第十一節 素人と玄人。




「敵は動き出した」


 蒼海学院中等科との対外戦、衝撃の結果の翌日放課後。


 庭球部の部室にいる恩村が零した、押さえ気味だが込める言葉の重さに、第二部正選手達が注視する。


「蒼海学院中等科の男子庭球部、六年シャートブラムの部長職を抹消した。

 新部長は、一年の在純青一郎。副部長は、同じく柊扇昂ノ介。

 全国選抜を全員一年に据えて、本日から始動する」

「ぜッ……、全員が一年って、昨日来たばっかの、あいつらですか!?」

「ああ、その通り」


 三年の山都の、頓狂とんきょうな声に対しても静かに答える。その流れで、恩村は仲間を丹念に観察する。


「さすがに、笑う奴はいないか。これは頼もしい」

「油断や軽口など語れるはずがない。元々の素地が全員高く、〝リメンザの申し子達〟がいる。

 その上、彼らを指導するのは、あの〝天才・恩村〟氏だ」

「そう……。加えて特筆すべきは、外圏人にして技術ばかりか、身体の仕上がりを見せる、脅威の新入生、丹布士紅。

 彼の存在は、蒼海学院中等科の大きな支柱となっているはず。

 彼のプレイスタイルは、ただならぬ凄みを周囲に刻み付ける」


 古桜の言葉に、率直な感想を付ける恩村に、斎長が続く。


「彼のいた外圏にも、庭球があるのは喜ばしい事だけど。

 何か、余程のがあるのだろうな。庭球に対して」

「ふゥむ……。八住」

「はい」

「彼を知っているようだが、出身地でも、有名な選手だったのかな?」

「公式戦に出て居た話は、聞いた事がありません。

 誰から手解てほどきを受けたのかも、はっきり教えてくれませんし」

「ほほォ」

「僕も驚いたんです。庭球部に入り、表立って活動を始めるなんて」

「そうか。成る程ね」


 話が一段落した頃合いに部室の扉が開き、姿を見せた部員からコート整備が済んだ報告を受けた恩村は、肩で一つ短い息を吐いた。


「ありがとう。では、皆、行くよ」


 恩村の静かに立てた気炎に、それぞれは気合いが乗る声で応え、練習場へと向かった。

 新たに生じた、最大の好敵手と認めた彼らを見据えて。




 ○●○




 一方、同時刻の蒼海学院中等科の屋外練習場は、異様な雰囲気が支配していた。


 新入生八名を除く、総勢一五六人が強制的にかき集められ、深歳に向かって雑多に並んでいるが、特に深歳はとがめ立てる事はしない。


「正気なんですか先生ッ。入ったばかりの一年に、部長職どころか、選抜権まで与えるなんて!」

「保健の新任先生さんよォ。そんな事を勝手に決められちゃ困るんだけどなァ」

「今までの伝統ってモンがあるんだ。新参者にイイようにされて、おれ達が黙ってるわけないだろ!」

「そォそォ。アンタは〝上〟が言う通りに大人しく飾られてろよ」

「何、頑張ろうとしてんのさ。今までの顧問みたいに、痛い目に遭いたくないだろ?」


 主に、前列に陣取る部員が、口を開けば年長であるはずの深歳に対して、暴言の数々を放っている。

 奇しくも、甥と同じ内容の発言を彼ら、一五六人に宣言したからだ。全国を目指すための布陣を一新すると。


「うるせェんだよ。このクソガキ共。

 オレのやり方が気に入らないなら、出て行けって言ったろ? 趣味や特技の紹介で、庭球が出来るって言いたいだけなら、その辺の有料練習場に行きやがれ」

  

 深歳の唐突な態度や口調の豹変に、あれだけ語彙を繋いでいた彼らは、口々に波を立てる。動揺を広げ、やがて閉口した。


「オレ達は、今から庭球をやる。上手い下手なんざ関係ない。

 庭球を心から楽しんで、その先にある、誰にも負けたくないと発する向上心。

 二度と戻らない貴重な時間を、全国を目指す志しのために費やすんだよ」


 そこには、現役時代にも劣らない胆を決める深歳の姿があった。


「ハ……、ハハッ。いつもの媚び媚びの敬語はどうしたんだよ、え? オッサン」

「礼儀知らずに、礼儀を通しても意味ないだろ。少なくともオレは君達より年長だし、人生経験もある。教える立場にある。

 君達の態度は、オレに教えをうものではないし、それ以前に、教えを請う気もなさそうだ」


 深歳の挑む強い視線に、部員達は呑まれて動けない。今までの緩み切った態度とは一転し、まるで別人だった。


「別に構わない。肩書きだけ、覚えが良いだけの指導者なんて珍しくないし、君達にも選ぶ権利くらいはある。だが……」


 言葉を、わざと区切り息を溜める。彼らの辿る時間の前方を知る先駆者は、意地悪く脅しを込め、声を、表情を作って語り掛けた。 


「この先、逃げられない状況なんて多々ある。選択すら出来ない事も待っている。

 君達、その時、どうするつもりなんだい?」


 世界をる深歳の語り口は、下手な役者よりも伝達力があった。


「選択の余地がない場所でも、決して諦めず、最善の結果に導く方々なら、私は存じ上げていますけれどね」

「オイオイ。いつまでワケ分かんねー事を並べりゃ気が済むんだ?」


 いだ人波から声が立ち、声音こわねの発生源に向かって視線が集まる。


「説教でも、やってるつもりなのか? 監督さんよ」


 そこには部活着ではなく、だらしなく詰め襟の制服を着崩し、隙間から見せるのは、年令に合わない有名装飾品の数々。


 当然、校則違反だが咎められもせず、過剰に身に付けていられるのは、中等科五年生の『穂方 鷹尚』だった。


 周囲には、同じく着崩し姿勢も態度も悪い取り巻きを控えさせ、一角だけが異様な世界を構築している。


「おっかしいなァ。オレ、説教なんてしたか? 今から庭球やるから、用がない奴は出て行けって言ったんだよ」


 庭球部の〝シキタリ〟の守護者・穂方は気に入らなかった。今の今まで、同級生に始まり、教師さえも顔色を伺う穂方を前に、深歳の態度は変わらない。


 穂方は、憤懣ふんまんやるかたなし。そうなる気配を感じた取り巻きが、深歳の強硬な方針に言及げんきゅうする。


「監督さん。知らないはずないだろ? シャートブラムさんや、穂方さんの前で、よくもそんな口が利けるよな。

 シャートブラムさんは、ルブーレンでも大貴族に名を連ね、穂方さんの所は、国土行政執行・教育部門の要人だぞ? 

 しかも、この蒼海学院の常任理事と、運営委員長も兼任している」

「もう首が飛んでるんじゃねーの? おれの家も黙ってねーけど」

「それって、親の肩書きだろう。君達自身は?」


 深歳は、まだ平然と言い放つ。白を切っている訳でも、向こう見ずでもない。

 声も姿勢も、震えずに立っていられるのは、別の支えがあるのだと、想像する事も投げ出している。


 親の威をかざし、何の代償も払わず、努力も放棄した上で、その全てが手に入ると信じて疑わない彼らの姿。それが、滑稽かつ哀れに見えて仕方がない深歳は、小さく息を吐く。


 この憐憫の吐息だけは、彼らは聞き漏らさなかった。

 尊大に振る舞う事を、誰にも止められなかった彼らにとって、唾棄だきに等しい侮辱ぶじょく


「調子に乗るなって言ったよな」

「穂方さん。〝シキタリ〟を実行しても、かまいませんよね」

一々いちいち、聞いて来るなよ。おれが、指示してるみたいじゃねーか」

「済みませ……」

「勝手にやれよ。好きなだけな」

「ハーイ!」

「ありがとうございまーす」


 餌を前にした猛犬の鎖を手放した響きを乗せ、穂方は取り巻きをけしかける。取り巻き達も、歪んだ感情を満たすために、深歳との間を詰めた。


「あはは~。芸のない事ですね。

 一体、どのようなしつけをしていらしたんですか? 穂方さん」


 深歳の声に応じて、その背後で気配が立つ。仕立ての良さだけが浮き上がる、中肉中背の壮年後半の男が姿を現す。


「え? ……と、父さん?」

「……鷹尚。お互い、やり過ぎたようだな」


 下品なくらい自信家だった父親は、彼の記憶にない程に毒気を抜かれていた。青白い顔と憔悴した表情で息子の姿を、その濁った目に映す。


「この学院内で、人事異動があってな。父さんは、もう、この学院には席がなくなった」

「は!? いきなり何だよ。冗談だろ?」

「簡単な話ですよ。責任を取ってもらっただけの事。どうにも、揉み消せない事態が起きたようですねェ」

「あの〝群狼〟が、ヘマしたってのか! 何だよ、使えねー連中だな!!」

「君が語る〝群狼〟とは、何を差し示して居るのだろうか」


 白銀の柱は、唐突に現れた。


 それは、蠱惑的な響きと共に少年が言い放つ、聞き捨てならぬ単語を鷲掴んで突き付ける。


何処どこの〝狼〟の話をして居る。君の為に動いた〝狼〟など知らぬ。

 私が知る〝狼〟が、動いた報告も記録も無い」

「だッ、誰なんだお前は!」


 不意に視界に入り込んだ事よりも、凄みがある極上の美丈夫の圧倒的な存在感に驚愕する。

 穂方鷹尚は誰何すいかを立てるだけで、精根も尽き果てる思いだった。


 息子の不遜な物言いに、すっかり顔色をなくした父親が、最後の気力を振り絞り、泡を飛ばしながら制する。


「止めてくれ、鷹尚……ッ。誰の逆鱗に触れたのか、まだ分からんのか! 

 今、モルヤンは、政治・経済・教育場まで抜き打ちの調査が入り、次々と網に掛けられている」


 一連の流れに追い付けない部員達は、息を殺して見守るしかなかったが、それでも嫌なくらいに、銀色の長髪長身の美丈夫に視線を奪われる。


「まだ判らぬのか。机上が現実だとして疑わない政治屋と、常に消費者の声に寄り添い、生活に密着する我々生活企業屋と、どちらにがあるのか。

 誰が、モルヤンの真の支配者なのか」

「ふざけるな! どこの誰かも名乗らねー奴が、いきなり来てバカな事を並べるんじゃねーよ!」

「若気の勢いとは、眩しいものだな」


 鏡色の双眸をすがめたのは、別段、無礼な物言いに不快になったのでは無い。単に、面白がって居るだけだった。


「顧問・監督に対する暴行及び、校外での未成年監禁暴行、薬物使用の確定」


 穂方鷹尚は、動揺した。預かり知らぬ存在が、知っているはずもないを軽々と並べたのだから。


「これは、私が知る〝狼〟が裏付けた、確固たる正確な情報だ。

 穂方鷹尚。君は、本物の〝群狼〟に狩り獲られたのだ。善かったな」

「本物だと? だ、だったら、その本物って奴に頼むよ。金ならいくらでもあるんだ。今度こそ揉み消してくれよ」

「機転としては頼もしい。

 ならば、九二一〇兆ロダを即金で用意して頂こうか。君は未成年。かなり気を遣った提示額だ」

「きゅうせんにひゃくじゅっちょうロダ!!!!!?????」

「何を驚く。金銭は、幾らでもあるのだろう?」


 眇めたままの銀髪の美丈夫は、何の感慨も乗せず、当然のように話しを進める。


「そんな常識ハズレの金が、用意出来るワケねーだろ! 話になんねーよ。

 さっさと本物の〝狼〟ってのを呼べよ! テメーじゃ話にもならねーからよ」

「私に言わせるなら、君の方が非常識だ。九二一〇兆ロダ声を荒げ、動揺するとは器がれる。

 元より、本物の〝狼〟が、穂方鷹尚ごときの俗物の前に現れる事など有り得ぬ」


 今度こそ、穂方鷹尚は絶句するしかない。事実を霧散に追いやろうと見苦しい言行を重ねる。


 対する銀髪の美丈夫は、眇める目元以外に一点の乱れも無い。表情さえ読め無い程、永久凍土の様相。比較するのも、大罪に問われる現状だった。


「これが権力だ。小童こわっぱ共よ」


 水を打ったよう。その表現が、一帯を席巻する。


「これで理解したな。小童共。自己管理も出来ぬ権威を笠に着ると、いずれ手痛い返しが待つ事を。

 判ったのなら、これを機に大人の真似事など金輪際止めろ。中学生は中学生らしく、この貴重なときの流れをまたたく間すら無駄にするな。

 君達が、無意味に振り回して来た権威や金銭では、決して取り戻せ無いのだぞ」


 銀髪の美丈夫は、まだらに散る彼らの中に、変化をもたらす兆しを見受け取る。表情が消える極上のかんばせを深歳に向け、会話に繋げた。


「何だ。素直な善い小童も居るな。

 深歳。彼らに本当の苦楽を教えてやってくれ。

 例え、眼前に峰がけわしく連なり居続けるとして、同じ時を刻み、共に過ごす日々には必ず意味が在る。決して無駄にはならぬと」

「はい」

「まぁ、これは『唯一の敬愛する主であり、無二の親愛なる親友』の言葉だ」

「ええ。彼は雌伏しふくの日々の中、そう言って仲間を励ましていました」

「あいつ。見掛けによらず、泥臭い事が好きだからな。

 色々と無茶をするだろうが、よしなに頼む」

「こちらこそ、ご協力の程を感謝致します。イ=セース様」

「何を今更。シグナと呼べば善い」

「……シグナ……?」


 穂方鷹尚に差された、不快な音が聴覚にさわり、シグナは今度こそ極上の容に、現在の心境を反映させた。


「気安く私の銘を呼ぶな。君には、許諾などして居らぬわ」


 射竦いすくめられた。などの言葉では現せ無いあつを受け、穂方鷹尚はその場で腰を砕かれる。ついには、無様な座し姿をさらした。


「本来なら、この場で蹴り穿うがって千々にし、灰燼かいじんも残さずき払う所だが、規約により叶わぬ。

 帰宅後、迎えに来る方々に、お任せするしか無い。脳の髄の底から詫びて暮らせ。

 特殊指導施設でな」


 のろのろと、穂方鷹尚は生彩を失った顔を上げ、シグナを見る。


「逃げても構わぬよ。特別に〝清掃員〟も動員してやろう。

 当然、料金は上乗せして君に請求する」


 穂方鷹尚の視界から、シグナが白い天幕の向こうに消える。


 遠くで、わずらわしいだけの財布持ちの父親の声がした。気がする。


 彼は、過多な情報の奔流を受け失神した。





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