第十節 嗚呼、我らが青春の交換日誌。




「うんうんうん! 予想通りとは言え、圧勝圧勝! 皆さん、お疲れ様でした!」

「お疲れ様でした!!!!!!!!」


 高低はあれど、八種の心地好ここちよい腹からの声。向けられる礼節と尊敬の念に対し、深歳は感慨に染み入らせ言葉を返す。


「本当に、君達は良い子ですね。きちんと挨拶を返してくれます」

「そ、そんな。人としての基本ですよ~」


 飾らずじかに褒められ、嬉しさと気恥ずかしさを抱えた代表の都長が、照れつつ応えた。

 そんな彼らに目元をほころばせる深歳。


「フフフ。さて、皆さん。空いている席に着いて。今から配る用紙に、学年・出席番号・氏名等々を記入して下さいね」


 絶対王者・連堂の新人戦の選抜組を圧倒した八名は、対外試合後、再び蒼海学院に戻った。適当な空き教室を押さえ、会合を開いている。

 深歳が、用紙と筆記具を置いた席に着いた彼らは、程なく書き始めた。


「書きながらで良いので聞いて下さい。明日から、皆さんに部活動日誌を付けてもらいます。

 え~っと、そうですね。この座り順に当番を回しましょう。在純君から始まって、丹布君で終わり。で、また在純君へ戻ると」

「日直簿みたいな物ですか」

「そんな感じです。メディンサリ君」


 深歳はそのまま説明を続けた。今となっては珍しい黒の厚紙に挟まれ、事務紐の蝶結びで留めらた綴じ込み帳を開きつつ、深歳が指で差す位置を、時折顔を上げて彼らは確認する。

 記入内容は途中までは平凡だった。


 当番名、部活開始時の天候・気温・湿度・気圧、当日の練習予定内容と、実行した内容。

 下の空欄は当日の感想、気になる点、各人への要望、質問、明日の予定、待ち合わせの打診、好きな事を書くようにと締めくくった。


「途中から、話が怪しい方向に行きましたね。書けました」


 士紅が指摘しながら立ち上がり、用紙を深歳に手渡す。


「そんな事はありません。何よりも大切です。皆で青春の悩みを分かち合う、素晴らしき書物となるのですから!」

「青春……!!」


 何故か都長とメディンサリの、黒と空色の瞳が輝きを増し、ほぼ同時に顔を上げ仲良く同じ反応をした。


「あ、女子がやっている交換日記みたいで楽しそう。おれ、一度やってみたかったんだよ」


 モルヤンにも張り巡らされる、電子情報回線網『トーチ』を介したケータイ端末やPCでの意志疎通が主流の中、たまに回帰かいきする懐古な流行。

 人気の地上波番組の影響も手伝い、筆記具による交換日記が、女子中高生の間を取り持っていた。


「……相手は女子ではないぞ。青一郎」

 

 昔から、たまに突拍子もない事を提言する青一郎を、やんわりと牽制けんせいする礼衣だが、気付かないのか振りなのか、この時の青一郎は、日頃の遠慮を封じて話を進める。


「別に関係ないじゃない。何より、日々の練習過程をおれ達で記録して行くのは、有意義な事だと思うんだけど。皆はどうかな」

「良いと思います。色々と活用の余地もありますし、わたしは賛成です」

「うむ。おれも特に問題を感じないので賛成だ」

「記録ってのは、情報収集には良い資料になるしなァ。うん、賛成だぜ」

「これも鍛錬の内だもんな~。異議なし」


 青一郎の提案に、蓮蔵、昂ノ介、メディンサリ、都長が口々に賛同する。


「ん? 何のけつじゃ?」

「おれ達が順番で、部活動日誌を付けるかどうかだよ」

「おォ、そんくらいの事ならやるぞ」


 記載に集中していた千丸だったが、無難に応じる。


「礼衣と丹布君は?」


 残る二名に返事をかす。密かな希望が叶いそうな青一郎は、ただでさえ女の子のように柔らかい線の顔に、満面の笑みを浮かべて二名を見やる。

 相手が礼衣と士紅では無ければ、妙な勘違いさえ起こしかねない。


「……異論はない」

「反対する理由も無いしな。火関にならう」


 結論が揃った所で、深歳も嬉しそうに締めに入る。


「では、朝一番くらいに日誌を私の所へ提出して下さい。で、放課後の部活動が始まるまでに、当番の方にお渡ししますので記入して下さいね」

「はい!!!!!!!!」

「うん、良い返事です。そんな良い子の君達に明日、吉報をお伝えするので楽しみにしておいて下さい」


 その吉報の内容は、八名がそれぞれ予測はしていたが、誰も口には出さなかった。特に〝現場〟を目撃した、青一郎、昂ノ介、礼衣は一抹の不安を思わずにはいられない。


 吉報を果たすためには、例え深歳が経歴や実績を突きつけようと、まかり通るとも考えられない〝シキタリ〟が存続している。


 無言の彼らが抱えた腹の内容を察したのか、深歳は締まりのない笑顔で言葉を加えた。


「何ですか? その顔は。未来を見据える若人わこうどのソレではありませんよ。君達は余計な事を気にせず、描いた絵図面を現実に反映する事だけに集中して下さい。それが、君達の役割なのですから」


 表情は至ってゆるんでいるが、口調や眼鏡の奥に宿す視線の意図は、確固たる決意と確信を語っている。


「面倒な事は、大人に任せなさい。それが、大人である私の役割です」


 八名は、その言葉に明日を預ける事にした。これ以上重ねる会話も、探り合いも必要ないと区切りを付けたからだ。預けるに足る人物だと信頼し認めたに他ならない。

 若人が出来る事は、その互いの信義に応えるだけなのだと。




 ○●○




「もしかして、あの練習試合後、蒼海に戻ったの?」

「うん。伝達事項もあったからな」

「な~んか、コソコソしてると想ったら、まさか庭球部の部員になって居たとはね。また敵同士じゃないかぁ。

 ねぇ、僕の事キライなの?」


 大粒の黄金色の双眸に、たっぷりと悲壮感を込めて士紅に語り掛けるのは、連堂学園中等部の屋外庭球場に居た八住旋だった。


「暗に隠していた訳でも、嫌いな訳でも無い」


 白磁のティーカップを、青縁のソーサーに音も立てず戻した士紅が、表情も無く応える。

 旋はその言葉に満足したのか、愛想とは無縁。本音満載の、甘い笑顔で崩れた可愛い顔になる。


 軽く波を効かせ横に撫で付け、焦香こがれこうの色が混じる黒髪を揺らす。

 旋は、しなやかで細い身体を椅子に座ったまま、上半身を左右に動かし、収め切れぬ感情を、溢れさせて居た。


「顔が緩み過ぎぞ、旋。常に視線を意識しろ」


 同じ席に着き、帰宅後も着衣の乱れが一切見当たら無い。

 社会人としての身嗜みだしなは、公式経済圏における模範的な規則正さだと、会う相手に褒めめられる機会が多い青年が、手厳しく旋を注意した。


 四ピト十一ファス(およそ一九二センチ)の長身により、商談は運動競技関連から始まるため、慣れた掴みとして心得る。

 加えて、堅実と誠実を絵に描いた容姿により、元劇団員か役者なのかと問われる事も多々あった。


 清潔感が漂う短く整えた髪型は、量が多く陽を通す事の無い黒。同じ色の双眸。濃い眉と、上下を彩る濃い睫毛が、見る者に印象を残すのは『八住 廻』。


「うっ。ごめん……って、何だよぉ。士紅が蒼海に行くって知ってたら、僕も蒼海に行きたかった」

「道理が判らない歳では無いだろう。旋と律は、連堂に居てもらわないと困る」

「はぁい」

「懐かしい面々に会えただろう?」

「っははは。学年が少し違うけれどね。まさか、と同級生になるとはね~。

 恩村先輩は、今度こそ表舞台に立てたみたいだし。うん、善かった」

「そうだな」

。何故、律は芸学科なのですか? この際、庭球部に入れて楽しく過ごせばよろしいのでは」

 

 水を向けるように名を話題に入れられ、少々緊張を走らせたのは『八住 律』。

 廻と同じく、陽をも取り込む黒髪だが、細くしなやかな髪質は、乙女のそれ以上の艶を放つ。首の後ろで束ねた黒の絹布は、腰の先まで伸びる。


 手元に小分けされ、宝石小箱の如くの菓子皿に視線を落とす、水色の双眸が配される面は、紅顔の美少年を逸脱する。

 一見、異性に不自由が無いように見えるが、現実は、律の周囲に人は集まら無い。自らの容姿に自信を持つ生徒ですら、律と並べば添え物にも劣ると、第一に判断出来るからだ。


 その律の隣に席を構えようと、全く見劣りせず、何も動じ無い士紅は、廻の話を受けて応える。


「庭球がやりたければ、後で幾らでも教えてやるよ。

 だが、まず律にはがくに触れてもらう。暴れて総てが済むと想われては困るからな」

「……はい」

  

 声を掛けられ、顔を上げて士紅を見た律は、水色の視線を差し、固定してしまう。

 視界に気付く士紅が、話題を掴む。


「この手の怪我は無くなるよ」

「本当なの~? プリムちゃんも『伯爵』も、毎日毎日、各方面に怒鳴り込みに行こうとして、止めるの大変だったんだからね」

「悪かったな。もう大丈夫だろう。明日には動きがある」

「それはそれで嫌な気分。僕を頼って欲しかったのに」

「領分だよ。領分」

「その件は得心しましたが、〝小細工〟とやらは続行されるのですか」

「……何だよ。また殴られたいのか」

「申し訳ございません」

「仕方無いだろう。〝別件〟もあるが、〝小細工〟しないと汗や息の切らし方が、判ら無いんだからさ」

「心配だな~」

「応えが、殴られて終わる質問は、まだあるのか?」

「止めてっ! こんなに可愛い僕達を殴るなんて、どうかしてるよ!」

よろしい。早く休めよ」


 言いつつ、席を立った士紅に、慌てて旋が呼び止める。


「えっ、もう寝ちゃうの!?」

「当然だろう。規則正しい寝起きが出来ずして、健全な心身を培う事など叶わぬからな」

  

 有無を言わせず、士紅は立ち去る。途中、給仕をしてくれた使用人、に二言三言を交わし、丁寧にその場から辞した。

 士紅の姿を見送り、残された三名は居住まいを正す。


 彼らが視線を一つ動かせば、その先には価値も付けられない歴史の至宝が視界を支配する。

 百名を越える専門家が、総てを維持するために矜持をもって実働していた。

 主が継いだ連綿の歴史を堅持し、主を支え、主が招く客人に、最良の時間を提供するために存在する空間の一つ。


 ホゼカは『ランテナ』に、広大なきょを構えるリュリオン別邸、『青の屋敷』。


 主の名は『フォーヴハンス=ウェリエ=ゲーネファーラ』。

 祖国、ルブーレンの歴史文化のみならず、モルヤンの根底を支える大家に名を連ねる存在は、各界の中にあって絶大な発言権を持つ。


 種も、血縁も無い彼らを〝八住〟の籍に縛り、モルヤンと言わず、現在、一番安全な場所に囲い、全権力を傾け、護り慈しむ養父ようふ達が繋ぐえんにより、『八住兄弟』は、この屋敷で寝食を重ね、屋敷の主を後見人として居る。


 彼らの養父の一名を『八住 規士』。

 もう一つの銘を『アーレイン=グロリネス』。

 未だ、丹布士紅に難問を置き去る、親友と書いて、悪友と読む相手だった。





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