第二十節 気にならないと言えば、それは嘘になる。
公休日を終えた翌日の授業。育ち盛りの年代と、栄養学に見合った、そこそこ重めの給食。
季節の果実が盛り付けられたプディングを食べ終えた、昼の一時間休憩。嫌でも睡魔は襲い来る。
それは、一年一組の教室から動かずの士紅も同じだった。
「あら、珍しいわね。庭球部の、お仲間の所へは行かないの?」
自席に座り、左手で頬杖を付く士紅の、右背後の席から声を投げたのは、赤銅色のブックカバーで保護する小説を読んでいた、赤縁の眼鏡姿の女生徒だ。
「最近は人が多くて
赤縁眼鏡の女生徒に身体を向け、背もたれに右肘を掛け直し、白い指を組んで話を続ける。
「……それにしても、随分と眠そうね」
「ん? ん~……。少し眠いかな。給食の後だし、こんなものだろう」
「昨日、庭球部は試合だったって聞いたよ? その疲れもあるんじゃないかな」
「へ~! 試合があったのか」
「知らないのか? 今年の庭球部のレギュラー全員、この丹布を含めた一年なんだぜ」
「え! そうなの!?」
「丹布君って、庭球部だったんだ」
「おいおい、そこからなのか? 入学式から、何カ月も過ぎてんのに」
近隣の席の生徒に始まり話の波紋が広がると、周囲の生徒を引き込む。
士紅は見た目と異なり、無愛想とは真逆だった。話し掛ければ反応し、話題の手持ちも多い。
先日は一組でも
「だって丹布君、いつの間にか、どっか行っちゃってるし。
他の庭球部の人は、大きなバッグなのに、丹布君は違うんだもの」
「それは部室。在純達みたいに何本も持た無いし、普通の大きさだよ」
「いつも身軽だと思えば、そう言う事か」
「あ、そうそう。在純で思い出したけど、お前、試合中に殴られたんだって?」
「ええ!?」
「在純君って、あの四組の在純君が? 何かの冗談でしょう?」
昨日の今日の話が、既に行き渡る中学生の伝達網に興味をそそられる士紅だったが、今は事実を語り、修正を試みる。
だが、外部干渉を多く受ける口伝は、フォークロアは、必ず歪む。
芯に刻む想いが無ければ、それは決して果たされる事は無い。
識り得て、何度も裏切られたが、眼の前の無垢な彼らに強要する程、理不尽では無い士紅は、想いの内は封じ説明に入る。
非は己にあり、新生した蒼海学院の方針を示すためには、善い頃合いであった事。
何よりも、青一郎には、手段を選択するだけの、真摯と責任を負う覚悟がある事を。
「良いわね。腹の底では、理解し合える姿って」
「だな~。言葉にすっと、ちょっと恥ずかしいけどな」
「あははッ、それひど~い」
「なになにー?」
「何の話ー? アタシ達も混ぜてよー」
他の組の女子生徒達が、ふらふらと会話の気配に近付いて来た。
一組の生徒が簡単に内容を伝えると、表情も仕草も大仰に反応し、本来の目的を共有しようと提示する。
「キャー、知ってる知ってる!」
「アタシ達、試合見に行ったんだよー」
「さっきは、五組に行って来たんだー。そしたら、ちらほらレギュラーがいなかったし、おめでとうを伝え回ってるの」
「準決勝、決勝残ってるけど、頑張ってね!」
「そうだったのか。ありがとう。柊扇は居た? あいつ、眉間に皺を寄せて、〝こんなもの、真の勝利ではない〟……って言っただろう」
「キャハハ! ちょっと似てたし、言ってた!」
「丹布! 丹布って、まだここにいる?」
談笑の輪に、都長の声が外から触れる。
声に向いた数人の生徒が、その姿に
「丹布なら自分の席にいるけど、どうしたんだよ都長! その格好」
「だ、大丈夫かよ、大怪我してるんじゃないのか!?」
「え? 平気平気。病院の先生が、大層に巻いただけだから。
それより、丹布。本ッ当~に、ゴメン!」
「どうしたんだ。部室の冷蔵庫にある、私の非常食を盗み食いしたのか」
「ち……、違うって。ああ、あれって丹布のモンだったのか。名前書いとけよ~。……だから違うんだって」
「……ん?」
「昨日の試合だよ。おれのせいで相手と揉めた事で、在純から制裁を受けたって聞いたから」
「何だ、そんな事か。気にするな。あれは私が悪いし、在純に怒られるのは毎度の事だ」
「で、でもよ~」
それでも、申し訳なさそうに落ち込む都長に、士紅は見たままの話を振る。
「そんな事より、この時間とは言え、よく登校出来たな。一カ月くらい、病院に監禁されると想った」
「勝手な事を言うな! 本当に監禁される所だったんだって! 大した事ないって皆に連絡しようと思ったら、ケータイ取り上げられるし。
親は過保護で、即入院だって聞かないし、祖父は祖父で、〝そんな危険な球遊びなんぞ、辞めてしまえ!〟ってブチ切れるし~」
「……何だか、すごい話だな」
「やっぱ、話がデカい」
「う、うん」
興奮気味に話をしていた都長だったが、急に静かになった。
家族との様子からも、この場所に至る突破口が語り切れていない。
要は、話をしている内に思い出してしまったのだ。家族の恥を上回る、感情の波と出来事を。
「……一番恐かったのは、収容先が『桐子姫』の病院だった事だよ。知ってる? 桐子姫」
「うん。話にも聞くし、御本人にも会った事があるよ」
「そっか。……だったら、話が早いや~。
何かの実験台にさせられると思ってたら、桐子姫が助けてくれたんだ。……隅から隅まで調べ上げられたけど」
都長は、年頃の少年が守っていた何かしら大切なものを失った、くすんだ目になってしまったが、それは等価の代償として費やして
無事、この場に立てる事の方が意義がある。はずだ。
「それでさ~、丹布……」
「悪い、都長。着信だから席を外す。皆も済まない」
「へ? え~! ちょっと、丹布!?」
着信によって会話を寸断してしまった詫びなのか、誤魔化しなのか。はたまた混乱させるためなのか。
都長の小熊を思わせる、フカフカの頭髪を掻き回した士紅は、早々に教室から出てしまう。
白い
○●○
「ただいま~」
「どうしたの都長。髪が、ぐしゃぐしゃじゃない」
「……丹布にやられた」
昼休みが、半ばに差し掛かる頃、都長は一組五組に戻って来た。
相変わらず、昂ノ介の席周辺の人口密度は高いが、気にする素振りもなく、青一郎に指摘された、頭髪の乱れを手櫛で直す。
「……つまり、丹布には会えたのだな」
「うん~。伝えたい事は伝えた。けど、途中で電話だからって、どっか行ったまま、帰って来なくてさ」
「またかよ。そう言や、一組の知り合いから聞かれたんだけどよ。
丹布の奴、最近ずっと午前中の授業を休んでるから、理由を教えてくれって」
「何だと?」
「……合同授業で見掛けないと思っていたら、そう言う事か。
しかし、部活であれだけ動いているのだから、病院等ではないだろう」
この場に集まる選抜組の面々は、互いに顔を見合わせる。尋ねられた所で答えられる訳がない。
士紅の電話。遅刻に早退。途中で消えたとして、放課後の部活動時間までには戻り、何食わぬ顔で参加。
当初は気になっていた。交友関係を含め質問責めにしても良かった。
だが、何かの均衡が崩れてしまいそうで、士紅が背を向けて去ってしまうのではないか。
形にならない不安が、彼らの喉を縛り付け、実行には移せずにいるのは事実。
もう一方で、機を逃してしまった風もあり、当の士紅自身が、普通に堂々とし過ぎる、不自然が自然に移行していた。
「ねー。丹布君ってェ、どうしてサボってても怒られないのー?」
不意に女子生徒が疑問を口にする。彼らは、その直球の質問を言える事が羨ましいと思った。
贅沢を加えると、本人を前にしているならば、英傑とさえ映った事だろう。
しかし、彼らは誰も答えない。互いの目を交わし合うが、答えられなかった。
「もしかしてェー、丹布君も、お金持ちなの?」
「そう言えば、庭球部の一年って凄い顔触れだよな」
「だよねだよねー。世界征服とか出来そうだもん」
「じゃあ、やっぱり丹布君も凄い所の人なの!? どうなの?」
「さあ、どうなんだろうね」
青一郎の返答は、興奮気味の女子生徒達の探求心の勢いを削ぎ取った。
その目が揃って語るのは、「どうして知らないの!?」と、
「き、聞かないの? そう言う話」
「うん。聞いてない」
「気にならないの? ただでさえ外圏人で、面白い色してるのに。
変な経歴の人だったら、どうするのよ」
ルブーレンからの編入生の女子生徒の発言に、メディンサリが目に見える不愉快さを、空色の瞳に浮かべる。
ルブーレン圏の悪い部分。伝統を重んじるあまり排他的で、新参者や文化を頭から下に見る傾向を、同じルブーレン人として恥じると同時に、
「どこの圏内なのかしら、あの色」
「イジって染めてるのかもォ」
「だったら、モルヤン圏の色にすりゃ目立たなかったのにな」
「変な色合いだよねー。青い髪でェ、赤い目だっけ? イジってるなら、もう少しセンス良い色にしないと、カッコ悪いよねー」
「キャハハ! 本当ー」
「悪かったな。美的感覚のない色で」
人垣の外側から、男子生徒の声が割り込み、声に気を取られた女子生徒達は、盛り上がる話を止めた。
そこには、蓮蔵と並ぶ千丸が、眠そうな目をしながら、会話の一団を眺めている。
「そ、そんな。千丸君の事じゃないよ」
「あァ、そうかい。〝イジってるなら、もう少しセンス良い色にしないとカッコ悪いよねー〟
と、そこしか聞き取れなかったから、被害妄想の思い込みで、声を掛けてしまった。悪かったな」
「……そ、そっかー」
「本人に確認を取らないばかりか、いない場所で憶測だけの話を、面白おかしく小馬鹿にして
どこで何を言われるか、分かったものではないな。恐い恐い」
千丸は、確実に相手を見て言葉を選ぶ。普段の
この選別は境界線であり、内側と外側の人間を明確に分け、態度や心境にも反映される。
理由が明かされない千丸の白い頭髪を引き合いに出され、真っ向から
千丸の生まれや、本人の気配が触れさせない事実と、士紅の容姿や行動を同調させ、
士紅は、どうやら千丸にとって、内側に囲う存在のようだ。
庭球部以外の生徒は、
「何じゃ、そこそこ揃っとるの」
「残念ながら、丹布君の姿がありませんね」
「丹布は、電話の後どっか行っちゃったんだ~」
「そいつは仕方ないが、ちいと月光館に行かんか? 美味そうな茶が、入ったらしいんじゃ」
「……乗った」
実は、食後のお茶の誘いにやって来た千丸と蓮蔵だった。
本題にようやく辿り着き、礼衣がすかさず乗り込み、庭球部は連れ立って移動する流れが整う。
彼らが動かなければ、誰も次の行動に移れないのは、よく分かっていた。
「おれは、丹布君の髪や目の色は好きだよ。とても綺麗だし、似合っているから」
青一郎は置き去る同級生に向け、臆面もなく言い切った。
千丸の髪も雪のようで綺麗だよと伝えると、本人は丁重に辞退する。
そんな、やり取りを包み固めながら、一同は教室から退出した。
「ちょっと、駄目じゃないか? あの一団を敵に回すと。明らかに怒ってたぜ」
「でも、あの人達は不思議と、偉ぶらないって言うか。その前に、何でこんな普通の学校に来てるのかしら」
「だよな~。ここも悪くはないが、連堂とか私立の坊ちゃん学校に、行ってそうなのに」
「案外、近いからー。だったりして」
「アリなのか。そんな理由」
「でも、憧れちゃうなー。上手く行けば、お姫様だよ?」
「そんな甘い話はないな。あいつらにも、選ぶ権利があるだろう」
「あー! それひっどーい!」
同級生が、今度は確実な情報で語り合う。
一名を除き、一年生選抜組は、リュリオン、ルブーレン、リーツ=テイカ。
それぞれに、多大な影響力を及ぼす血統や、事業を展開する家に属する御曹子集団と化していた。
蒼海学院小等科五年の時点で、偶然にも同学年として在学し、特定の界隈で話題にはあったが、いよいよ収束し、仲も親密化すると悪目立ちし始める。
これ程に都合良く、集まるものなのかと。
学年や校区を広げると、中学生世代に主要名家の子女が集中するため、揶揄を込めた、妙な造語が囁かれる。
その気にさせるなら、世界征服を成し遂げる〝黄金世代〟と。
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