第十八節 二四二八年度・全国中学校硬式庭球選手権大会・地区予選。




 春だった柔らかい陽射しは、もう鋭くなり始めて初夏を大地に照らす。


 青空。厚く横切る雲はなし。気温湿度は平年並み。外で行事を開催するには絶好の公休日和。


 会場を行き交う人々の装いは、春物と夏物が混在する中、場所柄からしても目立つのは各校の特色と集団意識を縛る、学校指定の体育着に部活着。


 場所柄。改修工事を終えたばかりの、セツト区第一運動技場の屋外庭球場区画には、全国大会を目指す区内の中学生達、各校応援要員、大会運営関係者、それなりの数が集まった取材記者等々の熱気が満ちていた。




 ○●○




「さあ! 皆さん。これから一回戦、各担当の出場者を発表します。

 三勝試合方式ですが、決して気を抜かないように」


 蒼海学院の陣営に緊張の糸を巡らせたのは、部誌を片手に濃鼠こいねず色のスーツ姿の深歳。


 前にして横一列で並ぶのは、蒼い校旗をまとう、幼さが抜け切らない面々を擁する八名の選抜組。

 更にその背後には、先輩部員三五人が整然と列を組む。


 前面の威圧。背面の期待。無言の圧に屈する事なく、選抜組八名は揃えた声で応えた。


よろしい。第二複合は蓮蔵君・メディンサリ君。第一複合は、火関君・都長君。第三単騎は、千丸君。第二単騎は、柊扇君。最後の第一単騎……在純君。以上です」

「はい!!!!!!!!」


 かつての帝王の座を、奪還するために揃えた手札。

 全員一年生の正選手。一年生の部長、副部長。奇妙な経歴を持つ監督。


 庭球に明るい観客や取材記者達にとって、今年の蒼海学院の見物と言えるのは〝リメンザの申し子達〟だけ。

 たかくくって観戦していたが、試合を重ねるにつれ、単なる苦し紛れの奇策ではない空気を、すぐさま感じ取る。


 彼らは、酔狂による付け焼き刃にあらず。

 本物を宿し勝ち点でそれを証明立て、自然の流れか蒼海学院を注目、取材する視線は増え続けた。




 ○●○




 昼も過ぎると予想通り、気温も上昇し上着を脱ぎ、袖をまくり上げ、売店の冷えた飲物が売れ行きを伸ばす。

 頃合いとしては昼休憩とあって観客席から離れ、それぞれが思い思いの時間を過ごす。


「あれ? シグナさんじゃないですか」


 階段状の観覧席の最上段。優しい緑色のひさしが日陰を作り、涼しい土地柄の恩恵を受ける立ち姿を差したのは、八住旋だった。連れに転じれば、八住廻、八住律、プリヴェールの異色の組み合わせ。


「これは、家族総出で丹布士紅の応援か?」

「ええ。士紅は大切な家族ですもの。当然ですわ」


 単なる挨拶代わりの会話だが、不穏な空気の混じり具合に、八住兄弟が表には出さず心境上、視線を交わす。

 薄い桃色の日傘を差すプリヴェールに、席を勧め座らせるシグナを見ながら、八住兄弟も席に着く。


「時間的に、準決勝・決勝は来週になるのでしょうか」

「間も無く始まる試合で、準決勝進出校が順次決まるからな。そうなるだろう」

「左様ですか」


 何故。シグナが、この場所に居て、淀み無く状況を廻に伝えられるのか。

 廻が前置きも無く尋ねたのか。彼らにとってはその詮索こそが野暮に等しく、それぞれにとって、不本意この上無い情理を介して居た。


 自力で状況を把握するため、黄金色の双眸で大切な家族の一員が参加する試合の情報を、大型掲示板から得ようと試みる旋が、あからさまにいぶかしげな声を絞り出す。


「うわぁ。士紅達の対戦相手、『志宝中学校』かぁ。大丈夫なの?」

「創設五年目の、比較的新しい私立中学校ですが、運動部の活躍は目覚ましく、今では連続して州大会に参入。

 校区外編入、特待生・奨学援助制度を利用し、有望な学生を身分国籍問わずかき集めて居ます」


 年功序列が染み付く律は、旋の言葉に敬語で応える。旋に対する説明では無く、隣に座る愁眉のプリヴェールにささげるために。


「勝つためには、かなり荒っぽい試合するって先輩が話してた。

 第一部が怪我したくないからって、去年は急遽きゅうきょ、第二部の恩村部長達が出たって言ってたよ。

 部長って言っちゃった。別に善いよね」

「お怪我などなくて?」

「負傷者が出たって。熱中し過ぎて、つい口汚い言葉を吐いちゃったりとか」

「まあ……」


 天下のゲーネファーラ商会の跡取りに敬語不使用の旋だが、誰の咎め立ても無い。

 礼節に、うるさい廻でさえも。


 シグナに至っては、演者が入る前の準決勝進出の舞台の空間に、温度を感じさせ無い鏡色の双眸を向けて、我関せずの態度のはずだったが、徐々に流れへと乗り始める。


「……志宝中学の相手は、棄権したのですね」

「一回戦の試合内容や、控え選手の様子が酷かったからな。

 気概の無い部活動ならば、避けて退くのは賢明だ」

「士紅さんは、次の試合に出るのですか」

「あぁ。一試合目の第一複合。都長ヨータ君と組んでの出陣だ」

「あら。士紅のダブルス風景が、また見られるのね」

「この間の、セツトのリメンザの事は聞いたよ。

 ずるく無い? プリムちゃんや、坊ちゃん達ばっかり士紅と遊んじゃってさぁ。

 僕も混ぜてよ、誘ってよぉ」

「あの日の旋様は、ご多忙でしたでしょう? 士紅も気を遣ったのですわ」

「そんな気は遣って欲しくないっ」


 むくれた駄々っ子を、年上の貫禄でなだめる様子を見ながら、嵐の前の静けさを感じ取る、それぞれの美丈夫達。

 起こり得無いと判っては居たのだが、腹の底で奇しくも同じ事を唱える。


「どうか、人死にが出ませんように」と。




 ○●○




 午後からは予定時刻通り、準決勝進出に駒を進める第三回戦が、各コートで実施される。


 Cコートで雌雄を決するのは、私立志宝中学と国立蒼海学院中等科。


 両校は色々な意味で周囲を沸かせる存在だけに、観戦者の数は自然に増し声援に包まれてはいたのだが、その中にあって声高に通るのは、志宝側から上がる野次や罵倒。


 ただ、蒼海側を明確に名指ししていない分、厳しい警告を発せないのはもどかしいが、内容が内容だけに、運営側からも形式的な注意を渡される場面はあった。


「間違ってはいないし、別に怒る事でもないよね」


 矛先の蒼海側は、一片も気に留めず予備運動や談笑に余念がない。

 生まれや環境とは恐ろしく、多くの視線や悪意に満ちた空気には慣れた物だった。


 特に、〝リメンザの申し子達〟は試合慣れや実績もある。どちらに好印象が持てるのか、観戦者はその感性に素直に従う。


「ゲーム志宝。1-2。エンドチェンジ」


 審判の宣言は、志宝側の優勢を告げる。


 サーバーで先取したものの、そこからの試合運びは観戦者からの不興を買う事柄は多いが、勝ち点は勝ち点。

 ラフプレイに慣れた、志宝側の処世術に、蒼海側の都長と士紅は、伏されて居た。その上に。


「わ、悪い。丹布。避け切れなかった」


 前衛担当の都長が、立ち上がりながら幼い口元を拭った甲には、かすれた血の跡が筋を引いている。


「審判。相棒が先程の危険球で口角を切りました。治療の時間を下さい」

「分かりました。速やかに手当するように。

 蒼海学院、負傷者手当てのため一時試合を中断します」


 審判の処遇に感謝を述べる士紅は、都長をいたわりながら自陣へ導く中、志宝側の二人組は非難がましく、聞こえよがしに言い放つ。


「何が危険球だよ。妙な言い掛かりしやがって。審判も危険球の指摘なんざしてねーだろ」

「庭球ってのは危険なんだぜ? 当たると、おれらに点が入るんだからよ。帰って坊ちゃんらしい軟弱な遊びでもやってろっつーの」


 品のない言葉と笑い声を浴びながら、都長は口内に広がる錆の味を、悔しさと共に噛み締める。

 相手の言葉に反応した訳ではなく、試合に潜む深淵に飲まれそうな自身に、失望しそうになっていたからだった。




 ○●○




「ッ、痛……!」

「すみません、こればかりは我慢して下さいね」

「だ、大丈夫です。ありがとうございました。監督」


 元競技者で、現役の保健医の深歳は手際良く治療を終え、都長の顔色を確認している。


「監督。次、取られたら、前衛と後衛を入れ替えて下さい」

「ちょっと待ってくれよッ。もう少しで、あの球を打ち返せるからさッ」

「もう奪われるなよ。出来るのか?」

「……出来なきゃ、蒼海の校章なんか背負えないってのッ」


 挑むような士紅の薄い笑み。受けて立ち上がる姿で返す都長に、深歳は迷いなく二名をコートに送り出す。

 無論、士紅の提案も胸に差し入れながら。


「……よく、我慢していらっしゃる。あからさまな卑劣な試合運びに、正面から対峙される都長君は」

「何も、我慢しとるんは都長だけやないぞ。マコト」

「うん。丹布君も、よく耐えていると思うよ」

「丹布の性格上、こんな試合は耐えられんだろうに」

「……再開するぞ」

「おうよ」


 仮入部の時期が、懐かしいとさえ思える程の努力を重た一同は、当時から叱咤ばかりが目立つ異郷の仲間を見る。


 言葉の鋭さや視線の冷淡さの裏に、かばい、支え、鼓舞する英姿。

 数段上に居る雰囲気を持ちながら、彼らと同じ水平に立ち白の掌を差し伸べる士紅に、何故かねたみ、そねみ、あせる気持ちを彼らが感じないのは、納得の領域内に在るからだと容認済みだ。


 観戦席から、感嘆のうねりが大気を震わせる声に、彼らは確信した。


「蒼海! 3-2。エンドチェンジ!!」


 おれ達は、必ず全国を制覇する、と。


 審判は、あれから立て続けに2ゲームを連取した蒼海学院の勝ち点を宣言すると、観戦席から拍手と声援が湧く。


 志宝側の、陰鬱な矢の雨の声を、掻き消すように。


「何、頑張ってんだよ坊ちゃん。諦めた方が楽でイイじゃんかよ」

「球食らってんのに、フォローにも来ねー奴と組んでたら、おれ達に勝てねーぞ」

「金持ちの道楽なんだろ? これ以上、つまんねーケガしたくねーだろが」


 すれ違いざま最後の足掻きか、どす黒い恫喝を都長と士紅に置き去る。程よく歓声に覆われ、審判に届く事なく目的の聴覚に障る辺りは、手慣れたものだ。


 だが、蒼海側の二名が重ねた経験が上回る。

 都長と士紅は顔を見合わせ、ほぼ同時に志宝の二人組に向かって声を立てず、薄く笑みを浮かべて見せ付けると、士紅が上背を傾け都長に何事かを囁く。

 都長は了承の意か、熊の子を印象付けるフカフカな質感の黒髪を小さく二、三度上下させる。


 同じ行動。後衛からの密談に頷く前衛。動じぬ距離。


 仕掛けたはずの相手の術中に志宝の二人組はおちいり、行動を解くために生じた不協和音。

 そこに迷いはあろうと目的は、ただ一つ。どんな手を使っても、蒼海学院を潰し、準決勝進出を果たす事だった。




 ○●○




 Cコートは、悲鳴と非難に囲まれていた。


 レフトサービスコートで都長が腰を着き、伏せた顔に手を当てるそばで、士紅が片膝を折って付き添う。

 審判も審判台から駆け下り、都長の様子を気遣った。


「すみませんねェ。ウチの部員達は試合に集中してしまうと、球しか見えなくなるんですよォ」


 志宝側の監督が、顎を反らし腰も折らず高圧的な態度で、形にもならない謝辞を上から叩き付ける背後で、志宝の二人組が肩もそびやかして控えていた。


 崩れぬ陣形。誘導にも動じる事の無い蒼海学院の庭球。

 技術ばかりか気概で圧される試合に、短慮に支配された志宝の前衛が、士紅がストレートで返した一球を無理やり取りに行き、振り抜いたラケットが離れ勢いそのままに、都長の顔面へ向かい、反射的に出した腕に直撃した。


 会場は、どよめきが収まらず、誰の目から見ても故意によるものと映る。


 即座に審判は試合を中断し、許可を得た深歳が、その場で治療を施す。


 相手側の監督の、態度と不快な声を合図に、士紅は左脇に得物を抱えたまま、音も無くほのおが昇るよう、ゆらりと立ち上がる。


「人死にが出ませんように」


 家族と名乗る各々は、観客席の一角で、再び無言の祈りを重ねた。





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