第十九節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・地区予選・準決勝進出戦。




 学年の割に上背がある士紅は、相手校監督の例に違わず太々ふてぶてしい顔面に見合う、でっぷりとした体躯と大差が無い目線位置から、似紅色にせべにいろ双眸そうぼうめ付ける。


「なッ、何だ、その目つきは! ボクは年長者だぞ。もっと敬いの目で見ないか!」

「お気に障りましたか。申し訳御座いません。

 生まれついての形なので、どうか広い御心で受け止めて下さいませんか」


 風体に反して意外な一人称に、笑いそうになる気持ちを見事に抑えた士紅だったが、鋭い視線をゆるめるつもりなど毛頭無く、苛烈な気配をくべ続ける。


 その中で言いたい事を、まだ残しているのか、志宝側の二人組が仲良くネットに近寄り、安全圏の向こう側と信じ切る様子が態度に出る。


「ワザとじゃねーつってんだろ! 大体、この坊ちゃんが盛大にスッ転ぶのが悪ィんだよ! 文句があるなら、ミスばっかの相棒に言えよ」

「本当、その通りだよなァ。お坊ちゃまって連中は、人の気を引くのがお上手、お上手。

 目立ちたくて仕方が……ッ!?」


 志宝側の前衛が口を開いて主張を並べ終わる前に、妙な息を発した後、言葉が途切れてしまった。


 原因を探ろうと起点を辿り見てみれば、士紅が、ネット越しから伸ばした右手で、相手の胸倉を鷲掴わしづかみ、吊り上げて居る。


 突然の出来事に、周囲は士紅によって一瞬時間を奪われた。


「な……ッ。何しやがるんだ! この外圏の野蛮人が!!」


 ようやく志宝側の後衛が裏返った怒声を上げ、時間を取り返す。周囲が反応を連鎖させる前の絶妙な間合いで、士紅は乱雑に、志宝側の前衛をネットの向こう側へと解放する。


 勢い余ってか、志宝側の前衛は体制を崩し、無残に倒れ込むと、脊髄反射の要領で、またとない機会を利用すべく、被害者を演じるため大きく咳き込み気道を確保する素振りに出た。


「おやおや。無様で、どうしようもありませんね。

 自陣の都長は、転ぶ姿も優雅なものでしたよ」


 倒れ込んだ相手を、上背から見据える。

 試合になると目深まぶかに巻く、くれない八塩やしお色の布地から覗く同系色の双眸は、夏に咲き誇る百花すら凍えさせる冷気を帯びる。

 異郷の色彩が見下ろす端正な容貌は、その迫力に拍車を掛ける。


 士紅の言動は、払う価値も無い演技をする志宝側の前衛も含め、観戦席の声すらも凍結させた。

 度重たびかさなる事態に、片腕一本で相手を吊り上げた異様な士紅の腕力に気付いた者は、どれ程いるのだろうか。


「り……、両校の選手! 落ち着きなさい! これ以上の暴挙を重ねるなら、没収試合にします」


 氷解した審判が言いながら落ち着きを取り戻し、厳しい公正の光を底に現し、毅然きぜんと警告する。


「我々の無礼をお詫び申し上げます。このまま没収されては、お互い寝覚めも悪い事でしょう。あくまでも、決着の手段は庭球の技量。

 そうですよね? 私立志宝中学校の方々」


 士紅は一転し、初夏の青葉からの木漏れ日に似た、爽やかな笑みを添え提言する。

 今、Cコートを支配下に置くのは間違い無く士紅であり、その謝罪と発言は志宝中学の退路を断ったも同然だった。


 蒼海側も勢いで参加している訳ではない。端末の持ち込みが禁止されているはずもなく、ここにも無料の無線回線は飛んでいる。

 急な組み合わせが来たとして、調べると済む話だ。元より、私立志宝中学校の部活動理念は音に聞こえ、蒼海側に〝坊ちゃん〟が多い情報を知り得ていると想定していた。


 ラフプレイに慣れる志宝側の手順も、隠し方も、審判や相手校が正当性を主張して来た時の対処でさえも、蒼海側には筒抜けに等しいと言える。


 蒼海側が勝つためには、志宝の流儀を黙らせる、圧倒的な庭球を叩き突けるしか残されていないが、彼らにとっては十分だった。


「都長君。治療は終わりました。試合続行、出来ますか?」

「当然ですよ~。最近の坊ちゃんは、案外丈夫で勝ちに貪欲ですから! それに、返球や何やら怖いなら、庭球部に入ってませんッ」


 士紅の意図を正確に把握した深歳の言葉に対し、都長は右側、一の腕の新しい治療痕を一睨みすると、同じく意を受けて立ち上がり、痛みなど、恐怖など、言い訳も迷いもないと脳に、心身に、言い聞かせる。


 団体戦は、一人で戦況を変えられるはずもない。ダブルスとなれば尚更だ。

 冷静に役割を果たさなければ、勝ちを自陣に繋ぐ事など叶わない。


 都長は、浅い戦績の中ですら刻み込んでいた。




 ○●○




こわっ。判ってても怖いよ。士紅」

「まぁ、士紅さんは、黙る、笑う、怒って居るかの、どれかですから」

「あれくらいやらないと、没収試合だったよね?」

「残念ながら、旋様の仰る通りですわ。

 一応、〝おあいこ〟だと審判も認めたようですし」

「そうなるよね~……。

 ねぇ、律。さっき、士紅が都長君に耳打ちした内容って、何だったの?」

「それは……。

 〝……対峙する前衛の『ミザッサ=デジムン』は、『ブローム・ナトス群島』方面の出身者で、都長家を個人的に恨んで居る。

 眼が合った後に、持ち場を離れたら気を付けろ〟……です」

「ふぅん。やっぱり、あの前衛君は、そっちの出身だったのかぁ。志宝中学も手広いね。

 それにしても、都長君の家を恨むのは、お門違いじゃないの? 何を吹き込まれたのかな」


 旋、律、プリヴェールは、観戦席の解放を見計らい感想を交わす。

 コート上の士紅の態度にも、慣れた様子で語る辺り付き合いの長さを、それぞれ誇示して居る姿をはしにしながら、廻は別の対応に追われて居た。


 〝淑女達の憧れの的〟。その肩書きは伊達ではなく、プリヴェールの姿に気付いた人達が、握手や署名、ケータイの写真に収めたいと求める意向を、話術を巧みに繰り丁重になし追い払う。


 階段状の観戦席も手伝い、良識もあってか、無茶な行動を起こす人がないのが、幸いしているとも言える。

 観戦席の一角に、有名無名はさて置いても、別世界の美丈夫の競演とあれば相応に目立つ。


 個人端末の普及は、個人に情報発信者の地位を与えてしまうのは、どこの世界も共通していた。


 軽い気持ちで、無許可の発信者になるため、ケータイの撮影機能を起動した面々は、異口同音を走らせる。「カメラ動かない?」「トーチに載せられなーい!」「回線不具合って何だよ!」と。


 それは、Cコートで試合が復旧した場面を、ケータイで撮影しようと試みる、無邪気な観客にも起きている事象だった。




 ○●○




 当の試合風景は、蒼海側は監督の指示通り、前衛と後衛が交代した。


 前提は告げられていたため、これには、都長も大人しく従っている。

 ここで少々問題なのが、四ピト三ファス(およそ一六九センチ)の士紅が前衛に居る事だ。


 敵陣に対しては何かと有利だが、自陣にしてみると不利が働く。都長のサービスを挙げるにせよ、軌道上に士紅が居ては正直邪魔になる。


 生憎、都長が組んだ相手は普通では無かった。低く姿勢を保ち、都長のサービスを待つ体勢も余裕の構え。

 後衛からの一球も背後も見ずに、最小限の動きで相手コートに通せるのは、練習と感性の相性の賜物。


 絶好球には猟犬並みに反応し、狙い澄まされた強烈なスマッシュを、志宝選手の足元へ叩き付ける。

 あわや直撃と怯ませて。いつでも狙えるのだと無言の威圧と共に。


 志宝側も、士紅を潰すため、故意とも見受けられる、前衛殺しの危険球を見舞うが、当の士紅は予見の範疇はんちゅうとして、優雅に確実に処理を実行する。


 見舞いのお返し内容は、士紅が前衛に出てから志宝には1ポイントも触れさせ無い。え、丁重な反撃の結果に終わった。


「ゲーム! セットアンドマッチ。ウォンバイ・蒼海学院。ゲームカウント・6-2!」


 審判のコールに、会場は卑劣な試合を正面から受けて勝ち取った、都長と士紅に惜しみない拍手と歓声を送った。


 審判台から降りて来た審判と共に一礼の後、わだかまりも伏せての両校が握手。

 一通りを済ませた都長が、沈んだ表情で自陣に戻るなり開口する。


「悪かった。おれ一人、空回りして。この様だ」

「そんな事より、監督に許可をもらって早く病院へ行け」

「大変な試合でしたね。後の事は、我々に任せて下さい」

「……丹布君、ちょっと来てくれる?」


 試合を見守っていた、一同が勝ちを届ける二名をねぎらう中、いつもの柔らかい笑みを封じた青一郎の呼び寄せに、士紅が無言で従った。


 その指示に、深歳は意見も注意も差し込まず、次の試合を任せる蓮蔵、メディンサリに準備を促す。


 二人は、向かい合う青一郎と士紅に対し、何か言いたいもどかしさを奥歯に残しつつ、目の前の時間と役割に集中する事を選択する。

 残る仲間も次の行動に移しはするが、意識は気になる対象へと向いていた。


「さあ、目を閉じて」

「……判った」

「歯を食いしばる事も、忘れないでね」

「お願いします」




 ○●○




 Cコートの整備の案内が放送で流れ、次の試合までの観戦席が、歓談でさざめく音の狭間に動揺の声が立つ。


「え? 嘘でしょ?」

「今、あの子、さっき試合に出てた、背の高い方の部員を殴ったよな?」

「そうなの!? でも、どうして? 試合には勝ったし、凄く上手だったじゃない」

「アレかなァ。志宝だっけ? そいつらのラフプレイに怒って、殴られた部員、胸倉を掴んでたっしょ」

「確かに驚いたけど、そんな事で? 見てる方は、ちょっとスッキリしたのに」

「一応、紳士淑女の競技だからねェ」


 正確には、青一郎が右のてのひらで、士紅の左頬をそこそこの勢いで打った。

 その様子は、観戦席の最上段に陣取る、八住兄弟や銀髪と金髪の紳士淑女の元へと平等に届く。


「うふふ」

「なぁに? プリムちゃん。変な所で笑っちゃって」

「ごめんなさいね。可笑おかしいんですもの。士紅が頬を打たれる時、八住の皆様が、揃って明後日の方へ視線を、お外しになるんですもの。うふふ」


 想わぬ指摘を受けて、気拙まずい表情を出したのは旋だった。


「そりゃあ、見たく無いに決まってるでしょ。士紅の、お気に入りの子達だとしても、あそこまで付き合う必要なんてある?」

「あらあら」

「どんな理由があっても、士紅に手を挙げるなんて考えられ無い。稽古中だって、まず狙えないし。

 ……だから、僕等は〝養子〟に甘んじて、すがり付いて、それでも善いからそばに居たい。

 そう、決めたんだ。後悔なんかして無いよ」


 旋は、自虐気味に吐き捨てる。表情を見られたく無いのか、うつむき、決してぬぐえ無い劣情を、元の綺麗な宝石箱に収め切り施錠する。


 一つ、大粒をまたたかせ太陽の欠片に戻し、愛らしい顔を起こす。


「大体、約束を守れ無いモルヤンをゆるして居るのは、アーレインと士紅だけだよ? 僕は、まだ根に持ってるんだからね。大事な『ララフ・ララ』を殺したのを」

「……っははは。あれ程に怒る君を見るのは、あいつも久し振りだと語って居た。

 まぁ、あいつも劣らず暴れたものだ」


 今まで沈黙を通して居たシグナが、想い出し笑いを含め、同性も羨む口元が妖艶にほどかかれる。


 ララフ・ララ。十年前、八住旋が絶滅を確認した、ブローム・ナトス群島周辺でしか生存出来ない、貴重なヨーオウルトの乳酸菌の名称だった。


「話は変わるが、八住旋君の『先生様』は、いつ頃の御来訪だろうか。

 かしたくは無いのだが、こちらの『隊長様』も、表には出さぬが焦燥しょうそうして居る」

「それは当然でしょうとも。僕の方が表立って焦って居ります。

 今は『ブロエ』で足止めに遭い、調査が難航気味らしいです。

 『桐条様』も、遠隔で参加していらっしゃいますが、相手が相手です。

 もうしばらくの猶予ゆうよを下さい」

「承知した。用があるなら、ブロエに行けと伝えておく。

 既に、届いて居るだろうが」


 シグナが鏡色の視線で差す相手を揃って追う先には、異郷の少年の姿。


 部長の青一郎から、来週行われる準決勝の出場停止と、整理運動も兼ね私立志宝中学校との試合が消化されるまで、このセツト区第一運動技場の外周を走るよう言い渡された士紅が、承諾の深い一礼の後、深歳の許可も得る。


「はい、いってらっしゃい。志宝中学校には、私から謝っておきますからね。心置きなく走って来なさい」

「ありがとうございます。行って参ります」


 士紅が移動を開始すると、ふらりと千丸が歩き出し、昂ノ介が見咎める。


「あ……? 気にせんでくれ。飲み物をうて来るだけじゃ。水分補給は大切やろが」

「……昂ノ介。おれも自宅から連絡が入った。折り返しの電話をして来る」

「仕方ない。二人共、手短にしろよ」

「へ~い。行って来ます」

「……失礼します。監督」


 深歳は快く礼衣と千丸を送り出す風景を視界に収め、昂ノ介は本当の理由が分かってしまい、珍しく溜め息を吐いた。


「便利な世の中ですね~。在純君」

「確かに、その通りですね」

「では、謝りに行くとしますか。柊扇君、留守をお願いします。……とは言っても、すぐ隣ですけどね」

「承知しました」


 深歳と青一郎が背を向け、距離が開いた事を確認すると、昂ノ介は裾のスリットからケータイを取り出す。

 ある画面を呼び出し、親指を素早くフリックさせ続け、決定送信を許可する部分にタップ。やましい事をしている覚えはないが、お節介事だとは自覚していた。

 証拠に、再び溜め息を吐いてしまう。


 ていの良い理由を付け、この場を離れた礼衣と千丸と同様に、士紅へと気遣う文章を、短く送信したのだから。





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