第十四節 士紅の、お宅訪問。




 部活動は休み。急ぎ帰る用事もなし。


 昂ノ介は、セツト駅構内にある軽食店の窓側で、部誌を広げていた。店内の静かに漂う耳障りの良い弦楽曲と、かおり高い紅茶の空気と共に。


「やあ。相席しても善いかな」

「ああ、構わんぞ」

「ありがとう。店内に居る柊扇の姿が見えたから寄ったんだ。

 それ部誌?」

「そうだ。部活がない日も、何かしら記載するようにとの、監督の指示でな」

「成る程ね」


 突然、現れた士紅に正直驚きはしたが、話す内容で釈然とした昂ノ介が招き入れた辺りで、給仕が注文を取りにやって来た。


「いらっしゃいませ。ご注文は、お決まりですか?」

「そうか、注文……。この〝冬の舞姫〟を一つ、お願いします」


 昂ノ介の正面席に座す士紅が、給仕に向き直るも、その反応が鈍い。

 彼女の視線は、士紅の珍しい髪と眼の色を、交互に凝視している。


「店員さん」

「えッ、あ、はい!?」

「そんなに見詰め無いで下さい。照れてしまいます。

 本気なら、今からでも時間を空けますよ」


 そこには、えんと甘く微笑む士紅の姿がある。

 どこからそんな演技を持って来るのかと、昂ノ介は、走らせる筆記具を思わず止める程に呆れた。

 給仕の方は、すっかり呑まれて気の毒なくらい狼狽している。


「いッ、いいえ! 失礼しました。

 あの、その、ご注文は……」

「冬の舞姫です。それと、ヘルダンのお代わりをお願いします」


 昂ノ介がまとめて告げた注文を受け、「お時間を頂きます」との常套句じょうとうくを残した給仕は、そそくさと役目を果たしに一旦は退く。


「ありがとう。悪かったな」

「それには及ばん。しかし、店員も店員だが、お前もお前だ」

「あんな風に迫ると、大抵は逃げてくれる」

「……随分、慣れた物言いだったな」

「っははは。まぁね。

 実際に妙な色で、眼付きも面構えも悪いし、視線が集まるのは慣れて居るよ」

「自分で言えば世話はないが、無礼な話だ。嫌ではないのか」

「事実だからなぁ。否定は出来無い」

「そうか……。おれは……」

「ん?」

「言う程、お前の容姿が悪いとは思わないが」

「っははは。ありがとう。一応の礼は言っておくよ」


 しばらく、二名は雑談を重ねていると、やがて注文の品々が届けられた。年頃の女性が喜びそうな冬の舞姫には、紅茶品種の一つ、サッパルが添えられている。

 昂ノ介の席には、同じく別品種のヘルダンのお代わりが、音も少なく置かれた。


 先程と同じ給仕が、今度はなく辞する際に「ありがとうございます」と、感謝と笑顔を付けて送り出す士紅。無言の一礼で済ませる昂ノ介は、会話を再開させる。


「柊扇はヘルダン派か。私はサッパルが好きなんだ」

「紅茶に詳しいのか」

「詳しい程では無いよ。紅茶も善いが、たまには緑茶や抹茶が飲みたくなる」

「ほォ、外圏にもあるのか」

「うん。どこも似たような食彩文化だ。土地による名称や、風味が違うだけの物もある」

「ならば一度、礼衣がてる茶を飲むと良い。とてもうまいぞ」

「善いな。飲みたい。明日にでも頼もう」

「そうだな」


 会話を一段落させ、士紅は手元の菓子にさじを入れる。粉砂糖が、雪のように敷かれるシフォンのガート。麓には、木苺や柑橘かんきつの果実。付け合わせのクラームス。


 女子か。幼児か。と思いながら、昂ノ介は士紅の食べる様子を、ちらりほらりと目をやるが、これがなかなか様になる。


 元から、凄まじく端正な士紅の容貌は中性的で、詰め襟の制服さえ着ていなければ、中高生の逢い引き風景だとはたから見られる事だろう。

 士紅は、食べる姿も取り分ける菓子ですら、見苦しさの一片も無い。どこぞの貴婦人と相席している気分に思い至りそうな昂ノ介は、照れ隠しも込め、熱いヘルダンの旨味を口にする。


「丹布。この後は、どうするつもりだ?」

「図書館へ行く」


 ほォ。感心の息を吐き、書き終えた部誌を閉じる。

 聞けば郷土史の趣向があるが、絶版して手に入らない物や、買うと嵩張かさばり高価と来ている。図書館を利用しない手は無いのだと。


 土地に残る由縁や逸話は面白い。聞く者が聞けば失笑する常識外れの昔話には、歴史に埋もれ、起きた事件が吹聴ふいちょうによって歪められる場合がある。

 掘り下げると歴史に埋もれた真実が在り、正史よりも興味深いと士紅が語れば、昂ノ介も、歴史や時代小説を愛読していると乗って来た。

 時代を、登場人物を側面から読み解くと、意外な繋がりや発見があるのだと。


 共通の視点に、士紅も嬉しくなったのか声に色が差す。


「そうそう、そこなんだよな。

 最近、何を読んだ? 面白そうな本があれば、教えてくれよ」

「ならば、今から家に来ないか。

 そろそろ礼衣も着く頃だ。茶を点ててもらう約束も、取り付けられるぞ」

「来る事が判って居るのに、ここで時間を潰して居たのか」

「……そう言うな。青一郎にも言えるが、我々は生まれた時からの付き合いだ。

 本人が留守でも、互いの部屋に入って本を借りたり、邪魔をしている。

 おれ達は生まれた日も近ければ、系図からしても親戚同士。互いの家人も咎めない」

「成る程ね。では、言葉に甘えて、邪魔をさせてもらおうかな」

「ああ、歓迎する」


 その言葉を受け、士紅が残る紅茶を飲み干そうとする気持ちは、昂ノ介に伝わる。それにしても、士紅はたっぷりと時間を掛け、それを果たして居た。


 丹布は猫舌。サッパルの特徴からも察するに、昂ノ介は結論付けた。




 ○●○




「どうした? 丹布」

「……か、……菓子折りくらい、持って来るべきだったかな」

「なッ、何を下らん気遣いをしている。そんな物は不要だ!」


 士紅が軽く見上げるのは、重厚な歴史と風格が宿る四脚の櫓門やぐらもんに似た門構もんがまえ。左右を見れば、遠くまで白壁が続く。


 城だよな。この先に在るのは。などと士紅が口を開こうとする矢先、堅く閉じられていた正面の門扉が開く。

 梅紫の着物に、黄赤色の帯姿の数名の家人が、すでに待機していた。


「お帰りなさいませ、坊ちゃま。礼衣様は先程、お部屋にお通し致しました」

「ただいま。もう一人、友人が来ている。茶菓子を頼む」


 家人の一人が、見慣れない客人に対し、値踏む無礼を伏せた視線を向ける。


「初めまして。丹布士紅と申します」


 士紅は畏縮いしゅくせず、芯の入る一礼を示す。


 立ち位置、声、姿勢、顔色、出で立ち、脚元。耳には入れていたが、一見いちげんの士紅に対し、密かに合格点を付けた家人が、礼節を込めて歓待の選択を表した。


「ようこそ、いらっしゃいました。どうぞ、奥の方まで」

「失礼致します」


 昂ノ介は安堵した。柊扇家の奥を仕切る女中頭、『馬城 ホソ』のお眼鏡にかなったようだ。生まれた頃から世話になり、全く頭が上がらない、二番目の母とも言える女傑だった。


 玄関に通されると、またもや何か言いたげな気配を立てる士紅を、昂ノ介が牽制する。

 上がり口に着いた頃、正絹しょうけんの着物姿の老人が出迎えに来た。


「帰ったか。昂ノ介」

「ただいま戻りました」

「今、礼衣が来ているが、また手合わせを断られてしもうたわ。庭球も良いが、たまにはじじいの相手をして欲しいものだ。

 ……と、友人か」

「はい。同学年で、同じ庭球部の丹布です。

 祖父の威峰だ。」

「初めまして。丹布士紅と申します。

 本日は、突然の推参すいさんについての不作法を、ご容赦下さいますように」

「ハハハ。良い良い。孫の友人なら気兼ねなく、いつでも来なさい」

「ありがとうございます」


 昂ノ介が、青一郎と礼衣を置き、友人と認め家に連れて来たばかりか、この上無い礼節を貫く士紅に満足してうなずく威峰は、相手の名前に何か思い出した。


「ん? ……丹布? もしや、入学早々庭球部相手に、大立ち回りをした丹布君か?」

「お耳汚しとは、恐れ入ります」


 恐縮のていこうべを垂れる間に、小声で昂ノ介を詰問きつもんする。


「……柊扇、何を吹き込んでくれたんだ」

「……い、いや。ありのままを伝えただけだ」

天晴あっぱれじゃ! あの話を聞いて、一度会いたいと思っていたのだよ」

「恐れ入ります」

「お祖父さま、そろそろ、よろしいでしょうか」

「む。そうだな。丹布君、ゆっくりして行きなさい」

「ありがとうございます。お邪魔致します」

「うむうむ」


 見るからに外圏人。だが、垣根を感じさせず、礼儀を重んじる士紅の姿が心象に残り、威峰は老いてなお精悍せいかんな表情に、穏やかなしわを走らせた。




 ○●○




 陽は傾いているが、徐々に夕暮れの時間が延びる季節。


 春を迎えた草木が彩りを誇る道を、三名の少年達が歩道を行く。


 ここは『トウミ』の区画。歴史も深く、大家の別邸や古くからの商家が多い。近くの『コノエモト』とはまた違った高級住宅街の様相は、広く敷地を取った壁や生け垣の境界が、どこまでも続く印象だ。


 土地柄か、歩道は品良く整備されるが歩く人影は珍しい。駅まで延びる道も、すれ違う人は数えるばかり。

 必然的に顔見知りばかりになる界隈かいわい。例え有名大家の子息と共に居たとして、士紅の容姿に対し怪訝けげんの二文字を向けられる。


「悪いな。駅まで送ってもらうなんて」

「……遠慮するな。こんな所で迷子になると厄介だぞ」

「確実に迷いそうだからな」

「否定しても、仕方が無いと自覚する」

「……済まない、レールが届いた」

「うん。どうぞ」


 礼衣が、皆で揃えたケータイを取り出し、操作をしている様から視線を流した士紅は、周囲のたたずまいに、溜め息混じりにつぶやいた。


「この辺りは、大きな敷地と屋敷ばかりだ」

「歴史がある街だからな。海外との交流も盛んだった名残なごりで、ルブーレンや『リーツ=テイカ』の商家も多い」


 リーツ=テイカ。世界地図でリュリオンを中央に置くと、西側にルブーレン。東側がリーツ=テイカ。


 ただ、国粋主義で気位が高いの国は、地図の上でも中央に置き、「中の御国」と名乗りはばからず、鷹揚おうように押し付ける。


 文化文明の高さや、人類の起源にいて由来と国教をかざし、過去から何かと軋轢あつれきの種をいて来た。


 それも、今となっては古い話となり、外圏勢力の双璧が降り立ってからは、その統制下に置かれて久しくある。


「あの蒼い屋根の屋敷がそうだな。これまた立派なたたずまいだ」


 士紅が見事なルブーレン様式の屋敷を見やり、一本指を差しては無礼なので、指先を揃えた白い掌で示す。


「あれは、礼衣の実家だ」


 昂ノ介の答えに、蒼い屋根を見据え無言のまま、差した士紅の掌の位置が下がる。


「だから、退くなと言うに」

「……次は、おれの家に来い。ああ見えて、内装は和室が多いからな。茶も、いくらでも点ててやれる」


 他意はないが、士紅の態度が面白かったのか、礼衣は少し笑って会話に復帰した。


「うん。楽しみ」

「……話は変わるが、丹布」

「ん?」


 また礼衣の屋敷を見ていたのか、首を戻した士紅に話を繋げる。


「……先程は、話が弾んで流れてしまったが、次の公休日の予定はいているだろうか」

「何があるんだ」

「……久し振りに、リメンザで打つ事になったのだが、どうせなら、強化組も誘おうと思ってな」

「次の公休日か。まずいな」

「先約があるのか」


 意外にも、残念そうな響きを込めて昂ノ介がこぼすと、士紅が語尾を追い言葉を重ねる。


「あぁ、そうか。連れ出せば善いのか」

「……何だ?」

「部外者だが、一人増えても善いかな。

 近々、庭球の交流会に参加する人が、勘を取り戻す程度の、軽い試合をする約束をしたんだ」

「……良いのではないか? おれ達も激しく打ち合う気はない。

 どうだ、昂ノ介」

「丹布の知り合いの方なら、問題はない」

「ありがとう。それで、皆は集まれるのか」

「……残念ながら、千丸、メディンサリは先約で都合が付かなかった。

 蓮蔵も、午前中までしか空けられないと言っていたので、昼には解散になる予定だ」

「成る程ね。セツトのリメンザに、朝一番で善いのか?」

「ああ」

「承知した。待って居るよ」

「……うむ」


 話と予定が纏まった頃、鐵道てつどうの大動脈に至る、トウミ駅が見えて来た。この辺りになると、さすがに人波も有名商業地も手伝い、賑わいを見せる。どことなく、客層に品があるのは、土地に宿る息吹の賜物だろうか。


 この感想は口には出さず、代わりに今日の礼と次の時間の感謝を、昂ノ介と礼衣に伝え、士紅は迷う事も無く帰路に就いた。


 柊扇家を出る前、散々に説明を受ける最中さなか。話を聞き付けた威峰に気を遣いを提示する。

 高級送迎車で、士紅の住む家まで送ると言われては、士紅も記憶力と方向感覚を、最大限に引き出すしか無かった。





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