第十三節 初めての取材と、剣呑と。




 ある日の二時限後。次の授業までの時間を、思い思いに過ごす同窓生のおだやかな声の波を音を割る気配が、一年一組に迫っていた。


「丹布! 丹布はどこだ!!」

「あれ? 柊扇君だ」

「うッわ。何かスゲー怒ってるぞ」

「あいつが怒ってると、普段の二倍増しで迫力あるよな」

「う、うんうん」


 教室の出入口で士紅を呼び立てる昂ノ介に、同窓の徒は噂をする。そこには、悪意は込められず、名物見学の様相を呈していた。


「何だ。朝から大声を出すなよ。辞書でも貸して欲しいのか」

「……あの柊扇君に、ものともしないで対応する丹布君も、どうかしてると思うの」

「確かにな」


 新たな名物の誕生に、同じ組で気分を高ぶらせた生徒も出始める。

 意外にも士紅は、一組の生徒との交流は広く取っており、全員と会話や名前を交わして居た。


「辞書は関係ない。部誌に下らん記載をするとは何事だ!」

「問題など、一つも無いだろう」

「部活動には不要な内容だ。今すぐ消せ」

「嫌だね。誰が消すものか。全国を目指す仲間に対し、親睦を深めるための質問をして何が悪い」


 昂ノ介は部誌を突きつけ改訂を迫るが、士紅は右手を腰に当て、表情と共に不動の構え。


 徐々に人垣が形成されつつあった間を縫い、四組の青一郎と、三組の礼衣が騒ぎを聞き付け寄って来た。


「廊下中に響いているよ。何の騒ぎなの?」

「……血相を変えて出向いた先は、丹布の所だったのか」

「丹布が、下らん事を部誌に記載していたので、指導していたのだ」

「重要な記載事項じゃないか。仲間の初恋時期と相手を尋ねて、注意する方が問題だ」

「まだ言うか! 青一郎も青一郎だ。〝おれは知ってるよ、フフフ……〟

 部長の、お前があおってどうする!」

「そもそも。副部長なのに、順番が回って来るまで部誌を確認せず、わめく柊扇に非がある」

「……ふむ。一理あるな」

「くッ」


 士紅に痛い所を突かれ、礼衣に畳み掛けられ、言葉も出ず息しか漏れない昂ノ介の姿。想い至った士紅が、存外な事を言い放つ。


「判った。ここは公正に、聞くも涙。語るも涙。私の初恋話をしてやる」

「何をッ!?」

「これは今か……」

「まテッっッ!」

「声が裏返えったね」

「……動揺の程がうかがえるな」


 長い付き合いの二人が、静かに昂ノ介を観察して評する。


「確認をおこたったのは、おれの失態だ。非は認める。

 ただ、このような私的見地から、好奇心を煽る内容は今後記載するな。それで良いな」

「ん~……」

「丹布、返事をしろ」

「気難しい事ばかり言うなよ。……っと」

「!?」

「……ほォ、これは見事に決まっているな」


 礼衣が称賛しょうさんしたのは、士紅が昂ノ介に仕掛けた、脇固めに似た素手による捕らえ技。

 ゆらと揺れ、視線一つ下がった頃には、昂ノ介は士紅の虜になっていた。


「堅いんだよ、柊扇。我々は、お年頃なんだ。女の子の話を十や百を交わした所で、何の罪に問われる」

「ふざけるな!」

「さて、どうしてくれようか。

 ……っと、悪い。電話だ」

「ならば、この捕らえ技を早く外せッ」


 言いながらも、昂ノ介が技外しに掛かっていたが、士紅の技は外れず小揺るぎもしない。と言うのに、当の士紅は既にケータイで通話中。


 曲がりなりにも幼少の頃から武の道へ入り、筋も良く褒められては叩き伏せられ、這い上がって来た。その昂ノ介の自負が曇りそうになった時、急に縛が解ける。


 未知の捕らえ技から解放され、不本意にも安堵の息を吐いてしまう。そんな自身に、気が滅入っていた昂ノ介の肩を、軽く叩いて意識を向けさせられた先に見えたのは、悪戯いたずらが発覚した、子供が浮かべるような笑みを差した士紅。


 く左手で刀を作って添えた、凄まじく整う口元は「悪いな」と動く。びの意を無音で伝える。


 昂ノ介は、その笑顔で、部誌から始まった怒りや、気恥ずかしさも混じる気分が、消し飛んでしまった。

 気取られまいと制服の着崩れを直していたが、付き合いも長い二人には筒抜けだった。


「急用が出来たから、一度退く。部活までには戻るよ」

「え、そうなの?」

「……もうすぐ授業が始まると言うのに」

「悪いな。大事な用事なんだ」

「そうなんだ。気を付けてね」

「……練習場で待っているぞ」

「うん、ありがとう。

 柊扇も、じゃれ付いて悪かったな」


 言いながら士紅はこぶしを作り、昂ノ介の左上腕部を軽く突いた。


「早く行け。急用なのだろうが」

「っははは。ありがとう。では、放課後に」


 今日も今日とて、士紅にやり込められが悪い昂ノ介は、ぞんざいに送り出してしまう。なのに、どうにも憎めない相手として、その背を見送った。




 ○●○




 三十四分十二秒の遅刻を、礼衣に指摘された士紅には、準備運動の後、庭球部練習場の外周を四十周。

 次は屋内練習場で、返球練習中の先輩達への球出し役はどうかと、部長の青一郎は提案する。


 提案した相手である監督の承認をて、士紅は一言一句を間違える事無く、姿勢を正して復唱し、速やかに従った。




 ○●○



  

「休憩に入りましょう。先輩方、給水して下さい」


 部活時間終了まで一時間を残した頃合い、屋内練習場に士紅の声が通る。


「は~ァ、疲れたァ」

「お前の球出し、速いし正確だし色々スゲーな」

「ほれ、水だ。おれ達以上に声出して動いてたんだから、しっかり水分補給しとけよ」


 四年の浅盛利が、未開封の経口補水液のボトルを士紅に差し出す。

 先程の褒め言葉も含め、士紅が恐縮しながら受け取ると、屋内練習場の入口付近で部員達が声を波立たせた。


 話によれば、屋外練習場にいる選抜組の一年生が、運動競技専門雑誌の記者から取材されている。との事だ。


「その手の事は、監督が断ってるって聞いたけどな」

「来てる記者さんは、監督が現役時代からの付き合いって話で、断り切れなかったみたいですよ」

「へ~、そうなんだ」

「優秀な選手の情報公開ってのは、避けては通れないしな~。監督も妥協したんだろう」

「でも、よく今まで逃げられましたね。監督も含めて、あの〝リメンザの申し子達〟ですよ」


 元々の庭球好きが残ったが故に、その辺りの事情は心得た物で、部員達の噂話は尽きない。

 〝申し子達〟は、揃いも揃って天才肌。小等科に入る前より、リメンザに通い始めた頃から話題になっていた。

 既に競技団体から目を付けられ、今もなお、庭球部で名を馳せる有名校からの勧誘が止まっていないと言う。


 加え、記事に反して校内の庭球部に入り、新体制下で全員が新入生の全国選抜要員。内外でも騒然となっている。


「おお? 噂をすれば何とやら」

「お目当ては、お前なんじゃないのか? 丹布」


 先輩部員達の話を、静かに耳にする士紅に向かって、人影が三っつ近付いて来る。

 一人は監督の深歳。その背後には、元々運動競技に触れていましたと言わんばかりの壮年のリュリオン人と、見るからに新卒の雰囲気たっぷりな、小柄なルブーレン人の二人組が付いていた。


「皆さん、しばらく丹布君を借りますので、休憩後は対角線打ちをやっていて下さい」


 部員達から不満の声など立つはずもなく、快く丹布を送り出す意図を返す様を確認し、深歳は二人組を紹介する。


「丹布君。こちらは大手運動競技情報誌、庭球部門取材記者の『日重さん』と『ルーフスさん』です。

 日重さんは、現役時代から、お世話になっている方で、信用出来る記者さんの一人なんですよ」

「プレッセン社リュリオン担当、月刊ラッフォリオの日重です。よろしくお願いします」

「お、同じく、月刊ラッフォリオのルーフスですッ。

 あ、あの新人で、ご迷惑を、お掛けするかもしれませんが、その、一生懸命頑張りますので、宜しくお願いしますッ!」

「ご丁寧に、恐れ入ります。蒼海学院中等科一年一組二一番、丹布士紅です。

 こちらこそ、宜しくお願い致します」


 まず、初対面同士の挨拶は、滞る事無く済まされ言葉が交わされる。


 基本的な資料は、深歳から受け取っているので、取材と言うよりも、雑談で顔を覚えてもらうのが主な目的だと日重は、あけすけに笑って腹を明かす。

 机上で習った事と反する現場の流れに、挙動不審なルーフスをダシにして、話は重ねられた。


 最後に、新人ルーフスに質問する機会を与えた日重が、底意地悪く先輩として背中を押してうながす。

 何気ない質問によって、相手から使える情報を引き出させる教育の一環として。無言の課題を与えた。


「丹布君って、話し慣れてるよね~。ど、堂々としているし。もう取材とか受けてて、慣れっこなのかな?」


 日重は早々に、節くれだった大きな手の平で顔を覆ってしまった。堂々としているのは、ルーフスの直球過ぎる質問内容だ。


 〝天才・恩村〟が話題の一年生選抜組を立ち上げ、取材の申し込みが入らない訳がない。

 だが、本人が矢面に現れ、取材攻勢をなしらす中、やっと乗ってくれた話ではあるものの、他社の接触があるのか、ないのかは探りたい所だったが。この様だ。


「先輩方の話では、部長達は有名人で取材にも慣れている様子ですが、私は初めてですよ。

 これ、面白いですよね。尋ねられる機会は無いので新鮮です」

「ほ、本当なの? 外にいたお仲間が、丹布君の庭球の腕は、凄い凄いって話してたし、地元じゃ有名な選手なのかな~って」

「まさか。公式の試合経験はありません。身内で遊ぶ程度です」


 失敗したと思っていたルーフスの無遠慮な質問は、日重の意に反する結果をもたらした。

 士紅は気付いて居たにも関わらず、今も淀み無く話を零し続け、日重も気になっていた話題に差し掛かる。


「え~、怖くなかった? 練習試合と言っても最初の相手が、あの絶対王者の連堂だったんでしょ?」

「苦手なんですよね。その手の冠が付いた、ことは」

かんむり?」


 思わず、日重は自身で決めていた禁じ手を踏んでしまう。鸚鵡おうむ返しで質問するのははばかっていからだ。それだけ、士紅の観点に巻き込まれていると言えた。


「数値上や、近い現象、揶揄は存在するかもしれませんが、とか、なんて聞くと、突き崩してやりたくなるんですよ。

 そんな物、何処にもりはしませんからね」


 日重の黒い目が、士紅の似紅にせべに色に向いた。


 は、何処までも俯瞰ふかんする傲慢とも取れるようで居て。


 地の底よりも遠い深淵から、突き上げめられるようで居て。


 隔絶のうつろをも覗く思いを、日重は感じた。


 触れてはならぬ、かしこし境界の向こう側なのだとも。


「日重さん」


 士紅に名を呼ばれ、日重は霞んだ意識に、冷や水を浴びた思いで我に返る。


 そこには、少々警戒を解く士紅の薄い笑みが咲いて居た。





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