第十七節 背に負うは、朽ちぬ誇りと。




 五月。手入れの良いそのには、菖蒲あやめの姿が気配立つ。


 園芸委員会や用務員の維持と手間は、ここ蒼海学院を季節ごとの草花樹木で彩り、心ある生徒は季節時計と位置付け愛でる対象にする。


 南側に抜ける空間から、青々とした葉桜の並木を眺めていたのだが、手前の屋外練習場の風景を目に入れ、都長がぽつりと言いこぼす。


「随分、数も減ったよな~」

「一六四人から、四三人になりましたからね」

「穂方、シャートブラムの一団も、まとめて転校したから、風通し良いよな~」


 すくい上げた蓮蔵は、数を補足する。かっての権力図では、屋内練習場も押さえていた庭球部だったが、部員の変動に伴い返上し、他の屋内部活動振興に貢献していた。


 雨天は、特別教室を押さえての会合か、「男も厨房に立って奥さんを助けよう!」との、深歳の音頭で設置された調理実習が行われる。

 当然、手空てすきの家庭科の教師を巻き込んでの事だ。


 急な天候による変更でも、蒼海学院自慢の購買施設『陽光館』と『月光館』からの善意で、食材調達を可能としていた。


「うんうん。良い仕上がり具合です」

「でも監督。ここ最近、練習試合が多過ぎませんか。平日、公休日問わず入りますよね。

 選抜組の技量が、他校に知られて不利になると思うんですが」

「ふッふッふッ。甘いですよ、イレイユ君。彼らの運動量と努力は、練習試合当時のそれではありません。

 まして、手の内を全てさらす程、お間抜けさんでもないみたいです。

 その辺りも、調整していますから、安心して練習に励んで下さいね」

「は、はいッ」


 深歳とイレイユの会話が耳に入り、改めて防護柵の向こうへと、蓮蔵は眼鏡越しの視線を転じる。


「確かに、対外戦を重ねるたび現地での目もありますが、他校からの視察も増えましたね。

 無許可の方も、いらっしゃいますし」

「観客だと思えば良いじゃん~。おれは気にならないけど」

「それは頼もしい! 試合が進めば人目は増え続けます。どのような視線の中にあっても、思う力量を発揮しないと日々の積み重ねも、出し惜しみで終わりますからねェ」


 会話に入って来た深歳を見ると、ある事を思い出し、言葉で捕まえる。


「あ~! 監督、はいはい! 試合って事で質問です~!」

「はい! 何でしょう、都長君!」

「おれ達、一応、その、蒼海学院中等科の男子庭球部の、代表じゃないですか」

「一応ではなく、立派な選抜組ですよ」

「もうすぐ地区予選ですし、試合着って、どうなってるのかな~、なんて。

 この間の練習試合の時も、おれ達の学校指定の体育着見た相手校が小バカにして来て、少々悔しい思いをしたんですけど」

「下らんな。体育着も学校の誇りをまとう、立派な着衣だ。

 大体、着ている物で戦況が左右される訳ではない」

「でもよ、おれ達の体育着、桃色だぜ? やっぱさァ、こう、せめて蒼海っぽく、青とかあるじゃんか」

「わたしは結構気に入っていますよ。普段は選ばない色ですから」


 話を聞きつけ合流した昂ノ介やメディンサリも加わり、未だ見ぬ試合着について、声や意見を交わす風景を見ながら、深歳は、わざとらしい笑みを浮かべていた。


 頃合い通り、需要と供給が果たされる嬉しさをにじませるに止まらず、決壊しそうになっている。


 その深歳の様子を別角度から、それぞれ眺める礼衣と千丸は、丸分かりの供給内容に、呆れつつも口には出さず、需要側として来るべく日を待つ事にした。




 ○●○




「聞いたぞ在純。毎度ある練習試合、圧勝なんだってな!」

「校内新聞も号外出してたねー」

「すごーい! おめでとうッ」

「ありがとう。皆のおかげだよ」


 青一郎が、口々に囲まれる場所は、公休日が明けた、一年五組の教室。

 地区大会予選前に、重ねた戦績を受けての事だ。


「全国大会の緒戦である地区大会予選が始まるのは、来週の公休日からだ。練習試合の勝ち点など数に入らん」

「堅いな柊扇は。まァ、勝ってはしゃいでる姿も想像出来ねェけど」

「あははッ、言えてるね」


 青一郎とメディンサリの反応に、言いたい事は山と積もらせるのは、昂ノ介だった。

 ただ、同級生も混じる手前、いきどおって良いものか。はかる慎重さを持ち始めた昂ノ介は、苦い顔で黙り込む。


「お~、丹布も来たのか」

「すっかり庭球部の集合場所よねー」

「だよねだよね。良かったー、一年五組で」


 同級生が口で差す通り、士紅が休み時間も五分を切った妙な時間に訪れ、迷わずいつもの場所に落ち着く。


「悪い、在純。これから抜ける事になった。監督には連絡済みだから、安心してくれ」

「そうなんだ。分かったよ」

「では、放課後までに……」

「ねェねェ、丹布くゥん。良い匂いするけど、どこの香水付けてるのー?」

「わァ、本当だー。良い匂いー」


 移動しようとしていた士紅は、間近にいる制服を着崩した女子達に捕まった。

 話を聞いていない女子達から助けてやろうか。仲間が決めかねていると、士紅は対応してしまう。


「香水なんか付け無いよ。校則違反だろう」

「えー、でもするよね」

「うん。するするー」


 どさくさに紛れて、女子達が士紅にり寄る。


「だから、付けて無いよ。……あぁ、これかな」


 何かを思い出したのか、ふところから目的の物を引き出すと、小さな音が鳴る。

 白い掌の上には、紺地に銀糸が入る匂い袋と鈴。珍しいと言えば珍しい物だ。


「わァ、カワイイ!」

「この鈴、聞いた事ない音がしたねー。どこで売ってるの?」

「残念。売り物では無いんだ。身内が作ってくれたから」

「えー、あたしも欲しいー。丹布君からお願いしてよー」

「一応は尋ねてみるが、物凄く気難しい相手だから、期待はするなよ。では、また後で」


 最後は、仲間に断りを入れた士紅が素早く退場すると、女子達の標的は残る庭球組に向けられるが、本鈴が響き、救われる事になる。




 ○●○




 時折、吹く風が強くなり、暖かくなった気温も飛ばされそうな放課後。

 庭球部選抜組の面々は、部室へと収まって行く。


 つい、数カ月前に訪れた前部長の趣味満載の内装は取り払われ、ごくごく簡素な元の壁や床、備品に戻されている。

 選抜組は遠慮を申し出たのだが、慣例だけは守りたいと部室は選抜組専用にと押し切られた。


 そんな部室には、今日も絶える事のない話題から繋がる談笑が起き、本日の練習内容の確認も器用に混ぜ込む。

 火関や蓮蔵が白板に書き記し、部誌当番が写し取る。


 それを終えると、透過防止付きの窓を閉め、着替えるのが、彼らの習慣となっていた。


「は? 何だこの服」


 個人用のロッカーを開けたメディンサリが、覚えのない複数の青い衣装が、掛けられている様子に怪訝けげんな声を上げる。

 開ける前に鍵を使った分、不審を募らせるが、礼衣の冷めた声と、千丸の呑気な言葉で事態は氷解した。


「……監督も、粋な計らいをしてくれる」

「や~ッと、届いたんか。試合着」


 言うが早いか、都長は自身のロッカーに飛び付き、昂ノ介は低くなり始めている声で感嘆し、青一郎と蓮蔵は静かに見入り、士紅は迷いも無く、既に袖を通して着心地を確かめた。


 校旗と同じ青地。右裾付近で交差する白に縁取られる黄が、縦横に走る線。


 左半分は白地で切り返され、その胸には、〝蒼海学院〟と縦に達筆仕様で文字をしつらえた、機械生産には出せない、墨のような光沢は、一点物の主張を放つ。


 切り返しの白い部分や、校章が見当たらない事を除けば、校旗を身に纏うに等しい試合着に恐れ入る。

 これまでの造りが一新された分、蒼海の新しい波を感じていた。


「こりゃ~、ェ青やの~」

「……校旗を元にしている割には、野暮やぼったく見えないのが、また良いな」

「着心地も凄く良いよ。まるで採寸された一点物みたい」

難癖なんくせ付けるワケじゃないけどよ、ここまでやってくれたら、後ろも何か入れて欲しかったぜ。線がそのまま沿ってるだけじゃなくてさァ。背中、さおだぜ?」


 褒める点が多々あるが、確かに言われてみれば、背面が寂しい雰囲気だ。

 他校は、崩した文字や他国の文字で学校名を入れてる場合が圧倒的な数を占める。

 前面の慎ましい小さな文字だけが蒼海学院を語るには、重荷のように印象付けた。


「心配するなよ。そこの照明で、背中部分をかざせば判る」


 薄く、したり顔を浮かべる士紅のすすめに一同は従うと、言葉を、息を、見誤りを飲み込んだ。


 たくみの腕か、何かの魔法か。彼らが目にしたのは、照明の灯に透く白百合を背にする〝蒼海學〟の文字。


 蒼海学院の校章だった。


「これは、……重い物を背負う事になりましたね」

「校章の透かし織り、……なのか? 加減で、校章に配される色使いも、見て取れるのだが」

「凄いじゃない、この仕掛け~。うわ~、これ本当に試合着にしちゃっても良いのかな~」

「スミマセン。背中が真っ青とか言って本ッ当に、スミマセンでした……」

すその裏側に、名前が刺繍してある所を見ると、貸し借りは出来無いな」


 士紅の話を受け、身長も近い千丸とメディンサリが上着を交換し、互いの試合着を羽織る時点で。


「うわ~、……ァ」

「……気色悪きしょくわりィ……」


 無言で戻し合い、自身の名が刺繍された上着に袖を通し、違和感をぬぐい去る。


「これって、どう言う訳なの? 丹布君が何か知ってるって事?」

「知って居て当然だ。この着心地は、大伯父の意匠に間違い無い」

「はァ~……。やはり丹布君にはバレちゃいましたか」

「うォ。……何なんですか監督。入口からのぞかないで下さいよ」


 いつからなのか。薄く開いた扉から、深歳が部室内をうかがい見ている様子を、メディンサリが指摘した。


「あはは~、失礼しました。どう? どうです? 新生・蒼海学院中等科、男子庭球部の試合着は!」


 縫った訳でもないのに、何故か得意満面で両手を後ろに回し、中腰でゆっくり寄って来る。

 黙っていれば「私が作ったんです!」などと世迷い言を放ちそうで、対処しかねる空気を振り撒く。


「監督。このような素晴らしい試合着を手配していただいて、ありがとうございます」


 まずは無難に、部長の青一郎が妄言封じも含め、一同を代表して感謝を述べた。


 後日談によると、この時の深歳は、不気味で少し怖かったとの事。


「監督! ホントに、ありがとうございました! こんなに着心地が良くて、細工が凝った服は着た事ありませんよ~」

「え……? 何の事です?」

「こちらです。明かりや陽に翳すと、校章が透けるんです」

「ウソだろ!? 何これ凄いじゃないか! オレも欲しいッ。メディンサリ君。これ譲ってくれ!」

「ダメに決まってるでしょ! 監督も作ってもらえば良いじゃないですかッ」


 地を出しながら、示して見せたメディンサリの上着を奪って、自ら照明に向ける深歳から、どうにか試合着を取り戻したメディンサリだった。


「監督まで嬉しそうだねェ」

「皆、少々浮かれ過ぎではないか? 地区大会は目の前。もっと選抜組としての気構えを……」

「誰よりも早く、一式を着込んだ柊扇に言われても、説得力に欠けるのォ」

「……くッ」


 千丸に事の次第を見られ、二の句も継げない昂ノ介を気遣いながら、蓮蔵が疑問を口にする。


「それにしても丹布君は、この試合着に携わった方を、ご存知のようでしたね」

「そ~言われてみれば」

「コホン。来ていらっしゃいますよ。早く、君達の試合着姿を見せてあげて下さい」


 ようやく気を取り戻したのか、深歳は元の調子を据えて、感動のご対面の場へと誘う役を買って出た。




 ○●○




 桃色の春の兆しから、全国制覇への波を立てる色に代た、蒼海学院中等科、男子庭球選抜組。


 装いも新たに整列して見せるのは、いつぞや見掛けた、和装姿の男性に対してだ。


 当時は遠目に加え、対応していた士紅との距離もあって分からなかったが、相手は、かなりの長身だった。

 記憶を辿れば、長すぎる銀髪を持つ美丈夫に相当するのではないかと、一同は腹の中で思いを紐解く。


「皆、善く似合ってるって」


 実は、例の大伯父様とやらの隣には士紅が立って居る。

 リュリオンの言葉を使おうとしない大伯父への配慮で、同時通訳を買って出た訳だ。


 当の大伯父こと彤十琅は、相変わらず藍白あいじろの前髪と、襟巻が深く御面相が窺え無い。

 声の程も聞き取れず、何もかもが掴み切れぬまま。


 今も話を交わしているが、静かに揉める雰囲気が立つ。


「大伯父が、皆が在籍する限り、修繕や補正を手掛けて下さいます。

 違和感があれば遠慮せず、監督か私に伝えて欲しい。との事です」

「何と言うお心遣い。素晴らしい逸品を維持して下さるとは、心より御礼申し上げます。

 背負う蒼海学院の誇りを糧として必ずや精進し、全国を制します」


 深歳が、姿勢を正し決意を伝える。と、程無くして彤十琅から声が立つ。士紅へ言葉を託す様子に、七人の選抜組は違和感を察した。


「礼には及ば無いので、皆は気にせず善く励み、心から庭球を存分に楽しむように。その先に在る全国を制した姿を心待ちにして居る。そうです」

「ありがとうございます!!!!!!!」

「──?」

「……。──」

「──」

「大伯父は、このまま見学させて頂いても、よろしいでしょうか」

「ええ、もちろんですとも。どうぞ、ごゆっくりなさって下さい。さあ皆さん、練習場へ向かいましょう~」


 深歳の「ごゆっくりなさって下さい」の後に、量も豊富な藍白の頭が、上下した事を一同は見逃さなかった。


 やはり、この大伯父はリュリオンの言葉を、正しく把握すると、一同は確信する。


 仲間が指示に散る中、確認を押すように青一郎が柔らかく問い質す。


「ねェ、丹布君。大伯父様は、おれ達の言葉を理解していらっしゃるのかな」

「……実は、その通りなんだ。リュリオンの言の葉の響きは好きじゃないから、しゃべりたく無いんだってさ」

「へェ~」

「──」

「あぁ、在純」

「え?」


 御礼と共に、仲間を追うつもりだった青一郎の気配を止め、士紅は彤十琅の呟きを語る。


 姓と名を、告げて欲しいと。


「在純青一郎。……です」

「──」

「ありがとう。用は事足りたらしい」

「そ、そうなの? では、失礼します。試合着、本当にありがとうございました」


 不意に、強く風が吹き抜けた。


 その空気の圧は重く垂れる、彤十琅の前髪を煽り、見え無かった目元があらわになる。


 若紫色の異郷の双眸は表情が消え失せ、無機質に通じる冷徹な美を垣間見た。


 青一郎は、思わず目を見張ってしまう。大伯父と呼ぶには、若すぎる風貌だったからだ。


 空の海は広大で、日一日ひいちにちを置かず発見や解析が更新される、生命の神秘。


 最先端の、アンチエイジングの賜物たまものか、若い時期が長い種族なのか、複雑な家庭事情によるものなのか。

 今の青一郎には、その答えを導き出せない。


「考えても無駄だ。ほら、行くぞ。無様な姿を、全国大会で見せる気か?」

「それは嫌だなァ」


 今度こそ、礼を彤十琅に向ける事が叶い、青一郎は仲間が待つ練習へ踏み出した。


「──。士紅」

「はい。ありがたい事です。彼らが敵に回る日が来無くて、今は善かったと想います。本当に、縁とはおそろしいですよ」


 士紅の言葉に風が応えたのか、薫風くんぷうを匂わせる空気をはらみながら、一陣となって吹き抜ける。


 先に在るのは、刈り取られる救いか、つむがれ行く苦界なのか。


 士紅の似紅にせべに色の双眸は、皮肉をたたすがめた視野に収まるのは、命知らずの選択を取ってしまう、未来の英雄達。


 少なくとも、士紅にとっては、救い主だった。





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