなァ」
涙を
一行の目の前にある、広大に開けた正方形の風穴から上に抜ける空は、夜明けの
今日も一日中、晴れ間は続き気温も上がり、ブローム・ナトス群島らしい気候に包まれる気配を感じながら、いったん引き上げる話が纏まる。
「さ~ァ、忙しくなっぞ! 明日は早速、伯爵様や『八諸財閥』の奥方様がァいらっしゃる。
粗末ながらも徹底的に掃除さして、精一杯の、お持て成しの準備せねばな!」
声の張りも出て来た村長の音頭は、一行の鬨の声を
今度こそ諦めず、転換の好機を逃さず追い風に乗り、子供へ孫へ連綿と繋がるブローム・ナトス群島の生きた証を刻み、蹂躙の歴史に終止符を打つために。
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